晴れたら、エエなぁ

こんどの休みは晴れるかな?晴れたら何しよ?やりたいことが・・・いっぱいあることの幸せ?を噛みしめるイヌ人の独り言

セラミックス

2008年10月30日 | イヌの独り言
セラミックス

酸化物(固体の)のことであるが、窒化物や黒鉛(炭素)も含む場合がある。
酸化物なので、燃やして=熱をかけてつくる。

研究室では、ジルコニアやアルミナ、ムライトなどなどを作っていたようだが、
他の人がどんなことをやっていたか?記憶は定かではない。

ワシのテーマ(大袈裟だなぁ・・・)は、
チタン酸バリウムの微粒子を作ること。
(ついでに書くと、サブミクロンオーダーの超微粒子をつくるのが目的)

単純にセラミックスを作る場合は、原料粉末を(ときに何種類か混ぜて)
ペレット状にし(錠剤を作る器具にいれる)、電気炉で「焼く」。

どうやって微粒子を作るか?

バリウムイオンの入った溶液とチタンイオンの入った溶液を混ぜ、霧状に
噴射し、それを電気炉内を通して、水分の蒸発、仮焼、焼成して
固形粉末酸化物にするのである。

そして、ワシの研究は、もう一人の学生と助手と3人で、
そんな超微粒子を創りだす「装置」を作ることから始まった。

当然参考になる装置は、この世に存在しているので、それを基に3人で
「こうしよう。あーしよう」と話し合い、先生に相談し、資材を購入、
作製に入るのだ。


原料溶液を霧状にするところは、「超音波振動子」というものを使用した。
超音波振動子は、以前は加湿器によく使われていたもので、容器?の底に
付けて振動させると、水面から霧状の飛沫が舞い上がる。

加熱する電気炉は、3つの温度域を構成するために3個作ることに。

原料溶液の入ったとこから、回収するセラミックフィルターまで
ガラス管+石英管で繋ぎ、真空ポンプを付けて霧状の溶液を引っ張る。

電気炉は3個立てに配置するので、装置の高さは2m近くなった。
その中をガラス管、石英管を通さなくてはならないので、
電気炉は、たてに2つに割れる仕様になった。

電気炉の材料、温度を配線用のコード、スイッチ類などなどを
秋葉原に買いに行ったりした。
電気炉の外側のステンレス板は、専門業者に特注した。

その他の材料=アングルやパネル用のアルミ板、装置=温度コントローラーなどは、
大学に出入りしている業者?に発注。

相当な金額になったと思うが、出来て間もない研究室、
後々のためにも、作らなくてはならないのであった。

また、購入ばかりではなく、自分たちで、学部内の工場に行って、
旋盤の使い方をおそわり、部品を作っていった。

結局、この装置をつくるだけで、9月までかかってしまったのであった。



              昨日のジョギングの疲れが残る夜に
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4年生のはじまり

2008年10月29日 | イヌの独り言
土岐麻子 How Beautiful

「な・つ・か・し・ィ  君のと・な・り ♪」



「恥・ず・か・し・い  君のと・な・り ♪」

と聞こえたブルぅだ。


大学の4年目は、研究室に所属する。
が、普通の授業も少ないながらある。4年生であるにもかかわらず、
般教の科目の単位がとれていなくて、英語とかの授業にでている学生もおった。


ワシの所属した研究室は、出来て2年目の新しい研究室だったので、
まだまだ研究室っぽくなっていなくて(前年は3人しか学生がいなかった)、
「研究室作り」から始めることになった。
これが、今年できたばかりの研究室となると、もっと最初の段階からの
研究室作りになり、更に以前にいた教授などが、「お土産=片付けをしていない」
を残していくと後片付けから始まり、「これは何だろう?」といいながら、
怪しい物質を処分するのである。
洗剤だって「混ぜたら危険」だったりするわけで、何ものか?判らんモノを処分する
恐怖とたたかうのである。

N間研究室(N間研)は、3人から大学院生2名と学部生7名に助手1名となり、
どこからか机とイスを運んで来たり、実験機器を運んで来たりした。

出来てから長く経っている研究室でも、毎年設備を整えたりで、
研究室というより「工務店か?」というところもあった。
研究成果が上がっていたり、なんかのコネがあったりするのか、
年々巨大になっていく研究室もあったり、新しくできる研究棟に引っ越したりする
研究室もある。前途洋々なのだろう。

N間先生は、まだ若く、「これから」という先生だった、ということにしておこう。


研究室によっては、ロフトがあるトコがあって、そこで寝ることが出来るように
なっていた。N間研にも小さなベットようなロフトがあったが、撤収した。

植物を研究材料にするトコは、植物の状態が良いときに研究をする。
人の都合ではなく、植物の都合にあわせるため、深夜になったり、
徹夜になったりするのである。
一方で、植物の状態が良くないときは、早々に帰宅できたりする。

セラミックの研究=合成は、比較的短時間で終わるので、無闇に終業時刻が
遅くなることは無かった。というわけでベットは不要だったのだ。
ただ、N間先生からは、
「暗くなるくらいまでは、研究室に居なさい」
と言われた記憶がある。

有機系の研究室は、反応時間が長いこともあり、「残業」が多かった。


今日は、ここまでにしとくか・・・

つまらんかな?こんな話


                         夜のジョギングの後に
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大学の研究室というところ

2008年10月27日 | イヌの独り言
歳のせいか?涙腺はだいぶ弱くなったが、

「空と海の 青のちがい」ごときでは、泣きなんぞしないブルぅだ。


3年生の後期をむかえると、そろそろ研究室を選ばなくてはならない。
研究室の説明会というもあるが、実際に研究室に入ってみないと
わからんもんである。

ワシらの頃は、まだ小さな学科ごとに別れていたので、選択肢は少なかったし、
当然、明確ではなかったが定員もあった(今だってあると思うが)。
大所帯の研究室もあったが、それは博士課程や修士課程の学生が何人かいるトコだ。
学部生は、博士論文や修士論文の補佐的な研究(テーマが同じ)をするのである。


化学なので、有機系、無機系、生物系があった。
有機系は、有機物の合成であるが、高分子やタンパク質の合成をやっている
研究室や液晶のようなものをやっている研究室もあった・・・気がする。

無機系は、半導体やセラミックスといったところ。

生物系は・・・なんだったんだろう?

同じ化学系の他の学科では、石炭の研究や電極反応の研究をしている研究室があった。

石油はいつか枯渇するといわれて久しいが、石炭は実のところ、
けっこうたくさん残っている。ただ、石炭は燃やすと、多量の炭酸ガスを出すし、
エネルギーとしては、あまり使われなくなった。
そこで、最近では、いままでの不都合なところを克服するような利用方法が研究
なされている。多分、そんなことをやっていたんだと思う。

電極反応が具体的に、どういうものか知らないが、そこの研究室は、
フィッシュとポンズとかって博士(確かそんな名前)が、常温で「核融合」
が起きた、って論文を発表して、そんな実験なら自分のとこでもできそうじゃん。
つって追試して、ひょっとしたら核融合がおきてるかも?って結果がでた研究室だ。

今となっては、あの「常温核融合」騒ぎは何だったんだろう?と思うが。


で、ワシは有機化学は、やっぱり、どーも難しく感じていて、
それよりは、「超伝導」に興味があったので、セラミックスの研究室を
希望することにした。

そんな研究室の話を書いていくことする。


            「涼しい」よりも「肌寒く」感じてきた日に
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平凡な日曜日

2008年10月26日 | イヌの独り言
Ho~w  Beautiful~  も一度連れて行イって ♪

Ho~w  Beautiful~  美しい場所~ ♪

なつかしい・君のとなり  ♪

   「How Beautiful」土岐麻子 (ユニクロCMソング)

のフレーズに、遠い過去を思い出し、グッときて、
危うく「ホロッ」っといきそいうになったブルぅだ。


そんな日曜日の今日は、朝から「米運び」
米を買いたい、という知合いのところへ、2.5俵届けにいき、帰宅。

ダイビング器材を干したいとこだったが、あいにく空は、どんより。
工作室兼物置で広げておいた・・・明日は、ドライスーツ裏返しておかないと。
(忘れそうだなぁ)

部屋を少~し片付けて、その後散髪に行き、夏毛から冬毛に・・・っておい!

修理を頼んでおいた、携帯を取りに行って、午前中終了。


午後は、TVでエスパルスの試合を観戦し、久々にクルマを洗って、
ワックスまでかけた(ときおり雨がぱらついたけど、かまわず続行)。

K間田川の様子を見に行きたかったが、ここのところの雨でつまらなそうだったし
(いいのか?そんなことで)
砂浜再生(できるのか?土嚢)も見たいとこだが、海ニゴッてるし。

ということで、たいして出かけずに一日おわった。



部屋を片付けながら・・・
携帯につけるストラップ類。もらったりするけど、全部付けることもないし、
ただ置いとくのも、なんだし・・・ってことで、昔ガソリンスタンドでもらった
コルクボードにプスっと。



あゆみ作「大瀬の生き物」もただ壁に貼るのも味気ないので、
100円ショップ「ダイソー」で「420円」のコルクボードを買って来てみた。



326氏のイラストも貼っつけてみた。

悪ィ、たぶんワシ「ゼロ」だわ ・・・ ・・・


                    たくさん寝たのに、眠い夜に
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秋の大瀬崎

2008年10月25日 | ダイビング
桑田佳祐の「真夜中のダンディ」

”真夜中のダンディ ダンディ  同じ顔のブラザーーー ♪”



”真夜中のパンティ パンティ  同じ柄のブラジャーー ♪”

と唄って、喝采・・・もとい罵声を浴びたブルぅだ!


そんなことは、どうでもいいが、今日は久々に大瀬崎に行ってダイビングを
楽しんできた。
ここのところ透明度もイイし、マクロ(小っさい生き物)が面白そうなので、
カメラを持って行こうと思ったが、ここ数日で、見る見る透明度が落ちてきた。

夏に行った田子では、ビデオ回しっぱなし、神子元は、とにかくガイドについていく、
といった潜り方をしていたし、今シーズンの初ドライ(スーツ)であることもあり、
カメラはやめてのんびりと漂うように、流されるように、あっちを観たり、
こっちを覗いたりしながら潜ることにした。

夏のハイシーズンも終わって、少しはダイバーが少なくなったかな?
と思って来てみたが、



けっこうたくさんいるなぁ~
(昨日、東伊豆がだめだったらしく、西伊豆方面に変更したショップがあったのでは?)

そして、


「オリンパス」のテント ・・・ ・・・


「本日、フォトコンテストやりま~す。皆さんのエントリー待ってま~す
 撮影したデジカメ持って来て下さい」

などと、各ダイビングサービスを歩いて回るおねーさん2名 ・・・ ・・・

ブログ用に、「ふつうの」デジカメは持って来ていたが・・・

間が悪い ことでは誰にも負けねーぜ!


さて、本日のガイドは「あゆみ」ちゃん!
若くてカワイイ、大瀬館のガイドさん
しかもゲストはワシひとりだった・・・

いいのか大瀬館!こんなカワイイこ、ワシと二人っきりにして?

てっきり今日は、「甲殻類好き」のかおるクンかと思っていたのだが


で、結果として、かおるガイドではなかったが、甲殻類をいろいろ観た2ダイブだった。



あゆみ作

ログ付けの最中に、今日観た生き物を、図鑑を参考に、サクサクと描いて

うまいもんだなぁ(感心することしきり)


やっぱ、ビーチダイブはイイね~
のんびり、まったり

これからのシーズンは大瀬だな


              肩にタンクの重量感が残る夜に
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3年にもなると

2008年10月23日 | イヌの独り言
こつこつと単位をとっていくと、3年生の後期は、だいぶ授業が少なくなる。
(正確には履修する必要性が少なくなる)

で、ここぞとばかりにバイトするのである。
ま、バイトの話はどーでもいいんだけど、3年ともなると、
4年時の研究室をどこにしようか?と考えなくてはならない。
(希望通りの研究室に入れるかわからんのだが)

ゼミに入れば、卒論は免除だよ、ってな一部の文系学部とは違い、
工学部は、研究室に入り、卒研をやって、論文にまとめ、発表し、
論文が受理されてこそ、めでたく卒業と相成るわけである・・・
(すこし大袈裟だけど)

そこで、3年の(確か?)後期では、各研究室の読書会(または雑誌会)
というのに参加する、という授業があった。

【 読書会 】
 研究の参考や、研究分野の知識を増やすために、関連する論文や、
 化学(系)の雑誌(論文などが掲載されてるヤツ)、専門書などを読むこと。
 研究室の学生が、会毎に割り当てられた「箇所」を読んで解説する形で進行する。
 論文は、大抵英語で書かれたものを使うケースが多い。

その英語で書かれた論文を訳して発表するのが3年時の授業であった。
1週間だか2週間前に、回る予定の研究室で論文のコピーを受け取って、
もくもくと訳し、当日発表する予定になっている4年生か大学院生と
一緒に発表することになる。
うまく訳せないと、その4年生か大学院生がフォローする感じ。


3年生とはいえ、研究ということになると、まだド素人なので、専門的な知識もなく、
日本語に直しても、いまいちわからんことが多い。
また、単語も科(化)学的なことに使われると意味が変わってくるものもある。

たとえば、「fine」はふつう「晴れ」とか「素晴しい」とか「いい!」とか
そんな感じの意味が一般的である。
少し変わったところでは、「罰金」という意味があるが、海外で生活していると、
わりかし普通に使われている意味である。
これが、サイエ~ンス(髭男爵風)になると・・・

「微」 とか 「精密な」

という意味が一般的になるんやないか~い!

だから

「fine particle」は

「すばらしい粒子」ではなく「微粒子」になる
・・・いや微粒子は素晴しいのかもしれんなぁ

ということで、ほぼ全ての学生が、この期に

「化学・英和用語集」 化学同人発行  定価1800円

を買うことになる。


今となっては、1800円返してくれって感じだ ・・・

というのは冗談で、その後もいくつかの英論文を読んだが、情報を得るのも
発信するのも英語(語学)が必要なんだなぁと思ったものである。


                    冷たい雨が一時やんだ夜に
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そして3年生になり

2008年10月22日 | イヌの独り言
何年経とうが、実験の授業があるのが工学部であった。

はっきり言って(書いて)、2年のときのことか?3年のときのことか?
記憶が定かではないのだが、「分析」という分野をはれて終了すると、
実際に「モノ」をつくる実験=「合成」をやることになる。

遠い記憶をたどると・・・ニトロフェノールの合成をやった記憶がある。
「有機合成」だ。たしか有機合成では「染料」をつくったこともあったはず。
おそらく「アゾ系」だと思うが・・・
ニトロフェノールは、合成温度を誤って、高温でやってしまうと、
ニトロ基がたくさん(といっても3個までだが)ついて・・・
ピクリン酸という火薬ができてしまう。
なので、教官は「くれぐれも温度をちゃんと管理するように」といっていた。
ま、コントローラーで管理は出来るのだが、肝心の温度計が合成溶液に
着いていなければ意味が無い(初歩的であるが、こういうミスはおこりうる)。
ちなみにトルエンにニトロ基が3つ付くとトリニトロトルエン=TNT爆薬である。
まあ、そんなおっかないものはつくらんのだけど、ワシが在学中に・・・
書いちゃっていいのかな?(でもニュースで報道されたこともあったからな)
軽~い?爆発事故が起こっている。

さて、一般に有機合成は時間がかかる。
無機物に比べ、有機物は分子量が大きい=原子の結合が多い。
そんな「結合」を切ったり、くっつけたりするんだからエネルギーも必要だ。
なので、実験時間は長かった。
実験を終え、帰る頃は、夏でも日が暮れていた。
冬なんぞ真っ暗であった。帰り道、星を眺めてチャリをこいだものである。


今となっては、なんの役にも立っていない、と思われる当時の授業・・・
ほんっと憶えてないからなぁ・・・(堂々と書くことではない)
時間と金の無駄遣いだったのか?と反省してみたくなる(反省しないけど)。


                  虫の音がおさまってきた夜に
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晴れて進級し 2年生の頃

2008年10月21日 | イヌの独り言
2年になると小金井キャンパスに移るのだが、それでも般教がある。
外国語と他数科目=1年時に単位を取れなかった科目とか。
場合によっては、府中キャンパスでしか開講していない科目もあり、
その場合は、府中ー小金井を行き来することになる。
幸いにして、府中ー小金井はそれほど、離れていないので、
なんとかなるもんであったが、他大学では、一般教養課程のキャンパスと
専門課程のキャンパスが遠く離れていることもあり、
履修不可能という状況に追い込まれることもある。

専門科目は、具体的にどんな科目名だったか憶えていないが、やたら解らんかった、
という記憶はある。化学であっても「熱力学」というものを理解していなくては
ならないらしく、「エントロピー」だとか「エンタルピー」とか、当時はそれなりに
解したのだろうが、今となっては「言葉」のみが頭にあるだけである。

そして、2年になっても実験はあり、たしか分析であったと記憶している。
今度のは、「定量分析」=何が、「どれだけ」入っていたか?である。
「中和滴定」や「キレート滴定」といった、まさに化学の実験的な作業から
「ガスクロマトグラフィー」といった器械を使った、見た目カッコよさげな分析
などをやった記憶がある。

が、大学の授業だけに正確さだけでなく、原始的?な手法を学ぶのである。
「もともとは、こんなやり方だったんだよ」ということを学ぶのである。
そこに「原理・原則」ってヤツがあったのかもしれないが・・・

たとえば、滴定での撹拌は、ふつう「スターラー」なるものを使うが、
実験では、あくまで「手」でビーカーを揺するのである。
秤量も、デジタルの精密秤を使えば済むところをワザと精密天秤なんぞを使うのである。
ガスクロマトグラフィーも当時のご時世でも、成分ごとの含有量など自動的に
出そうなものであったが、器械が描いたチャートから、面積比を出して、
含有量を計算するのである。面積といっても、均質な厚紙にチャートを写して、
切り取って重量を測る場合もあったよーな記憶がする。
(ひょっとすると別の実験だったかもしれんが)

これらの実験がその後の研究生活に役立ったかどうか?
もはや記憶のさぐりようもないが、
「ああ、あのころは化学屋さんだったな」
としみじみと思うのである。

ところで、2年にもなるとバイトで貯めた金でクルマやバイクを買う連中が
増えてきて、それにつれて行動範囲も大きく広がるのであった。
ワシも当時、24回払いで400ccのバイクなんぞ買って、ちらりほらり、
と出かけたものである。
帰省する際もバイクをよく使ったが、ビンボーだったので夜中、一般道をセコセコと
走ったものである。


                    なかなか疲れがぬけない夜に
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1年生のころ

2008年10月19日 | イヌの独り言
無事、農工大に入学したが、ここでひとつ断っておくことがある。

それは、農工大は、「東農大」=東京農業大学 とは違うので
くれぐれも
「のうこうだい?あーあの”大根踊り”の?」
などと言わないように。

農耕大でもないからね・・・


そして更に断っておくが、農工大の偏差値は、低くはないが、
高くはない。
都内にある工学部ならば、ふつーか?国公立に限れば、最下位ではないかな?
東大、東工大、都立大は、けっこう偏差値高いからね。

不幸にして、近隣には文系大学ではあるが、一橋大学やら津田塾大学(女子大!)が
あるので、なんとも見劣りがしてしまう。

かつて農工大生が津田塾大生に「合コン」を申し込んだら、
「偏差値が違い過ぎます」
って断られたとか・・・きっと一橋大だったらOKだったんだろな。


さて、大学とは、研究機関であり、学問を「作る」あるいは
「発展させていく」ところである。

高等なところであるのだが、最初は一般教養課程を履修することになる。
時間割は午前2コマ、午後2コマで、高校生の頃より1コマの時間は長い
だから慣れるまでは、少々つらかった。

数学や外国語、物理(基礎的な)のほか社会科、人文系の科目がある。

数学は、微分と線形代数とかってヤツを履修していた。
外国語は英語とドイツ語(化学系はドイツ語を勉強させられる)
文化人類学に心理学などを履修していた。
また、専門科目に関連する「技術史」や専門科目である「なんちゃら概論」
なども1年生のうちからとっていた。

般教といえど、講師は大学のセンセーであるからして、内容はかなり濃い、
というかはっきりいって、まるでわからん。
それを研究したからといって、いったい世の中にどう影響があるのか?
どう貢献できるのか?謎であったが、それは、単に専門外だからだろな。

きっとワシの知らないところで、世の役にたっていることだろう。
そー思わないことには、やりきれないではないか。
知性という意味では、身につけていた方がいいのだろうが、
当時はそんなことも気にしなかった。

で、そんなことばかりかい?というとそうではなくて、
1年生といえど、「実験」という履修科目があるのである。
(当然のことながら必修科目である)

ワシらの学科は、月・火の午後がそうであった。
一応2コマになっているが、実験が終了するまで終わらないのである。

1年のときは、分析化学の実験で、金属イオンを含む溶液を、いろいろな
試薬を入れては、遠心分離機にかけたりして、上澄みをとって、また分離して
を繰り返して、「何が」入っているのか?確かめた。

教官は、その前年、胃の手術をしたので、「遅くまではつきあえないからね」
と言っていたが、大抵実験は夜7~8時まではやっていた(←終わらんのだ)。
教官が元気だった頃は、10時くらいまでやっていた日もあったとか。

最後の実験は、「何が」入っているか分からん溶液(教官は知っている)を
各学生に与え、それまでの実習した分析方法で、どんな金属イオンが
入っていたか?を検出することであった。
報告は2回まで。2回で全てが正解でないと単位はやらないよ、とか。

ま、無事に2回で正解したので、よかったが、毎年「実験」があるので、
実験の単位を落とすことは、即「留年」を意味するのだ。
サボるわけにも、落とすわけにもいかない、大事な?授業であった。


                   夜風が冷たく感じる夜に
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で、農工大というトコロ

2008年10月18日 | イヌの独り言
農工大は、東京のはずれ、というほどでもないが、新宿から中央線で
30分ほど西にあたる小金井市というところにある。

ただし、これは、工学部で、農学部と一般教養課程(=1年生)は
府中市にある。

府中キャンパスは、JR中央線の国分寺駅と京王線府中駅の中間にある。
最寄り駅ならJR北府中が一番近いと思う。
北府中駅から、大学までの途中には、3億円事件の府中刑務所があり、
大学の北徒歩5分くらいのトコには、関東医療少年院がある。
(ちなみに、北府中駅のすぐ西隣はラグビーで有名な「東芝府中」)
なんか怖いトコでしょ?


で、農工大はその名のごとく、「農学部」と「工学部」の2学部から成る。
誰かが、「歯学部と商学部ができれば、東京”歯”農工商大学だな」と言ったが、
歯学部と商学部はまだ出来ていない。今後もできることは無いだろう。

そんな農工大であるが、学生の頃聞いた話だと、成り立ちは、日本の過去の
基幹産業=繊維と深く関係があるらしい。
農学部で「お蚕さん」を飼い、工学部で「絹」を織る
というのが始まりだったとか・・・

ということで、今でも残っていると思うが、工学部には「繊維博物館」があったし、
染料の研究をしている先生が何人か居たそうだ。
博物館の職員が、「藍染め」をやっているのを見たこともある。

繊維関係の大学は、他に信州大学・繊維学部、京都工芸繊維大学があり、
農工大と併せて、3大学対抗の運動部の大会などがあった。

運動部でいうと、どーいうわけか?「馬術部」が強いらしく、
全国大会でもタイトルを獲るほどだった。
近くに「府中競馬場」が近いのと関係があるのか?どーかは
わからんが、JRAへの就職者もそこそこあった、と聞いたことがある。

こんなトコが一般情報だろうか?
どーってことない地味な大学であることは間違いない


                       風の出てきた夜に
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