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何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ずぶずぶの素人 その壱

2017-03-04 10:00:01 | 自然
この本を読んだ時、作者が山岳部出身か否かが激しく気になった。
「夏雷」(大蔵崇裕)
「夏雷」表紙とほぼ同じ位置から撮ったであろと思われる写真 by山p


本の帯より (『 』「夏雷」より引用)
『ずぶの素人を北アルプスの峻峰に登らせるー。
 奇妙な依頼を受けた男に仕組まれた危険な罠!山を捨てた男の誇りと再生を掛けた戦いの行方とは!?』
そして、一際大きな大文字で、こう書かれている。
『彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?』

主人公・倉持は、元は探偵だが現在は寝たきりの父の介護に手を貸しながら便利屋を営んでいる。
倉持は、20年前の大学生最後の夏 リーダーとして登った燕~常念岳の登山で起こした事故以来 山をやめていたのだが、そんな倉持の元に、奇妙な依頼が舞い込む。
梅雨前に受けた依頼は、「槍ケ岳登頂のための訓練と夏の槍登頂、しかし槍登山の目的は一切問わぬこと」という奇妙なものだった。

「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」という謎こそが、本書の推理小説としての肝なのだが、それとは別に個人的に気になって仕方なかったのは、ずぶの素人を槍ケ岳に登らせるために必要不可欠な訓練として本書に書かれていることは、本当に必要不可欠な訓練なのか?という事だ。

本の帯には「ずぶの素人」と書かれているが、本書のなかで、その素人である50代前半の依頼人(男性)の体力は、’’中の下レベル’’という表現がでてくる。
では、その’’中の下レベルの体力’’とは、『腕立て伏せをさせれば20回で音をあげる。50メートル走は10秒を切れない。20分走らせれば、最後の5分は歩くより遅くなる。肥満気味でないことだけが救いだが、アルプスの山、それも槍ケ岳に連れて行けるほどの体力はない』 ということだ。

この(本書が云うところの)ずぶの素人が、8月に槍ケ岳に登るために5月末から始める訓練とは何か?
・毎日のランニング(正確な距離は書かれていないが、ランニング後に一風呂浴びて着替えねばならないほどの距離のようだ)
・三度の実践登山(丹沢、奥多摩~3:30で高低差1000㍍を歩く、最後が宿泊を伴う鳳凰三山)
みっちりこれだけの訓練をしたうえで、やっと登ることができるのが、槍ケ岳だというのだ。

推理小説なので詳しくは書かないが、依頼主はただ槍ケ岳登山を楽しみたかったわけではなかった。
上高地から入山し、横尾、槍沢を登るという一般ルートで山頂に立ちたかったわけではなかった

「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」を知ったうえで読み返せば、確かに必要な(そこそこ重い)訓練に思えるが、依頼された便利屋さんは、その目的を知らずに兎も角 2か月で槍ケ岳の頂上に立つ訓練として、上記の訓練メニューを組んでいる。
そこで推理小説の推理よりも私が気になったのが、ずぶの素人が一般ルートで槍登頂するにも、上記のような訓練が必要なのかということだ。

依頼主より若いとはいえ、私も、20回以上腕立て伏せをする自信はないし、20分走り続けることが出来るか否か限りなく怪しい。50メートル走は中1の7・8秒が最速だが、あれからウン十年たった今は10秒をきることが出来るか否か分からない。
肥満気味ではないが、基礎代謝量の低下をひしひしと感じ、肥満気味を恐れる毎日を送っている。
つまり、作者の弁を借りれば、私も『槍ヶ岳に連れて行けるほどの体力はない』人間ということになる。

しかし、4年前の2013年、さほどの苦労なく槍ケ岳てっぺんに立ち、槍ヶ岳山荘からは、雲海の向こうに浮かぶ朝日と富士山を拝んでいるのである。
あれは、ビギナーズラック、あるいは単にずぶの素人の無謀な登山だったのだろうか。

そんなことを思い出す為、共に登った山PからSDカードを拝借しているのだが、そのあたりは又つづく

水温む 光の春

2017-02-05 19:51:55 | 自然
「魔を追い払う ワンコ」より

節分の柊鰯を調べていると、「土佐日記」(紀貫之)に行き着き、久しぶりに百人一首を思い出した。

一番最初に覚えたというだけでなく、目に浮かぶ光景が美しいため、今でも好きなのが紀友則のこの歌
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ

個人的に縁がありながらも、歌のもつ艶っぽさにはトント縁がない、河原左大臣のこの歌
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

思い返せば子供の頃の冬の遊びの定番は百人一首だったはずだが、語感や詠んでいて調子の良いものを好む傾向があり、作者や意味には関心をはらってはいなかった。
高校時代には、古典の授業で百人一首は丸暗記させられ意味も理解したはずだが、私の記憶にしっかり残っていたのは、まったく別のものだったことに昨日 気が付いた。

紀貫之
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
この歌は、久しぶりに長谷街道にある宿を訪れた際に紀貫之が詠んだものだが、その解釈が、私の記憶にあるものとは まるで違っていた。

なぜ中学校の社会科の先生が百人一首の講釈を垂れたのかは忘れてしまったが、その内容は今でもはっきり覚えている。
先生曰く、この歌は、左遷された男が浮世の冷たさを嘆いて詠ったもの
『土佐に左遷され失意のなかで紀貫之が書いたのが、「土佐日記」だ。
左遷先での任務を終え京に戻り、久しぶりに長谷寺に参詣するため、定宿にしていた長谷街道の宿へ赴くと、主人の態度が余所余所しく冷たい。
そこで詠われた一句こそが
人の心は なんとも分からない(冷たい)ものだが、昔なじみの宿の梅の花の香りだけは変わらず、優しい・・・だった』

学校1の博学で知られた社会科の先生の雑談は面白く、疑うことなく私の記憶に残り、初めて長谷寺を旅した時には、名物の「草餅」を頬張りながら長谷街道を歩く道すがら、由緒ありげな宿を見つけては、「これがあの薄情な宿の末裔か?」とかってに睨め付けたりしたものだった。

それが、この度 紀貫之を調べてみると、どうも意味が違うようだ。

古今集(巻1・春上・42)詞書に、「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に久しくやどらで、ほどへて後に至れりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはある、といひ出して侍りけりば、そこにたてりける梅の花を折りてよめる 貫之」とあるように、長の無沙汰を詰られているのは、むしろ貫之の方である。それどころか、貫之のこの歌に対して宿の主人は当意即妙に返歌さえしている。
花だにもおなじ心に咲くものを 植ゑけむ人の心しらなむ

そもそも、「人はいさ」が収められている古今集は905年から912年にかけて編纂されたものであり、これは貫之が土佐に左遷されていた935年よりも30年も前のことであるから、左遷後に感じた人の冷たさと変わらぬ梅の香りの優しさを詠ったものであるはずがない。

自分で調べることもなく長い間先生の雑談を信じ込み、長谷街道の鄙びた宿を睨め付けたことを反省し、牡丹で有名な長谷寺を、この春には参ってみようかと思っている。

ところで、紀貫之という歌人の歌には、幸福をもたらす力(歌徳説話)があったそうだ。
そんな豆知識を頭に入れながら、貫之の歌を味わっていると、立春の翌日である今日読むに相応しい歌を見つけた。

春たちける日よめる
袖ひちて むすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ

貫之の歌には、山を詠ったものも多いように感じるが、立春の当日に詠んだというこの歌にも実は山が読み込まれているようだ。

夏の日に袖をぬらして手ですくった山の清水は、冬の間は凍っていただろうが、春が始まる今日 暖かい風が氷を吹きとかしているだろう、というこの歌は、一つの歌に夏冬春が詠われる珍しくも素晴らしい歌だという。

これで思い出されるのが、今年の歌会始の儀の皇太子様の御歌だ。
岩かげにしたたり落つる山の水 大河となりて野を流れゆく

涸沢や槍沢を登っていると、梓川の最初の一滴に出会うことができる。
梓川は松本市内に入り犀川と名を変え、更に信濃川(千曲川)として海に注ぎ込むのだが、その途中には江戸時代に庄屋と百姓が力を合せて作った拾ヶ堰があり、水の研究をされる皇太子様も御訪問されている。
登山を趣味とされ水の専門家でもある皇太子さまが、一滴の雫が岩陰から滴り、波濤のような岩の急斜面を下り落ちながら少しずつ川幅を広げ、やがて大河となり周辺の野を潤していく様子を素直に詠まれたものにも思えるが、紀貫之の歌に「歌徳説話」があると知ったうえで皇太子様のこの歌を読み返すと、そう遠くない日に即位される皇太子様の堂々たる御姿が目に浮かんでくるから有難い。

皇太子御一家の光の春に国民が浴する日を有難く心待ちにしている。

魔を追い払う ワンコ

2017-02-04 11:41:55 | 自然
グーグルさんは、一年前の文章を届けてくれる。
日頃は、それをチェックすることは まず無いのだが、昨日は節分だったせいか、それが気になり読んでみた。

不苦者有知 ワンコ
節を分ける、つまり季節を分けることをもって「節分」と云うそうだが、季節が変わり前に進んでいくことが、哀しい。悲しいけれど確実に変化は訪れるもので、ワンコがいた頃は(ワンコが)庭......

昨日は帰宅が遅く、私は豆まきが出来なかったけれど、庭先にバラバラと撒かれている豆を見ると、ワンコの不在を感じられ辛かったよ ワンコ
節分とは、節を分けるということで、本来は立春の前日の この日だけではないという
ワンコ あれから幾つの節をあちらとこちらで過してしまったろう?
そんなことを思いながら、恵方巻を頬張り、イワシを食べていると、口のなかがしょっぱくなってしまったよ ワンコ

ところで ワンコ 節分に恵方巻を食べるのは伝統行事でも何でもないらしいんだよ
職場で話していると、自分より年配の人と若い者との間で明確に差があったので検索してみると、
もとは大阪は船場の花街の行事だったのが、1970年代に商魂たくましい商売人によって、さも伝統行事かのように広められたものだったんだよ ワンコ
どうりで、私が子供の頃には既にあった風習なんだなと思いながら、
もう一つのイワシを柊に刺し玄関に飾る風習は?と調べてみると、これは土佐日記(紀貫之)に記されているほど古い、本物の伝統的風習のようだよ ワンコ
『小家の門の端出之縄(しめ縄)の鯔(ボラ 平安時代は鰯ではなくボラだった)の頭、柊らいかにぞ』

家族の中で一番きれいに食べられたイワシを、鬼門を守ってくれている柊から頂戴した一枝に刺し、玄関に飾ることはワンコも覚えていると思うけど、今年も私のイワシは選ばれなかったよ ワンコ
もともと魚を食べるのは あまり上手くないのに、腱鞘炎になってしまってからは本当にダメだよ ワンコ
驚いたことに、あのイワシは一般的には、節分の日と立春の日の二日で取り外すものなんだって ワンコ
我が家は年末に、柊鰯を取り外して、しめ飾りを飾るけれど、どうなんだろう?
魔よけを願って柊鰯を飾るのだから、いっそ立夏・立秋・立冬の前日にはいつも鰯を食べて、その度ごとに柊鰯を飾ってみようか ワンコ
更に驚いたことに、飾り終わった柊鰯は神社に持っていくか、半紙に包んで塩でお浄めした後処分するものなんだって 
うーん ワンコ
我が家は、庭をテキトウに掘って そのまま埋めていたな ワンコ
そのせいで、せっかく魔除けをしながら、魔除けをしきれていなかったのかな? 
いやいや、これまではワンコが魔を退散させてくれていたね ワンコ
今年からは、半紙に包んで塩でお浄めしてから埋めるよ ワンコ

ところでワンコ 「土佐日記」を読み返し、あらためて紀貫之にについて つらつら考えていて、とんでもない間違いに気が付いたよ
恥ずかしいけれど、それについては又つづく とするよ ワンコ

おぜんざいの日

2017-01-15 20:51:01 | 自然
1月15日というと、今どきの子供は「いちごの日」と言うらしいが、私にとっては「おぜんざいの日」だ。

毎年11日に鏡開きをし、15日の どんど焼きを済ませた後、鏡開きの鏡餅でおぜんざいを食べることにしているのだが、今年は例年どんど焼きに出かけてくれている御大が酷い腰痛に悩まされているため、子供の時以来となる どんど焼きに行ってきた。

どんど焼きといえば、「しろばんば」(井上靖)だ。
ほぼ全ての本を読んでいるというほど井上靖氏の本を好きだが、その出会いは教科書に載っている「しろばんば」だった。(『 』「しろばんば」より引用)
たしか「赤い実」という題で、「しろばんば」の一部を習った記憶がある。

『14日はどんどん焼きの日であった。どんどん焼きは昔から衣たちの受け持つ正月の仕事になっていたので、この朝は耕作と幸夫が下級生たちを指導した。子供たちは手分けして旧道に沿っている家々を廻り、そこのお飾りを集めた』~略~
『お飾りは、田圃の一隅に集められ、堆高く積み上げられた。幸夫がそれに火を点けた。火勢が強くなると、
「みんな書初めを投げ込め」幸夫は怒鳴った。子供たちは自分が正月二日に書いた書初めを、次々にその火の中に投げ込んだ。耕作も幸夫も投げ込んだ。そしてその仕事が終わると、くろもじの枝の先の先端につけた小さい団子をその火で焼いて食べる、このどんどん焼きの中で一番楽しい仕事へと移って行った。
この日は、男の子供も女の子供も一緒だった。一年のうちで、男女の児童たちが一緒になるのは、この一月一四日しかなかった。』

この何の変哲もない文章の何処にこれほど惹かれるのか自分でも分からないのだが、井上氏の文章に初めて触れて以来、井上氏の文章全てに共通する、文の流れや、主人公の一人称の語りながら(引いた視点をもつ)客観的な文体を、とても気に入っている。

それは兎も角、この場面には印象的な箇所がある。
あき子という耕作より一級年上の少女の書き初めの文字が、露わになった所だ。
『少年老い易く学成り難し
 一寸の光陰軽んずべからず』
男の子でも書くそうな強い感じの大きな字で、何枚か繋ぎ合わせた半紙に認められていたこの二行を読み、耕作は『いきなり立ち上がって、土蔵に帰り、二階へ上がって勉強をしたいような気持にさえなった。
耕作は、自分の書き初めを火の中へ突っ込んでいる少女を、尊敬の思いで眺めた。今まであき子に惹かれたことはあったが、併し、今の惹かれ方は全く違っていた。自分にこのような感動を与える文章を書き初めに書いた少女への讃歎であり、讃美であった。』

本書は、『その頃、と言っても大正四五年のことで』と始まるとおり、大正初期の物語ではあるが、意外なほど今に通じるものがある。
今日久しぶりに出かけた どんど焼きでは、しめ飾りを持ち寄った子供が楽しそうにしていたが、それは残念なことに、現在どこでも見かけられる風景ではないだろう。時代が変われば、変わるものがあるのは、已むをえない。
だが、時代が変わり取り囲む物や設定が変われども、人の営みには変わらないものがある。
複雑な環境で育つ「しろばんば」の主人公・耕作(耕ちゃ)が、大人の事情を慮り、徐々に気遣いを働かせることを学んでいく過程や、淡い初恋を抱くところなどは今に通じるものであり、それが懐かしい景色や行事とともに描かれている本書は時代をこえて読み継いでいくことができる作品だと、思っている。

ところで、ここにも複雑な環境のなか苦しみながら一歩ずつ成長されている少女がいる。
大人の醜い思惑と、それに乗じる心ない一部の好奇の視線に晒されながら、一歩ずつ直向に歩んでおられる少女がいる。
その少女が、書写の授業で書かれた書が発表された。
平成二八年 宮内庁職員組合文化祭美術展より敬宮様の書

女子には存在価値を認めない環境のなか苦しんでおられる少女、その環境のおかしさを糊塗するために攻撃され続ける少女。少女がありのままに認められる時代になるよう心から願っている。

おかわり!おぜんざい
どんど焼きから帰宅し、鏡開きの鏡餅の おぜんざいを食べたのだが、もう一杯面白い おぜんざいモドキを作ってみた。
あるブログで、「餡子の串団子を串からはずし、耐熱容器に入れ、水を適量加えて’’チン’’して作る汁粉(もどき)」が紹介されていたので、さっそく試してみたのだ。
’’チン’’のタイミングをうまく計らないと、団子が溶けてしまうが、寒い日に小腹がすいた時など、お手軽で良い方法だと気に入った。
お試しあれ。

追記
「しろばんば」では、’’どんどん焼き’’と書かれているが、転勤族で幾つかの土地に住んだ経験からすると、’’とんどさん’’や’’どんど焼き’’は聞いたことがあるが、実は’’どんどん焼き’’は聞いたことがない。

道程 それを人生と人は呼ぶ

2017-01-06 22:33:55 | 自然
今年は暗澹たる気分で年明けを迎え、何を書く元気もなかったのだが、仕事始めで日常ペースに戻り、寒の入りともなれば、いつまでもグダグダ愚痴ってもいられない。
愚痴ってもいられないのだが、このような心情になる原因を自分なりに考えてみると、一つに年齢があると思ったのは、正月休みにしていた写真の整理で、ある写真を見たからだ。
蝶が岳から続く憧れの常念岳への道

昨年は、憧れの常念岳に初挑戦のつもりが、家人の突然の病気のため急きょ取りやめとなり、常念岳は未だに憧れの山のままだ。  「憧れ、常に念じる山」
北穂、奥穂、槍ケ岳と、常念岳より標高の高い山に登りながら、常念岳~蝶が岳の縦走が出来ていないのは、車でのアクセスの問題もあるが、常念岳~蝶が岳を歩いた人の脅しが効いているせいもある。

曰く、登りつめては下山する山とは違い、縦走には違う趣があるのだという。
縦走を、てっぺん散歩などと云えば楽しそうだが、実際には登っては下り登っては下りの連続だ(そうだ)
せっかく稼いだ高度を、一気に下り、また登らなければならない尾根歩きは、体力的にキツイというよりは精神的に堪えるのだそうだが、私が憧れる常念岳~蝶が岳間の凸凹はかなりキツイらしく、西に広がる穂高連峰~槍ケ岳の大パノラマがなければ心が折れてしまうと脅されてきた、これが妙に効いていて、私は憧れながら常念岳にもその縦走にもチャレンジ出来ていなかった。
この写真を見ながら、そんな脅しを思い出していると、尾根歩きとは、そろそろ差し掛かる年齢に似ているように思えてきた。
若い頃のそれは、ただ真っ直ぐひたすら上を見上げて必死で進めば良いのかもしれない。
一つの目標を達成すれば、リセットしなおし新たな目標へと上を向いて歩く、それが若いということかもしれない。
だが、ある年齢になると、もう、一旦 総てを降ろして、あるいは総てから降りて、一から登りなおすということは難しい。
それまで歩いてきた延長線にしか、これからの道はないのかもしれない・・・・・。
とは云え、この晴れやかな空の元の稜線伝いの道を見ながら、愚痴っぽく湿っぽくなるのを年齢のせいばかりにしてはならない。
私が穂高に憧れ山を歩きたいと思った切っ掛けの一つとなった「氷壁」のなかで井上靖氏は「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」と書いているそうだ※注
そうであれば、今の私の愚痴っぽさは、新年早々怠けの虫に憑りつかれているせいかもしれない。

だらだらと登り下りを繰り返す道も、足元には可憐な花が咲いているかもしれないし、何より西に目を転じれば、槍ヶ岳から穂高連峰への雄大な大パノラマが広がっている。
 「目を転じる」と云えば、面白いけれど考えさせられるコマーシャルがあったな ワンコ
「空から桜吹雪のように万札が降っているのに、うつむいてトボトボ歩いている人は、その万札に気付かない」っていうアレだよワンコ
しかめっ面で考え込んでいる時、家族に不穏な空気が流れている時、ワンコがフッと違う空気を運んでくれることで、緊張が解け、違う視点まで得られることが多かったよ ワンコ
せっかくワンコが、一呼吸置き違う視点でものを見るという大切さを教えてくれたのに、愚痴っぽい自分に逆戻りしていてはいかんな ワンコ
去年の今頃・・・そう思うと、胸が締め付けられるほど辛いよ ワンコ
だけど、ワンコと過ごした日々から何も学ばず退行していたのでは ワンコだって悲しいな
そんな風に思わせてくれる本を今読んでいるよ ワンコ
ワンコの''目的''が達成できたと思える自分になるよう努力するから、それを確認するために会いに来ておくれよ ワンコ

注※「氷壁」に「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という言葉があるらしい。
いかにも主人公・魚津恭太の上司である常盤大作が言いそうな言葉だが、私としてはこの言葉は記憶にないし、読書備忘録にも記されてはいない。(本棚から「氷壁」を取り出し読めば分かることだが、それをする元気が、今はない)
だが、いつも訪問する山ブログさんに「山の本にある名言」として記されていたので、それを信用すると同時に、今の私に必要な言葉だと思い、引用させていただいた。

追記
題名の「道程 それを人生と人は呼ぶ」は、私の応援歌「道程(みちのり)」(作詞作曲 みなみらんぼう)から頂戴した。