ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(レパートリーの少なさ考)

2015-05-21 11:37:35 | babymetal
BABYMETALの独自性、その重要な特質のひとつとして、
「レパートリーの少なさ」が挙げられる。

その点について、不満を示すファンも少なからずいるようだ。
発売前の、「Live in London」の円盤のアマゾンでのレビューにも、そうした不審・不信・不満を述べるものがいくつか見られた。

「同じ曲目で、いったい何枚映像商品を発売するのだ?これは、悪しきアイドル商法だ、と。」

そう言いたくなる気持はわからないでもないのだが、しかし、「アイドル商法」という文言、これは全くの見当違いだ、と言わなければならない。
BABYMETALの「少ないレパートリーで何枚も映像作品を出す」あり方は、アイドル商法とは、まるで異なる、というか、むしろ、まさに180度対極にあると言うべきだと僕は思う。

アイドル商法とは、(人気のある間に稼げるだけ稼ごうと)数か月単位でどんどん新曲や映像を出しては買わせる、という、「消費」のさせ方をいうのではないか。
今のアイドルたちのアルバム、とは、どのようなものなのか、全く知らないが、ひょっとしたら、アイドルのアルバムの楽曲には、一度耳を通しただけで繰り返し聴くことはほとんどない、そんな楽曲も少なからずあるのではないか。

コンサートはどうか?これも今のアイドルのコンサートに行ったことなどないのでわからないが、大ヒット曲数曲で大盛り上がりして、残りはアイドルの生の姿や声が聴こえればよい、というようなものではないのか(完全な憶測ですし、これはこれで、商品として成立するのであれば、商法としてもちろん何の問題もないのですが。それにアイドルに限らず、本当に好きな聴きたい曲は数曲で、あとは生を体験したくてコンサートに行く、というのは普通にあることでしょうが)。

しかし、BABYMETALがほとんど同じ楽曲で何枚も映像盤を出すのは、そういう「消費」を狙った「商法」ではない。
これは、BABYMETALのアイデンティティ(存在意義、あるいは使命)の根幹に関わることだ。

前回の「実力」考で改めて確認できたのは、BABYMETALのいちばんの「実力」とは、SU-METALの歌(声)でも、YUI・MOAの舞踊でも、神バンドの超絶演奏でもなく(もちろんそれらすべてがとんでもない「実力」なのだが、まずはそれらではなく)、何といってもまず第一に、楽曲のすばらしさ、だということだ。

比喩的に言えば、BABYMETALの核には聖典『BABYMETAL(1stアルバム)』があり、それを肉化してこの世に体現するいわば巫女の役割を果たすものとして、3姫と神バンドで構成された演者集団BABYMETALの唄や舞踊がある
ワンマンのフルコンサートでは、正規のレパートリー(聖典『BABYMETAL』)は必ず全て「演」奏する(しかも多くはそれだけしか「演」奏しない)のである。
今は、「RoR」が加わったし、アニメ、やNO Rainや、あわや、カヴァー曲など、多少増えたりすることはあっても、聖典『BABYMETAL』をこの世に届ける、というスタイルの基本は揺るがない。揺るぎようがない。

「消費」のための粗製乱造ではなく、愚直に聖典『BABYMETAL』をこの世に肉化(音響化・映像化)し続ける、その様々な記録が、同じ曲目による多数の映像作品という必然の結果なのだ。だから、今後も、ほとんど同じ曲目で映像作品は出され続けるのである。こういう点で、ロングランのミュージカル等に喩えるのは正しいと思う。僕は、落語等の日本の古典芸能の「ネタ」に近い気がする。古典落語の高座に行くお客さんは、「早く新作を!」とは言わないだろう。
こんなアイドル商法などあるはずがない。
(あえて喩えるなら、宗教商法だろう。そのように指摘されれば、う、うん、…確かに、と頷くしかないような気がする。)


さらにいえば、同じ曲目を毎回「演」奏するからこそ、観客の僕たちが体験できる楽しさ・音楽的な深み、そうしたものをBABYMETALは実現している、のではないか。

つまり、BABYMETALの楽曲は、同じ曲目であっても「演」奏のされ方の異なりによって、実に数多くのヴァージョンが存在する。

例えば、先日届いた限定盤『Live In London』のボーナスディスク収録の幕張メッセのコンサート。これも『BABYMETAL』に「君とアニメが見たい」が加わった全14曲で、レパートリーはいつものものだ。
しかし、ここにあるのは、今まで一度も見たことのない、新たなヴァージョンである。
とりわけ印象的だったのが、
「君とアニメが見たい」の、むしろ男っぽい筋肉質の「演」奏。
「CMIYC」の真っ赤なディスプレイを背に影絵のように動く三姫の幻想的なシルエット。
「4の歌」、モニターに映し出された巨大YUI・MOAの前で、リアルYUI・MOAがよんよんする、まるでウルトラQの「1/8計画」のような眩暈を覚えさせる映像。
等等、全く見たことのないヴァージョンが実現されている。

あるいは、セットリストごとに、曲順が異なるのも楽しい。(中高生の時に、ハードロックMyベスト10、というのを曲順や組み合わせを考えてカセットテープで作っていたことを思いだす。)
この幕張でのラストは「ギミ・チョコ」だったが、他の映像盤にはない、2014年ワールドツアーの日本公演にふさわしいトリだ、と思う。凱旋であり、まだ終わらないよ、という余韻を残して終わる。

「Live In London」では神バンドのメンバーが異なるので、これを聴き比べ・感じ較べるのも楽しい。
これは、まるで、クラシックの「名盤」選定にも似た楽しさだ。

もちろん、こうしたことが商品として成立するのは、BABYMETALの「実力」の凄さ、があってのことだ。
というか、レパートリーが少ないからこそ、さまざまなヴァージョンを、音や映像のすみずみまで味わうことができ、その「実力」の凄さをありありと実感する、という構造になっているのではないか。(いくら味わっても味わい尽くせない情報量の質・量なのだが。)