26日放送の「イ・サン」は、
「命がけの出産」。
無事、王氏が誕生で、めでたしメデタシ。
従来から、女性は強いなぁと思っていたが、
少しずつ解かってきた感じ。
胎内で命を授かり、成長させ、
成長度合いをみて、世にだす。
この偉大なる、人としての、任務を、
全うするという
母しか出来ぬもの。
(男性は何だ!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/dc/879e4e19304ee9e781357773f43414ec.jpg)
(亡き母:50歳前後)
この写真について、いえば、
幼年期から青年期の時(25歳ぐらいかな)
までの記憶の顔である。
化粧をした顔などは、あまりみたことはなかった。
口紅の顔など、おぼえていない。
いまでいうすっぴんの顔である。
父のように、大声もださず、
幼年期は「トオル」と呼び、
社会人になると「徹さん」と読んだ、
長崎・松浦の小さな街で、
青春を迎え、嫁ぎ、4人の子らを
育てた母である。
子等の構成は、長女、次女、長男(私)、三女
男子は私だけである。
母
玄界灘の海、
背後の山である、不老山の
なかで、強く、美しく生きてきた母、
いつか、長女の子(初孫)と
暖かい陽射しの中で、家の縁側で、
あやしながら、
笑みを浮かべていた 母。
いつか、孫と風呂に入り、
手術の痕の大きな傷口を
観られ、何かを言われてか、
部屋の片隅で、
静かに涙を流していた
母。
このふたつの記憶は
鮮明に残っている。
一回目の大手術(7時間)を終えての
退院して、暫くたった
あの時の笑顔と涙。
しかし、縁側での
あの笑顔は、
単なる笑顔以上の、
慈愛に満ち溢れたものであったと思う。
「アベマリア」
の曲を聴くたび、
母の顔が浮かぶ、
私の母について言えば、
母は、
「聖母」なのである。
![にほんブログ村 デザインブログ グラフィックアートへ](http://design.blogmura.com/graphicart/img/graphicart88_31.gif)
にほんブログ村
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
バナー毎のクリック支援、お願いします。
「命がけの出産」。
無事、王氏が誕生で、めでたしメデタシ。
従来から、女性は強いなぁと思っていたが、
少しずつ解かってきた感じ。
胎内で命を授かり、成長させ、
成長度合いをみて、世にだす。
この偉大なる、人としての、任務を、
全うするという
母しか出来ぬもの。
(男性は何だ!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/dc/879e4e19304ee9e781357773f43414ec.jpg)
(亡き母:50歳前後)
この写真について、いえば、
幼年期から青年期の時(25歳ぐらいかな)
までの記憶の顔である。
化粧をした顔などは、あまりみたことはなかった。
口紅の顔など、おぼえていない。
いまでいうすっぴんの顔である。
父のように、大声もださず、
幼年期は「トオル」と呼び、
社会人になると「徹さん」と読んだ、
長崎・松浦の小さな街で、
青春を迎え、嫁ぎ、4人の子らを
育てた母である。
子等の構成は、長女、次女、長男(私)、三女
男子は私だけである。
母
玄界灘の海、
背後の山である、不老山の
なかで、強く、美しく生きてきた母、
いつか、長女の子(初孫)と
暖かい陽射しの中で、家の縁側で、
あやしながら、
笑みを浮かべていた 母。
いつか、孫と風呂に入り、
手術の痕の大きな傷口を
観られ、何かを言われてか、
部屋の片隅で、
静かに涙を流していた
母。
このふたつの記憶は
鮮明に残っている。
一回目の大手術(7時間)を終えての
退院して、暫くたった
あの時の笑顔と涙。
しかし、縁側での
あの笑顔は、
単なる笑顔以上の、
慈愛に満ち溢れたものであったと思う。
「アベマリア」
の曲を聴くたび、
母の顔が浮かぶ、
私の母について言えば、
母は、
「聖母」なのである。
![にほんブログ村 デザインブログ グラフィックアートへ](http://design.blogmura.com/graphicart/img/graphicart88_31.gif)
にほんブログ村
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
バナー毎のクリック支援、お願いします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます