「ワンコへの愛の手紙&歌」からつづくレポート
伊勢湾台風の再来とかいう台風の影響なのか、先週からダラダラ続く秋雨前線せいなのか、
ともかく大雨のなか衆議院選挙の投票に行ってきたよ ワンコ
ワンコの散歩コースが長かった頃は、
散歩コースの途中にある投票所に、ワンコも一緒に出掛けたもんだね
選挙用(不気味な)スマイルを浮かべる候補者のポスターがズラリと並ぶ掲示板の前に、
男前で美男子で気品があって凛々しくて天才で賢くてか~わいい か~わいいワンコが座っていると、
投票に来た人たちは、殊更に褒めてくれたもんだね ワンコ
そんなことを思い出しながら、雨のなか投票に行ってきたよ ワンコ
何を見てもワンコを思い出すよ ワンコ
さてさて少し遅れてしまったけれど、ワンコのお告げの本のレポートだよ ワンコ
ワンコは、わんこだけど猫ちゃんの本を勧めてくれることも、けっこうあるね ワンコ
今月も、この本が告げられた時は、猫ちゃんかい?と思ったけれど、
ワンコと一緒にお空に行った、ワンコお気に入りのブランケットを思い出しながら読んでいたよ ワンコ「ブランケット・キャッツ」(重松清)
本書はね、生まれた時から馴染んだ毛布と一緒に二泊三日レンタルされる猫の話なんだよ ワンコ
レンタル猫をしているペットショップの店長は、借りにきた客に必ず、こう言うんだよ
『ちょっと短すぎるとお感じになるかもしれませんが、三日を過ぎると情が移ります。
猫のほうは逆に、もうここ(ペットショップ)に帰れないんじゃないかと不安になる。
それはお互いにとって不幸なことだと思うんですよ』(『 』「ブランケット・キャッツ」より)
もうね、 これだけでワンコには無理な話だろう ワンコ
ワンコは、自分が生まれた実家に、
私たちが旅行に出かけている間の、ほんの数日お里帰りするだけでも、飲まず食わずの行で抵抗していたもんね
まぁワンコと私達は前世からの縁で結ばれていたので話は別として、
一般論として、三日で情が移って離れがたいと思う人間と、
三日ぐらいでは(新たな人・場所には馴染まず)前の場所を忘れがたい猫とでは、
どちらが本当のところ情が深いんだろう? ワンコ
そんなことを思いながら七つのレンタル猫物語を読み始めたんだよ ワンコ
二泊三日だけレンタルするというくらいだから、借りる側にはそれぞれ事情がある。
子供がいない休日の静けさを紛らわせるため、一人旅のお伴が必要なため、父の過大な期待とイジメ問題の悩みを相談したいため、老人ホームに入ることになっている猫好きのおばあちゃんのため、’’ペット厳禁’’のマンションの大家さんの ある事情のため、リストラされマイホームを手放さざるをえなくなった父が家族の思い出を作りたいと願うため・・・・・。
上記のような個々の事情に縁がなくとも、本書を読む者は誰しも、そこに身につまされるものがあると思うのだが、そう感じるのが、作者の上手さ故か、人の感情は多かれ少なかれ似たり寄ったりだからなのかは、分からない。
だからこそ、読むタイミングによって共感のツボが変わりそうな本書の全体像については触れず、今気になるものだけを記しておこうと思っている。
<助手席に座るブランケット・キャッツ>
いつも黒猫をレンタルする人がいる。
彼女は、いいことが何もなかった不幸な自分には、縁起が悪いと云われる黒猫が合うと信じ、いつも黒猫をレンタルし、その猫に寺山修司の詩の一節から引いた あだ名をつけている。
『ふしあわせと言う名の猫
がいる
いつもわたしのそばに
ぴったり寄りそっている』
だが、最後の最期、彼女に ふしあわせ ではないという気付きを与える ’’ふしあわせ’’という名の黒い猫。
<尻尾のないブランケット・キャッツ>
人が自分に望んでいる姿と あるがままの自分の気持ちとのギャップに苦しむ少年が、尻尾がない猫を選び、その猫に自分の名前をつけ、誰にも言えない本心を打ち明ける。
猫としては不完全に見える猫だが、それは、ノアの方舟に最後に飛び乗ったため、閉まりかけていた方舟の扉に挟まれちぎれたからだという。
尻尾を失ったことを不幸とみるか、方舟に乗れたことを幸運とみるかは人によるが、そんな猫をレンタルした直後に危機に陥った少年に、店長がかける言葉が印象深い。
『いろんなこと、なんでも、まだ間に合うんじゃないかな。
尻尾がちぎれちゃっても、方舟に乗っちゃえば勝ちだもんな』
ねぇワンコ
七編の短編のうち六編は、レンタルする側の視点で描かれているのだけれど、
一編だけレンタルの途中でその役目を放棄した猫の視点で書かれたものがあるんだよ
それについては、ちょっと思い出す本があるから、
又つづくとするね ワンコ
追伸
ワンコは色々な愛称を持っていたけれど、本名は勿論それらのどれもココに記せないのは何故だろう?
自分でも、その理由が明確には分からないのだけれど、
ワンコの17年と2か月の人生で、
ワンコが自分に触れることを許したのが、家族と実家両親とワンコ病院の方々だけ(総勢15人ほど)だったことも、
理由の一つのような気がするんだよ
だからさワンコ、ワンコというのも愛称の一つだと思ってね ワンコ
伊勢湾台風の再来とかいう台風の影響なのか、先週からダラダラ続く秋雨前線せいなのか、
ともかく大雨のなか衆議院選挙の投票に行ってきたよ ワンコ
ワンコの散歩コースが長かった頃は、
散歩コースの途中にある投票所に、ワンコも一緒に出掛けたもんだね
選挙用(不気味な)スマイルを浮かべる候補者のポスターがズラリと並ぶ掲示板の前に、
男前で美男子で気品があって凛々しくて天才で賢くてか~わいい か~わいいワンコが座っていると、
投票に来た人たちは、殊更に褒めてくれたもんだね ワンコ
そんなことを思い出しながら、雨のなか投票に行ってきたよ ワンコ
何を見てもワンコを思い出すよ ワンコ
さてさて少し遅れてしまったけれど、ワンコのお告げの本のレポートだよ ワンコ
ワンコは、わんこだけど猫ちゃんの本を勧めてくれることも、けっこうあるね ワンコ
今月も、この本が告げられた時は、猫ちゃんかい?と思ったけれど、
ワンコと一緒にお空に行った、ワンコお気に入りのブランケットを思い出しながら読んでいたよ ワンコ「ブランケット・キャッツ」(重松清)
本書はね、生まれた時から馴染んだ毛布と一緒に二泊三日レンタルされる猫の話なんだよ ワンコ
レンタル猫をしているペットショップの店長は、借りにきた客に必ず、こう言うんだよ
『ちょっと短すぎるとお感じになるかもしれませんが、三日を過ぎると情が移ります。
猫のほうは逆に、もうここ(ペットショップ)に帰れないんじゃないかと不安になる。
それはお互いにとって不幸なことだと思うんですよ』(『 』「ブランケット・キャッツ」より)
もうね、 これだけでワンコには無理な話だろう ワンコ
ワンコは、自分が生まれた実家に、
私たちが旅行に出かけている間の、ほんの数日お里帰りするだけでも、飲まず食わずの行で抵抗していたもんね
まぁワンコと私達は前世からの縁で結ばれていたので話は別として、
一般論として、三日で情が移って離れがたいと思う人間と、
三日ぐらいでは(新たな人・場所には馴染まず)前の場所を忘れがたい猫とでは、
どちらが本当のところ情が深いんだろう? ワンコ
そんなことを思いながら七つのレンタル猫物語を読み始めたんだよ ワンコ
二泊三日だけレンタルするというくらいだから、借りる側にはそれぞれ事情がある。
子供がいない休日の静けさを紛らわせるため、一人旅のお伴が必要なため、父の過大な期待とイジメ問題の悩みを相談したいため、老人ホームに入ることになっている猫好きのおばあちゃんのため、’’ペット厳禁’’のマンションの大家さんの ある事情のため、リストラされマイホームを手放さざるをえなくなった父が家族の思い出を作りたいと願うため・・・・・。
上記のような個々の事情に縁がなくとも、本書を読む者は誰しも、そこに身につまされるものがあると思うのだが、そう感じるのが、作者の上手さ故か、人の感情は多かれ少なかれ似たり寄ったりだからなのかは、分からない。
だからこそ、読むタイミングによって共感のツボが変わりそうな本書の全体像については触れず、今気になるものだけを記しておこうと思っている。
<助手席に座るブランケット・キャッツ>
いつも黒猫をレンタルする人がいる。
彼女は、いいことが何もなかった不幸な自分には、縁起が悪いと云われる黒猫が合うと信じ、いつも黒猫をレンタルし、その猫に寺山修司の詩の一節から引いた あだ名をつけている。
『ふしあわせと言う名の猫
がいる
いつもわたしのそばに
ぴったり寄りそっている』
だが、最後の最期、彼女に ふしあわせ ではないという気付きを与える ’’ふしあわせ’’という名の黒い猫。
<尻尾のないブランケット・キャッツ>
人が自分に望んでいる姿と あるがままの自分の気持ちとのギャップに苦しむ少年が、尻尾がない猫を選び、その猫に自分の名前をつけ、誰にも言えない本心を打ち明ける。
猫としては不完全に見える猫だが、それは、ノアの方舟に最後に飛び乗ったため、閉まりかけていた方舟の扉に挟まれちぎれたからだという。
尻尾を失ったことを不幸とみるか、方舟に乗れたことを幸運とみるかは人によるが、そんな猫をレンタルした直後に危機に陥った少年に、店長がかける言葉が印象深い。
『いろんなこと、なんでも、まだ間に合うんじゃないかな。
尻尾がちぎれちゃっても、方舟に乗っちゃえば勝ちだもんな』
ねぇワンコ
七編の短編のうち六編は、レンタルする側の視点で描かれているのだけれど、
一編だけレンタルの途中でその役目を放棄した猫の視点で書かれたものがあるんだよ
それについては、ちょっと思い出す本があるから、
又つづくとするね ワンコ
追伸
ワンコは色々な愛称を持っていたけれど、本名は勿論それらのどれもココに記せないのは何故だろう?
自分でも、その理由が明確には分からないのだけれど、
ワンコの17年と2か月の人生で、
ワンコが自分に触れることを許したのが、家族と実家両親とワンコ病院の方々だけ(総勢15人ほど)だったことも、
理由の一つのような気がするんだよ
だからさワンコ、ワンコというのも愛称の一つだと思ってね ワンコ