ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(ヴァージョン考~イジメ、ダメ、ゼッタイ5)

2015-05-28 11:57:53 | babymetal
限定盤『Live In London』を堪能している。
とりわけ、CDの「O2 ACADEMY BRIXTON ライヴ」には何度も鳥肌を立てた(この言い回しもこのブログで何度も出てくるが、事実そうなのだから仕方がない)。
ライヴ版とはいえ、当然ミックス作業がされているのだが、それが、僕の予想を遙かに超えた、精密で丹念で、いうならば色っぽい、仕上がりなのだ。
BABYMETALのライヴ音源を使って、完成された新たな音響世界を構築しようという強い意志を感じるミックスだ。
SU-METALの声は、「RED NIGHT」「BLACK NIGHT」に比べてもやや薄いのだが、その分、楽器隊の凶暴な音の割合が増え、SEの含有率も実に効果的であり、改めて楽曲の素晴らしさをたっぷり味わうことができる。
さんざん聴き込んだはずなのに、まったく新しい音がそこかしこに聴こえる、そんな音像世界が実現されている。

例えば、「メギツネ」だ。(電車の中でこのCDを、驚嘆しながら一曲一曲聴きすすめていき、「メギツネ」でついに涙ぐんでしまった。)
イントロ前の「キ~ツ~ネ~」のSEが終わり、
リフがはじまるのだが、「ジャ・ジャッ・ジャッ・ジャッ・ジャ・ジャン」の耳慣れたリフが、大げさにいえばすべての弦の鳴りが聴こえるほど音が一本一本際立って聴こえてくるのだ。
聴く環境が悪ければ、音が割れている、と感じられるかもしれないが、そうではなく、ディストーションの効いた音が鮮やかに聴こえるのである。ここまできちんとギターの弦の音が立体的に聴こえるのはこの曲でははじめてである。それでいてきちんとバランスはとれている。
もちろん、ベース、ドラムスの重音部も、迫力がありながら、過度にブーストされてははいず、底から湧きあがってくる明確な音像として、聴くことができる。

「O2 ACADEMY BRIXTON」の映像の方は、Amazonのレビューなどでも、酷評なさる方もいらっしゃるようだが、このCDの音像世界は、家宝レベルの「至高」ヴァージョンである。

と、このように、BABYMETALの楽曲は、同じ曲目であっても、実に数多くのヴァージョン違いが存在し、それぞれに独自の魅力がある

このことの意味を、(考察の途中である、というか、永遠に完結はしないだろう考察のひとつの途上にある)「イジメ、ダメ、ゼッタイ」に即して具体的に検討してみよう。

僕自身が所有しているライヴ映像のヴァージョン(音源のみの、Air Version や Nemesis Versionは除く)を、この文章を書くために数えてみると、全部で15種類あった。

演奏年代順に並べてみると、次のようになる。

0.アルバム(=シングル)版 = 公式MV版

1.LEGEND I 版                 2012・10・06
2.LEGEND D 版                 2012・12・20
3.LEGEND Z オープニング版           2013・02・01
4.LEGEND Z ラスト版               2013・02・01
5.LEGEND 1999版                2013・06・30
6.サマソニ13版(アルバム初回特典映像)      2013・08・10
7.ラウドパーク13版(WOWOW放映)       2013・10・20
8.LEGEND 1997版                2013・12・21
9.RED NIGHT 版                    2014・03・01
10.BLACK NIGHIT 版                2014・03・02
11.The Forum 版                   2014・07・07
12.幕張メッセ(「London」特典ディスク)版     2014・09・14
13.O2 ACADEMY BRIXTON 版          2014・11・08
  (含む『BABYMETAL現象』テレビ放映版)
14.2014年末 MUSIC STATION 版(テレビ放映) 2014・12・25
15.新春キツネ祭 版(WOWOW放映)      2015・01・10

こうして並べてみると壮観だが、僕が異常なマニアなのではなく、このブログをご覧の皆さんもお持ちであろう、ごく普通のヴァージョン・ラインナップだ。
(あのSonisphereでのパフォーマンスは、僕は所有はしていないので、勘定には入れていない。ネット上で見られる数多くのファンカムを加えれば、さらに膨大なヴァージョンが存在することは言うまでもない。)

いちばん時間が空いているのが、4と5の間、約5カ月である。(この間の、五月革命4公演、もしも盤化されたら絶対に入手したい!)。あとは、2~4カ月ごとの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を僕たちは観ることができるのだ。

前々回に書いたが、この15公演を、あれこれ繰り返し楽しむとは「アイドル商法」の商品を「消費」することなどでは全くない。

ライヴでの「実力」を発揮するBABYMETALを楽しむとは、例えば、こうした15のヴァージョンの違いを味わい分ける、ということでもある。(30年以上聴きつづけてきたヘヴィ・メタルにおいても、こんなこと、つまり同じ曲目の15のライヴ・ヴァージョンを味わい分けるなんてことは、少なくとも僕には、全くなかった。)
よそから見れば、まさに「宗教」とも見えるかもしれない、BABYMETAL独自の鑑賞のあり方だ。

もちろん、「CMIYC」「メギツネ」「ギミチョコ」「輪舞曲」など初期にはまだレパートリーになっていなかった曲に比べて、BABYMETAL発足時からあった楽曲「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、BABYMETALのアイデンティティを体現した楽曲でもあり、いちばんヴァージョンが多い、という事情もあるのだが、こうして改めて並べてみると、よくぞきちんと出し続けてくれた、という思いを新たにする。だって、それぞれ違うんだから。

そして、驚くべきことに、僕は(たぶんほとんどの皆さんも)これだけのヴァージョンを繰り返し視聴しても、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を「消化」しきれてなどいない、ということだ。
それどころか、先日(このブログを書くためもあって)ヴァージョン1を久しぶりに観なおし、あらためて鳥肌を立ててしまった、なんてことさえあるのだ。

なぜ「消化」できないのか?未だに新鮮な衝撃を受けるのか、といえば、もちろん、まず、BABYMETALのライヴの「実力」の凄さ、がある。

スタジオ盤よりもライヴの方が歌や楽曲の演奏が凄いアイドル、なんて、おそらくこの世に他に存在しないだろうし(もちろん、会場で「生」の姿や声に触れる喜び、はスタジオ盤にはないライヴならではの楽しみなのだろうが)、アイドルではなくヘヴィメタルバンドであっても、眼の前で演奏しているという「生」の迫力を加味しない限り、スタジオ盤を凌駕するライヴを見せるバンドはまずいない。ギターソロが粗かったり、ヴォーカルがフェイクをまじえたり、楽曲・演奏の質としては減衰するのが、ごく当たり前の姿だ。それはそういうものとして、僕たちはライヴに足を運ぶ。スタジオ盤以上の名演を期待して会場に行くのではない。
(ごく稀にスタジオ盤を超える「生」のパフォーマンスができた際の音盤が、ライヴアルバムの名盤として語り継がるのだろう)

しかし、BABYMETALのライヴとは(これを読んでいただいている皆さんには釈迦に説法だと思うけれど)、緻密さ・完成度、つまり、細部の美しさが際立ち、それに、ライヴであるという「生」の生命感がはじけ力感が躍動する、という「至高」のものである。これはもう、とんでもないレベルだ。

しかも、楽器演奏や歌だけでなく、YUI・MOAの舞踊や表情という「演」奏の「情報」の質や量までも体験しようとすれば、上記のすべてのヴァージョンを何度視聴しても、まだ全貌がつかめないのは当然だ。

また、YUI・MOAの舞踊自体も、変化(進化)してゆくから、観るたびに、驚かされる、ということもある。その典型が、ヴァージョン15での、YUIMETALのMOA飛び越えキック!だ。

そうしたことが相まって、どのヴァージョンにも、それぞれ独自の魅力があるのだ。

例えば、間奏部の、YUI・MOAのバトル。

ヴァージョンによって「演」奏の表情が(かなり大きく)変わるのだが、初期と最近とでいちばん変わったと僕が感じているのが、間奏に入る前の「痛み感じて…」と3姫がサムアップしながら中央に歩み寄るパートが「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のポーズで終わった後の、バトル部に入る直前の、「チャラッタ、ラタ」というキメのところだ。

今では(たぶんヴァージョン9以降)、YUIMETALがキツネサインを胸の前でクロス(つまりダメ・サイン)をしてピタッとキメ(いわば、ギター・ベース・ドラムス・YUIのユニゾンのキメ)を見せるのだが、これは、初期のヴァージョンではこのタイミングでは演じられなかったポーズだ。

ヴァージョン6では、楽器隊キメの後、ギターソロがはじまった2小節目に、SU-と揃ってダメサインをしている。(これはこれで悪くないが、最近の方がやはりカッコいいと僕は感じる)。
ところが、ヴァージョン7では、(映像が引きの画になってはっきり確認しにくいのだが)現状のキメになっているように見える。
サマソニ2013が8月、ラウドパーク2013が10月だから、この間2か月、その間での変化(進化)であったのだろうか。
と思いながら、ヴァージョン8を確認してみると、ここには、上記のタイミングでのキメのポーズは、ない。
えっ?
単純に、ある時期から今のキメのポーズに変化した、というわけでもないようだ。

そうしたことを確認するために、ヴァージョン5(LEGEND 1999)とヴァージョン8(LEGEND 1997)とを見比べてみると、それにしても、毎回、汗だくになっているSU-METALの顔はいつもそれぞれに美しい、と感じつつ、1999のあどけなさから、1997の凛々しさへと表情がまったく変わっていることに改めて気づく。骨バンドだしヴォーカルが引っ込んでいるのでそれほど頻繁には観ていなかったヴァージョン8の「イジメ」だが、ヴァージョン5と見比べてみて、マリア像を背景にした「演」奏の神々しい凛々しさに、また鳥肌が立つ。なんて経験をしてしまうのだ。

ヴァージョン1をいま視聴して鳥肌が立つのは、この最初のライヴバージョンが(意外にも)骨バンドではなく神バンド(現行の神バンドとは構成メンバーは異なるが)によるものであり、とりわけドラムスの生音の凶悪さが、この最初期においても今日のBABYMETALにつながる凶暴さを醸し出していた、そんなことを改めていま確認できるからである。

で、結局、何が言いたいのか、といえば、前々回の繰り返しになるが、BABYMETALが出す同じ曲目の異なるヴァージョンの映像は、(少なくとも僕には)出す意味(買って観る意味)がある、ということだ。
BABYMETALの「レパートリーの少なさ」、同じ曲目の異なる数多くのヴァージョンは、演じる3姫だけでなく、視聴する僕たちにも一つの楽曲を深く深く味わう「熟成」を可能にしてくれているのではないか。神バンドの演奏やSU-METALの唄声だけでなく、YUI・MOAの舞踊や笑顔までもが「演」奏であるBABYMETALのパフォーマンスは、上に挙げたようなヴァージョンをすべて繰り返し視聴しても、「消化」しきれない深みを持つのだから。

控え目にいっても、こうしたありようは、「アイドル商法」などと非難されるようなものでは全くないし、声高らかに揚言するならばむしろ、、日本の音楽シーンにあざやかに登場した「良心」であり、誇るべき質の高さと言うべきだろう。

もう一つだけ、付言したい。

間奏(ギターバトル)におけるYUI・MOAのバトルの「演」奏を「小恥ずかしい」のようにコメントするのを目にすることもあるが、あれは、武道でいう「演武」だと僕は感じている。それは単なる演技(お遊戯)ではなく、精神性を含む武術の核心を「型」として表出する、というものだ。
YUI・MOAのバトルは(本気の「演」奏として彼女たちは「闘って」いる)、息を呑むほど素晴らしいものだと思うし、この「イジメ、ダメ、ゼッタイ」がBABYMETALの少ないレパートリーの中でも格別に意味深い曲であることのひとつの象徴が、あの、YUI・MOAバトルであるのだ(だから、それの見られないあのヴァージョンは僕にとってダントツのワーストである)。

で、このバトルが、実に様々なヴァージョンで演じられていて、これを見比べ、感じ較べる愉しみも、BABYMETALが与えてくれるヘヴィメタルとしての楽しみのひとつだ。「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、おそらくBABYMETALが活動を続ける限り、最も「演」奏し続けられる楽曲だろうから、今後も、演者も僕たち観客も、さらに数多くのヴァージョンに触れて、「熟成」を続けるのだ。

で、現段階でのMyベストのヴァージョンはどれ?なんて皆さんに訊いてみたい気もする。
ソニスフェア・ヴァージョンが入っていれば、それが一番人気だろうか。
今年は、これに、レディング・ヴァージョン、リース・ヴァージョンが加わるだろうし。

ワーストは残念ながら決まっているが、後は、ホント、それぞれに味があって悩ましい。

骨バンドながらも、ヴァージョン3はオープニングの紙芝居→「ナウシカ・レクイエム」からの壮大なカッコよさでは際立っているし、「復活」後の、白いふりふりのヴァージョン4も貴重である。

ヴァージョン9ももちろん心に沁みる。このヴァージョンについては、YUIMETALに言及されることが多いが、むしろ、MOAMETALが他のヴァージョンにはない信じられない苦しそうな表情を見せるのが本当に印象的で、限界を超えていたのだな、ということがありありとわかる。SU-METALの「夢」であった武道館という晴れの場の、最後の最後で、とんでもない状態に陥ったこと、それを乗り越えて、今のBABYMETALがある、ということが、三姫がサムアップしながら歩み寄るところのMOAMETALの表情・しぐさを目にすると実感できる。言うまでもなく、とんでもなく過酷な「演」奏を彼女たちは行なっているのだ。「ライヴは闘い」を表わす象徴的な映像である。

でも、YUI・MOAの舞踊を中心に考察するこのブログ主としては、最新のヴァージョン15を現段階のMyベストにしておく。
また詳しくは(時間があるときに)比較したいが、このヴァージョンのバトルには、YUIMETALの空中飛翔だけではなく、弓矢を射る動きも一瞬あって、ロード・オブ・ザ・リングのレゴラスか?なんて思う楽しみもあるし。

だから、どの曲が好き?という質問は、BABYMETALの場合は、きわめて粗い質問になってしまうのだ。むしろ、各楽曲ごとに、どのヴァージョンが好き?と問うのが、正当な質問なのではないだろうか
だから、例えば、武道館ライヴを購入したから同じ曲目のロンドンライヴは要らないとか、その逆とか、は、BABYMETALの視聴の仕方としては粗っぽいのではないか、と思ってしまう(全くもって余計なお世話、おせっかいだが)。
同じ曲目のヴァージョン違いを楽しむ、それだけの情報量と質の高さを彼女たちのライヴはもっているのだから。
オンリーワンの存在BABYMETALは、その受容のされ方もオンリーワンであってよいし(そうあるのが正当だし)、BABYMETALの比類のない「中毒」性のひとつの様相が、このヴァージョンそれぞれの魅力、であるのだろうから。