ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(20171203 LEGEND − S − 洗礼の儀 − 探究②)

2017-12-06 01:28:32 | babymetal
なぜ、広島の「LEGEND − S − 洗礼の儀 − 」では、神バンドのソロ回しが演じられなかったのか?

すでに伝説と化しつつある「LEGEND − S − 洗礼の儀 − 」について、今回はこの問いを切り口に「探究」を深めよう。

2014年の武道館公演以降、神バンド常駐になったBABYMETALのライヴにおいて、神バンドのソロ回しが演じられなかったのは初めて、ではないか。

「悪夢の輪舞曲」の(東京ドームでは「紅月」の)前の「神々の悪戯」はおろか、CMIYC(や、そのヴァリエーションの「あわだまフィーバー」「ヤバッ!」)での長いソロ回しも演奏されなかった。

海外・国内フェスの、たとえ持ち時間30分のライヴであっても、神バンドのソロ回しは必ず披露されてきたはず(フェスにおいては、3人の休憩、という意味合いもあるだろう)だが、それが、今回はなかった。

それはなぜか?それをどう考えればよいのか?

もちろん、YUIMETAL欠演という緊急事態によって、事前には演目に入っていた神バンドソロが、無しへと変更された、のかもしれない。そのへんの事情は僕にはわかりようもないので「探究」からは外す。

では、こんな答えはどうだろうか?

SU-METAL主役の聖誕祭だから、神バンドはあくまでも「脇役」に徹した
と。

なるほど、それなりに筋の通った解釈のように思えるが、よく考えるとこの答えは的外れであることに気づく。

だって、それならば、BLACK BABYMETALの「演」奏だって、オミットされたはずだからだ。

実は、僕は、12月1日までは、今回のライヴでSU-METALのソロ4曲はすべて披露される代わりに、YUI・MOAのデュオの「演」奏は全くないんじゃないか、と思っていた。(同じような予想を立てていた方は、僕だけではないはず・・・)。

なのに、YUIMETAL欠席という非常事態でありながらも、BLACK BABYMETALの「演」奏は2曲も演じられたのだから、先に記した「SU-METALが主役の聖誕祭だから神バンドは引っ込んだ説」は成り立たないのだ。

だいいち、「神々の悪戯~悪夢の輪舞曲(あるいは紅月)」という様式美は、これこそまさに(BABYMETALの)SU-METALのステージの真骨頂・白眉のひとつと言うべきものであって、むしろ今回の「LEGEND − S − 洗礼の儀 − 」では、積極的に演じられて当然の、代表的な演目の一つ、だったはずなのだ。

では、なぜ神バンドソロ回しは演じられなかったのか?

僕は、こう考える。

つまり、今回は神バンドもギミック化されていたのだ、と。

徹底的にギミックにこだわり、その荘厳さ、重厚さ、異様さ、美しさによって、
現場にいた観客はもちろん、その後のネットを通じた情報によって、全世界に衝撃を与えている、今回の「洗礼の儀」。
その荘厳なギミックの一部として神バンドは機能したのだ、と。

そのいちばんわかりやすい典型例が、最後の演目「THE ONE」だ。
その前の「BABYMETAL DEATH」でステージ上で火炙りにされたSU-METALが、しばらくの静寂の後、長い紙芝居に続き、会場後方のキツネ岩に姿を現す。
(ここでみんなのマスクが点灯した。マスクだが、ほとんどの人はおでこに当てていたので、結果的には僕の予想の「王冠」風にもなっていた、とも言えよう。予想は半当たり、であった。)
黄金の衣装をまとい、アタマには女神の印の王冠をかぶり。
SU-METALは、女神として生まれ変わったのだ。

静謐なリリカルなピアノのイントロ、ストリングスが流れはじめ、「THE ONE~Unfinished Ver.」がはじまる。
ゆっくり移動するキツネ岩の上で、ひとことひとこと心をこめて会場に染み渡るように歌うSU-METAL。
ただただ美しく、静謐な気品が会場中に広がる。
ピアノの美音、余韻。
そして・・・

いきなりの、神バンドによるギターソロの爆発
アリーナにいた僕たちは、その強烈な音圧を爆風のように受けた
静から動への、これ以上にない劇的な転換
・・・泣いた。瞬間顔はぐしゃぐしゃ。
これは、泣く。
こんなドラマチックな「THE ONE」は、空前(絶後)だった。

このキャッチーなギターソロ(以前にも記したが、このギターソロには松田聖子の「チェリーブラッサム」をいつも想うのだ。「青春」を思い起こさせる大好きなソロだ)が、前半の静謐さとの対照によって、何とも凶暴さを讃えた雷鳴として観客席に襲いかかったのだ。

前半は音源(SE)で、曲の途中(後半)から神バンド、というこのダイナミックな転換。
もちろん、意図的な仕掛けである。

・・・いや、ここまで書いて思い出したのだが、この、強烈なコントラストによる衝撃は、確かに僕はBABYMETALを観ながらかつて体験したことがあったはず・・・。

そう、本格的にライヴをフルに視聴体験した最初の映像作品、
『LEGEND I・D・Z』の、LEGEND I でのアンコール1曲目、『ヘドバンギャー』での最初期神バンドの出だしの衝撃である。
とりわけドラムスの音のその生々しさは、映像を通してであっても、今でも鳥肌の立つ格好良さ、である。
会場にいたら悶絶しただろう。

あれに匹敵する衝撃を、今回の広島グリーンアリーナの「THE ONE」で僕は体験したのだった。

ただ、『LEGEND I』時点と大きく異なるのは、LEGEND Iでは、それまでのギミック(骨バンドのカラオケ音源、YUI・MOAは口パク)の皮が破れ、「本物」が肉から血を滴らせながら姿を見せた、という衝撃だったのに対し、

今回は、すでに疑いようもなく「本物」であるBABYMETALが、
その上にさらにギミックの装いを被った、その「厚み」の衝撃であった
、ということだ。

神バンドの衣装も、三種の神器のケープ風のものだったが、これも、「あれ、いつもと違う」というインパクトを会場のみんなに与え続けた。

BABYMETALは本物だという証明に寄与し続けた神バンドが、
今回の「洗礼の儀」では、
BABYMETALは本物を超えたギミック(「超本物=シュルレアル」)なユニットである
それを具現化・音響化する機能を果たしたのだ。

それが、今僕が思っている、なぜ神バンドは「LEGEND − S − 洗礼の儀 − 」でソロ回しを演じなかったのか?という問いに対する答えである。

ヘンな言い方になるが、もしも神バンドソロがあったらあの夜のBABYMETALはいつもの「本物」に成り下がってしまった(何という贅沢よ!)、それを避けるために、神バンドソロは封印されたのだ。

それほど、恐ろしく高次元のパフォーマンスだった。
参加したほとんどの方が口を揃えて「別次元だった」ということの正体(のひとつ)は、
こういうことだったのだ、と僕は考えている。

もちろん、こうした、「本物」を超えた「超本物=シュルレアル」としてのギミックという演出を、
観客の誰も予想できない次元において音楽ライヴとして成立させてしまったのは、
SU-METALの天才(容姿、声、をはじめ、その存在そのものが天賦の才能)のとんでもなさ、であり、
それを演劇的なかたちで極限的に増幅するとああなる、という実験的な儀式が、「洗礼の儀」だったのだ。

1 コメント

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超本物説 (DOUSU-METAL)
2017-12-15 21:05:47
広島2DAYS参戦した者ですが、「BABYMETALは本物を超えたギミック(「超本物=シュルレアル」)なユニットである」説は非常に刺激を受けました。今後の続編をお待ちしています。
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