ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(モンスター考③)

2016-08-15 00:12:52 | babymetal
ずいぶん久しぶりの更新になってしまった。

主に、仕事に追われてブログを書く時間的精神的余裕がなかった所為、なのだが、
前回の記事に赤面モノのスペルミス(眠り猫さんに指摘していただき、初めて気づいた)を犯してしまい、気が塞いでしまった、というのも大きな要因だ。

また、所謂「ベビメタロス」の時期ならば、あれこれ「探究」(妄想をふくらませる)したくなるのだが、前回の記事以降、WOWOWでのウェンブリーアリーナ公演拡大版(特に「ヤバ!」と「META!メタ太郎」の準正規映像の初公開)や、各種フェス、そして、白ミサ、と怒濤の勢いで繰り出される数々の映像・情報を拾うのに精一杯で(おかげで、オリンピックは、今まで生きてきた中でいちばんテキトーに見てしまっている)、ここに「駄文」を綴る気分にならなかった、ということもある。

ああ、「白ミサ」、行きたかったなあ!

僕は平日は仕事なので、今回の白ミサは応募すらできなかったのだ。
先週も、大阪でのライヴ会場の「なんばHATCH」のごく近所で、午後から夜中までみっちり仕事をしたのである。
月曜日の仕事帰りの夜10時過ぎの地下鉄なんば駅では、「THE ONE」Tシャツを着た方を見かけた。
「ああ、白ミサ帰りだ・・・」とぼーっと見送ったのだった(帰宅してからわかったのだが、「シンコペーション」初披露の日、だった!)。

そんなフワフワした日々を過ごしているのだが、今日は、最近読んだ本で、(例によって)「ああ、これはBABYMETALのことだ!」と痛感したことをまとめておこう。
(一度、「シン・ゴジラ」(2人いる娘(大学生・高校生)と別別に、2日続けて観た。傑作、だった。あまり期待していないというか、捻りすぎてコケるのだろうなあ、なんて失礼な先入観をもっていたので、瞠目・驚愕させられた)との共通性をまとめかけたのだが、操作ミスで全部消してしまった。・・・また近日中にまとめるかもしれない。)

最近読んだ本とは、『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』鈴木美潮 著 である。

ああ、BABYMETALは、特撮ヒーロー(ヒロイン)でもあるのだ!
と気づかされ、おっさんである僕(たち)がなぜこんなにも嵌まってしまうのか、その謎の一端がくっきり見えた気がしたのだ。

シリーズタイトルの「モンスター考」とは大きくずれるかもしれないが、誰に遠慮をする必要もない個人の気ままなブログなので、今回も「モンスター考」の一環として「探究」を記しておく。

ウルトラマンや仮面ライダーの〇〇周年記念の年にあたる今年は、NHKーBS等でも特撮の特集番組が放映されているが、「昭和40年男」である僕は、そうした番組も(きちんとチェックしているわけではないが)、放映に気がつけば、録画して視聴している。
(いま週1回放映している、「昭和ウルトラシリーズの傑作選ベスト10」など、実にありがたい企画である。大傑作シリーズである平成の『ウルトラマン・ティガ』(基本的に駄作の回はほとんどない。最終回3部作は、まだ幼かった長男を膝にのせて滂沱しながらTVを視聴したものだった)は、DVDボックスも、さらにブルーレイ・ボックスも購入したのだが、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』は、名作と駄作の差がありすぎて、高価なボックスを購入するまでには至っていないのだ)

そんな中知ったのが、鈴木美潮女史であり、『昭和特撮文化概論』だった。

かなり長文になるが、まず、「まえがき」を全文引用しよう。
ここを読んだだけで、僕は、「あ、これ、BABYMETALのことだ!」「こういう日本だから、BABYMETALが誕生できたのだな!」と感じたのだが、皆さんいかがだろうか?
(下線と数字は、僕が付したものだ)。

 特撮ヒーローを呼ぶのは時代だ。
 1958年に月光仮面が現れて以来、この国に誕生した数多(あまた)のヒーローたちは、その時代と世相とを反映してきた。
モノクロ画面の中、建設途中の東京タワーを背景に戦った月光仮面は、戦争からの復興を告げ、右肩上がりの高度経済成長の時代に生まれたウルトラマンは、カラーテレビの中で輝かしい未来に向かってすっくと立ってみせた。公害問題など、経済成長の負の部分が露呈してくる中に登場した仮面ライダーは、掘り返された住宅造成地の赤土の上で敵を倒し、国際婦人年の75年に誕生したゴレンジャーでは、女戦士のモモレンジャーが、すらりと伸びた足で悪者たちを蹴り上げた。
 これほど多くの特撮ヒーローが、長年にわたって生み出されているのは、世界でも日本だけだ。
 本書では、そんな特撮ヒーローと時代や世相の関係を解き明かし、日本固有のヒーロー文化①の神髄に迫るとともに、ヒーローたちが伝えてきたメッセージを検証していく。
 ヒーローは、どんな絶体絶命の状況にあっても決してあきらめなかった。ヒーローは、一敗地に塗れても自分を信じて特訓を重ね、困難を乗り越えて明日に進んだ。ヒーローは、「赦す」ことの大切さを説き、敵を殴った拳の痛みを伝え、争いのない世界の実現を訴えてきた。
 この国に生まれた誰もが、幼いころ、知らず知らずのうちに耳にしていたはずの特撮ヒーローの骨太なメッセージ③に、改めて耳を傾け、果たしてヒーローたちの思いが報われたのか、今の社会に照らして考えてみたい。
 さらに、「クールジャパン」がしきりに叫ばれる時代にあって、特撮ヒーロー文化が、国境を越え、海外に広がっている④ことにも注目した。
 インターネットが普及する中、ヒーローたちは、鮮やかなアクションやクールなデザインのロボット、海外の子供番組とは一線を画した良質で深いドラマ性とで、次々に海外ファンを獲得している。そうした広がりのなかで、ヒーローたちは、日本の文化や日本人の考え方を海外に「伝導」し、日本人への共感や「ふわりとした親日感」を醸成してきた。④歴史上、多くの諍(いさか)いが、互いをよく知らないこと、相手に共感できないことに端を発していることを思えば、特撮ヒーローが果たしている役割は、とてつもなく大きい。海を越えたジャパニーズヒーローは、日本の安全保障にもつながる活躍を見せているのだ。
 長年、特撮ヒーロー番組は、「ジャリ番(組)」と呼ばれて蔑まれ、大人向けのドラマより低く評価されてきた。そして、最近はアニメや漫画、アニメソングなどとともに「サブカルチャー」と分類されることが多い。
 だが、特撮ヒーロー番組が果たしてきた役割の大きさ、伝えてきたメッセージの深遠さに触れるとき、私はもはや特撮ヒーローはサブ(副)を越えた立派なメーンカルチャー、文化だと確信する。
 特撮ヒーローは、日本が世界に誇る文化なのだ。

 本書が特撮ヒーローの素晴らしさを伝える一助となることを心から願っている。


どうだろうか?文中の「特撮ヒーロー」を「BABYMETAL」と置き換えても、ほとんどそのまま成り立つ、そんな「まえがき」ではないか。

①の、「日本固有のヒーロー文化」とは、その中にどっぷりつかっている僕たちには逆に自覚しにくいことだが、しかし、僕(たち)は、確かに特撮ヒーローによって自己形成の大きな部分を行ってきたはずだ(少なくとも僕自身はそうである)。

②は、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」「Road of Resistance」「KARATE」「THE ONE」といった、BABYMETALのアンセムに共通する、ということは、BABYMETALの基調にある世界観だ。
「戦う(美)少女」がBABYMETALの基本コンセプトであることはここでも何度か考えてきたが、それは「特撮ヒーロー」のメッセージでもあるのだ、とは、この本で改めて気づいた次第だ。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」にACの広告のような小っ恥ずかしさを感じ、「いやいや、これ、メタル復権ってことなんだ!」なんて解題を言い訳のために口にする、そんな必要はなかったのである。
いわば、「ウルトラ5つの誓い」のような、僕らおっさんであっても幼少時からずっと心の奥に保ち続けているピュアな核、そこに響くメッセージ③を、美少女3人が、ニコニコしながら、超絶的なスピードに載せて、魂を震わせる歌声とキレキレのダンスで、あらためて僕たちに訴えかけるのである。
そりゃ、泣くはずだ。

④も、まさにBABYMETALそのものだ。

⑤は、ヘイター達の印象や例の「まがいもの」発言等を、本質的に招くような存在である点も、特撮ヒーローとBABYMETALは大いに共有している、ということだし、しかし、単に熱狂的なファンの思い込みではなく、事実として⑥なのだ、というのも、まさにBABYMETALについて語られた文言としても読める。

どの章もたいへん興味深かったのだが、BABYMETALを考える上でとりわけ、だったのが、「第10章 ヒーローたちの応援歌」、主題歌についての章であった。

 特撮ソングの大きな特徴の一つは、冒頭から謎の擬音を連発し、勢いで押しまくってくる歌が目立つことだ。特に70年代の主題歌には、この「擬音系」が多い。約40年の時を経て、今やこれらの歌はすでに「スタンダードナンバー」になっているから不自然さを感じないだけで、改めて歌詞カードを見ながら聞いてみると、何が何だかわからない擬音のオンパレードである。
 擬音系の代表格は、『超人バロム・1』オープニング主題歌の「ぼくらのバロム・1」だろう。「ブロロロ ロー」やら「ルロルロロ」やら、歌詞の約半分はこんな音で構成されている。ワンフレーズ普通の言葉があったかと思うと、次のフレーズはこうした擬音という作りであり、「ブロロロ ロー」やら「ルロルロロ」を外しても歌詞としての意味は通じる、というか、外さないと意味がわからない歌なのだ。「ルロロロロ」はドルゲが登場するときの声なので、「ルロルロロ」は、まだ歌われている意味がわからないではないのだが、その他の擬音は意味不明である。
(略。 なぜ『バロム・1』がこんな歌詞になったのかの裏話は、ぜひ原著をお読みください)
 どれも、意味不明といったら意味不明なのだが、逆にこれらの擬音がない歌を想像してみると、勢いも特徴もなくなってしまう。一度聴いたら忘れられない印象的な擬音の繰り返しこそが、子供たちの頭に歌を刷り込み、日本中で合唱されるような特撮ソングを作り上げたと言える。


 ははは。まさに「ギミチョコ!!」そして「ヤバ!」のことだ、これ。
 「ギミチョコ!!」「ヤバ!」だけではなく、BABYMETALの楽曲の、YUI・MOAの「煽り」の歌詞の多くが、こうした「擬音」的なものだ
 これ、他のアイドルや国内バンド、そして海外のメタルバンドとも異なる、BABYMETALの大きな特質ではないか?
 「Scream & Dance」なんてメンバーを蔵したバンドは、恐らく唯一無二、空前絶後だろうし、それが歌詞として表現されると、こうした先鋭的な擬音のような歌詞になる、ということだろうか。
 BABYMETALの凄いのが、それが、単に変わっている、ヘンだ、で終わらずに、ステージ上でのパフォーマンスの比類なき魅力、観客との一体化、熱狂を巻き起こす、いわば「呪文」へと昇華しているところなのだが。

 そして、さらに、

 70~80年代の主題歌は、どれも現代のそれと比べて短い。これは他の分野の、たとえば歌謡曲などでも同じ傾向を示しているのだが、特撮ソングの場合、子供にわかりやすく、ということもあってか、テレビサイズだと1分あるかないかで終わってしまう。
 しかし、その短い歌の中で、番組の内容がきっちり説明されていることには、驚かされる。イメージだけでなく、どんな物語かが、歌を聴いただけでもわかる歌詞のものが多いのだ。
 (略。引用された歌詞は懐かしさと説得力でじーんときます。ぜひ原書をお読みください)
 もちろん、こうした歌が「わかる」のは、歌手が歌詞を大切に歌っているからこそ、歌詞カードがなくても、たいがいの歌詞が聞き取れるのも特撮ソングの特徴である
 (略)
 特撮ソングの魅力は、擬音による勢いのよさや、わかりやすさだけではない。最大の魅力は、ストレートに作品のテーマを歌い上げていることだ。メッセージ性が高いとも言える。
 (略)
 こうした主題歌に込められたメッセージの数々は、ストレートで単純明快。そして、正論すぎて、いささか青臭くすら感じるほどだ。普通のドラマの主題歌だったら、理想主義的すぎて、逆にちょっとしらけた気持ちになることだろう。
 それでも、ヒーローが正義を説く、特撮ドラマの世界の中では、歌は違和感なくすっと心に入ってくる。そのときはわからなくても、大人になって挫折したり、大きな壁に行く手を遮られたりしたときに、歌詞が突然よみがえってきて、はっとさせられたり、元気が出たりすることも多い。特撮ソングは、そんな「勇気と元気の種」を子供たちの心に、蒔いてきたのである。


SU-METALの、まっすぐな澄み切った力強い歌声は、「いささか青臭く感じる」ものかもしれないが、だからこそ「すっと心に入ってくる」。
この、”BABYMETAL最大のマジック(にしてBABYMETALの魅力の「核心」)”が、特撮ヒーローにも通じるものであった、とは、この本で蒙を啓かれたことであった。

だから、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」「Road of Resistance」「KARATE」「THE ONE」等の楽曲の歌詞を「青臭い」とか批判するのは、辛口カレーを「辛い!」と批判するような(正しすぎて無意味な)ものだ。
ロックの歌詞としては、「ストレートで単純明快」「正論すぎて」「いささか青臭くすら感じる」歌詞が、だからこそ、BABYMETALという、「純粋を強烈に」表現する歌や「演」奏によって、「すっと心に入って」、「勇気と元気の種」になるのだ。

事実、日々、そのように鼓舞されながら、僕はBABYMETALの歌とともに生きている。

そして、さらに、ここまでであれば、アニソンにもあてはまるのかもしれないが、特撮ヒーローがアニメの主人公と異なるのは、もちろん、生身の人間が演じている、ということだ。

そして、僕(たち)が、BABYMETALに心酔し、涙する、その最大のポイント(のひとつ)は、彼女たちの生身の懸命な・超絶的な「舞踊」だ。
メタル・ダンス・ユニット、という名の持つ凄みは、一度でもライヴに参加すれば誰もが痛感する。

「第11章 スーツアクターの矜恃」
には、こんな記述がある。長文の引用になるが、鈴木美潮女史の思い、「愛」のほとばしる熱い文章である。ぜひお読みいただきたい。

 ヒーローは、ちょっと動けば誰にでもできるような安直な仕事ではない。全身のラインが出て、当然のことながら人間の顔より大きなサイズの面をかぶるわけだから、まず体型的に、入る人を選ぶ。特に近年は、変身前の俳優の選定と同じように、誰が中に入るかを選び、その人の体に合わせて採寸をしたスーツが作られるから、まさに余人をもって代えがたい仕事なのだ。
 何より、面をつけて動くことは素人にはほぼ不可能だ。以前、面をかぶらせてもらったことがあるが、音が聞こえず、周りからの指示が何も聞こえなかった。さらに、外部と遮断されることで、周囲のものとの距離感が全く取れなくなる。結果的に、怖くて怖くて、普通に歩くことすらままならなかった。ベテランアクターさんによると、視界の広さも、面によって特徴があり、まっすぐ前方しか見えないものもあれば、足元しか見えない位置にのぞき穴があり、前を見ようとすると顎が上がってしまうこともあるそうだ。いずれにしろ、どの面も視野が著しく狭いという点では共通している。
 以前、ヒーローショーで一人のスーツアクターが怪我をしてしまい、次の部の公演に、ステージ経験のない新人が代理で入った現場に居合わせたことがあるが、素人と比べたら運動神経もよく、訓練も積んでいるはずのその新人は、舞台に出てきてポーズを取るのが精いっぱいであり、それ以上のことは何もできなかった。スーツがあれほど人の運動能力を縛ってしまうのだと知って驚いたものだ。
 さらに、ヒーローによっては、スーツが重かったり固かったりして動きを妨げる。岡元(注:岡元次郎)が演じた『超光戦士シャンゼリオン』(96年)のスーツのように、面とスーツを合わせると「一体100キロあるから他の人が着たら首の骨が折れる」と言われているような重い甲冑タイプのものもあるし、新堀(注:新堀和男)が演じた『大鉄人17』では、ロボット、ワンセブンのスーツが固い素材で、肩のあたりが固められているところを無理に動くため、一日が終わる頃には腕の付け根にあざができたという。(略)
 もちろん、暑い夏ともなれば、一日のアクションが終わると2キロ、3キロ痩せているのは当たり前。普通の人間なら、身に着けたら、棒立ちになっているのがやっとの面とスーツをつけて、アクションをするというのは、文字通り「超人」的なことなのだ


もちろん、BABYMETALとは仕事の中身はずいぶんと異なりはあるにせよ、ここに書かれていることの趣旨は、BABYMETALの3人とも大いに共通することだ。

MVとか、在宅で動画を観ているだけでは、体感しにくいのだが、3人の”ダンス”が上記のスーツアクターにも匹敵するような、過酷なものであることは、実際にライヴ会場で、自分で手を掲げ、飛び跳ね、をやってみるとすぐわかる。

そのうえでの、あのキレキレ、ニコニコ・・・。
何なんだこの娘たちは、バケモノか・・・。

例えば、そうしたバケモノぶりのはっきりとした「精華」が、2015年初めの「新春キツネ祭」での「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、バトルで、YUIMETALがMOAMETALを飛び越えた場面だ。唖然とするしかない「超人」的な動きなのだが、そうした動きを、彼女たちは、毎ステージのどの曲においても、(SU-METALは歌いながら)超絶的な高みにおいて見せてくれているのである。

何しろ、仮に口パクは可能だったとしても、”ダンス”は生身の身体で行うしかないのだから、逃げも隠れもできない。
それを、幼い頃からずっと、彼女たちは一回一回魂を込めて、行い続けている、のである。

3人のプロフィールには全て「Dance」の文字が入っているが、鈴木美潮に倣うならば、「メタル・ダンサーの矜恃」を僕たちはライヴでいつも、見せつけられ、感動させられているのだ。

それは、遠い昔、TVの画面を見ながら、ライダージャンプ⇒ライダーキック⇒どかーん!に胸を躍らせた、あの感動とつながっていたのだ。
そのことに気づかされたのだった。

もちろん、BABYMETALはまず何と言っても音楽ユニットである。

メタルとアイドルの融合、メタルとJ-POPの融合。
何ともチャーミングな3人と、超絶技巧を抜群の安定感で繰り出す神バンドとの融合。

それだけでも、唯一無二の超絶的魅力を発する存在なのだが、BABYMETALが僕のようなおっさんの魂をこれほど射貫くのは、日本が世界に誇る「特撮ヒーロー」的な魅力をもたっぷり発しているから、でもあったのだ。

そのことを、僕は今回改めて痛感した次第なのである。

もしも興味をもたれた方がいらっしゃったら、ぜひ『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』鈴木美潮 著をお読みください。今なら、まだ多くの書店の店頭で入手可能のはずです。
(BABYMETALを離れても)とっても面白く、いろいろと啓発させられる本だと思います。


3 コメント

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APMAs のインタビューで (poppei)
2016-08-19 17:57:55
ロブが三人のことを "wonderful heavy metal MONSTER ladies" って呼んでましたね。貴ブログが頭をよぎって、何だか自分のことのように嬉しくなりました。
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ありがとうございます。 (ケルベロスの基地)
2016-08-20 10:56:01
うれしいコメント、ありがとうございます。

ロブにマイクを持たせて語るSU-METAL、見ているこっちがヒヤヒヤしますよね。さすが、モンスター、まさに「シン・ゴジラ」級だと再度痛感しました。
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Unknown (通りすがり)
2016-08-22 00:27:36
大変興味深い内容でした。本も明日探してみようと思います。
ヒーローものとの親和性は僕も前から思っていたのですが、貴兄の文章を読んで尚更「今の日本の芸能界、マスコミに居場所のない」ことを痛感します。
文化の優劣を言うつもりは無いですけどレイトショーしかりAPMSしかり、あちらのメディアが特に何も意識せずに普通にBABYMETALを取り上げるとあんなにも魅力を余すことなく伝えられるのに、日本のテレビとの馴染まなさは一体何なのでしょう。
しかるべに文脈の中に収めることができない。つまり受け皿が存在しないというのがそもそもの原因だと何となく思います。
このまま正しく理解されることないまま、徒花のようになるのは何だか可哀想だなあと切なくなったりします。
ビルボードTOP3だとかグラミー賞だとか、文字通り「ゴジラ級のモンスター」になって破壊を迫るしか無いのかもしれませんね。
もちろんそんな勲章が彼女達の価値を規定するものでは無いですけれども。
長文失礼しました。
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