54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

化学反応による自己

2005年08月04日 | パラソル
日本記号学会の「流体生命論」を読みまして、なかなかおもしろく読めました。そのネタで今日は書こうかなと思います。

川出由己さんの「記号論的生物像」では、ゾウリムシがある温度や塩濃度の条件の場所から別の条件に移されると、元の条件に近いほうへ移動するという性質を挙げて、まるでゾウリムシが自らの快・不快に応じて行動しているかのように、情動や意図の原初形をもっているかのように振舞っているようだと述べられている。生物個体は、たとえ単細胞生物であっても、主体的に生きているのだと。

私としては、ゾウリムシが意識をもって行動しているとは思えない。そこには化学的な反応があるだけのように思える。ナメクジに塩をかけると溶けてしまうが、これはナメクジ内の水分が外の塩分濃度を下げようと外に出てしまうからであり、化学的な反応である。同じように、ゾウリムシの場合は、ある条件に適した状態にあるゾウリムシの体内の化学物質が、元の条件の方に移動しようとするという化学的な反応であるように思える。
さらにいうと、人間も意識をもってなくて、化学的な反応をしているだけだと思う。いや、意識というものが化学的な反応というべきで。私はあるレポートのために精神病についての文献を読んでいたのだが、そこで思ったのは、精神というのは脳内の化学物質で制御されているということだ。たとえばノルアドレナリンが増加したりセロトニンが低下したりすると不安になったり、ドーパミンがでると快感を得たりする。それを利用して、ノルアドレナリンを抑える薬やセロトニンの分泌を促進する薬で不安を抑制したりするわけである。だから感情というのは化学反応によって生まれる、というか化学反応である。
そんなわけで、人間は主体的に生きているように見えるが主体的ではない。「何かを食べたい」という情動が起こったとき、それは体内の糖分濃度が低下したりした化学的反応であるのはいうまでもないが、「今は仕事中だから我慢しよう」と理性によって行動を抑制するのも、システム化された脳内ネットワークを化学物質が移動して導き出した反応であり、化学的な反応なのだ。自分が主体的に考えていると思っても、実は化学的に結論づけられた反応なのだ。考えても見てほしい、自分は今までにいろんな場面で同じように考え行動してきただろう。たとえば、このブログの記事をひとつひとつ構造分析すると、どれも同じような構造になり、いつも同じ思考法をとっているということが見えてくるだろう。これは私の個性でもなんでもなくて、できあがった神経回路が導き出す化学反応なのだ。それはまったく主体的な行動だとはいえないことである。

川出さんはゾウリムシのような単純な生物にもfeelingというものがあり主体的に行動しているという考えを出したが、私は逆に、人間のような高度な生物にもfeelingなどは存在せず、ゾウリムシのような単純な生物と同じように化学的な反応をしているだけであると考える。高度な生物においては化学的な反応が体のいたるところで起こり複雑に影響しあっているため、その実態が見えにくく、feelingが働いていて主体的に行動しているなどということになるのではないだろうか。