何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

光が医師 ワンコを治しておくれ

2015-10-21 00:07:55 | 
懺悔日記
20日 19日の病院の待ち時間を、南東に向いたベンチで日向ぼっこしながら待っていた。
    これが良かったのか、ゆったりと薬が効いているのか、ワンコは夜鳴きもせずに熟睡。
    チッチの量は少なめで色も少し濃い、これが薬の影響かまだ鮮血が混じっているのかは素人には
    判断できないが、状態としては落ち着いている。
    前回の膀胱炎の治療中にも便秘になったが今回も便秘気味であり、それを本人が気にしている様子が
    何とも可哀そうでならない。

昼夜逆転による夜鳴きについて、「なるべく朝日を浴びさせてあげて下さい」と指導されていたが、梅雨時は薄ら寒く、真夏は朝日もへったくれもなく外に出すのが恐ろしいほどの暑さだったので、朝日を浴びることが少なかったかもしれない。しかし昨日、朝日の効用を実感したことでもあるし、澄み渡る秋空は心を清々しくもしてくれるので、これからもワンコ日向ぼっこを心がけようと思っている。
この冬はNASAが「少なくとも普通の冬にはならない」と警告を発するほどの異常気象になるそうだが、朝の光こそが最良の医師かもしれないワンコの為にも、うららかな暖冬になることを願っている。


さて、光と対となるのが闇だと思うが、「闇医者おゑん 秘録帖」(あさのあつこ)の闇医者おゑんは患者の心に光を燈すことで治療をすすめる。

若旦那に弄ばれた挙句「こっそり闇医者に堕ろしてもらえ」と命じられ途方に暮れる女中お春。
『堕ろしよりほかに手立てはないでしょう。~中略~ どうしようもないじゃありませんか』と嘆くお春に、
おゑんは諭す。
『どうしようもない、ねえ』
『使い勝手のいい言葉ですよね。そう言ってしまえば、あれこれ考えずに済む』
『お春さん、女の前にはね、存外多くの途が延びているもんなんですよ。
 それに気が付かないまま閉ざしてしまうの、ちっと惜しくはないですかねえ』

「どうしようもない」を重宝し、あれこれ考えずにきた結果が今の自分なので、耳に痛い。
それはともかく、時代を考えれば『女の前にはね、存外多くの途が延びているのものなんですよ』という言葉はもちろん希望を与え、お春も生きる希望を見出すのだが、「今の時代、多くの選択肢があることが却って辛い時がある」と話す若い男女の会話をつい最近耳にしたばかりだ。
「結婚するとき、寿退社を迫られ考えねばならないのは女性であって男性ではないのと同様に、妊娠出産を機に家庭に入ることを考えねばならぬのは女性であって男性ではない。夫婦別姓の法整備が話題となって久しいが、それは女性側の選択肢の広がりであって男性が悩むことはやはり少ない。節目節目で選択を迫られる女性は苦しい」と訴える女性陣に対し、「選択する余地がない男性の方が苦しい」と男性陣は訴えている。
「どちらにしても、どうしようもない」と、つい思ってしまう自分を反省している。

途が多くあろうと一本途しかなかろうと、「どうしようもない」と諦めずに生きるため、心を病まず生きるためおゑんは「胸の内をちゃんとしゃべるんですよ」と語りかける。
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』
『言わず、言われず、胸にしまい込んだままの言の葉は、いつしか積み重なり腐り、異臭を放つ。』

おゑんが「語れ」と言うのは、医師であった祖父の教えでもあるが、それでけではない。

流行病で次々死者がでるにも拘わらず何の手も打てないという批判を恐れた藩は生贄を求める、それが異国人の医師である祖父であった。
命からがら生き延びたおゑんと母のもとに伝わった祖父母の最期は、藩の意のままに怒りの矛先を異国人の医師に向けた百姓漁民によって、祖父母の生首は腐り崩れるまで河原に晒されたとも、生きたまま火に炙られたともいう酷いものだった。
両親を嬲殺しにされたおゑんの母は、人には言えない更なる心の傷を抱えていた。その傷について一言も語らぬまま『魂のどこか一部が膿んで腐り落ちてしま』ったまま逝ってしまった母の苦悩を思い、おゑんは言う。
『魂と身体は繋がっています。分けようがないほど結びついているんですよ』
『魂は気力を生む。そこを傷めることは、生きようとする気力を殺ぐことだ。
 気力だけで病や傷は癒えない。しかし、気力を失えば、いかに高直な薬も名医の治療も半減させる。』

魂と心の疵が体に及ぼす危険については青山文平氏「鬼はもとより」で「體の深くに、溜め込んだ無数の(精神的)疵は、遠からず人を壊すかもしれない。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。」と書いている。(参照、「生きることと見付けたり」

誰にも話せないまま心の疵が重なれば、いずれ心を壊してしまうのだ。

雅子妃殿下と敬宮様を思いながら、『女の前にはね、存外多くの途が延びているのものなんですよ』、『言わず、言われず、胸にしまい込んだままの言の葉は、いつしか積み重なり腐り、異臭を放つ。』『内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。』という言葉を読むと、胸が締め付けられる思いがする。
ハーバード大学をマグナクムラウデで卒業し東大とオックスフォードでも学び、五か国語に通じた外交官として輝かしい途が広がっていた雅子妃殿下が皇室にあがられたとき、雅子さんの道が閉ざされたと感じた人もいただろうが、皇室の道は開かれるという明るい希望も感じさせた。それが、男児を産むという一つの途が閉ざされただけで存在価値を奪われ、心を病んでしまわれることになろうとは、ご成婚の時には思いもよらなかった。
男児を産むことが出来なかったという一点で、それまでの努力も教養もその賜物である御人格も否定された雅子妃殿下は、胸の苦しみを明かされることなく(もちろん、口答えも舌打ちもされることなく)ただ、ひたすら苦しい胸の内を仕舞い込み、心を病んでしまわれた。

本書には、妬む相手の心を病ませようする鬼(嫉妬に狂う女)の存在が書かれている。
その鬼は、妬む相手の心を壊して気をふれさせ心労のあまり息の根が絶えてくれればなおよしと策を弄するが、既の所でおゑんが遮る。
雅子妃殿下もまた多くの鬼に付け狙われておられたと思うが、皇太子様と敬宮様が守りきられ、最近では御病気前のような笑顔を見せて下さるまでに回復されている。

そして、雅子妃殿下を守られる敬宮様を思うとき『女の前にはね、存外多くの途が延びているものなんですよ』という言葉は更に皮肉な響きを持つが、新しい時代に、敬宮様ご自身が多くの女性に多くの途を示す先駆者となって下さるかもしれない。

雅子妃殿下と敬宮様の前に、明るい途が広がることを心より祈っている。
お二人によって切り開かれる途が、日本を良い方向へ導くことと信じている。

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光の医師 ワンコを治しておくれ

2015-10-19 18:50:55 | ひとりごと
ワンコ懺悔日記

16~17日 熟睡、爆睡 
       血液検査にエコーにレントゲン、尿管カテーテルによるチッチ検査、
       病院の検査には慣れているとはいえ流石に疲れたのだろう、近年にないほどの熟睡

17日 朝 定例のチッチない 私は不安で堪らないが、昨夕病院に付き添った家人は「尿管カテーテルで大量
      に採取されたのだから、まだ溜まってないのだろう」と。
      昼のチッチは濁りも赤みもないが、夜のチッチは少し濁ってる?

18日   昨夜はまた夜中にワッサワッサ運動と夜鳴きコーラス
      元気がないよりは、夜も元気にいてくれるほうが良いとひしひしと感じたので、精神的には苦には
      ならないが体にはきている。歯茎が腫れて疲れmaxの私を見かねて御大が大活躍、有難い。
      朝から夜まで4回のチッチというサイクルは戻ったが、薬のせいかチッチの色が濃い。

19日 朝 診察。エコーとレントゲン。
      内臓も尿道も特には異常なく、血液検査の数値も全て悪くない。が、やはり鮮血は出ている。
      ワンコ先生も首を傾げられるので不安になる。
      とりあえず膀胱炎に効く薬を6日分服用して様子をみるということ。

まさか人間社会に蔓延しているアレか。
我がワンコは人間よりよほど優しくて繊細で天才なので、アレに侵されてしまったのか。

ストレス

「(痴呆ゆえに)精神的なことからくるストレスではありません」と言下に却下。しかし、「肉体的にストレスを感じていることはありえます。」

我がワンコ先生もワンコ実家の掛かりつけ医も、「痴呆特有の鳴き方をもって、ワンコとしては好き放題にやっているのだから飼い主さんは気にせぬように」とおっしゃる。それは、老犬介護で追い詰められてくる飼い主の心情を慮ってのことだとは理解でき救われる面も確かにあるが、今回のように痴呆だと思い込んで見落としていた痛みがあるので、そのあたりが難しい。

連日連夜のワッサワッサ運動会とコーラス大会は、人間も参るが、ワンコも心身ともにストレスを感じていたのではないか。
そんな事を考えたのは、「闇医者おゑん 秘録帖」(あさのあつこ)を読み終えたばかりだったからかもしれない。

本書は、哀しい子を身ごもった女の心と体を診る江戸時代の女医師を主人公とする話である。
『女は耐えるしか・・。辛抱するしかないんですか。それしか道はないんですか』と体を震わせながら泣く娘。
若旦那の身勝手に泣く娘、家の犠牲となり好きでもない男のもとへ嫁がねばならぬと泣く娘、町娘ながら側室となり男児をあげてなお苦しむ女性に、闇医者おゑんは「胸の内をちゃんとしゃべるんですよ」と語りかける。

おゑんの祖父は異国の医師であったが、その祖父の言葉を述懐するおゑん。
『言葉には外に出すべきものと、内に秘めたままにしておくべきものと二通りがあるのだそうです。
 秘めておくべきものを外に出せば禍となり、外に出すべきものを秘めておくと腐ります。』
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』

『言わず、言われず、胸にしまい込んだままの言の葉は、いつしか積み重なり腐り、異臭を放つ。』

江戸時代の哀しい女の慟哭を腐らせないために「しゃべるんですよ」と語りかける女医師おゑんの物語を、ワンコのストレスに重ねるわけにはいかないのは心得ているが、「泣く理由の全てが痴呆ではない、痛いのだ」と言えないままに(言っても理解してもらえぬままに)チッチ血尿を出してしまったワンコ、そのチッチ噴射部の今までにない臭いを思うと、ワンコなりに眠れない夜のストレスを溜めこんでしまったのだと思えてならない。

ワンコのおかげで読書の秋が充実すると気長に構え、ワンコとゆったりと秋の夜長を過したい。
あと六日の薬とゆったりで、ワンコ全快だ。

おゑんさん つづく

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ワンコ懺悔日記

2015-10-17 01:32:32 | ひとりごと
14日水曜日の深夜
庭でチッチをしたワンコ。
暗がりでも「赤いのではないか」と思えるものだった。
明けて15日木曜日はワンコ病院は休診日、どうしようワンコ

15日
早朝のチッチも赤い、血尿か。
近所の動物病院はすべて木曜日が休診日、どうしたものかと悩んで思いついたのが、ワンコ誕生の犬舎の掛かり付け獣医さんだ。常々「24時間無休と云わないまでも必要ならば何時でも診て下さる」とワンコ実家両親はおっしゃっていた。
かなり遠方だが、血尿では一刻の猶予もならないと、車を走らせた。
丁寧な丁寧な触診と問診の結果、やはり膀胱炎だろうということで、注射と三日分の薬を処方された。
帰宅後、昼のチッチはまだ赤く、夕方のチッチは多少の濁りは認められるものの赤みは消えたが、夜中のチッチはまた少し赤かった。
15日夜、ワンコは久しぶりによく寝た。夜中に少しクンクンというのでラジオをつけると、映画「風と共に去りぬ」(マーガレット・ミッチェル)の「タラのテーマ」が流れていた。絶対音感が優れ名曲が好きなワンコはうっとりとした顔をしながら、また眠りについた。(参照、「ワンコの愛その2」


16日
朝一番のチッチは赤みはほぼ消えたが、まだ少し濁っている。

ここからが懺悔日記
季節の変わり目に対応するのが苦手で、春から夏へ、夏から秋への節目に膀胱炎になることが多かったワンコ。(参照、「生き物を真ん中に」
家族皆で、回数や量や色や臭いなどチッチ問題はかなり気を付けていたつもりだが、気が付かなかった。
とはいえ今となって見れば、全く前兆がなかったわけではないのだと思い当たることがある。
チッチそのものには変化がなかったが、この20日ばかりチッチ周辺に強いアンモニア臭があったのと、チッチ噴射部に白いバターのようなものがついていることがあったのだ。
これを私達は、高齢による尿切れの悪さゆえにチッチが付近の毛に付着しているのだろうと勝手に判断し、チッチの度に患部を蒸しタオルで丁寧に拭くことを繰り返していた。
しかし今から思うと、あれが膀胱炎の前兆というよりは膀胱炎の症状だったのかもしれない、注射をうって帰宅するなり、あのアンモニア臭が消えていたのだ。

懺悔 懺悔 一切我今皆懺悔
夜鳴きのみならず昼間も鳴きはじめたことを、痴呆が進んだ結果だと思い込み、痛みから泣いているかもしれないと何故気づかなかったのか。
哀切を帯びた鳴き声は痴呆の特徴だと教えられた当初はそれに抗ったりもしたが、同じ調子の鳴き声が続くに従い、痴呆だと思い込んでしまった。(参照、「ワンコと花と」
膀胱炎では痛かったに違いない。
本当にごめんよ ワンコ

午前中ここまで書いていたのだが、昼から大変だったらしい。

朝一番のチッチ以降、夕方までチッチがなく、昼からは水も飲まない。「馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない」という諺があるが、まさにそれで、口元まで水を持っていっても顔を背けて飲まず、鳴く元気もないようにグッタリしてしまう。
家人はもはや覚悟を決めねばならないのかと悲壮な思いをしつつ夕刻の診療時間の開始を待っていたが、私は仕事の都合で最終受付時間の7時過ぎにはどうしても帰宅できない。
・・・・・。
電話で経過と結果を聞く勇気がなく、飛ぶように帰宅したのが8時45分。
動転していた家人の説明では今一つ理解しづらい部分もあるのだが、
膀胱炎が頻尿により膀胱が空っぽの状態になるのに対し、ワンコの膀胱にはチッチは溜まっていることに加え、それを尿管カテーテル?で採取して検査した結果、膀胱炎と同じ薬で対処するが、膀胱炎とは違う?らしい。
若い頃はチッチ周辺を自分で舐めて尿道の壁のカス?を処理でき細菌増殖を防げたが、高齢になり自分で舐めて処理できなくなったためにカスが残留して菌が増えたのが、今回の原因(らしい)。
おそらく尿道のカスというのが、あの白いバターのようなものであり、やはりあれが悪かったのだとは分かるのだが、この1,2年のワンコの生活習慣として、朝から夕方まで一度もチッチがないというのは明らかな異変なのだが、何かモヤモヤと気になって仕方がないのだが、「ワンコ実家掛かりつけ医で処方された薬を土日飲んだうえで、月曜日にまた来院して下さい」とのことだった、そうだ。

モヤモヤを抱えながら、更に懺悔の想いはつづく。
ワンコ全快の日まで、懺悔日記もつづく。

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日本零年となる前に

2015-10-14 21:05:55 | 
かなり久しぶりに赤川次郎を読んだ。
中学生の頃、赤川次郎眉村卓アガサ・クリスティが私の周辺で流行っていた。読んだ冊数を競う風潮があり親の目を盗んでまで読んでいたのだが、赤川次郎アガサ・クリスティは固めて十数冊も読むと、話の筋がだいたい読めるようになり、推理小説の醍醐味が(自分的に)失せたあたりで読むことを止めてしまっていた。

なぜ今、赤川次郎なのかは分からないが、「東京零年」を勧められたので、ともかく読んでみた。
赤川次郎だった。
初めて読んだ頃からの時間の経過を考えれば、変わらない筆致はむしろ若々しく感じられたし、失礼ながら年齢を考えれば、近未来を的確に捉えて書かれているところにも共感を思えたが、赤川氏が懸念されているのであろう近未来は、足元まで押し寄せていると感じられるので恐ろしい。

「東京零年」は徹底した警察国家となった近未来の日本を舞台とし、警察国家の権力の中枢にいる男の家族と、警察国家の欺瞞を正そうとしたため権力に狙われた過去をもつ男の家族を中心に話がすすむ。
現在は、あちこちに監視カメラが設置され、携帯電話などを持ち歩くことにより自ら個人情報を垂れ流す世の中となっている。それは、故意に法を犯すことのない者にとっては、事件を未然に防いだり事件解決を促す心強いものではあるが、本書を読めばかなり気持ちの悪い思いをする。
溢れかえる情報が当局により監視されているだけでも収まりが悪いが、当局に都合よく改竄された情報が流される世の中は薄気味悪い。

本書では、殺人事件の被害者として死んだはずの男と思しき顔がテレビの旅行番組の背景に映っていたところから話が始まる。
当局あるいは権力が隠したい男の生存情報がネットで独り歩きしている時、当局や権力が使う手として書かれる手法は、近未来というよりは既視感がある。

編集長『当局発表じゃ、誰も信じないだろう。だから、どこかが<真相をスクープ!>とやらなきゃならん』
記者 『つまり、当局が知らせたい<真相>を、うちがスクープするってことですね』
編集長『そうだ、当局も、「言論の自由」を尊重した、と言える。今、日本は世界の中で評判が悪いからな』

この会話につづき、記者に経費と称する領収書不要の厚みのある封筒が渡される。
この出版会社は『政権から「優良企業」というお墨付きをもらっている。要するに、これは政権からの「請け負い仕事」なのだ。』

記者クラブに所属するところが書くものは、須らく大本営発表と認識するべしだと云われるようになって久しいが、それを実感したのは、皇室典範改正が議論となった際の皇太子御一家バッシングである。
女性天皇誕生にかけた総理の引退が目前となった頃の皇太子御一家バッシングも酷いものがあったが、当局の意向が如実に反映しているとより感じさせたのは、2011~12年にかけての女性宮家創設を目的とした典範改正が議論されていた時期の皇太子御一家バッシングであった。
敬宮様の運動会を参観される皇太子ご夫妻は私事を優先すると大バッシングに遭われ、小5の敬宮様が体調不良をおこして運動会を欠席されるにいたってしまったのも、この時期だった。
「天皇陛下にお風邪をうつしたのは敬宮様だ」「皇太子ご夫妻をもっと叩け」と当局が云うのに乗じ、入院しているお子様と、お子様を見舞う母を叩きのめしたのも、この時期だった。
「病気が治らないなら離婚だ」「病気の妻を庇うなら離婚だ」と書き立て、立太子の礼をへて皇太子になられている徳仁皇太子殿下に「廃太子」の言葉を突き付け、挙句の果てには、皇太子に対して「退位なさいませ」という意味の分からない世迷い事までぶつけたのも、女性宮家創設を目論む当局の意志が活きていた時期と重なっている。

今現在は少しばかりは鎮静化している皇太子御一家バッシングだが、違う目論見を謀る当局のもと、国民の生の声を無視しての世論誘導に余念がない様のをかしさは、新聞の下の方を見れば明らかであるし、そもそもバッシング記事を書いている当のマスコミが、バッシング記事のなかで「女性宮家を創設したい当局の意向に皇太子ご夫妻が肯かれない事が、ある種の怒りをかっている」と舞台裏を漏らしていた。

雅子妃殿下を皇室から叩き出すためなら捏造も厭わないマスコミが書きたてた「雅子様はアクセサリーや洋服を次々新調して贅沢三昧」などという分かりやすい捏造は、妃殿下が身に着けておられるのが御成婚前から自身でおもちのアクセサリーであったり、15年も前の洋服を今もお召しであるのが明白なため、すぐさま嘘が露見したが、目的のためならば手段を選ばす攻撃するという姿勢は、嘘を見破る目を持つ者に恐怖心を与えたのではないか。
ご都合主義の報道は、皇室報道に限らずどの世界でも横行しているのだろう。
真実を見極めようとする者や、嘘を見破る目を持つ者に恐怖心を与えつつ、日本の報道の自由ランキングは
180か国中61位。


ところで、本書は殺人事件の被害者として死んだはずの男と思しき顔がテレビの旅行番組の背景に映っていた場面から話が始まるとは既に書いたことだが、彼が生きていてはマズイ当局(司法)関係者は、それが本当に''彼''であるかを確かめるために録画を目を皿にして見るのだが、その時に捜査のプロが交わす言葉が印象に残っている。
『止まった顔よりも、身のこなしや動いている姿にこそ、人間の特徴が現れる。』
女性天皇案を叩き潰し来るべきものがスムーズに運ぶためだけに、まだ4歳の敬宮様はバッシングの矢面に立たされた。
「笑わない愛子様」という大見出しを見た時の衝撃は今も忘れられない。
一瞬の映像を切り取れば、確かに敬宮様の御表情からは笑顔が消えているように見えたかもしれないが、長回しの映像をしばらく観察すれば、敬宮様の眼差しは決して空洞なのではなく、ご自分に向けられる多くの視線を観察されているような思慮深げなものだというのは明確に伝わった。
そして、ご自分を見つめる視線を理解されるに十分な時間の後に、小さな手を振り笑顔を見せられる御様子は、そこで映像を切ろうとする間際の刹那に映し出されていたのである。
しかし、当局の意向を体現しての報道は、「笑わない愛子様」

この恐ろしい世の中が、赤川次郎が描く警察国家へと移行しないように、ここは踏ん張りどころだと思っている。

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山は逃げない背負っていけ

2015-10-13 20:45:07 | 
いつも訪問しているブログで、映画「剣岳 点の記」のなかの「人は何かをしたと言うことよりは、何のためにそれをしたかと言うことに意味がある。」という言葉が紹介されていた。
何が出来たかを問われれば全く自信がないが、「(出来具合の成否はともかく)何のためにしようとしたか」ならば言葉を尽くして語れる自信がある私の心に響く言葉である。
が、この言葉を「剱岳」(新田次郎)で読んだ記憶がない。
山の本を読み漁ってた頃に新田次郎も読み、確か「剱岳<点の記>」も読んでいたはずだが、この含蓄のある言葉が私のアンテナに掛かっていないのは何故だろうかと、久しぶりに読み返してみた。
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく何のためにそれをしたかが大事です。
 悔いなくやり遂げることが大切だと思います」
この言葉が本にない。
読み落としたかと何度か読み返したが、やはりない。
検索してみると、この映画を見た人の多くが感銘を受けているこの言葉は、なんと映画オリジナルのセリフであって、本にはないものだと分かった。

新田次郎は「孤高の人」がそうであるように、山に複雑な人間関係やドラスチックな場面を持ち込まず、また感動を与えてやろうと大上段に構えるような言葉もなく、ただ淡々とした山行記録のような作品が多いので、一読すると映像化に向くような場面や名言は少ないが、それだけに訥々とした語り口に真実なものが感じられる。
本作も、前人未踏と云われる剱岳に陸地測量部が三角点を建てようとする登山史とも明治期の測量の記録とも思われる筆致である。

剱岳
弘法大師が草鞋三千足使っても登れなかったという逸話が残るほど険しい山であるのは確かだが、明治まで公に登頂の記録がないのは、立山信仰により剱岳は登ってはならない山になっていたことに起因する。
立山曼荼羅で有名な立山信仰は、立山連峰を浄土に剱岳を地獄の針の山とし、剱岳に登ることを禁じたため、登ろうとする者は少なかったが、いなかったわけではないし、既に開山されているという言い伝えもあった。

奈良時代に既に修験者により開山されているという言い伝えを確かめるために登頂を果たし、開山を確かめ下山するなり殺された修験者もおれば、宗教上の理由で登ることを禁ずることに不審感を抱き登頂を志し、登頂を果たした帰路で不慮の死を遂げた武士もいる。
誰が剱岳に登った修験者を殺し、武士を殺したのか。
行者は云う。
立山信仰を守ることで莫大な既得権益を得る者。
『剱岳は聖なる山だった。
 大日如来のまします山が、針の山にされ、死の山にされていたのは、まことに不幸なことだった。~中略~
 山は神であり同時に仏でもある。権現思想に拒絶はない。
 登りたい人は誰でも登って、山気、霊気に触れて来ればいいのだ。
 つまり、あなたが剱岳に登ることの意味は、宗教的開山の意味といささかも違っていないのだ』

別の修験者も云う。
『剱岳は登れない山、登るべき山ではないと云っているのは、立山信仰を信ずる人たちであって、私のように、
 正しい修験道を歩む者には、登れない山もないし、登ってはならない山もありません。』

「剣岳」で修験者は、立山信仰そのものを否定しているのではなく、立山信仰を利用し荒稼ぎするのみなならず、それが露見するのを恐れて修験者を殺し武士を殺した加賀藩を責めているのだが、この構図はどこか既視感がある。
剱岳は、奈良時代に既に開山が認められていた。
時代がくだり、開山の事蹟を認めないどころか、開山そのものを宗教的に否定するようになる。
山々に宗教的なベールを被せることで神秘性と閉鎖性を高め、それゆえに既得権益が強固なものとなる。

既視感とは、女性天皇が認められない議論である。
奈良時代には何人もの女性天皇がおられたが、弘法大師が草鞋三千足をもってしても登頂できなかったという逸話が生まれた時期を最後に女性天皇は否定され、男系男子に限ることで神秘性を持たせようとしてきたあたり、見たような聞いたような話である。

しかし、山は閉ざされてはいなかった。
二人の修験者の言をお借りすれば、奈良時代には既に剱岳は開山されており、時代がくだり剱岳登山が禁じられた後も「正しい修験道を歩む者」は登ることができたのであり、日本の真の神仏(権現思想)をつきつめれば、権現思想は一部の既得権益を貪る者を利するものでも狭量なものではなく、広くそれを望む人を拒絶しはしない。よって、剱岳に登ることは宗教的に間違いを犯すことではないと断定している。

ここに女性天皇の議論を重ねてみれば、奈良時代に既に大きな働きをされていた女性天皇を今の時代に認めないのは、日本の正しいあり方とは思えないのだが、いささか我田引水に過ぎるかもしれないので、この考察はこれくらいにしておくとする。

冒頭に感銘を受けた言葉として「人は何かをしたと言うことよりは、何のためにそれをしたかと言うことに意味がある。」を書いたが、これは本「剣岳」にない言葉なので、何か本にあるもので感銘を受ける言葉はないかと探してみた。

剱岳頂上に三角点を建てるため登頂を期する主人公の陸地測量部の柴崎に修験者が云う言葉
『雪を背負って登り、雪を背負って帰れ』
前人未踏といわれる険しい剱岳に登る時、一番避けたい避けるべきルートが「雪を背負って登り雪を背負って下る」ことだと一般には考えられるのだろうが、その一番避けるべき困難な方法こそが、頂上に立つための正しい道だと修験者は云っている。
軟弱な私には理解も実践も難しいが、そこに真実があることだけは感じている。

このような難しい言葉は人生の宿題とするとして、この夏涸沢小屋でしばしば聞いた言葉が「剱岳」にも記されていた。
『なあに、あせることはないですよ。山は逃げはしないですから』

常念岳を拝むために登ったはいいが、雨雲にすっぽり包まれた涸沢小屋からは常念岳は臨めなかった。
長野県警山岳警備隊から醸し出される「この雨のなか登るなよ」オーラに従い、ほとんどの登山者は小屋で停滞していたのだが、その時に山のベテランと思しき人々が口にしていた言葉が「山は逃げない」であった。

何時になれば常念岳に登ることができるのか分からないまま、ともかく歩くことを続けている日々だが、
「山は逃げない、常念岳も逃げない」
応援している人々の幸せを祈るため常念岳に登る日を楽しみにしている。


鹿島槍ヶ岳よりのぞむ剱岳


映画「剱岳 点の記」を日本山岳会会員の皇太子様も御覧になったが、新田次郎は皇太子様が愛読される作家としても知られているそうだ。


写真出展 ウィキペディア

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