昨日の「神坐す山の人々」で、「ある遭難」で私の山岳小説は始まった、などと大層に書いたが、次に出会ったのは随分後になってからで、しかも山岳小説とは関係ない「スローカーブを、もう一球」(山際淳司)がきっかけだった。
本当は一生懸命頑張っているのだが、どこか斜に構えた態度をとるしか術をしらない不器用なスポーツマン達を、温かい眼差しで見つめる山際氏の筆致を気に入り、他の作品も、と探していたところ偶然手に取ったのが 「みんな山が大好きだった」。
あたたかだった。
遭難が起こると、やれ自己責任だの、救助費用は当然自己負担せよだの、遭難者と家族に土下座を強要せんばかりに非難が巻き起こる風潮となって久しいが、 山際氏が登山家に向ける視線は、どこまでも温かい。
「みんな山が大好きだった」で紹介される実在の登山家は、厳冬期の三大北壁やエベレストを目指すくらいであるから、強烈な個性の持ち主であることも多く、それゆえ俗世間で理解されづらい面も持ち合わせていたが、そんな個性や辛さに向ける山際氏の視線は温かい。
登場する登山家はすべて山で還らぬ人となるのだが、「みんな山が大好きだった」が与える「山の懐に抱かれた登山家たち」という読後感は、山と登山家への更なる関心につながった。
この本でも紹介されている「森田勝」が「神々の山嶺」の主人公羽生のモデルであり、登山家森田勝を語るとき、あの長谷川恒男氏と加藤保男氏の存在は大きい。
森田勝に興味を持てば、長谷川恒男に繋がり、 長谷川恒男が単独登攀にこだわった理由に興味を持てば、加藤保男のエベレスト登頂に行きつき、 加藤兄弟に関心を持てば、「銀嶺の人」(新田次郎)の今井通子氏に辿り着く。
登山家は同時に物書きの人も多く、長谷川恒男の「北壁に舞う 生き抜くことは冒険だよ」 「岩壁よ おはよう」 は近々教科となる道徳に取り入れられても良いと思うほどの自伝的作品だが、この時代の登山家は自らが雄弁に語るだけでなく、多くの作家によって語りつくされている。
個々の作品の紹介や印象は、いずれ書くこともあるかもしれないが、あの時代の登山家を振り返ると、山岳会に勢いがあっただけでなく、日本全体が元気だった気がしてならない。
森田が終生ライバル心を燃やした長谷川恒男は、世界初のアルプス三大北壁冬季単独登攀者であり、
長谷川恒男を単独登攀に向かわせた加藤保男は、ネパール・チベット両側からエベレストに登った初めての登山者であり、三度の登頂を果たしている。
女性初の三大北壁初登攀に成功した今井通子の同時代には、女性初のエベレスト登頂者の田部井淳子氏もいる。
あの時代に山を目指した誰もが、そこに自己実現の場を求めていたわけではないだろうが、誰かを押しのけ傷つけてでも初登攀や初登頂を目指す貪欲さと、誰もが成し遂げたことのない厳しいルートや時期での登攀に命をかける孤高の強さで、胸をキヤキヤさせた登山家たちが、ぎらぎらした眼差しで山を睨みつけていた様が、多くの山岳小説から伝わってくる。
高度成長の頂きであろうと、世界最高峰であろうと、トップを目指さずにはおれないエネルギーが、あの頃にはあった。
「神々の山嶺」 は、そんな時代の登山家を描く山岳小説の最後を飾っている。
最近また登山ブームだそうで山小説も見受けられるが、「都会に疲れた人、仕事や結婚に行き詰まった人が、自然のなかでのチッポケな自分を認識し、癒され、自分を取り戻す」的な話が多い。 それはそれで良いのだが、しみじみ泣かされたりもするのだが、ガツンとしたエネルギーが必要な感じがしていたところだったので、神々の山嶺の映画化のニュースは、嬉しかった。
参考文献
佐瀬稔
「狼は帰らず:アルピニスト・森田勝の生と死」
「長谷川恒男虚空の登攀者」(佐瀬稔)
「残された山靴:志なかばで逝った8人の登山家の最期」
加藤保男
「雪煙をめざして」
長谷川恒男
「岩壁よおはよう」
「北壁からのメッセージ」
「山に向かいて」
「生き抜くことは冒険だよ」
今井通子
「私の北壁:マッターホルン」
「続私の北壁:アイガー,グランド・ジョラス」
「男は仕事、女は冒険:何が私をかりたてるのか
「マッターホルンの空中トイレ:女性登山家が語る山・旅・トイレ
「山は私の学校だった」
写真 出典ウィキペディア
グランド・ジョラス
アルプス山脈「アルプス山脈最高峰 モンブラン山」「ツェルマットから見たマッターホルン山」
ところで、昨年皇太子様は「日本・スイス国交樹立150周年」の名誉総裁として、スイスを訪問された。
訪問に際しての会見で、「マッターホルンなどのスイスの山々に大叔父である秩父宮殿下が登頂されたこと」 「中学1年生の時に国語の授業で,日本の登山家である今井通子さんなどがアイガーの北壁を登った話を読んだことなどによってより身近なものとなりました。」と述べておられることからも拝察できるとおり、アルプスの山々に日本人の偉業が刻まれていることを御存じであったに違いない。
「みんな山が大好きだった」で紹介される登山家が憧れ命をかけた山、アルプス。
妹様お二人がスイスで誕生され、ご自身も何度かスイスに滞在されたことがある雅子妃殿下が御一緒されれば尚、意義深いご訪問となられたであろうが、
いつか皇太子御一家で歩いて頂きたいと願っている。