この本を読んだ時、作者が山岳部出身か否かが激しく気になった。
「夏雷」(大蔵崇裕)

本の帯より (『 』「夏雷」より引用)
『ずぶの素人を北アルプスの峻峰に登らせるー。
奇妙な依頼を受けた男に仕組まれた危険な罠!山を捨てた男の誇りと再生を掛けた戦いの行方とは!?』
そして、一際大きな大文字で、こう書かれている。
『彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?』
主人公・倉持は、元は探偵だが現在は寝たきりの父の介護に手を貸しながら便利屋を営んでいる。
倉持は、20年前の大学生最後の夏 リーダーとして登った燕~常念岳の登山で起こした事故以来 山をやめていたのだが、そんな倉持の元に、奇妙な依頼が舞い込む。
梅雨前に受けた依頼は、「槍ケ岳登頂のための訓練と夏の槍登頂、しかし槍登山の目的は一切問わぬこと」という奇妙なものだった。
「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」という謎こそが、本書の推理小説としての肝なのだが、それとは別に個人的に気になって仕方なかったのは、ずぶの素人を槍ケ岳に登らせるために必要不可欠な訓練として本書に書かれていることは、本当に必要不可欠な訓練なのか?という事だ。
本の帯には「ずぶの素人」と書かれているが、本書のなかで、その素人である50代前半の依頼人(男性)の体力は、’’中の下レベル’’という表現がでてくる。
では、その’’中の下レベルの体力’’とは、『腕立て伏せをさせれば20回で音をあげる。50メートル走は10秒を切れない。20分走らせれば、最後の5分は歩くより遅くなる。肥満気味でないことだけが救いだが、アルプスの山、それも槍ケ岳に連れて行けるほどの体力はない』 ということだ。
この(本書が云うところの)ずぶの素人が、8月に槍ケ岳に登るために5月末から始める訓練とは何か?
・毎日のランニング(正確な距離は書かれていないが、ランニング後に一風呂浴びて着替えねばならないほどの距離のようだ)
・三度の実践登山(丹沢、奥多摩~3:30で高低差1000㍍を歩く、最後が宿泊を伴う鳳凰三山)
みっちりこれだけの訓練をしたうえで、やっと登ることができるのが、槍ケ岳だというのだ。
推理小説なので詳しくは書かないが、依頼主はただ槍ケ岳登山を楽しみたかったわけではなかった。
上高地から入山し、横尾、槍沢を登るという一般ルートで山頂に立ちたかったわけではなかった
「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」を知ったうえで読み返せば、確かに必要な(そこそこ重い)訓練に思えるが、依頼された便利屋さんは、その目的を知らずに兎も角 2か月で槍ケ岳の頂上に立つ訓練として、上記の訓練メニューを組んでいる。
そこで推理小説の推理よりも私が気になったのが、ずぶの素人が一般ルートで槍登頂するにも、上記のような訓練が必要なのかということだ。
依頼主より若いとはいえ、私も、20回以上腕立て伏せをする自信はないし、20分走り続けることが出来るか否か限りなく怪しい。50メートル走は中1の7・8秒が最速だが、あれからウン十年たった今は10秒をきることが出来るか否か分からない。
肥満気味ではないが、基礎代謝量の低下をひしひしと感じ、肥満気味を恐れる毎日を送っている。
つまり、作者の弁を借りれば、私も『槍ヶ岳に連れて行けるほどの体力はない』人間ということになる。
しかし、4年前の2013年、さほどの苦労なく槍ケ岳てっぺんに立ち、槍ヶ岳山荘からは、雲海の向こうに浮かぶ朝日と富士山を拝んでいるのである。
あれは、ビギナーズラック、あるいは単にずぶの素人の無謀な登山だったのだろうか。
そんなことを思い出す為、共に登った山PからSDカードを拝借しているのだが、そのあたりは又つづく
「夏雷」(大蔵崇裕)
「夏雷」表紙とほぼ同じ位置から撮ったであろと思われる写真 by山p

本の帯より (『 』「夏雷」より引用)
『ずぶの素人を北アルプスの峻峰に登らせるー。
奇妙な依頼を受けた男に仕組まれた危険な罠!山を捨てた男の誇りと再生を掛けた戦いの行方とは!?』
そして、一際大きな大文字で、こう書かれている。
『彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?』
主人公・倉持は、元は探偵だが現在は寝たきりの父の介護に手を貸しながら便利屋を営んでいる。
倉持は、20年前の大学生最後の夏 リーダーとして登った燕~常念岳の登山で起こした事故以来 山をやめていたのだが、そんな倉持の元に、奇妙な依頼が舞い込む。
梅雨前に受けた依頼は、「槍ケ岳登頂のための訓練と夏の槍登頂、しかし槍登山の目的は一切問わぬこと」という奇妙なものだった。
「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」という謎こそが、本書の推理小説としての肝なのだが、それとは別に個人的に気になって仕方なかったのは、ずぶの素人を槍ケ岳に登らせるために必要不可欠な訓練として本書に書かれていることは、本当に必要不可欠な訓練なのか?という事だ。
本の帯には「ずぶの素人」と書かれているが、本書のなかで、その素人である50代前半の依頼人(男性)の体力は、’’中の下レベル’’という表現がでてくる。
では、その’’中の下レベルの体力’’とは、『腕立て伏せをさせれば20回で音をあげる。50メートル走は10秒を切れない。20分走らせれば、最後の5分は歩くより遅くなる。肥満気味でないことだけが救いだが、アルプスの山、それも槍ケ岳に連れて行けるほどの体力はない』 ということだ。
この(本書が云うところの)ずぶの素人が、8月に槍ケ岳に登るために5月末から始める訓練とは何か?
・毎日のランニング(正確な距離は書かれていないが、ランニング後に一風呂浴びて着替えねばならないほどの距離のようだ)
・三度の実践登山(丹沢、奥多摩~3:30で高低差1000㍍を歩く、最後が宿泊を伴う鳳凰三山)
みっちりこれだけの訓練をしたうえで、やっと登ることができるのが、槍ケ岳だというのだ。
推理小説なので詳しくは書かないが、依頼主はただ槍ケ岳登山を楽しみたかったわけではなかった。
上高地から入山し、横尾、槍沢を登るという一般ルートで山頂に立ちたかったわけではなかった
「彼はなぜ槍ケ岳を目指したのか?」を知ったうえで読み返せば、確かに必要な(そこそこ重い)訓練に思えるが、依頼された便利屋さんは、その目的を知らずに兎も角 2か月で槍ケ岳の頂上に立つ訓練として、上記の訓練メニューを組んでいる。
そこで推理小説の推理よりも私が気になったのが、ずぶの素人が一般ルートで槍登頂するにも、上記のような訓練が必要なのかということだ。
依頼主より若いとはいえ、私も、20回以上腕立て伏せをする自信はないし、20分走り続けることが出来るか否か限りなく怪しい。50メートル走は中1の7・8秒が最速だが、あれからウン十年たった今は10秒をきることが出来るか否か分からない。
肥満気味ではないが、基礎代謝量の低下をひしひしと感じ、肥満気味を恐れる毎日を送っている。
つまり、作者の弁を借りれば、私も『槍ヶ岳に連れて行けるほどの体力はない』人間ということになる。
しかし、4年前の2013年、さほどの苦労なく槍ケ岳てっぺんに立ち、槍ヶ岳山荘からは、雲海の向こうに浮かぶ朝日と富士山を拝んでいるのである。
あれは、ビギナーズラック、あるいは単にずぶの素人の無謀な登山だったのだろうか。
そんなことを思い出す為、共に登った山PからSDカードを拝借しているのだが、そのあたりは又つづく