54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

クリス・クロス/高畑京一郎

2005年04月14日 | ハコ
世界最強のコンピュータ「ギガント」が作り出すヴァーチャルリアリティRPG。256人のプレイヤーが体中に電極をつけ仮想世界で冒険をして誰よりも早くゲームクリアを目指す。
プレイヤー自身がゲームの中に入って冒険するというアイディアはありきたりすぎるが、だからこそラク~に読むことができた。気晴らしにはよかった。
はじめは普通にゲームを楽しんでいたのだが、ゲームの中でトラブルが起き現実に戻れなくなってしまう。しかもゲーム内での「死」は現実での死につながるという。この「死のゲーム」から抜け出すには「魔王」を倒すしか方法はない。仲間を集め、装備を整え魔王との決戦に挑む。「魔王」と戦っている最中にふと現実に呼び戻される。そこは病院だった。ゲーム内でのトラブルによって意識を失い病院に運ばれたのだ。しかしそばにあったバラには香りがなかった。仮想世界では視覚聴覚触覚は再現されるが味覚嗅覚は再現されない。ここも仮想世界だったのだ。仮想世界のなかの仮想世界から脱出するために窓から飛び降りる。すると再び「魔王」と戦っている場面。HPギリギリの中最後の一撃がクリティカルヒットとなり「魔王」を倒す。次の瞬間ゲームスタッフにより起こされる。現実世界に戻ってきたのだ。実はゲーム内でのトラブルというのは演出であり「ゲーム」だったと聞かされる。しかし主人公は信じられずここもまた仮想世界なのではないかと思う。嗅覚は戻ってきているのだが・・・。
これはつまり何が現実で何が仮想なのか区別がつかないということだろう。電気信号により感覚は簡単に操作される。確かなものなどどこにもない。今私は現実世界にいると思っているが、コンピュータの中にいるのかもしれないし、夢なのかもしれないし、誰かが書いた本の中にいるのかもしれない。それを確かめる術はない。自分という存在の不確かさは大きな不安を与える。しかしフロイトの二元論じゃないが、そのことについて考えるこの「自分」は確かに存在していて確かなものだ。考える自分が存在している以上ここが現実であれ仮想世界であれどうでもいいじゃないか。所詮我々は神の手のひらの上で踊らされているにすぎない。
私が考えている世界の全体像。神様が、我々が地球儀を見るように、地球を見ていて一人一人の暮らしや国同士の動きなどを楽しんでいる。人間が作り出した映画や音楽も楽しんでいる。そして、そんな「地球儀」が何個もありいろんな神様がいろんな「地球儀」を見て楽しんでいる。世界は限りなく広い。

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