はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

風の終わる場所 31

2021年06月06日 09時49分48秒 | 風の終わる場所
そのとき、これまでより、もっとも強い風が吹き、一同の全身を打った。
舞い上がる砂塵に、おもわず目を庇う。
そして、ふたたび目を開けたとき、李巌の、高らかな哄笑が響いた。
なにごとかと趙雲が目を向けた先に、後ろ手に縛られたまま、咽喉元に刃を突きつけられた孔明の姿があった。
とたん、全身の血が、地面に引きずられるように、どっと下がった感覚があった。
声を立てることもできず、ただ目の前の、困惑した表情を浮かべる孔明の姿を見る。
「狂ったか」
と、それだけを、ようやく搾り出した。
李巌は目を細めて、余裕を見せたいのか、手首をしなやかに動かして、孔明を示す。
「あいにくと正気だ。いやはや、目出度いではないかね、軍師を保護できたのであるから」
「刃で脅すのが保護か」
と、皮肉を口にしたのは、孔明本人である。
李巌を睨みつけ、それから交互に趙雲を見る。
髪はほつれ、その纏うものもところどころ汚れていたが、傷つけられた形跡はない。
孔明は、趙雲と目が合うと、笑おうとしたようだが、うまく頬が動かないようであった。
そして、ふたたび李巌をきびしく睨みつける。
「まさか貴殿がこのように大胆なことをされるとはな。狂ったのだと聞いたほうが、よほど納得できたのだが」
「そう睨み付けないでくれないか。たしかに待遇が悪いのは、謝らねばなるまい。しかし、森に棲まう狼どもに食われるより、はるかにマシだとおもわないかね、軍師将軍殿。いやはや、ずいぶんと久しぶりではないかね。最後にあったとき、貴殿は成都にて、主公の隣に座って、なにやら悠然と諸将に指示を下しておられた」
「それが仕事であるからな」
「左様。それが貴殿の仕事で、わたしは、この広漢の山賊を平定するのが仕事。で、君の指示のとおりに仕事をこなしてみせたなら、なぜだか君の主騎に叱られる。どうにかならないかね。君は言ったではないか。『いかなる手段を用いても、賊を平定せよ』と」
「魏の公子を捕らえよ、などという指示は、出しておらぬが」
「魏の公子は、いわばついでだ。いいかね、わたしは、広漢に多く出没する賊を捕らえに来た。これが、連中ときたら、なかなかにずる賢い。そこで罠をかけるために、かれらを一網打尽にできる機会を、ずっと待っていたのだよ。
そうしたら、驚くではないかね、賊の裏に、魏のたくらみがあったのだ。そこで、わたしは、この汚い陰謀の首謀者を引きずり出す算段をしていたのだ。
とはいえ、魏の人間を、蜀にまでおびき寄せるには、なにか大きな理由を作らねばならない。そうしてかんがえていたときに、偶然にも、馬光年という男より、劉括さまの存在を知った。
主公のご長子であらせられる劉副軍中郎将に相談したところ、劉括さまにいたくご同情なさってね…ああ、若君をお助けまいらせよ(李巌は、ここで部下に、倒れている劉封を助け起こさせた)…このままではあまりに哀れ、父君にあわせてさしあげたいと、そういう話になったのだが、ただ会うだけではつまらない。大きな土産も持たせてやりたいと、そうおっしゃる。
うるわしい兄弟愛だとはおもわぬか。そして、魏の公子を捕らえるべく、馬光年を頼って情報を流し、広漢におびき寄せた、というわけだよ。
途中、いろいろと齟齬があったようだが、これほど大掛かりな策謀となれば、致し方あるまい。貴殿を餌に使ったのは謝らねばならぬが、喜んでいただけるとおもったのだがねぇ。君は、どうも短慮でいけない」
「短慮なうえに狭量でね、あいにくと、貴殿の長舌も、上滑りして聞こえるのだよ。本音を語らぬのは、やはり我らのおもうところで、だいたいが合っているとかんがえてよいか」
孔明の皮肉に、李巌は、器用に眉をあげ、なおも歌うようにつづける。
「君たちのおもうところとはなんだね? いやはや、だいぶ怒っておるようだな。だから恐ろしくて、君を自由にするのにもためらってしまう。わたしは君を、司馬徳操先生のところにいたときから知っているが、見かけによらず、短気なのと、すぐに喧嘩を売りたがる癖は、あらためたほうがよいな。これが、最終通告になるのだが」
「なんと?」
李巌は、腰の剣をすらりと抜くと、隣に立って、孔明とのやり取りを注意深く聞いていた趙雲に向けて、その切っ先をつきつけた。
「武器を捨てたまえ、翊軍将軍。軍師将軍もお静かに。広漢においての治安は、それがしが任されておる。我が権限において、貴殿を拘束する」
「なんの理由で?」
「いたずらに広漢を騒がせた罪、わが将兵らを混乱させ、傷つけた罪、加えて、主公の長子に狼藉を働いた罪。これだけ揃えば文句もあるまい。
さて、軍師将軍、わが策謀の深遠を、ご理解いただけなかったとは残念だ。すまぬが貴殿も拘束させていただく。その後ろにいる、卑しき者たちも一緒に」
牢へと、李巌は言葉をつづけようとして、顔を強ばらせた。

何事かと目を向ければ、文偉の介抱をしていた芝蘭が、いつの間にか、村を駆けまわって遊んでいた劉括を拘束し、孔明がされているように、その咽喉元に刃を突きつけていた。
「くだらぬ真似はお止めなさい。たとえ策謀が破れたとしても、この子供を劉左将軍に見せれば、そのお心を鎮めることができるとおもってらっしゃるのでしたら、読みちがいですわ。
たとえ、そこのお二人の死の原因を、魏の者たちのせいにしたとしても、左将軍は、あなたをお許しにならないでしょう」
「これはなんと」
と、李巌は眉を細めて、芝蘭を見据えた。
芝蘭の腕の中にいる劉括は、状況がわかっていない様子で、にこにこと無邪気に笑っている。
たくさん人が集まっているのが、楽しいらしい。
「わたしは呉の細作。呉の盾となる、蜀の現状を保たせよというのが、我が主命。軍師将軍は、親呉派の筆頭ですもの。貴方はちがう。おわかり? この子はいないほうが、我らにとっては都合がよいの。この可哀相な子を、わたしに斬らせないで。さあ、武器をお捨てなさい」
「細作ごときが、それがしに命令を下すとは、片腹痛い」
「勝手に痛がってなさいな。まずは、軍師を解放して。それから、趙将軍に向けている刃を下ろすのよ」
「怪物じみた面相の娘よ、たとえ貴殿らを解放したとしても、それがしは広漢から、そなたたちを出さぬ」
「ならば、ここで、わたしたちと一緒に死ぬといいわ。繰り返してあげる。わたしは呉の細作。蜀の現状を維持させるのが仕事なの。貴方が、軍師と趙将軍たちを殺して、自分がその地位を襲おうとしているのならば、蜀の混乱と弱体化を防ぐために、わたしはこれを、全力で阻止しなければならない。命に替えても」
とたん、闇の中の黄金の瞳が、唸り声とともに李巌の周囲に集ってきた。
「貴方さえいなければ、あとはろくな知恵ももたない烏合の衆。恐れることなどなにもない。人ならば、あなたの得意なおしゃべりも通用するでしょうけれど、その子たちには、なにも聞こえないわよ。さあ、どうなさるの?」
李巌は、自分の四方をとりかこむ山犬たちを見下ろした。
犬たちは、どれも恐ろしげな唸り声をあげて、李巌の咽喉笛を掻き切らんと、凶悪な目で狙いを定めている。

「小癪な」
と、李巌はつぶやき、趙雲に向けたおのれの刃をおさめた。
そして、犬たちを注意しながら、ちらりと横を向いた。
「馬光年、頼まれてくれぬか」
「なんでございましょう」
と、文偉を拘束していた男、文偉の前では村の長、孔明の前では劉括の保護者として姿を現した男が、かしこまって進み出た。
「娘、交換と行こうではないか。おまえが呉の細作であり、それがしは、おまえをよく知らぬ以上、おまえの言葉すべてをそのまま信頼するわけにはいかぬ。そこでだ、それがしは、軍師を解放する。同時に、おまえも、劉括さまを解放してくれぬか」
「なるほど、交換ね。わかったわ」
芝蘭は頷き、劉括を拘束していた腕をゆるくする。
同時に、孔明を拘束していた男は、馬光年と交替し、それぞれ、ゆっくりと近づいた。
「翊軍将軍、貴殿はまちがっている」
と、徐々に距離を詰める馬光年と孔明、芝蘭と劉括の二組を面白くなさそうに見ながら、李巌は言った。
「真に主公に忠誠を示すつもりならば、軍師にではなく、劉副軍中郎将や、そこな劉括さまに捧げるべきなのだ。軍師は、たしかに主公の寵愛の深い男だが、人の心はうつろうもの。やがて、軍師と主公が対立なさったとき、貴殿は主公にもどれるのか?」
「もどれるか、とは…面妖な物言いをする」
憮然として趙雲が言うと、李巌はなにをおもったか、鼻を鳴らして笑った。
「我が策は、半分は為っていた。貴殿のせいで壊れたようなものだ。主公は、いまは軍師の無事を喜ばれるかもしれぬ。
だが、龍はいつまでも眠ったままではあるまい。主公はきっと後悔なさるときが来るだろう。そのとき、貴殿は、どちらに付く?」
「主公さえお許しになれば、貴殿の、その奇妙な言葉をつむぐ舌を、永遠にしゃべれぬように引っこ抜いてしまうのだが」
「そうそう、貴殿はそういう冷酷な男なのだ。貴殿の血は凍っている。主公は、心の離れた貴殿のことをも、いずれは扱いかねるようになるだろう。貴殿は器用ではない。ニ君に仕えることはできぬ。その芽を摘んでしまおうとした、わたしは不忠者だろうかね」
「黙れ」
「あるいは主公は気づいておられるのかもしれん。貴殿の位が低いのは、単に軍師の主騎として、身動きが取りやすいようにという、配慮だけではないのかもしれぬ。いや、無意識のことかもしれぬが、わたしを初めとする、心ある者は、気づいておるぞ。
貴殿は、主公の臣ではなく、そこな軍師のみの臣に、すでに成り果てておるのだ。現に、おのれの職務を投げ捨て、軍師のためのみに、貴殿は広漢に飛んできた。わたしが主公の了解を得ていないと責めるが、貴殿とて同じではないか。貴殿は、主公と軍師のどちらかを選べと問われれば、迷わず軍師を取る。そういう男なのだ。
いや、貴殿自身も、うすうすと気づいておられるのだろう。貴殿は、もはや主公の臣ではなくなっている。もはや別の者に忠を傾ける、二心ある者を側に仕えさせる恐ろしさを、人の好い主公はわかっておられぬのだ」
「いい加減にしろ! いかにそれらしき理由を付けて言い繕おうと、貴殿が広漢の守りをおろそかにしていた咎は免れぬぞ! 糾弾の場にて、その舌を揮うがよい!」
趙雲が怒鳴ると、李巌は、小憎らしくも、声をたてて笑った。
「趙子龍、わたしは予言する。いずれ貴殿は、おのれの心にすら裏切られるだろう。孤独のままの死を選ぶか、あるいは」

李巌の言葉のすべてを聞くことはできなかった。

ちょうど、孔明と劉括の交換が終わった頃である。
戒めを解かれて、自由になり、芝蘭の側に歩み寄った孔明に向けて、馬光年が、刃を付きたてた。
いや、付きたてようとしたのだが、その刃は、篝火の光に鈍くひかり、芝蘭の目に飛び込んできた。
娘は、すばやく孔明を突き飛ばすと、その刃を、袂にて受け止める。
芝蘭の袂は、この強風でも、ほとんど風になびくことがなかった。
おそらくは、袂に鎖帷子のような薄い鉄条のものを仕込み、いざというときの盾にしているようだ。
「卑怯者!」
いいざま、芝蘭は、刃を跳ね除け、剣を馬光年と交わす。
はじまった剣戟に、そばにいた劉括は怯えてしまって、身をすくませている。
孔明はというと、芝蘭に突き飛ばされた反動で地に倒れていたが、そのまま、傷ついた文偉のほうを見て、低い姿勢のまま、そちらへ向かおうとしている。

そのとき、趙雲は、ごうごうと唸る風の奥に、耳慣れた音をはっきりと聞いた。
闇の奥底から、風に乗って、飛んでくる物がある。
矢だ。
ちょうど、曹丕たちが逃げたはずの望楼の裏側あたりから、矢の飛来する音が聞こえてくるのだ。
どいつもこいつも!
矢は、あきらかに、最たる裏切り者、馬光年を狙っているのだが、この風の勢いである。
周囲にいる者たちにも、矢はかかる。
目の前に、馬光年と、芝蘭と…そして、ちょうど馬光年の足元にいる形となる孔明が、剣戟を気にしながら立ち上がろうとする姿と、傍らで、怯えて立ち尽くしている子供の姿があった。

どちらを。

かんがえている暇はなかった。
趙雲は、地を蹴ると、無防備に立っている者に飛びかかり、ふたたび地面に伏せさせた。
ほどなく、矢の降りかかる音が、伏せたおのれの周囲でいくつも聞こえてくる。
顔を上げることができなかった。
風の音だけが聞こえていた。



子供の泣き声が聞こえてくる。
まるで見えない手で髪を捕まれたように、趙雲はゆるゆると顔を上げ、あたりを見回した。
まず、矢の勢いによって、篝火がひとつ倒れて、なおもまだ燃えているのが最初に目に入った。
そのそばで、子供がしゃがみこんで泣きじゃくっている。
隣には、剣を持ったまま、矢を何本も身に受けて倒れている、馬光年のあわれな死体がある。
李巌は、矢の雨を免れたものの、ぼう然とその場に立ち尽くしており、ほかの将兵たちも同様であった。
その隣では、流れた矢が肘のあたりに当たり、痛みに呻いている劉封の姿があった。
「たいした置き土産だな!」
と、偉度が憎憎しげに、闇の向こうに悪態をついた。
腕の中には、その『妹』である芝蘭の、背中に何本かの矢を受けた体があった。
風の発する方角から、「引け、引け」と声が聞こえた。
魏の者たちが、ささやかな報復をして、故国へと逃げていくところらしい。
国境付近で捕らえられてしまえばよい、と趙雲は胸の内で呪詛を吐いた。

「子龍、子龍」
間近で声がして、趙雲は腕に抱えた者を見下ろす。
恐怖から脱け出した虚脱感か、それともいまだ状況がつかめずにいるのか。孔明は、困惑の色を浮かべている。
それでもなお、片手は、趙雲の頬にゆっくりと差し伸べられた。
白い指先が、かすかに震えている。
それがわずかに頬に触れるか触れないか、それだけのわずかな接触で、趙雲は、孔明が生きていることを実感し、安堵した。
子供の泣き声がつづいている。
劉封が、助けを求めて呻いているのが聞こえた。
だが、趙雲はどちらにも顔を向けることなく、ただ、目の前の者だけを見ていた。
そして、孔明が言葉を語る前に、地に倒れたものを抱き起こすようなかたちで、趙雲はその身を強く抱いた。
「俺は、おまえを選んだのだ」
それだけ言った。
孔明は、わずかに驚いたような顔をしたが、何も言わずに、しばらく大人しく腕の中にいた。

つづく……

(初出 旧サイト・はさみの世界(現・牧知花のホームページ) 2005/10/12)

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お話は、なんと、まだつづきます……


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