何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

アインス、ツバイ、ドライ応援を 繋ぐんじゃ

2015-10-09 21:05:25 | ひとりごと
「頂点へ繋ぐんじゃ」より

「何を見ても何かを思い出す その何かの幸いを願っている」者によるブログだと自己紹介しているが、何を見ても何を読んでも、何かを誰かを大声で応援したいと思うのは、旧制中学から受け継いだ応援歌をがなる応援団に高校時代に所属していたからかもしれない。
が、静かに静かに応援するなかにある熱い誠を「七帝柔道記」(増田俊也)で知った。

鼻水を垂らし涎を垂らし、滂沱と流れる涙をぬぐうことも出来ないほどの過酷な訓練、三途の河の向こうに立つ祖母に会うような過酷な訓練。
それほどの訓練を積んで臨む七帝戦の本番では、先鋒から大将までの15人の鬼気迫る応援の声が飛び交うのだが、ただ一校、一言の声ももらさず眦に力を込めて試合を見守るだけの大学がある。
名古屋大学柔道部
「北の海」(井上靖)に登場する豪傑の浪人・大天井のモデル小坂光之介先生が師範を務める名大柔道部は、声援も指示も飛ばさず、ただ黙って試合を見守るだけである。

『試合は「練習量がすべてを決定する柔道」の答えを出す場である。膨大な練習量の答えが出る場である。
 だから、試合では、一年間あらゆるものを犠牲にして練習に打ち込んできた選手のその練習量に敬意を払い、
 すべてを本人にゆだねて指示も声援も送らない』(「名大柔道」OBの寄稿より)

「北の海」に繰り返し書かれる「練習量がすべてを決定する柔道」に憧れ七帝柔道を志した主人公増田は、名大柔道部のこの意気に大いに感ずるところがあったのだと思う、OBの寄稿に続いて、旧制名古屋高商(名大経済学部の前身)の道場箴規も記している。
一、忍苦精進死しての後已まむ者入るべし 安臥逸楽の念ひあるは許さず
一、地下百尺に埋もるるの覚悟あらむ者入るべし 濫りに名文を希ふは許さず
一、道友乳水の如く和合し喜憂を倶にせむ者入るべし 独善と利己の情あるは許さず

一つ目は日々の苦しい練習に臨む部員の覚悟を、二つ目は分け役の覚悟を、三つ目は部員同士の互いへの敬意を云っているのだろうが、この規範を学生たち自らが作って道場に掲げていたことに主人公増田は驚き感動している。

同じ時代に高専柔道にのめりこんだ井上靖が書いている「練習の厳しさと自律心の高さ」についても本書は紹介している。
『ー 四高柔道部での生活は、後に経験した軍隊生活でさえ比べものにならないほど辛いものだったと。
 しかし軍隊生活と四高柔道部の生活が違うのは、軍隊が権力による他律の規範で縛られるのに対し、
 四高柔道部は自律するものだったことだと。自らで自らを厳しく律する場所だったのだと。
 そして高専柔道の舞台は、才能のない非力な学生たちが、圧倒的な才能を持つ者を前にしたとき、
 ほんとうの努力というものがその才能に対してどれほどの力を持つものなのか、
 自らの学生生活すべてを捨てて壮大な実験をする偉大なる場所だったのだと。』

旧制高校に入れるだけの環境と頭脳を有した人間ならば、そこに安住することもできるはずだが、あえて自分の中にある弱さを認めて、それを鍛えた上で、圧倒的に強い者に対峙するという厳しい道を選ぶ人がいたという、そして今もそれは受け継がれているという。
その克己の精神を、あらゆる分野の第一線を往く人は皆、有しているのだと思う。

自分には到底真似ることのできない厳しい克己の精神を有する人々を、やはり声を大にして私は応援したい。
どの応援団もそうだろうが、私達も守っている約束事があった。
・決して対戦相手を貶める言葉や態度をとらないこと
・相手が攻撃している(優勢)の時に、相手の気勢を殺ぐような態度をとらないこと(鳴り物を使わないなど)
・敵失を待ち喜ぶのではなく、自陣の活躍のみを願う応援をすること

今の世の中、言った者勝ちやった者勝ちが大手をふって歩いているし、ネットからマスコミ報道まで下品と捏造が大手をふって歩いている。
相手の罵声をしのぐ大声を上げねば、声援が届かないのではないかと不安になることもあるが、応援される者を信じているからこそ黙って見守る応援方法もあることを知った今は、迷いなく、静かにしかし敢然と声をあげ、皇太子御一家やさまざまな分野で活躍する人々や、困難な状況にある人々を心から応援し続けていきたいと決心を新たにしている。


ちなみに、「七帝柔道記」の作者増田氏が「都ぞ弥生の雲紫に」を胸に練習に励んでいる時代、京大は七帝戦10連覇という偉業を成し遂げ「紅もゆる丘の花」を高らかに歌っている。
増田の北大柔道部は同時期低迷していたが、和泉主将の『繋ぐんじゃ』は実り、増田らが育てた後輩は、京大につぎ準優勝している。
寮歌も思いも繋ぐんじゃ。
進みんしゃい。


母校の応援歌の前口上は忘れてしまったが、あの独特の節回しが懐かしい
アインス、ツバイ、ドライ
吾等が三年を契る絢爛のその饗宴は、げに過ぎ易し。
然れども見ずや穹北に瞬く星斗永久に曇りなく、
雲とまがふ万朶の桜花久遠に萎えざるを。
寮友よ徒らに明日の運命を歎かんよりは楡林に篝火を焚きて、
去りては再び帰らざる若き日の感激を謳歌はん。
「明治45年度寮歌、横山芳介君作歌・赤木顕次君作曲、都ぞ弥生、アインス、ツバイ、ドライ」

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頂点へ 繋ぐんじゃ

2015-10-08 18:21:15 | 
「繋ぐんじゃ」より

そもそも「七帝柔道記」(増田俊也)について書こうと思ったのは、年々巨大化する組み立て体操の大ピラミッドで怪我人が絶えないことから、ピラミッドを廃止したり高さ制限の通達がでたりしている動きに、思うところがあったからだ。

さすがに10段11段は論外だと思うが、では「5段以下にするべし」という通達が適当かというと、そうとも云えないのではないだろうか。
「祝ノーベル賞受賞 ブラボー北里研究所!」でも書いたが、ある程度の高さのピラミッドを成功させるには、体幹がしゃんとしている事とバランス感覚が優れている事が必要とされる。ここで必要とされる体幹とバランス感覚が弱いことは、将来的な体調不良(病気)の原因にもなりうるという説まであることに鑑みれば、これを鍛える授業を日々取り入れるべきだろうが、体幹を鍛える訓練は地味なものが多いようなので、そのモチベーションとして運動会の大ピラミッドを位置付ければ良いのではないか。
ピラミッドをするにあたり、体系を決定し、体系通りに行動させる以外の指導があるのだろうか。
運動会の花形競技としての一瞬の成功、極端な物言いをすれば、体裁だけを整えようとするから怪我人がでる事態となるのではないだろうか。

こう感じたのは、最近「七帝柔道記」を読んだことも影響している。
次元がまったく違う話でもあり、作者自身も予習をせずに授業を受けた言い訳でしかないと自覚している言葉ではあるが、印象的な場面がある。
授業中に辞書を使いながら訳する姿勢を注意され、「自分は英語の勉強をするために大学に入ったのではない。専門課程に行った時、動物学や海洋学の専門書を読まなければならない。その海外論文を読むために英語を勉強しているわけであり、論文を読むには辞書を使うのだから、今の授業でも辞書を使って良いはずだ」といった詭弁とも強弁ともつかない言葉を助教授に投げかけているのだが、次に続く言葉により、その詭弁と強弁に一面の真理があるように感じられた。

『僕は柔道部ですから毎日腕立て伏せを何百回もやらされます。
 でも、それは腕立て伏せ大会に出るためにやっているわけじゃないんです。
 柔道の試合に勝つためにやっているんです。
 それと同じじゃないですか。教養部の英語は将来、論文を読むためにやっているんですよ』

「英語の勉強は、授業で当てられた時に恥をかかないためにするものではなく、将来専門的な論文を読むためにするものだー学問とは、その場しのぎでするものではない」という強弁と、「三途の河の向こうに祖母を見るような乱取りの後さらに何百回も腕立てをするのは、柔道の試合に勝つためだ」という言葉は、大目標達成のための努力過程の重要性とともに、その努力過程は大目標達成の方法論でしかないことを示しているように感じられたのだ。

指示された体系を組むことで運動会当日に一瞬だけ大ピラミッドを完成させようとするのではなく、日頃から体幹とバランス感覚を鍛える地味な訓練を積み重ねた結果としての大ピラミッドの成功であれば、努力の過程は大きな意味を持ち、努力の成果は本物の達成感と喜びとなると思うのだ。
それが出来ないはずはない。

思い出されるのは、敬宮様が初等科6年生の運動会でのピラミッドだ。
小6の女子に7段ピラミッド!?と驚いたが、映像を見るとどの生徒さんも姿勢が良く行動が機敏でまったく危なげないままに大ピラミッドが成功した。
最下段の真ん中という最も負担の大きな位置で頑張られた敬宮様の膝小僧には、いくつも絆創膏が張られていたが、それは運動会前に付け焼刃に練習された結果ではない。
幾つかの報道によると、学習院では大ピラミッドにむけて一学期から(春頃からと伝える所もあった)訓練を積んでいたというのだ。
運動会まで半年近く時間をかけての訓練というからには、ただ体系を仕込むというものではないはずだ。
7段ピラミッドを成功させるために、体力気力を鍛える地味な訓練が積み重ねられたことだろう、膝小僧の絆創膏は日々の訓練の結果であり、それは大ピラミッド成功の勲章でもあると思われる。

本物の努力をしてこそ、本物の達成感と喜びを味わえる、そんな喜びを子供には知って欲しい。
そして、それを知っておられる敬宮様の素晴らしい未来を信じ、応援していきたいと思っている。

応援(談)はつづく

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繋ぐんじゃ

2015-10-07 12:57:07 | 
今でも井上靖は大好きな作家だが、一頃憑かれたように井上靖を読んでいる時期があり、その中でも特に自伝的作品である「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」が好きだった。
何が何処がと訊かれると難しいのだが、井上靖が書く伊豆は三島の風景が日本の原風景のように美しく感じられたというのもあるし、子供ながらも自分と周囲をかなり客観的に観察する目を持ちつつ、しかし大らかで鷹揚な性格である洪作に惹かれたというのもあるし、井上靖の筆致そのものが好きだったというのもある。

「祝ノーベル賞受賞 ブラボー北里研究所!」で、「体育会系スポーツ教育大いに結構」と感じさせる小説として「七帝柔道記」(増田俊也)を記したのは、単に作品が面白いというだけでなく、作者が井上靖「北の海」の影響を強く受けているところに強く共感を覚えたからだと思う。

井上靖の自伝的小説である「北の海」は、浪人中の洪作(井上靖)が四高の柔道部の勧誘に誘われるままに金沢まで行き、そこで「練習量がすべてを決定する柔道」である寝技と、柔道部の人間味あふれる先輩に出会う一夏の経験が書かれている。浪人中の人間を柔道部に入れるために金沢まで招く四高の柔道熱は、その時代だからこその振る舞い ーつまり旧制高校への進学率が0.5%という枠に収まった学生だけが享受できる贅沢とエリート臭さー かといえば、そうとばかりは云えない。(そういう面がないわけでもない)

旧制高校の柔道部が血道をあげた高専柔道は戦後、旧帝大からなる七帝柔道部に受け継がれ、やはり七帝柔道部は年に一度の七帝戦勝利のために、大学生活の全てを柔道に捧げている。バブル時代を描いた「七帝柔道記」では、さすがに浪人中の勧誘はないが、作者の増田氏も高3のときに名古屋大柔道部から「七帝戦に勝つため入部してほしい」と勧誘を受けている。

「北の海」は洪作が柔道をするため四高に合格することを誓う場面で物語が終わるが、「七帝柔道記」は七帝戦に勝つため北大に入学したところから話が始まるため、壮絶な練習内容が「これでもか」というほど書かれている。
「これでもか」の内容
七帝戦には「待て」がない、場外と場内の仕切りもないので、場外に出ることによる「待て」すらない。
自分から「参った」することを許さないし、自分から「参った」する者もいない。
骨が折れるか、落ちるまで、戦う。
「落ちる」とは、『柔道の専門用語で絞め技で意識を失うことだ。脳に血液がいかなくなって意識を失う事だ』
作者の増田氏は将来を期待される新人であったために、入学早々先輩から稽古をつけられ、その度に落とされ、落とされる度に三途の川の向こうに立つ(既に他界している)祖母に会っている。

しかし、『締め落とされる苦しみは死の恐怖よりもずっと上だった』というほどの締めをする先輩もまた、その先輩から締め落とされて強く逞しくなってきたのだ。それを理解した時に後輩は、先輩の想いと七帝戦にかける先人の想いを理解し引き継いでいくのだ。
「北の海」の大天井を思わせる人間味あふれる先輩・和泉が道場を去るにあたり増田に残す言葉は、七帝柔道の全てを語っているように思われる。
後ろを振り返りながら進みんしゃい。
 繋ぐんじゃ。思いはのう、生き物なんで。思いがあるかぎり必ず繋がっていくんじゃ。

 ~中略~
 先輩たちにとってわしらは分身じゃった。今日からは、わしらの代にとって、あんたらが分身になった。
 わしらはあんたらで、あんたらはそのままわしらじゃ、のう。
 あんたらの分身も、もうできよるじゃろうが』

旧制高校さながらのバンカラと寮歌がそこかしこに溢れる「七帝柔道記」には、挙げはじめたらキリがないほど印象的な言葉が記されているが、この本について書くきっかけとなった大ピラミッドと関わりのある部分については、又つづく。


ところで、主人公増田と同様に、入学式後のオリエンテーションで「柔道をするため内地にやってきました」と自己紹介した猛者が私のクラスにはいた。
北海道の大きな牧場の息子だという彼は、卒業すれば厳しい牧場を継がねばならぬため、「大学に在籍可能な8年間は自由を謳歌しても良い」と言い含められて内地に出てきたという。
彼が、8年間を柔道一筋にかけたのか否かも、寝技に打ち込んで餃子耳になったのか否かも、分からない。
なぜなら、主人公増田と同様に、オリエンテーション以降、授業に姿を現さなかったから。
高専柔道と七帝戦にかけた多くの先輩同様に、星影冴やに光れる北の清き国で彼が良い人生をおくっていると思っている。

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ドンネルのワンコも祝福

2015-10-06 19:48:08 | ニュース
日本人なら誰が受賞しても嬉しいノーベル賞。受賞理由が理解できることも実感できることも勿論まれで、ただ「やはり日本人は優秀だ」ということだけを喜ぶのが、ノーベル賞だと思っていたが、大村氏が医学生理学賞を受賞された研究は、既に我が家に大きな幸せをもたらしてくれていた事を知り、喜びがいっそう増している。
 
ワンコをはじめ家族一同、心から感謝を申し上げるのは、大村氏の発見からワンコのフィラリアの特効薬が開発されたということだ。
ワンコの寿命は、ほんの数十年前までは7~8年といわれたそうだが、それが現在20年ちかく長生きできるようになったのは、動物医療が進んだのは勿論だが、フィラリアの特効薬ができたからだとは、聞いていた。
毎年3月初旬にワンコ病院から、「フィラリア予防の時期ですよ」と葉書が届き、血液検査を受けたうえで、5月から11月まで薬を飲んできたおかげもあって、ワンコは今まで元気に長生きしてくれている。
月に一度の投薬を16年以上続けてきた、その薬の開発の元となる発見をされた研究者のノーベル賞受賞、しかも日本人ときたので、ワンコをはじめ我が家は感謝と喜びに包まれている。

「北里研究所、1世紀越しのノーベル賞 受賞逃した柴三郎」朝日新聞2015年10月6日11時47分より一部引用
日本人で3人目となるノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智さん(80)が長く仕事をしてきた北里研究所と北里大学は、世界的な細菌学者・北里柴三郎(1853~1931)に由来する。北里は「日本の細菌学の父」と呼ばれ、第1回ノーベル医学生理学賞の候補だったが、受賞を逃した。大村さんの今回の受賞で、1世紀越しの悲願が果たされた。
「北里柴三郎博士が第1回の候補。そのときは残念ながら無念の涙をのみましたが、1世紀をこえて大村博士がその栄誉あるノーベル賞を受賞されますことは、非常に感慨深い」。5日夜、受賞決定を受けた大村さんの記者会見の冒頭で、北里研究所の藤井清孝理事長は、まず創始者の名前を挙げた。大村さんも「尊敬する科学者の一人。北里先生の『実学の精神』を若い人に伝えたい」と述べた。
「ノーベル賞」(中公新書、矢野暢著)によると、1901年の第1回医学生理学賞には46人が推薦され、北里は15人に絞られたうちの1人だった。
この年の受賞者は、ジフテリアの血清療法を考案した同僚のエミール・ベーリング。北里は受賞を逃したが、実はベーリングの研究の元になった実験データを提供していた。第1回医学生理学賞の解説文にも「ベーリングは北里と共同で、微量で働きを弱めた破傷風菌やジフテリア菌を動物に注射すると、動物の血液中にそれらの菌を無毒化する物質ができることを発見した」と明記されている。


「ドンネルの男・北里柴三郎」(山崎光夫)によると、第一回ノーベル医学生理学賞を北里柴三郎が逃したのは、北里柴三郎の業績が他国の研究者に引けを取っていたからでは決してない。むしろ海外の研究者の方が北里の研究業績を高く評価し、それが日本国内で正当に評価されないことに憤慨していたのだ。

この本は図書館から借りて読んだので正確で詳細な事項を書くことはできないが。
愚直な研究者ドンネルが、学閥と一体となった役所の間を上手く泳ぐことを潔しとしなかったことにより、北里だけでなく北里研究所の研究員は国内で正当な評価を受けられないのだが、それでも研究員一同がドンネルと去就を共にしたところからすると、北里柴三郎は研究者として一流であっただけでなく、人間としても最高の人物であったのだと感動しながら読んだ記憶がある。

本書の主人公は北里柴三郎だが、北里を公私にわたり支援した人物として福沢諭吉の存在は大きい。
ドイツから帰国直後、失業同然の北里に土地を提供し資金を提供し物心両面から北里を支え、福沢亡き後は北里が、福沢の遺志を継ぎ慶應義塾大学に医学部を創設させている。
あの時代、国をあげて西洋に追い付け追い越せと頑張っていたのだと思っていたが、新しい国の形が整うにつれ料簡の狭い縄張り争いが始まっていた。そこに、民の力を信じて一石投じようとしたという側面が、福沢諭吉にはあった。
医療は元来、世の為人の為にあり公のものであるが、福沢諭吉の支援を受け、官僚主導に翻弄されることを良しとしなかった北里柴三郎だからこそ、次の言葉は重みを増してくる。
『研究だけをやっていたのではダメだ。 それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ。』
この北里の言葉は、ノーベル賞を受賞した大村氏の『北里先生の「実学の精神」を若い人に伝えたい』に繋がっているのだと思う。
北里柴三郎は官学の協力を受けることなく孤軍奮闘したが、それから100年大村氏は産学連携の先駆者となり、北里研究所の研究を資金面からも支えている。

国内で競い合い成果があがるのは素晴らしいが、人口減少時代にはいった我が国なので、官民産学すべてが力を合わせ、世界をリードする研究をしてほしいと願っている。
(参照、「株式会社 発明通信社 発明コラムより」)


大村博士のおかげで長寿生活を満喫している我が家のワンコ
長寿は嬉しいが、寄る年波には勝てぬ、痴呆。
もとい、幼児がえり、二度童
いよいよ夜鳴きだけですまなくなり、昼夜問わず鳴くようになってきた。
不安感から鳴くというので、家族が交代で添い寝やだっこをしているが、慢性的寝不足で日々のあれこれに支障をきたす者、腱鞘炎になる者、なかなかに大変で、安定剤をお願いした。
基本的に安定剤の処方には消極的なワンコ獣医さんだが、家族の疲労と鳴き疲れるワンコの体力消耗を斟酌し、お薬を処方して下さった、のだが・・・・・。
目鼻耳が効かない不安を取り除くための錠剤に、「抗うつ剤パキシル」の文字を見てショックを受け、鎮静剤の粉末が禍々しいピンクであることに衝撃を受け、頂いた薬を飲ませることができずにいる。

薬を服用すれば、ワンコのなかにある家族の記憶が薄れるのだろうか。
薬に頼るのは、人間の身勝手でしかないのだろうか。

人類の叡智はさまざまな病を克服してきたが、老いにともなう心の葛藤を解決してはくれない。
それは個々人が、人生観をかけて向き合っていくことだとは分かっていても、難しい。
逃れることの出来ない難問にぶち当たっている。

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祝ノーベル賞受賞 ブラボー北里研究所!

2015-10-05 22:29:17 | ニュース
嬉しいニュースが飛び込んできたので、私の駄文は後回しにする。

<ノーベル賞>医学生理学賞に大村智氏…感染症特効薬に貢献>毎日新聞 10月5日(月)18時34分配信より一部引用
スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、2015年のノーベル医学生理学賞を、大村智(さとし)北里大特別栄誉教授(80)ら3人に授与すると発表した。大村氏は土壌中の微生物が作り出す化学物質から有用なものを見つける研究を続け、1979年に寄生虫に効果のある「エバーメクチン」の発見を発表。この物質から、熱帯地方で流行する感染症の特効薬や、家畜やペットの寄生虫治療薬が作られた。これまで発見した480種類以上の化学物質から26種の医薬品や農薬が生まれており、天然物有機化学分野の多大な業績が評価された。

ノーベル賞受賞
日本人なら誰が受賞しても嬉しいが、「ドンネルの男・北里柴三郎」(山崎光夫)を読んでいる者としては、
大村氏に「おめでとうございます」と言うと同時に、「ブラボー!北里大学北里研究所」と言いたい。
ところで、「ノーベル賞受賞 元高校教師、スキーで国体出場も…有言実行の大村流人生」を読むと、ノーベル医学生理学賞を受賞された学者と私には、極めて重要な共通点がある。

それは最後に書くとして、まずは今日の駄文。
 
ダメ元の冬野菜
夏野菜は毎年、大豊作となるミニトマト愛子様とピーマンが作り甲斐と充足感を与えてくれるので、失敗するのが目に見えているキュウリと茄子にチャレンジする元気も湧いてくるが、冬の野菜は、大根をつくったつもりがゴボウのようなものになり、大かぶの聖護院のタネを播いたはずがラディッシュのようなものになり、そろそろ収穫と思っている春菊が突然の霜にやられてダメになるなど、上手く出来たためしがないので、ここ数年は秋冬は堆肥作りに精をだし、何も作っていなかった。
それでいいはずだったが、今年は家人が「大根、かぶ、春菊を植えて欲しい」とうるさい。
野菜が高い、高すぎる。
例年なら一本100円の大根が、つい先日までは二分の一が100円で、それでも高いと思っていたが、ついに昨日は「使いきりサイズ」とかいう新サイズまで登場し、三分の一が100円ときた。
我が家の冬の定番おでんの危機。
おでんの牛すじloveなワンコの危機。
しかし、今野菜が高いからといって、今必要な野菜のタネや苗を植えて、間に合うはずもない。
「無理だよ」と言いながらも、急きょ園芸店で、プランターの土を改良する土と腐葉土と撒くなり植えれる石灰を買ってきた。
もともと種を播くには時期がズレてしまっているうえに、今年はつよっしーで高級苗に懲りているので、ダメもとで2袋100円の春菊とかぶのタネをまき、チャレンジとして高級ニンニクも植えてみた。
ダメ元とはいえ、植えたからには収穫したいという欲が出てくというもの、早く大きくなあれと呪文を唱える日々の始まり。

ダメ元とはいかない運動会
「他の競技は見なくてよいけど、組み立て体操だけは絶対に見て欲しい。五段ピラミッド、一番下で支えるから」と張り切っていた子が、「もう運動会に来なくてもいい。ピラミッドは当日の都合であるか、ないか分からないから」と言い出したので不思議に思っていた。
年々巨大化するピラミッドで怪我をする児童生徒が絶えず、「ピラミッドは五段までにするべし」という通達を出す府市町村まであるのはニュースで知っていたが、その余波は当地にも及び、「運動会当日、体調に少しでも不安がある子がいればピラミッドは中止にする」というので、その辺りに詳しい人に訊いてみた。
もちろん10段などという高さは論外かもしれないが、五段であれピラミッドが困難なのは、高さだけが理由でもないらしい。
体幹と根性がシャンとしていない子が多いのだという。
そういえば校医をしている医師が「最近は、背骨が真っ直ぐでない子や、両肩の高さが違う子が多い。このバランスの悪さは、日常生活から将来的には病気にまで影響を及ぼし得る」と嘆くのを聞いたことがあるが、「体幹がシャンとしていない」というのは、それを指しているのだろうか。
ピラミッドは当然、体重のある子が下段を支え、軽量の子が上段に乗るものだが、体重のある子に体幹が弱い子が多くみられたり、軽量ではあってもバランス感覚が乏しかったりと、上手くいかないらしい。
いくら体幹と根性がシャンとしている子が下段を担っても、上からドッシリ重量がかかりすぎたり、のろのろフラフラ乗られたのでは、下段の子はたまらない。
昔は運動会の花形であった騎馬戦も、ピラミッドと同様の理由で廃止しているところが多いそうだ。
危険を承知で運動会の競技をするべし、とは言わないが、運動会は見た目の出来栄えだけを披露する場ではないはずだ。
ある程度の高さのピラミッドや騎馬戦を、運動会を盛り上げる一競技として、その日だけ成功させようとするから無理が生じるのではないだろうか。
体幹がシャンとしていなければ、危険を伴う競技が出来ないだけでなく、将来的には病気の原因にもなりうるのならば、運動会のために付け焼刃な練習をするのではなく、日頃から体幹を鍛える訓練を授業に取り入れ、その成果を発表する場として、ピラミッドなり騎馬戦を取り入れれば良いのではないだろうか。

現場認識が甘いという声もあるだろうが、体育会系スパルタ教育大いに結構と思わせてくれる本を読んでいたので、厳しい意見を書いてみた。
大好きな井上靖氏「北の海」の続編とも云われている「七帝柔道記」(増田俊也)が、それだ。

本書が書いているのはバブルが始まった1986年からの2年間だが、あの時代に、旧制高校さながらのバンカラと寮歌で明け暮れていた世界があったことに驚きと嬉しさを感じて読んでいた。
この感想については、つづく。

最後にノーベル医学生理学賞を受賞された大村氏との共通点。
『本を読んで感銘を受けた言葉を20年近く、日記帳に書きためている。「こういうところにも、新しい発見があるんですよ」』
20年には及ばないが、私も本を読んで感銘を受けた言葉を備忘録に書き続けている。
そこから何を学んでいるかは、天と地の差であることは言うまでもない。

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