はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

風の終わる場所 30

2021年06月05日 20時16分08秒 | 風の終わる場所
趙雲が士卒長の鎧を纏っていたということもあり、李巌も劉封も、文偉に気をとられ、近づくその男が、趙雲その人だと、まったく気づかないでいた。
望楼を見張っていた兵卒長が、騒ぎにおどろいて飛んできた。
その程度にしか見ていなかった。
ほかの兵卒もそうだった。

走ってきたその男は、劉封に近づくや否や、平伏することもなく、いきなり飛び込んできた勢いのまま、腫れ上がった頬とは、逆の頬を殴りつけた。
その場のみなが、あっ、とおもったのも束の間。
つづいて、闇から、大きな白い何者かが飛び出してきたかとおもうと、殴り飛ばされた劉封におどろく馬光年の胴に斬りつける。
それが怯んだ一瞬の隙に文偉に近づき、その両手をつなぐ木の枷を打ち壊した。
それが合図だったように、櫓におのおの占拠していた犬たちが、ふたたび遠吠えをはじめ、翼が生えているかのように、ひらりと上空高く舞うと、劉封と李巌の部隊めがけて飛び降りてきた。

このおもわぬ敵襲に、部隊は混乱した。
大将である劉封は、士卒長の姿をした趙雲によって、殴り飛ばされて、地に伏したままである。
李巌のほうは、さすが経験豊かなところを見せ、すぐに我に返ったものの、人ならぬ犬の襲撃に、驚きあわてる兵卒たちに指示を飛ばす。
しかし、混乱のため指示は行き届かず、さらに騒ぎは大きくなる。
騒ぎを煽るようにして、趙雲は、おろおろと腰を引き気味に、刃を向けてきた兵卒を、あっさりと打ち伏し、得意の槍を奪った。
そして、目の前に群がる兵卒たちを、吹きつける風にあわせるかのように、つぎつぎと倒していった。

「わたしが見えていたのですか?」
と、文偉の周囲に集ってくる兵卒たちを、これは矛でもって薙ぎ払う偉度が、背中合わせのように戦っている趙雲に尋ねた。
「まるではかったようではありませぬか。ずっとわたしを見ていらしたのですか?」
「いいや、たまたま運が良かっただけだ」
短く答える趙雲に、偉度はちいさく笑みをこぼす。
そして群がる敵をふたたび見据え、その鋭い切っ先でもって、次から次へと容赦なく切り伏せていく。
その動きには、一分の隙もない。
犬たちは、一匹一匹が、物言わぬ優秀な武将のように、おもわぬ奇襲にうろたえ、まともに反撃も出来ないでいる兵卒たちに牙を剥き、あるいはその爪で蹴散らした。
人とはちがう動きをするために、よく訓練された兵卒たちも、犬の素早い動きを捉えることができず、かえって同士討ちをする者までいる。
文偉は、すっかり気を失っていたが、そこへ、芝蘭がやってきて、助け起こした。
「文偉さま、どうかしっかり!」
声をかけつつ、すでに変色し、あるいはむくみつつある頬を軽く叩くと、文偉はちいさく呻いた。

芝蘭が、どうして文偉を助けるのかはよくわからない。
わからないが、偉度とおのれと芝蘭と、その忠実な犬、さらには望楼から集ってきた芝蘭の仲間たちがいれば、混乱しきった中を突破できるかもしれない。
だが、いまは敵とはいえ、目の前にいるのは、たまたま李巌と劉封の配下になった、同じ蜀の兵卒なのである。
なるべくならば、殺したくない。

趙雲は、混乱の極みにある兵卒たちを、あらかたおのれの周囲から遠ざけると、奪った槍でもって、どん、と地面をつよく叩き、大音声で呼ばわった。
「みな、鎮まれ! 俺はおまえたちの敵ではない! 我が名は、翊軍将軍趙子龍! 聞き覚えがあろう!」
乱戦の空気を断ち切った、趙雲の一喝であった。
それまで火花を散らして繰り返されていた剣戟が、ぴたりと止まる。
効果はあり、趙子龍の名を聞くと、兵卒たちは、おのれの耳を疑ったのか、唖然とした顔をして、いずれも趙雲に視線をあつめてくる。
かれらの大半は、李巌らのおも惑も知らずに付いてきた。
なぜに、味方の将と戦っているのか、わからないのである。
かれらひとりひとりを見据えるようにして、趙雲はつづけた。
「そなたたちの策謀は破れた。いまならば、この咎は李将軍、劉副軍中郎将にのみ問い、そなたらは罪に問わぬ! 早々に剣を納め、降伏せよ!」

「よろしいのですか、そのような権限はないでしょう」
と、偉度が、早口でささやいてくるが、趙雲は、ちろりと横目で見て、それを牽制した。
もしも、この場に孔明がいたなら、口にしたであろう言葉を、趙雲は言った。
権限はたしかにない。
だが、孔明ならばこうする。
孔明がこの場にいないのであるから、自分がこれに代わるしかない。

趙雲は、篝火に陰影をつけたその顔を浮かばせる、唖然とする兵卒たちを、ふたたび睥睨した。
かれらは息を呑んで、趙雲に視線をあつめてくる。
だが、その手に、武器は握られたままだ。
張飛ならば、たった一喝で兵卒たちから武器を奪えようし、関羽ならば、その姿を見せただけで、兵卒たちは怖じて武器を捨てただろう。
自分は、まだまだだな、とおもいつつ、趙雲はふたたび兵卒たちに叫んだ。
「どうした! 降伏せぬのであれば、俺はそなたらを逆賊として討たねばならぬ! この咎は、そなたらのみに留まらず、九族にいたるまで及ぶであろう! それでもよいか!」
兵卒たちは、すっかり固まってしまって、ただただひたすら、趙雲を見つめている。
趙雲が焦れて、どん、とふたたび地面を槍の柄で突くと、まるで火にかけられた豆がはぜたかのように、恐怖の色を浮かべた兵卒たちが、つぎつぎと手にしていた武器を打ち捨てた。
だが、なおも武器を捨てず、こちらに切っ先を向けてくるものが残っている。
鎧装束が、ほかより立派なところからして、李巌らの直属の将兵らであろう。

吹きすさぶ風が、村を揺らしている。
全身につよい風を受けながら、趙雲は、かれらの次の動きを待った。
このまま、突破するか。
あるいは、説得をつづけるか? 
数の上では、変わらずこちらは不利なのであるし、曹丕が逃げたことに気づき、かれらが手勢を分けて、追っ手をかけてしまっては、また同じことになってしまう。

「逆賊とは笑止!」
李巌の重々しい声が、沈黙を破った。
李巌は、姿勢も凛々しく、篝火に浮かび上がる美麗な鎧に身を固め、前に進み出る。

出てきたな。
趙雲は胸の内でつぶやきつつ、状況の悪さにも怖じずに、悠然と足を進めて来た李巌を見つめた。
以前に、何度か顔をあわせたことがある。
だが、顔をあわせたという程度である。
親しく話したことはない。
李巌には驕慢なところがあり、おのれの認めた士大夫としか付き合わないと決めているところがあった。
趙雲は、その選別から洩れていた。

趙雲は、慎重に言葉を選びつつ、甲冑の房飾りを風になぶらせて、堂々と目の前にたつ男に問うた。
「俺の言葉に誤りはない。そのことを、貴殿はなによりご存知のはずだが?」
「いいや、貴殿こそ、間違っておられる。われらが何ゆえに逆賊だと言うのか。我らは、主公の御ために魏の公子を捕らえたうえに、生き別れとなっていた御子を探し出し、保護したのだ」
「保護だと?」
「左様。この御子は、阿斗さまよりも年長であり、本来の主公の跡継ぎともいえるお方。このうえなく貴重なお方である。保護するのは当然であろう。しかし、劉括さまの母君を亡き者にされたのが、軍師で、その軍師が後押しされているのが、劉括さまの弟君にあたる阿斗さまだというのは、皮肉であるな」
「その軍師を、勝手に捕らえて、なにを言うか!」
「だが、軍師は主公の御子の仇、言うなれば、主公の仇ということにはならぬかね」

その言葉を聞いて、武器を捨てた兵卒たちが、互いに顔を見合わせ、ひそひそとやりだした。
まったく知識を与えられずに、李巌の言葉と趙雲の言葉を聞かされたら、どちらを取るだろうか。
趙雲は、ついさっきまで、問答無用で、かれらの仲間を切り伏せていた男である。
一方の李巌は、腰に剣こそ提げているが、いまはなにも武器を手にしていない。
失敗した。
相手の得意な分野に入り込んでしまっている。
弁舌にかけては、李巌のほうがはるかに上だ。
兵卒たちにせっかく武器を捨てさせることができたのに、また武器を取らせてしまう。
無益な殺しはしたくないというのに。

「まこと主公の御子か、まだ定かでない者を持ち上げ、軍師を貶めて見せる。そして、主公の了解もないままに、その勝手に軍師を捕らえるとは、叛意ありと取られても仕方ないところであろう!」
「劉括さまが主公のお子であることは、その面差しからも間違いのないところ。くわえて、ご母堂が、主公よりいただいた品も受け継いでおられる。阿斗どのを長坂の戦にてお助けした貴殿からすれば、おもしろくない話かもしれぬ。だが、これは事実なのだ」
「いまは、阿斗さまのことは関係なかろう。問題のすり替えは止せ。たとえ劉括どのが主公のお子であろうと、問題は、貴殿らが勝手に動き、魏の公子を捕らえたという、これに尽きる!」
「致し方なかろう。敵を騙すには、まず味方から、という言葉を知らぬのか。魏の公子を捕らえるのだぞ。なまじあちこちに話を報せて、それが洩れてしまうのであれば、そもそもの策が成り立たぬ」
趙雲は苛立ち、槍の柄を、ふたたび地面に打ちつけた。
「そうではない! そうではなかろう! 主公のお許しもなく、勝手に軍師を捕らえ、そしてこの村へ連れてきた挙句、さも餌のように、魏の公子の面前にぶら下げてみせた。そのことも許せぬし」
蜀の国力の詳細や、魏の内情も知らず、状況をかえって悪くする策を用いて、どうするつもりだ、と続けようとした趙雲であるが、李巌の大きなため息に打ち消された。
「貴殿は軍師に近すぎる。たしかにこの策は、軍師には酷なものであったかもしれぬ。だが、貴殿は、軍師をどこまでご存知か? わたしは、かの御仁を、主公の軍師になる以前より見知っておる。貴殿もしらぬ軍師の顔、というものがあるのだよ。この策は、軍師もご存知だ」

「嘘です。押されてはなりませぬ! だいたい、軍師はたしかに李将軍を知ってはいたが、顔見知り程度だったはず!」
偉度がすばやく趙雲に言う。
そうであろうと趙雲はおもい、その言葉にうなずいた。
これまで、孔明の口から、公務に関すること以外で、李巌のことが出てきたことはないのだ。

「苦しい嘘をつくものだな。それに、貴殿はおもいちがいをしておるぞ。俺が軍師と近すぎるゆえ、見境がなくなっているとでも言いたいのか? 見境がなくなっているのは、貴殿らのほうであろう! 
たとえ、いま劉括というお子があらわれたとしても、主公にとって、軍師はまさに主従を越えて、手足のようなもの。それを、なにも相談なしにもぎ取られては、主公とて黙ってはおらぬぞ!」
「一介の翊軍将軍ごときが、なぜに主公のお心をそこまで主張する? 僭越であろう!」
「問題のすり替えに必死なようだな。軍師は、この策のことなど、なにも知らなかったし、貴殿は、そこに倒れておる劉副軍中郎将の存在ゆえに大きく出ているようだが、もはや策は破れた。
こうなれば、いかに動機が忠から発するものであったとしても、立場が微妙なことは、理解しているであろう。これで、そなたらの寿命は、ますますみじかくなるというものだ」
「なんと不遜な」
李巌は、旗色がわるくなったことを悟り、顔を大きくゆがめてみせる。
趙雲はといえば、弁舌でもって相手をやりこめたことも少ないので、この結果に、大いに会心の笑みを浮かべた。
といっても、口はしに笑みが浮かぶ程度であったが。

つづく……

(旧サイト「はさみの世界(現・牧知花のホームページ)」初出 2005/10/12)


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