何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

繋ぐんじゃ

2015-10-07 12:57:07 | 
今でも井上靖は大好きな作家だが、一頃憑かれたように井上靖を読んでいる時期があり、その中でも特に自伝的作品である「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」が好きだった。
何が何処がと訊かれると難しいのだが、井上靖が書く伊豆は三島の風景が日本の原風景のように美しく感じられたというのもあるし、子供ながらも自分と周囲をかなり客観的に観察する目を持ちつつ、しかし大らかで鷹揚な性格である洪作に惹かれたというのもあるし、井上靖の筆致そのものが好きだったというのもある。

「祝ノーベル賞受賞 ブラボー北里研究所!」で、「体育会系スポーツ教育大いに結構」と感じさせる小説として「七帝柔道記」(増田俊也)を記したのは、単に作品が面白いというだけでなく、作者が井上靖「北の海」の影響を強く受けているところに強く共感を覚えたからだと思う。

井上靖の自伝的小説である「北の海」は、浪人中の洪作(井上靖)が四高の柔道部の勧誘に誘われるままに金沢まで行き、そこで「練習量がすべてを決定する柔道」である寝技と、柔道部の人間味あふれる先輩に出会う一夏の経験が書かれている。浪人中の人間を柔道部に入れるために金沢まで招く四高の柔道熱は、その時代だからこその振る舞い ーつまり旧制高校への進学率が0.5%という枠に収まった学生だけが享受できる贅沢とエリート臭さー かといえば、そうとばかりは云えない。(そういう面がないわけでもない)

旧制高校の柔道部が血道をあげた高専柔道は戦後、旧帝大からなる七帝柔道部に受け継がれ、やはり七帝柔道部は年に一度の七帝戦勝利のために、大学生活の全てを柔道に捧げている。バブル時代を描いた「七帝柔道記」では、さすがに浪人中の勧誘はないが、作者の増田氏も高3のときに名古屋大柔道部から「七帝戦に勝つため入部してほしい」と勧誘を受けている。

「北の海」は洪作が柔道をするため四高に合格することを誓う場面で物語が終わるが、「七帝柔道記」は七帝戦に勝つため北大に入学したところから話が始まるため、壮絶な練習内容が「これでもか」というほど書かれている。
「これでもか」の内容
七帝戦には「待て」がない、場外と場内の仕切りもないので、場外に出ることによる「待て」すらない。
自分から「参った」することを許さないし、自分から「参った」する者もいない。
骨が折れるか、落ちるまで、戦う。
「落ちる」とは、『柔道の専門用語で絞め技で意識を失うことだ。脳に血液がいかなくなって意識を失う事だ』
作者の増田氏は将来を期待される新人であったために、入学早々先輩から稽古をつけられ、その度に落とされ、落とされる度に三途の川の向こうに立つ(既に他界している)祖母に会っている。

しかし、『締め落とされる苦しみは死の恐怖よりもずっと上だった』というほどの締めをする先輩もまた、その先輩から締め落とされて強く逞しくなってきたのだ。それを理解した時に後輩は、先輩の想いと七帝戦にかける先人の想いを理解し引き継いでいくのだ。
「北の海」の大天井を思わせる人間味あふれる先輩・和泉が道場を去るにあたり増田に残す言葉は、七帝柔道の全てを語っているように思われる。
後ろを振り返りながら進みんしゃい。
 繋ぐんじゃ。思いはのう、生き物なんで。思いがあるかぎり必ず繋がっていくんじゃ。

 ~中略~
 先輩たちにとってわしらは分身じゃった。今日からは、わしらの代にとって、あんたらが分身になった。
 わしらはあんたらで、あんたらはそのままわしらじゃ、のう。
 あんたらの分身も、もうできよるじゃろうが』

旧制高校さながらのバンカラと寮歌がそこかしこに溢れる「七帝柔道記」には、挙げはじめたらキリがないほど印象的な言葉が記されているが、この本について書くきっかけとなった大ピラミッドと関わりのある部分については、又つづく。


ところで、主人公増田と同様に、入学式後のオリエンテーションで「柔道をするため内地にやってきました」と自己紹介した猛者が私のクラスにはいた。
北海道の大きな牧場の息子だという彼は、卒業すれば厳しい牧場を継がねばならぬため、「大学に在籍可能な8年間は自由を謳歌しても良い」と言い含められて内地に出てきたという。
彼が、8年間を柔道一筋にかけたのか否かも、寝技に打ち込んで餃子耳になったのか否かも、分からない。
なぜなら、主人公増田と同様に、オリエンテーション以降、授業に姿を現さなかったから。
高専柔道と七帝戦にかけた多くの先輩同様に、星影冴やに光れる北の清き国で彼が良い人生をおくっていると思っている。

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