松浦からFUKUOKAへ

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☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

私の母について

2010年12月27日 00時20分15秒 | Family
26日放送の「イ・サン」は、

「命がけの出産」。

無事、王氏が誕生で、めでたしメデタシ。

従来から、女性は強いなぁと思っていたが、

少しずつ解かってきた感じ。

胎内で命を授かり、成長させ、

成長度合いをみて、世にだす。

この偉大なる、人としての、任務を、

全うするという

母しか出来ぬもの。

(男性は何だ!)



(亡き母:50歳前後)


この写真について、いえば、

幼年期から青年期の時(25歳ぐらいかな)

までの記憶の顔である。

化粧をした顔などは、あまりみたことはなかった。

口紅の顔など、おぼえていない。

いまでいうすっぴんの顔である。

父のように、大声もださず、

幼年期は「トオル」と呼び、

社会人になると「徹さん」と読んだ、

長崎・松浦の小さな街で、

青春を迎え、嫁ぎ、4人の子らを

育てた母である。

子等の構成は、長女、次女、長男(私)、三女

男子は私だけである。






玄界灘の海、

背後の山である、不老山の

なかで、強く、美しく生きてきた母、



いつか、長女の子(初孫)と

暖かい陽射しの中で、家の縁側で、

あやしながら、

笑みを浮かべていた 母。

いつか、孫と風呂に入り、

手術の痕の大きな傷口を

観られ、何かを言われてか、

部屋の片隅で、

静かに涙を流していた

母。

このふたつの記憶は

鮮明に残っている。

一回目の大手術(7時間)を終えての

退院して、暫くたった

あの時の笑顔と涙。


しかし、縁側での

あの笑顔は、

単なる笑顔以上の、

慈愛に満ち溢れたものであったと思う。



「アベマリア」

の曲を聴くたび、

母の顔が浮かぶ、


私の母について言えば、

母は、

「聖母」なのである。





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