54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

売り切れた納豆

2007年01月12日 | フリージャム
まったくいいかげんにしてほしいぜ!
納豆はダイエットにいいらしい。それをテレビでやった。そしたら急に納豆が売れて売れて売り切れた。
納豆は急にやせる食べ物に変化したのか?
いや、何も変わらない。はるか昔からずーっと納豆は変わらない。
天才バカボン?だっけ、イサフラボンか?
納豆は日本が生み出した文化の極みだね。

俺は朝食は納豆でいただいていたのだ。はるか昔からな。
その伝統がテレビ信者ダイエット信者たちによって崩されたのだ!
ブリティッシュ・インベイション、ビートルズが武道館でコウルサイオンガクをやったように。

納豆。小粒の豆、そこからのびるネバネバした糸。
粒でありつつ、連続している。複数あるようでいて一つとして存在する。
ネットで連結されている。
それはまるで脳みそ。
点から点へとイマジネーションが伝播する。その粘性。
練れば練るほど、ネットは強度を増し、点と点は強く結びつく。

私は脳みそを食べていたのだ。イマジネーションを食べていたのだ。
納豆が売り切れた今、俺はどうすりゃいいんだい?

そこには豆腐があった。白い豆腐。
そうか、豆腐か!同じ大豆じゃないか!
私は伝統の納豆を捨て、豆腐を手にした。
朝食は麻婆豆腐。中国4000年の歴史を召し上がる。

納豆と豆腐がおなじ大豆だと信じられるかい?
粒子と粒子がネットで連結された納豆、うってかわって豆腐はなめらかにすべてが連続している。
パックに入れられた豆腐は四角い形をしているが、豆腐の本質は無限であろう。可能な限り無限に白い空間に広がっていくだろう。豆腐世界。上も下もないすべて真っ白ななめらかな豆腐空間。

脳みそはだから変化しうる。
納豆から豆腐へと。粒子とネットの存在から無限になめらかな存在へと。
そして豆乳である。大豆の究極形態。
私の脳みそは液状化し、豆乳となって放出される。白い涙となって。
私は白い涙をコップに集める。
その水面にはイマジネーションが現れる。
忘れかけていた記憶がよみがえる。あいまいだった記憶が補完される。
私はそのイマジネーションを飲み干す。
するとさらに醗酵したイマジネーションが生まれてくる。
頭で考えているのではない。腹で考えているのだ。
胃の中でイマジネーションが熟してゆく。白い涙が醗酵してゆく。
そしてストーリーが吐き出される。
腸を通り抜け、肛門から。
私はそれをクソストーリーと名づけよう。

世界は茶色でできている。。

「diet」は「食事」の意。
つまり「ダイエットする」は本当は「食事をする」と訳されなければならないのだが、、

それをYOUなら、「ROCKする」は「岩する」だぜ?
イギリス英語があり、アメリカ英語があり、日本英語がある。
特に、ジャパンはハイブリットなカルチュアーだね。。