<シルバーによるゴールドの輝き> 9月21日 敬老の日
シルバーウィーク真っただ中だが、シルバーウィークだろうが勤労に勤しんでおられるのが、シルバー世代かもしれない。
昨年の冬から調子が悪い風呂を、ガス屋さんと相談しながら騙しだまし使っていたのだが、最近ようやっと風呂の工事が終わった。
これほど時間がかかった理由の一つに、我が家と工務店の予定が合わず、工期が決まりづらかったというのもあり、それには我が家の事情もあったのだが、仕事のできる左官屋さんが激減しているという事情も大きい。
いつもお世話になっている工務店でも、仕事ができる大工・左官屋さんは40代以上で、その数は少なく、監督が務まるレベルとなると前期高齢者の方に頼らざるを得ないとか。出来上がった資材を組み立てる方式の家屋がトレンドなので、土壁、瓦のふきあげ、タイル張りの風呂など、昔ながらの日本建築の手法を受け継ぐ者が育っておらず、純然たる日本建築とまでいえない我が家程度の家でも、その修理ができる大工・左官屋さんの確保は難しくなってきているらしい。
大丈夫か日本の技術、と不安に感じていたところ、今日、庭師さんの話で更に不安になった。
松など特別な技術を要する庭師も育ってないらしい。
以前は数人の職人さんに入ってもらっていた庭も、職人さんの数が減っているのと、職人さんに任せるほどの庭木でもない(御大の判断)という理由から、ここ数年では松ともみじと鬼門に植わる柊だけを本職にお願いし、あとは家族総出で庭作業をすることにしている。
今日がその日であったため、腰が痛い。
生垣を刈りこみ、枯れ木も山の賑わい程度の木を(家族それぞれの趣味で)切りそろえ・・・・・本職の手による門被りの松以外は、スッキリしていることだけが取り柄の庭が出来上がった。
それはさておき、仕事のできる庭師さんも高齢化しており、激減しているらしい。
生垣バリカンでブンブンやるような仕事なら若い園芸屋さんも引き受けるらしいが、松などは、脚立に座り込むこむこと一日、枝振りを考え細かく剪定し、葉を刈るのでなく(一つ一つ)取る作業なので、たった一本の松に、ほぼ丸一日かかってしまう。
名だたる名園の仕事ならともかく、普通の庭の手入れは、コストと労力と根気と和の美意識、どれをとっても若者向きではなく、次世代が育っていないそうだ。
日本建築や日本の庭の美は、何も宮大工と特別な庭師だけで成り立っていくものではないはずだ。
幕末維新にかけて日本を訪れた外国人は、日本の一般家庭の庭の手入れの良さと、それらの集合体である町屋の緑の美しさに感動したと、何かで読んだ記憶があるが、日本家屋や日本の庭の美は、その裾野の広さ故に素晴らしいともいえたのではないだろうか。
江戸時代と現代の園芸(朝顔)をミステリー仕掛けで書いて面白かったのが、「夢幻花」(東野圭吾)だ。
江戸時代に盛んであった朝顔の新種開発の負の遺産を引き継いでいく家系の話であり、受け継ぐものとしては、ここで書いているものとは反対のベクトルが働くものではあるが、江戸の植木・庭熱が書かれている「夢幻花」には、ミステリー一辺倒でない面白味があった記憶がある。
受け継いでいって欲しい真っ当な技術や伝統すら継承が難しいのが現在だが、「夢幻花」は、園芸を通して負の遺産について語られている。
見て見ぬふりをして放っておいてその''負''が消えるなら、そのままにしておけば良いが、''負''であっても、いや''負''であるだけに負の遺産の持つ悪の力は大きい。
であれば、負の悪が広まらぬように見守る役目を誰かが引き受け、その役目を継いでいかねばならない、そんな印象を与えて終わる話だったと記憶している。
''負''を改めるどころか、狭い範囲にしか知られぬ''負''であるのをいいことに、悪用する悪知恵が跋扈するのが現代であるように見えて仕方がないが、お天道様のもと広く国民に行きわたってきた優れた技術は、広く健全に次の世代に伝わって欲しいと願う、シルバーウィークのど真ん中の一日であった。
<ワンコ愛護週間> 9月20日、動物愛護週間はじまる
先月、家族の生活リズムが変わるお盆期間に、ワンコが疲れないようにと点滴をお願いしたら、これがなかなか良かったので、月に一度は栄養補給しようということになり、先週も点滴をしてもらった。
診察台で気持ちよさそうに点滴を受けていてパワーがついたのか、夜鳴きどころか昼も鳴く事態となり、困り果て、シルバーウィーク初日、老ワンコをつれて実家(ワンコ誕生の犬舎)に相談に伺った。
我が家の家長は自分だと認識しているワンコは、実家の両親(犬舎の御夫妻)を親分と慕い敬っているが、犬舎に滞在することは、好きではない。
ワンコがまだ若かりし頃、(人間)家族旅行のためワンコを実家に預けた時など、ワンコは平気な様子を装いつつも、犬舎では飲まず食わずの行をして実家両親を困らせていた。
そんなワンコなので、昨日、実家に連れて行かれた時も、「宿泊か?」と恐怖心で胸が一杯になったのかもしれない、突然目を剥いてショック状態に陥ってしまった。
初めての事態に頭が真っ白になり取り乱す私達の前で、実家父は冷静にワンコを寝かせて心臓マッサージを施して下さった。
ほどなく呼吸が落ち着き、砂糖水を飲み、ケロリと元気になったが、その間たった数秒のことが、恐ろしく長く感じられ、それを思い出すと今も私の動悸の方が早くなるほどだ。
シルバーウィーク中は、我が家の前期ご老体に休養してもらうため、私達がナイトサービスをすると決めている。
夜鳴きだけなら夜通し抱っこでも添い寝でもして過すが、医療行為が必要な事態への対処は無理なので、不安材料が又ひとつ増え、澄んだ秋空には程遠い、寂しい連休を過ごしている。
<「犬の介護も人と同じ」20日から動物愛護週間> 産経新聞 9月20日(日)7時55分配信
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記事には「人が動物からさまざまな恩恵を受けて生きていることを知り、動物に感謝し、命を尊ぶ心を育てる」とある。
ワンコが我が家に与えてくれる、愛や優しさやユーモア―は計り知れない、その宝物を大切にしながら、ワンコが過しやすい環境を考えていきたいと思うシルバーウィークの一日である。
シルバーウィーク真っただ中だが、シルバーウィークだろうが勤労に勤しんでおられるのが、シルバー世代かもしれない。
昨年の冬から調子が悪い風呂を、ガス屋さんと相談しながら騙しだまし使っていたのだが、最近ようやっと風呂の工事が終わった。
これほど時間がかかった理由の一つに、我が家と工務店の予定が合わず、工期が決まりづらかったというのもあり、それには我が家の事情もあったのだが、仕事のできる左官屋さんが激減しているという事情も大きい。
いつもお世話になっている工務店でも、仕事ができる大工・左官屋さんは40代以上で、その数は少なく、監督が務まるレベルとなると前期高齢者の方に頼らざるを得ないとか。出来上がった資材を組み立てる方式の家屋がトレンドなので、土壁、瓦のふきあげ、タイル張りの風呂など、昔ながらの日本建築の手法を受け継ぐ者が育っておらず、純然たる日本建築とまでいえない我が家程度の家でも、その修理ができる大工・左官屋さんの確保は難しくなってきているらしい。
大丈夫か日本の技術、と不安に感じていたところ、今日、庭師さんの話で更に不安になった。
松など特別な技術を要する庭師も育ってないらしい。
以前は数人の職人さんに入ってもらっていた庭も、職人さんの数が減っているのと、職人さんに任せるほどの庭木でもない(御大の判断)という理由から、ここ数年では松ともみじと鬼門に植わる柊だけを本職にお願いし、あとは家族総出で庭作業をすることにしている。
今日がその日であったため、腰が痛い。
生垣を刈りこみ、枯れ木も山の賑わい程度の木を(家族それぞれの趣味で)切りそろえ・・・・・本職の手による門被りの松以外は、スッキリしていることだけが取り柄の庭が出来上がった。
それはさておき、仕事のできる庭師さんも高齢化しており、激減しているらしい。
生垣バリカンでブンブンやるような仕事なら若い園芸屋さんも引き受けるらしいが、松などは、脚立に座り込むこむこと一日、枝振りを考え細かく剪定し、葉を刈るのでなく(一つ一つ)取る作業なので、たった一本の松に、ほぼ丸一日かかってしまう。
名だたる名園の仕事ならともかく、普通の庭の手入れは、コストと労力と根気と和の美意識、どれをとっても若者向きではなく、次世代が育っていないそうだ。
日本建築や日本の庭の美は、何も宮大工と特別な庭師だけで成り立っていくものではないはずだ。
幕末維新にかけて日本を訪れた外国人は、日本の一般家庭の庭の手入れの良さと、それらの集合体である町屋の緑の美しさに感動したと、何かで読んだ記憶があるが、日本家屋や日本の庭の美は、その裾野の広さ故に素晴らしいともいえたのではないだろうか。
江戸時代と現代の園芸(朝顔)をミステリー仕掛けで書いて面白かったのが、「夢幻花」(東野圭吾)だ。
江戸時代に盛んであった朝顔の新種開発の負の遺産を引き継いでいく家系の話であり、受け継ぐものとしては、ここで書いているものとは反対のベクトルが働くものではあるが、江戸の植木・庭熱が書かれている「夢幻花」には、ミステリー一辺倒でない面白味があった記憶がある。
受け継いでいって欲しい真っ当な技術や伝統すら継承が難しいのが現在だが、「夢幻花」は、園芸を通して負の遺産について語られている。
見て見ぬふりをして放っておいてその''負''が消えるなら、そのままにしておけば良いが、''負''であっても、いや''負''であるだけに負の遺産の持つ悪の力は大きい。
であれば、負の悪が広まらぬように見守る役目を誰かが引き受け、その役目を継いでいかねばならない、そんな印象を与えて終わる話だったと記憶している。
''負''を改めるどころか、狭い範囲にしか知られぬ''負''であるのをいいことに、悪用する悪知恵が跋扈するのが現代であるように見えて仕方がないが、お天道様のもと広く国民に行きわたってきた優れた技術は、広く健全に次の世代に伝わって欲しいと願う、シルバーウィークのど真ん中の一日であった。
<ワンコ愛護週間> 9月20日、動物愛護週間はじまる
先月、家族の生活リズムが変わるお盆期間に、ワンコが疲れないようにと点滴をお願いしたら、これがなかなか良かったので、月に一度は栄養補給しようということになり、先週も点滴をしてもらった。
診察台で気持ちよさそうに点滴を受けていてパワーがついたのか、夜鳴きどころか昼も鳴く事態となり、困り果て、シルバーウィーク初日、老ワンコをつれて実家(ワンコ誕生の犬舎)に相談に伺った。
我が家の家長は自分だと認識しているワンコは、実家の両親(犬舎の御夫妻)を親分と慕い敬っているが、犬舎に滞在することは、好きではない。
ワンコがまだ若かりし頃、(人間)家族旅行のためワンコを実家に預けた時など、ワンコは平気な様子を装いつつも、犬舎では飲まず食わずの行をして実家両親を困らせていた。
そんなワンコなので、昨日、実家に連れて行かれた時も、「宿泊か?」と恐怖心で胸が一杯になったのかもしれない、突然目を剥いてショック状態に陥ってしまった。
初めての事態に頭が真っ白になり取り乱す私達の前で、実家父は冷静にワンコを寝かせて心臓マッサージを施して下さった。
ほどなく呼吸が落ち着き、砂糖水を飲み、ケロリと元気になったが、その間たった数秒のことが、恐ろしく長く感じられ、それを思い出すと今も私の動悸の方が早くなるほどだ。
シルバーウィーク中は、我が家の前期ご老体に休養してもらうため、私達がナイトサービスをすると決めている。
夜鳴きだけなら夜通し抱っこでも添い寝でもして過すが、医療行為が必要な事態への対処は無理なので、不安材料が又ひとつ増え、澄んだ秋空には程遠い、寂しい連休を過ごしている。
<「犬の介護も人と同じ」20日から動物愛護週間> 産経新聞 9月20日(日)7時55分配信
ここをクリック!
記事には「人が動物からさまざまな恩恵を受けて生きていることを知り、動物に感謝し、命を尊ぶ心を育てる」とある。
ワンコが我が家に与えてくれる、愛や優しさやユーモア―は計り知れない、その宝物を大切にしながら、ワンコが過しやすい環境を考えていきたいと思うシルバーウィークの一日である。