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何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

心つながる時が導く永遠

2017-01-01 09:01:01 | 自然



<うるう秒「60秒」を挿入 2017年元日、1秒長く> 毎日新聞 2017年1月1日 09時32分配信より一部引用
時刻に1秒を足す「うるう秒」の挿入が1日午前9時直前、世界一斉に行われた。JR武蔵小金井駅(東京都小金井市)のコンコースにあるデジタル時計では、8時59分59秒と9時0分0秒の間に、通常はない「8時59分60秒」が表示された。挿入は2015年7月1日以来1年半ぶりで、1972年から27回目となった。
地球の自転に基づく「天文時」に、原子時計による「原子時」を合わせるのがうるう秒。地球の自転速度が一定していない一方、原子時計は極めて正確で、両者が次第にずれるのを数年に1回、うるう秒で合わせている。


うるう秒の挿入で出現する「8時59分60秒」に今年最初の一文を投稿するため、その瞬間を逃さぬようにと、投稿ボタンをクリックすべくスタンバイしていたが、あっという間に過ぎてしまった。
一瞬の大切さと、一瞬一瞬の積み重ねの大切さを、一瞬で学ぶことができたことに感謝している。

それは、昨年 蝶が岳から日の出を拝んだ際にも感じたことだ。
雲海の向こうから今にも朝日が昇ろうとしているとき、ふと後ろを振り返ったせいで、雲のうえに差す一点の紅を見損なった。
日の出のスピードは、想像よりもはるかに早く、次の瞬間に東を見た時には、朝日は雲海の上にその姿をすべて現していた。


だが、狙い定めた一瞬を逃したからと云え、悪いことばかりではない、というのも昨年の蝶が岳山頂で学んだことだ。
確かに、日の出の一瞬は見逃したが、日の出を受けて桃色に染まる穂高連峰と槍ヶ岳を拝することができたからだ。

目に「見えるものは一瞬で変わる」が、心の持ちようで受け留め方も変わるし、心が繋がっておれば、一瞬は永遠の時間への導入にもなると思っている。 「まるちゃん達お空組の教え ワンにゃ心経」

今年も、誠実に真面目に頑張る方々や、大切な人々や、わんこ&にゃんこ達が良い時間を刻んでいくことができるよう、心から応援しようと決意を新たにしている新年である。

「ワンコ想う山行 ワンコ顕るる奥穂の頂 その弐」


備忘録
9時1分1秒に投稿した文章に、9時32分配信の記事が掲載されているのは、私が時空を超えた存在だからではない(初笑い)
8時59分60秒に投稿しようとして上手くいかず、9時1分1秒の投稿となってしまい、後にズレた時間に合う内容に差し替えたために、時間のマジックが起ってしまった。

自然が織りなす秋の赤

2016-11-17 19:15:55 | 自然
毎年毎年、「近年最高のデキ」を「フルーティー」だの「フレッシュ」だのと表現してきたが、それもネタが尽きたのか、今年の味はナント「エレガント」なのだそうだ。

<今年の味は「エレガント」 ボージョレ・ヌーボー解禁> 朝日新聞デジタル 11/17(木) 0:50配信より一部引用
17日に解禁されたフランス産ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」を楽しむイベントが東京・渋谷であった。主催した「ボージョレワイン委員会」によると、今年は滑らかなタンニンと爽やかな果実味が楽しめる「エレガント」なワインに仕上がっているという。

本気で飲めばウワバミかもしれぬほど「強い」自信はあるのだが、幸か不幸か、それほどアルコールを好む方ではないので、11月の第三木曜日よりも11月15日の方が、私にとっては大切な日だ。

11月15日、上高地から閉山式のニュースが届くと、私の中で冬のスイッチが入るのだが、晩秋の上高地(信州)は一度しか訪問したことがない。
この時期まとまった休みを取りにくいという事情もあるが、秋に物悲しさを感じ行動力が鈍るのは、母が好きな詩のせいかもしれない。
その詩は、母が学生時代に愛読したヘッセの詩集にあったものらしいが、転勤で転居を繰り返しているうちに詩集を失くしてしまったそうだ。数年前、伝手の伝手をたより編集者の方に探して頂いたことがあるのだが、その当時出版されていたヘッセの詩集には、母が云う「枯葉」という詩は確認されなかったので、今となってはヘッセの作品か否か定かではないただ、この詩が私の秋(観)に大きく影響してきたことは確かだ。

枯葉
 私の前を 
風に吹かれていく 枯葉
さすらいも
若さも
愛も
その時があり 終わりがある
あの葉は
風のまにまに あてもなく彷徨い
あげくの果ては森か溝の中にとまる
私の旅は どこまで続くだろうか


若さの終わりを感じる年になったせいか、この詩がもつ物悲しさは、私の中で増しているような気がしていたのだが、最近夜、信州の秋を見事に写し撮っておられるブログなどを訪問し、ホッと一息ついた後など、井上靖氏のいう涸沢の秋も思いだし、夢うつつのまま眠りにつく。
『10月はじめ穂高に登った。涸沢小屋で一泊したが、往きも帰りもナナカマドの燃えるような紅葉の中を歩いた。紅葉に酔うというと変に聞こえるかも知れないが、正真正銘酔っているような気持だった』 (『 』「穂高の月」より)

秋の涸沢に登ったことはないので、この↑写真はウィキペディアさんからお借りしたものだが、「山の季節」(田淵行男)にも涸沢岳をバックし燃えるようなナナカマドの写真が収められている。信州の山をこよなく愛する田淵氏は、山に静けさが戻る秋から初冬が好きだというだけあって、そこに季節の移ろいの寂しさだけを感じておられるわけではない。

季節の置手紙 (「山の季節」より)
十一月初めの常念乗越
深雪のちりばめる小さな足型
初冬の山で 私の受け取る
季節の便り 

兎 リス テン 狐 オコジョ
そして雷鳥
山の友達の素朴な置手紙を
ほのぼのと眺め
しみじみと読み

私も山靴で返書を
余白の雪に書き残して
初冬の山を下りる

ひととせの山路の暦を
心の中でめくりながら
ひととせの山路の日記を
心の中でたどりながら
私の季節の山を閉じる
私は季節の山を下りる

山を遠ざかって 山を眺める季節
山を離れて 山を想う季節
追憶の地図をひろげて
回想の山路をたどる季節
山への希望を育てる季節


秋に人生を重ねて愚にもつかぬ物思いに浸っているよりは、『追憶の地図をひろげて』『希望を育てる季節』と受け留めた方が、残り少ない秋を有意義に過ごせるというもの。
歩いてきた道程を振り返りつつ、来年こそは常念岳に登りたいと期待に胸を膨らませながら、食欲の秋でお腹も膨らませる秋の夕べである。
ボージョレ・ヌーボーで乾杯!

写真出展
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Autumn_Karasawa.jpg?uselang=ja

播隆上人へ捧ぐアルペン踊り

2016-10-26 22:05:55 | 自然
「神宿るものたち まる&穂高」より

大正池の画像を望んでいたのだが、膨大な量の画像からそれを見つけ出す時間がなく、私が撮ったらしき画像を何枚か頂戴したのだが、そのなかに、天狗原からの槍ケ岳があったので、「槍ヶ岳開山」(新田次郎)の一節を思い出した。

「なぜ山に登るのか」と問われ、エベレスト登頂を目指したイギリス人登山家ジョージ・マロリーが「そこに山があるから」が答えたことは、つとに有名だが、これが日本人だったら何と答えるだろうかと考えた時、私の心にしっくりくる答えの一つが、「槍ヶ岳開山」の修行僧・播隆の言葉である。

『山を登ることは人間が一心不乱になれることです。一心不乱になって念仏が唱えられる場所が登山なのです。
 悟りに近づくことなのです。悟りとは何事にも心が動かされなくことです。死を恐れなくなることです。~略~
 一心不乱に登ることです』(『 』「槍ケ岳開山」より引用)

一心不乱になり悟りに近づくために登山するのか、山に登ることで一心不乱の境地にいたり悟りを得られるのかは分からないが、急坂に喘いでいると、私のような素人登山者でも、無我の境地というものを感じる瞬間がある。
そして、諸々に絡め取られた日常が、滂沱と流れる汗とともに、流れ去る爽快感がある。

初めて槍ケ岳に登り播隆窟を見た時には、この一節が浮かび厳かな気持ちになったものだが、播隆窟の写真も頂上からの写真も、今手元にはない。

  
左は、播隆窟のはるか手前を左折し、登ること小一時間の天狗原から見た槍ケ岳だ。
右写真の右下の天狗池は、真夏の一時だけ氷が溶け湖面に’’逆さ槍’’が映ることでで有名らしい。「らしい」というのは、当初ここへ来る予定ではなく予備知識がなかったうえに、この年はお盆の時期も凍っており、逆さ槍を見ることはできなかったせいで実感が伴っていない為だ。

山に登るには入念な準備が必要だが、天候などに応じて変更できる柔軟性も必要で、この時も、奥穂に登る予定で横尾まで来たところ、あまりの大雨で涸沢へ向かうことが規制されたため、急きょ「槍沢ロッジ」に泊まることにしたのだ。
翌日は、半日だけ晴天との予報だったため、同部屋の猛者さんのアドバイスに従い、天狗原まで足を延ばしたのだが、素晴らしい景色に、当初の目的が果たせなかったことなど忘れ、大感動。
槍に背を向け振り返ると、目に飛び込んでくるのは(おそらく)憧れの常念岳、足元に目を転じれば可憐な高山植物が心を和ませてくれ、大満足。

とは云え、やはりもう一度槍ヶ岳に登りたい。
穂高への道程を感じることができる槍が岳だからこそ、登りたい。
せっかくデジカメを手に入れたのだから、今度こそMyデジカメに峻厳屹立とした槍の穂先を収めたい。「カメラとご意見番」
そんな想いをふつふつと湧き立たせる、この写真。
 

もっとも、そんな真面目な気持ちだけでは、急坂のしんどさは乗り切れない。
時には涸沢ヒュッテのおでんを思い浮かべ、又ある時には涸沢小屋のソフトクリームを鼻先にぶら下げ、更にある時には穂高岳山荘の焼きたてチョコクロワッサンを目指して山に登っている。
雑念だらけで悟りにはほど遠いが、凡人の私であっては、それも致し方あるまい。
槍ケ岳を開山した直後の播隆上人ですら、こう仰っているのだから。

『山は登ってみなければ結局は分かりません。
 私もほんとうはまだ分かっていません』

神宿るものたち まる&穂高

2016-10-25 21:15:05 | 自然
「穂高の木ワンコの木 その弐」の末尾で、もしかすると続く、と書いたのは、もしかすると山pから大正池の画像を貰えるのではないかと思ったからだが、山pも私も現在忙しく、丁寧に探している時間がない。
だが、せっかく「欅の木」(井上靖)に大正池の記述があり、しかもそれが井上靖氏らしいと云えばそうだが、かなり稀有な表現であるので、記録しないのでは’’もったいない’’。よって、例によって例の如くウィキペディアのお助けを得て、記録しておく。

大正池を初めて見たケヤキ老人の感想。
『おや、おや、これは立ったまま死んでおりますな。大正時代に火山の爆発でできた池のことは聞いておりましたが、たくさんの木がその時から今日まで、このように死体のまま立っていようとは思っておりませんでした。なるほど、これは見事でございます。立派でございます。人間の遠く及ぶところではございません。
『やはり木というものは、何百年も生きるだけあって、立派なものでございますな。
 死んでも立派でございます。少しも醜くございません。生まれたところに堂々と立っている。
 人間はこのようにはまいりません。焼かれて、葬られて、消えてしまいます。情ないものでございます。
 -ああ、いいものを見せて頂きました。
 生きている木ばかり見ておりまして、死んだ木の立派さには思いをいたす余裕はございませなんだ。
 いや、まことに、どうも立派で』
写真出展 Wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamikochi_Taisho-ike04n3200.jpg (立ち枯れの木々)


上高地を訪問するものの山には登らなかった頃は、大正池の立ち枯れやそこで泳いでいるオシドリの写真を毎年飽かず撮ったものだが、山に登るようになると、往路は早朝5時にバスターミナルに到着すると、そそくさと着替えや朝食を済まし歩き始めるし、帰路は疲れて大正池まで足を延ばす余裕がないため、近年は御無沙汰している。
たしか数年前、大雨のせいで予定を変更した際に大正池に行ったはずだと思うのだが、その画像を丁寧に探している時間が無い。といいつつ、一緒に登った時に山pのカメラで私が撮った(らしき)写真は入手した。

この写真は去年、大雨にやられて’’涸沢小屋’’で1日半停滞していた時の写真。
長野県警山岳警備隊の方が、朝5時の朝食時に現れ、登るな~オーラ全開に「山は逃げない」という内容を懇々と説いておられた。権力に弱い(もとい)素人山登り派の私達はその指示に素直に従い’’食っちゃ寝’’、(もとい)眠くなれば眠り、お腹がすけば(すかなくとも)行動食を消費し、それでも潰せない時間は、小屋で知り合った人達とオセロや人生ゲームに興じて過した。
とても贅沢な時間だった。
ところで、ここ涸沢は井上靖氏の「氷壁」にも「穂高の月」にも登場する、山登りの聖地だ。
「穂高の月」には、井上氏が宿泊された山小屋について’’涸沢小屋’’と記されていて、右の写真が’’涸沢小屋’’のテラスだが、どうも内容からすると、井上靖氏が泊まられたのは、’’涸沢ヒュッテ’’のような気がしてならない。

他にも、井上靖氏が愛してやまなかった梓川の画像も山pから頂戴した(私が撮ったものらしいが)。
「越えるべき川 愛でるべき川」の繰り返しになるが、「穂高の月」(井上靖)から梓川の美しさが書かれた箇所を引用しておく。
『上高地附近では、梓川はその清澄な流れの色が見る者の眼をそばだてしめるが、併し梓川の真の美しさが現れ出すのはそれから上流である。梓川の川幅はどこまで行っても狭くならない。上高地附近よりももっと広い川幅を見せ、右岸或は左岸に美しい白い磧を抱いたまま、淙々たる川瀬の音を響かせたまま樹林帯を流れている。気品がある川である。』
『私は今度の穂高行で、上高地から横尾の出合まで、梓川に沿って歩いた何時間かの行程が、一番楽しかった。』
『(略)梓川は大河の表情を持ったまま北アルプスの山ひだへと分け入っている。
私は涸沢小屋の月と梓川に惹かれて穂高に登ったのであるが、梓川の流れは、このためだけにもう一度来てもいいと思ったくらい美しかった。穂高へ来てよかったと思った。』

これは、明神岳の向こうから差し込んでくる輝く朝日を待つ梓川なので、井上靖氏が特に好まれた徳沢から横尾までの梓川ではないが、早朝誰もいない時間の上高地は、まさに神降りる地だと思わせる静謐さと神秘さをたたえている。

神降地よ 穂高よ ワンコよ永遠に

先輩まるちゃんとワンコへ
今日、ワンコよりほぼ一歳年上で、天上界住人歴11日先輩の「まるちゃん」がお友達になってくださったよ。
ワンコは、わんこ見知りが激しかったけれど、まるちゃんは優しいから、きっとすぐ友達になれると思うよ。
まるちゃんは部屋んぽとピョンピョンで鍛えているから足腰とっても丈夫だと思うのだけど、ワンコのプリケツもなかなかのものだから、一緒に時々帰ってきておくれよ。だって、まるちゃんママも私も地上からこれだけ愛を送っているのだから。
それから、まるちゃんママさんの腰痛がすっかり完治されるように、まるちゃんもワンコも天上界からエールを送ってね。
まるちゃん&まるちゃんママさん これからもワンコともども宜しくお願いいたします。
 

参照
槍のてっぺんにも、穂高のてっぺんにも立っているにもかかわらず、ここに載せる画像を私が持ち合わせていない理由は、「カメラとご意見番」にある通り。

お山の楽しみ その参

2016-08-28 21:23:47 | 自然
「山のお楽しみ その弐」より

「山のお楽しみ」を書いている最中に、お山から元気をもらう旅に出かけてきた。
ワンコと一緒に奥穂の嶺宮をお参りできなかったことの償いの意味合いもあるが、7月末に帯状疱疹にかかった家人の痛みがぶり返したからだ。 「憧れ、常に念じる山」
痛みがぶり返しながら何故に旅か? 
一旦は医師も驚くほど回復が良く安心していたのだが、夏の疲れが出やすいこの時期、疲れとともに痛みがぶり返してきた。それが、ウィルスが多少残っていたせいなのか、このまま帯状疱疹後神経痛に移行してしまうか判断がつかないままに、痛みで眠れない夜が続いていた。帯状疱疹はかなり痛みが酷いのが特徴だろうが、家人の場合、断続的にくる痛みを恐れるあまり、痛みのない時まで憂鬱に過ごしているので、御大が「気分転換と温泉が必要だ」と判断を下した。
ならばこの機会に、皆でワンコ想う旅に出ようということになり、この土日はワンコ所縁の地をまわり感謝の気持ちを伝えるつもりが、逆に行く先々でワンコの奇蹟を感じ、守られていることに感謝の念を深めて帰ってきた。

今はその余韻に静かに浸っていたい ワンコ ありがとう


さて、お山の楽しみの筆頭に食事をあげ、その次に読書をあげる私が、「お山の楽しみ」として何を今更という感じがしないでもないが、ここは王道として「自然をまるごと愛おしみ楽しむ」ことの素晴らしさをあげておきたい。

山岳部でもワンゲル部でもなかった上高地好きの私が、少しだけ高い所へと岳沢に登ったのをきっかけに、もう少し遠くへもう少し高い所へと足を延ばし始めた頃、せっかく大自然のなかを歩きながらも何も見る余裕はなかった。
何の技術もない私達が安全に登るためには、早出早着を心がけることと、確かな技術をもつ親切そうな山屋さんの後をついて歩くことしか出来なかった・・・技術の確かさと人柄の良さを見極める''目''を持っている事には、自信がある私。
それは兎も角あの頃は、急坂にあえぎながら、ただひたすら足元だけを見て歩いていた。

あれから何年もたち、同じ山域ばかり歩いているおかげで、ほんの少しだけ余裕ができてきたためか、最近では足もとの可憐でけなげな草花に気付き、写真を撮ることができるようになってきた。
今回は蝶が岳のお花畑には行かなかったし、高山植物を楽しむには時期的に遅かったせいで、あまり出会うことはなかったが、その中の幾つかを記録しておこうと思う。

山を歩いていると、手のひらサイズの植物本で草花の名を確認している人をよく見かけるが、そのような余裕は私にはまだ無く、高度が上がると何故か黄色と紫の花が増えるという漠然とした印象があるくらいでしかない。
このピンクの花は、誰も気に留める人がいなかったので珍しい花ではないのかもしれないが、私の眼には可憐で健気に映ったのでパシャリ。
何でもかんでも「プレミアムおまかせ撮影」にセットしていると、このような写真が撮れるが、いつか周囲はぼかしながら被写体はくっきりと写る接写の技術も体得したいと思ってはいる。

これは!
イワギキョウやホタルブクロを見ていても声を掛けられることはないが、この鮮やかな紫に見入っていると、「それは例の事件の花だよ」と声を掛けられた。
保険金殺人事件に使用されたことで取り沙汰されることが多いが、狂言の演目でも有名で、口中医桂助事件帖シリーズ(和田はつ子)では猛毒ではあるが鎮痛・麻酔作用をもつ薬草として度々登場する植物だ。
「附子」
別名トリカブトは、その名が戒名となった事件があることで有名だ。

トリカブトと知ったうえで目をやると、鮮やかな紫が多少毒々しく見えてくるから不思議なものだが、植物には責任はない。ただ懸命にそこに生きているだけである。
そして、懸命に山で生きているのは植物だけではない。

初めての涸沢からの帰路、横尾から徳沢へと歩いている時に、梓川の中州にたつカモシカを見た。あれ以来15年カモシカにあうことはないが、年々増えているのが、猿だった。
「お猿橋」と名を変えた方が良いのではないかというくらい河童橋周辺を闊歩していた猿だが、餌付けされた猿が狂暴化するのを恐れた関係者の御尽力のおかげか、最近では観光地・上高地で猿を見かけることは格段に減ったので、これは貴重な一枚かもしれない。



では、この猿たちが何処へ行ったかというと、本来の生息地であるお山に戻ったのかもしれない。
そして、お山で悪さをする猿が出ているのかもしれない。
雷鳥を捕食する猿が確認されたのだ。
<恐れていたことが…サルがライチョウ食べる> 2015年8月31日 21:31日テレNEWS24より一部引用
ライチョウの保護を目的に調査を行っている研究者のグループ「信州ライチョウ研究会」が、長野県の北アルプスでニホンザルがライチョウを食べている姿を確認した。
25日、ニホンザルがライチョウのヒナを捕まえて頭から食べている瞬間の写真を、松本市と安曇野市にまたがる北アルプス東天井岳で、信州大学の中村浩志名誉教授が撮影した。中村名誉教授を会長とする研究者のグループ「信州ライチョウ研究会」が、長野県庁で緊急の会見を開き発表した。
もともと標高2500メートル以上の高山帯にはいなかったニホンザルが、ここ20年ほどの間に生息範囲を広げているという。ライチョウを食べている姿が研究者によって確認されたのは全国で初めて。
サルは群れで行動するため、ライチョウを食べる習慣が広がっている場合には、ライチョウの個体数の減少に深刻な影響を及ぼす可能性があるという。
今回の確認を受けて長野県では、今後、環境省などの関係者と協議を行い、対策を検討していくことにしている。
http://www.news24.jp/articles/2015/08/31/07308384.html

日本では「神の使い」とも云われる「雷鳥」を日本人は大切にしてきたので、雷鳥は人を見ても警戒感を示すことはなかったという。実際、数年前に蝶が岳で出会った「雷鳥」は私のほん隣まで近寄ってきて、ゆっくりと寛いでさえいたものだが、今回はそうはいかなかった。
人を嫌うという風ではないが、近寄ってくることは決してなく、ハイマツの中からこちら側を見ているという感じだった。
 


ニュース末尾にある対策の一環かもしれないが、蝶が岳ヒュッテには、「雷鳥を保護するために猿を追い払う活動」への理解を求める掲示がされていた。
人が猿を追い払ったせいで、猿が本来生活圏ではない高度まで行動範囲を広げてしまい、結果として雷鳥が捕食されてしまったのなら、人が山の生き物と共存する関係性から考え直さねばならないと思う。

朝四時から高速道路を飛ばしてお山のもとへ向かう旅は決して体に楽なものではなかったはずだが、ワンコとお山の空気に触れたせいか、旅の途中から家人の体調はかなり良く、それは帰宅後の今も続いている。
楽しみだけでなく癒しも与えてくれる山を、これからも守り続けていかねばならないと思う、「山の日」制定記念の年である。