ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(週刊誌はBABYMETALをどう扱えるのか?→BURRN!問題④)

2016-07-13 01:19:52 | babymetal
BABYMETALのデビュー時、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」リリース時に、『BURRN!』誌が取り上げもしなかったのは、当然だ。
こんな”アイドル”を本気で取り上げたとしたならばそれはもう『BURRN!』ではない。
それは、とてもよく納得できるのだ。逆の事態はありえなかった。

さらに、メジャー・デビュー曲、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」リリース時にも、やはり『BURRN!』誌がまともに取り上げなかったことも、これまた当然、だろう。やはり、逆はなかった、と思う。

例えば「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のMVには”メタル愛”がふんだんに込められていて、(BABYMETAL自身がその後、実際に、状況を少しずつ変えつつあるように見えるが)”虐げられ続けてきた”メタルヘッズおじさんが感涙にむせんでもよいストーリー・映像がてんこ盛りなのだが、それを、2013/1/9のシングルリリース時あるいは2012/11/26のMV公開時あたりに見抜けなくても、それは仕方がないというか、当然・必然だ。

この段階では、BABYMETALとは、まだ”メタルをネタにした変わりものアイドル”でしかなかったはずで、むしろメタルヘッズからすれば、「ああ、メタルをネタにしたアイドルね」「・・・メタルをなめんなよ・・・」という反応の方が自然・当然だと思うし、『BURRN!』誌は(仮にその存在を知っていても)”歯牙にもかけない”のが当然だ。
何しろ、「さくら学院 重音部 BABYMETAL」だったのだから。

もちろん、メタルヘッズの皆さんのなかにも、この段階ですでに「これは本物のメタルだ!」と何とも柔軟に認めることができ、以来、応援を続けてきたという、実にとんでもない「慧眼」を備えた”超古参”ファンもいらっしゃるのかもしれない。
しかし、それは、いらっしゃったとしても、ごくごくごく少数でしかないはずだ。

そういう意味では、2012.7.21の「鹿鳴館コルセット祭り」時点で、「鹿鳴館で彼女たちを初めて観て、その完璧に作り上げられたメタルの新世界に「メタルの新しい形だ!」と胸騒ぎが止まりませんでした。」と、『ヘドバン』を発刊するに至る梅沢直幸氏の、慧眼というか霊感というか、もはや狂気ともいうべき猪突猛進には、驚愕するしかない(最後にもう一度触れる)。
だって、この時は、骨バンドがバック(つまり、音源はカラオケ)で、YUI・MOAは口パクだったのだから・・・。

では、『BURRN!』は、いつからBABYMETALを積極的に無視(ネグレクト)しはじめた、と言えるのか?
つまり、もう、十分に『BURRN!』が取り上げてもヘンではない、ヘヴィメタルのバンド(ユニット)として扱うことができるはず、あるいはしてよいはず、もっと言えば、日本から誕生したヘヴィ・メタル界の風雲児(・・・って、古い言い方ですかね?)として見ることもできるはず、して当然なのに、「あえて積極的に無視する」という態度をとっている、と見なすことができるのか?

1stアルバム発売?
武道館公演?

いやいや、この段階でも、やはり『BURRN!』誌が取り上げない方が当然、だろう。

その理由は、
② 日本のバンドだから。
③ プロモート依頼・要請がないから(つまり、金をくれないから)。
という以前に、やはり、
 ① ヘヴィ・メタルじゃないから。 だ。

僕(たち)ファンの多くは、(とりわけ、「ソニスの奇跡」以後の歴史を経験した後では、)デビューシングル「ド・キ・ド・キ☆モーニング」でさえ”本物”BABYMETALのいわば幼虫期の輝きのように見ることができるし、ましてや「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はまさに新たなメタルの歴史を切り開くメロスピであり、さらには1stアルバムリリース、武道館公演2DAYSは、まさに本物が本物として羽化した初々しい姿のお披露目だった、と感じたりするだろうが、2014年3月のリアルタイムの時点で『BURRN!』誌が、BABYMETALをまともにとりあげなかった、ということは、「まあ、それはそうだろうなあ」と首肯できることだ。
(調べてみると、2014年の1月号に、LOUDPARK13 の全演者レビューのひとつとして「楽曲、パフォーマンスの全てが完璧で、エンターテインメント性に溢れた見事なライヴだった。」と締められる”絶賛”ライヴ・レビューを見ることもできるのだが、単独のアーティストとしてのインタビュー等の「まともな記事」は、現在まで未だ1度もないはずだ。)

何しろ、”あの”タワー・レコードにさえも、(少なくとも僕が行き来する関西圏の数店舗では)(現在はヘヴィメタルの視聴コーナーに『METAL RESISTANCE』が堂々と並べられているが)BABYMETALのアルバムや映像版は、この春までは、アイドル・コーナーの、それも片隅に、並べられていた、のである。
それが「常識」的な見方だ、と言うべきだろう。

とすれば、やはり、ソニスフィアを筆頭にする、2014年のワールド・ツアー(メタル・レジスタンス第2章)の成功、このあたりから、意図的な(悪質な)『BURRN!』誌のBABYMETALに対するネグレクトが始まった、と見るべきなのだろう。

前回にも書いたが、『BURRN!』誌だからこそ、ソニスフィアのメインステージでのパフォーマンスの”あの”受け入れられ方の「意味」「意義」「奇跡」「衝撃」は、報道できたはずだからだ。

DRAGON FORCEとのコラボ曲「Road of Resistance」(当時は曲目不明、The ONE と呼ばれてましたね)の初披露(この衝撃は、新参の僕も、リアルタイムで体験した)をもって、2014年のワールドツアーを終える。

2015年の初頭には、ライヴ映像版「LIVE AT BUDOKAN」とライヴアルバム「LIVE AT BUDOKAN -RED NIGHT-」をリリース。
これらを視聴すれば、BABYMETALのヘヴィメタル・バンド(日本風に言えばユニット)としての「凄さ」はもう理屈抜きに体感できるはずであり、2014年のワールドツアーの実績・反響からも、それなりのかたちで取り上げてもよさそうなのに、『BURRN!』誌は、相変わらず完全無視。

その理由(言い訳)は、
① ヘヴィ・メタルじゃないから。
② 日本のバンドだから。
③ プロモート依頼・要請がないから(つまり、金をくれないから)。
のどれだったのか?

『BURRN!』の内部事情は知る由もないし、最近は立ち読みだけなので、事実誤認があるかもしれないが、②と③とは密接に関わっているのだろう。

つまり、(例えば人間椅子等の極めてすぐれたヘヴィメタルあるいはハードロックバンドであったとしても)③金をくれない②日本のバンドは、載せない、ということ。
それは、簡単に言えば、金をくれない日本のバンドの記事を載せることは金をもらっている(他の例えばガールズバンド等の)いわば”クライアント”への”背信行為”になる、という経営上の理由から、ということだろう。

自分たちが金を払って経営を支えている雑誌に、同じ日本のBABYMETALが自らはスポンサー料を払わないで載っている、なんてことは、道義上(あるいはスポンサーとしての契約上)許さない。
そうした”クライアント”の心情を斟酌すると(あるいは契約上)BABYMETALがいくら世界的に活躍し、世界中のメタルバンドからユニークな存在だと認められても、記事としては載せるわけにいかない。
ということだろうか。

ダサい。
情けない。


海外のバンドの記事であれば、(金などもらっていなくても)本来の『BURRN!』誌として記事は載せる(先月号のインギーとか、今月号のマイケル・シェンカーとか、まさか金をもらってのせているのではないだろう)。それが『BURRN!』誌のいわば「箔」であり、そうした「錚錚たるレジェンドたち」の中に大きな記事として(そこは必ず読み飛ばすので、まともに読んだことはないが、毎号、カラーページ等、かなり大きな割合の紙面や、編集部員のオススメ記事として)載り、全国のメタルヘッズの固定層に向けて情報・記事が発信できる。
それが、”スポンサー”に対しての、『BURRN!』誌の媒体としての商品価値なのだろう。

『BURRN!』誌の経営構造がこうなっているために、BABYMETALが載らないのであれば、金輪際、まともに『BURRN!』誌にBABYMETALが載ることはない(BABYMETAL側からお金を出さない限り)、ということになる。

しかし、BABYMETALなどないものとしてヘヴィメタルの「今」の動向を伝える、というのも、もうさすがに無理があるのではないか。
もうBABYMETALは(他の国内ガールズ・バンド等とバッティングする存在ではなく)別枠として扱ってよいのではないか。
何より、もう二度と出てくるはずのない、ヘヴィメタル界におけるこんな規格外に楽しいとんでもない「化け物」を、きちんと扱わなかった、なんてことは、ヘヴィメタル専門誌として失格、だろう。
(「二刀流」なんて邪道だ、という持論に固執し、大谷翔平を無視し続ける野球専門誌、って・・・)

あるいは、イチロー史における土井正三の役割を、『BURRN!!』誌は担おうとしているのか?

国内随一のヘヴィメタル専門誌、なんて謳っていたけれど、
結局、見る眼もなかったし、感じる心もなかった。
そんなことになってしまうのだろうか。

懐メロ(とそのための資金源の国内バンド)雑誌、『BURRN!』・・・?
だとすれば、本当に、ダメになってしまった、成り下がった、というしかない。
もはや、「昔の名前で出ています」雑誌、木乃伊(ミイラ)雑誌・・・なのか・・・?
(来月号のメイン企画は、フェスのために復活したリッチー・ブラックモアズ・レインボーだそうだ・・・)

お盆の時期に帰省すると、田舎の老父母が好んでみているNHKの「なつかしのメロディー」やBSでの同趣旨の歌番組を思い浮かべてしまう。

メタルって、決して、そうした過去の遺物ではないんだ!と身をもって示し続けているのが、BABYMETALなのだが・・・。

最後に、改めて、『ヘドバン』(結果的に創刊号)の編集後記を読み直し、『BURRN!』との「志の違い」が端的に再確認できたので、(みなさんご承知だろうが)改めて引用したい。

(略)そして『ヘドバン』の背中を一気に押してくれたのがBABYMETALの存在です。鹿鳴館で彼女たちを初めて観て、その完璧に作り上げられたメタルの新世界に「メタルの新しい形だ!」と胸騒ぎが止まりませんでした。あんなに面白くて楽しくて深くてメタル愛に溢れたBABYMETALの魅力を、BABYMETALを知らないメタル好きな人に伝えたい!と思い、『ヘドバン』が動き出しました
(略)
次号があるかどうかは、この号の売れ行き次第でしょう。でも毒にも薬にもならない本や雑誌が多かったり、明らかに広告対応ばかりの本ばかりの中に、こんなワンチャンおもしろ企画一本勝負のような狂った本があってもいいのではないでしょうか。こういう時代だからこそ、その特集買った!的なお金を払って買いたくなるような本があってもいいですよね?


はい、いいです。と言いたい。
いやほんと、『ヘドバン』があってよかった。
僕も、BABYMETALに出会ったのは、ほとんど『ヘドバン』のおかげなのだから(以前にここで書いた)。

『BURRN!』誌が、こんな熱い志を取り戻す日が来るのだろうか?
それとも、もはや、延命措置をのみ図る、そんな雑誌でしかないのだろうか?

もう間もなく迫った、ロブ・ハルフォードとの共演、という、30年来のメタルヘッズから見れば、「夢の」あるいは「狂気」のコラボ。
これも、『BURRN!』誌はガン無視するのだろうか?
確か、KISSとももクロとのコラボは、巻頭近くで大きな扱いで載っていたはず(立ち読みで読み飛ばしたから不正確)だが、あれもプロモーションがらみだったのだろうか?

僕は、こんな『BURRN!』でも、いつか、蘇ってくれるのではないか、と期待しているのです。
三つ子の魂、なんとやら、なのです。








3 コメント

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B誌の表紙を飾る日は来るのか (book01-metal)
2016-07-17 02:49:43
 個人的な考えですが、そもそもB誌は、過大評価されすぎていると思うのです。ヘドバンが創刊されるまでは、(業界の広報誌とはいえ)HR/HMを専門的にあつかうほぼ唯一の雑誌だったわけですから、無理もないとは思います。
 とはいえ、B誌創刊時の状況をリアルタイムで知っている身としては、やはり違和感を感じます。当時の実感としては、明らかにNWOBHMブームに乗って創刊されたものでしかなく、その内容と誌面構成には、いささかの反発すら感じる、そんな程度でした。ですから、当時B誌などほとんど読んだ記憶がありませんし、もちろん購読もしておりませんでした。
 ところがメタルのブームが去り、HR/HM関連の雑誌が一つまた一つと、廃刊になったり方向転換したりして、唯一残ったのがB誌でした。
 そんな冬の時代、メタル以外の音楽ジャンルのファンたちから、B誌は失笑の対象として扱われるようになっていきました。(例えば10年前、20年前と表紙や特集のラインナップがほとんど変わっていないことなどが、よくネタにされていました。)というより、メタルそのものが失笑されるようなものとして扱われるようになった、という方が正確かもしれません。
 と同時に、そうした動きに反発するかのように、それでもメタルを見捨てなかったファンたちのあいだで、B誌は権威ある雑誌であるかのような持ち上げられ方がされるようになっていきました。
 こうしてメタルの失速とともに、ジャンル自体が閉塞感とともに硬直化・保守化していき、いわゆるメタルエリート的な考え方・態度がファンの間に生まれていきました。(私もその気持ちはよく分かります。)ブームが華やかだっただけに、よけいにその反動は大きかったし、それだけに、そうでもしなければ冬の時代を乗り越えられなかった、ということだと思います。(不毛なメタルエリート的発想自体は、いささかも肯定できるものではないと思っています。)
 さて昔語りが長くなりすぎたようです。このあたりできりあげますが、現在のB誌について付け加えます。
 つい先日、ラウドネスの高崎晃氏が、日本人として初めてB誌の表紙に採用され、話題となりました。なんというアナクロニズムか!と今さらのようにその時代錯誤ぶりに驚かされました。
 B誌にBABYMETALの記事が掲載されないのは、要するにアミューズサイドが、B誌に広告を出稿しないからであり、それはつまり意図的に避けている、ということです。(4月前後の雑誌掲載ラッシュのときですら出稿しませんでした。)
 B誌に記事が掲載されることに営業的価値を見出していない、もしくは、このような時代錯誤の雑誌に掲載されることはかえってマイナスになると判断している、ということだと思います。そしてその判断は正しいと私も思います。
 B誌の表紙をベビメタが飾る日がはたして来るのか。それは分かりませんが、B誌編集部の内部でよほどの方向転換がなされないと難しいような気がします。
 前回以上の長文になってしまい、申し訳ありません。
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なるほど、納得です。 (ケルベロスの基地)
2016-07-16 12:26:57
book01-metalさま、コメントありがとうございます。
「日本におけるHR/HM業界の広報誌に過ぎない」、そう言われると確かにそうですね。

・・・でも、一度でいいから、『BURRN!』誌の表紙を、BABYMETALが飾る日を夢み続けています。
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根本的な誤解があるようです (book01-metal)
2016-07-14 04:40:39
 そもそもB誌は、ジャーナリズムを標榜しているわけでもなく、オピニオンを掲げているわけでもありません。多くの人が、その点を誤解しているように思います。
 では、B誌とは何かといえば、日本におけるHR/HM業界の広報誌に過ぎない、ということです。
 たとえば、マイケル・シェンカーやインギーの記事も、当然金をもらって掲載しているわけです。もちろんインギーやマイケル本人が、お金を払っているわけではありません。新譜の発売や来日公演にともなって、レコード会社やプロモーターなどが、誌面に広告を掲載する、という形で金銭のやり取りが行われるわけで、つまりそれは営業の一環なわけです。
 すべてが、とはいいませんが、B誌の誌面のほとんどがこのようにして作られています。メタル冬の時代と言われながらも、B誌が生きのびてきた理由もここにあります。
 そのようなB誌だからこそ、ソニスフィアのメインステージでのあのパフォーマンスの意義・意味等について報道できるはずがないのです。いや、それ以前に、そもそもその意義や意味を理解していたかどうかさえ怪しいと思っています。
 日本にはそんな雑誌しかない(今はヘドバンがありますが)、ということは、残念ながら日本におけるHR/HMが文化としては、まだまだ根付いたものにはなっていないということたと思います。
 長文失礼しました。
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