ともに いのちかがやく 世界へ
今年度からの浄土真宗本願寺派のスローガンとなりました。
私たちの住む世界は、人間の自己中心の欲望による争い・差別・虐待などが絶えることなく、いのちが損なわれ、傷つけられています。
それぞれのいのちが等しく、何にも変えられない尊厳性を持っています。
すべてのいのちが、仏に願われ輝いています。
獅子口瓦の裏面には、住職と後住(法嗣)がそれぞれに願文を入れました。 そこで問題となったのは、住職・後住(法嗣)を、南北〔左右)どちらに置くかという事です。
まず、今回の獅子口瓦を調整していただいた奈良県瓦センターの石井さんから、ご返事をいただきました。詳細について記載する事は出来ませんが 、陰陽説・十干十二支説に基ずき、種々の原則がありました。
また同じく、本山「いのちと念仏」相談センターよりも回答を頂きましたので、長くなりますが、次にその文を載せます。
【ご質問】住職・法嗣の署名をした獅子口瓦を、それぞれ本堂の左右どちらに配置すべきか。
【回 答】 1 ご質問にございましたA・B・C案は、それぞれ異なる基準に依ったものと見られますので、同列に比較することは困難であります。 また、あらゆる基準に通底する根本的な原理というものも、この問題に関しては、出すことが難しいのではないかと存じます。ですから、最終的にどのような基準を根拠とするかは当事者様の判断に委ねられることであって、どれが正しくてどれが誤りということにはならないのではないかと存じます。 そこで今回は、関連する資料をいくつか示すことで、回答に代えさせていただきまます。
まず、『教行信証』 「化身土文類」未には、法琳の『弁正論』を引用して、左右の優劣について論じられている箇所があります。
道教から第一の違いとして次のようにいう。
〈太上老君すなわち老子は、美しい仙女にその魂をあずけ、左の脇から生れた。釈迦牟尼は、摩耶夫人の胎内に宿って右の脇から生れた〉〔(中略)]
このことについて仏教からは次のようにさとす。〈老子は、世の常に逆らい、牧場の娘の左から生れた。釈尊は、法にしたがって、聖なる母摩耶夫人の右からお生れになった) (『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』、611頁)
また、『礼記』には、《官職を退き地位を失うことを左遷という》といい、『論語』には、《衣服を左前に着ることは礼儀に反する》といっている。も.し、左が右にまさるとすれば、道教のものが儀式で行通するとき、どうして左にまわらずに、逆に右にまわるのであるか。また国の詔書には、みな 《右の通り》とある。これらはみな、天地自然の法にしたがうものである〉 [(中略)] (同、611頁)
『弁正論』は、道教からの仏教批判に対して、仏教のすぐれていることを主張し、反論した書物です。その中で、老子が母の左脇から生まれたとされることと、釈尊が摩耶夫人の右脇から生まれたとされることを比較して、右が優位であるということが繰り返し述べられています。 親鸞聖人がこの 「左右の優劣」 ということの引用において具体的に何を示そうとされたのかは、現状では明確にされているとはいえません。しかしながら、あくまでも仏教がすぐれているという立場でこの文が引用されていることは、間違いないことでありましょう。
また、『宗報』2005年6月号の「本願寺御影堂平成大修復推進事務所だより」(67〕では、御影堂の留蓋瓦および境内諸建物の獅子口瓦について解説されております。ここに、次のような説明がございます。
御影堂の向拝南北両隅には、獅子付きの留蓋瓦が据えられています。北側が口を開けた「阿」の雌獅子、南側が口を閉じた「吽」の雄獅子です。 (18頁)
こうしたことも、参考の一つにしていただけるのではないかと存じます。 以上、誠に簡略ながら回答いたします。
浄土真宗では親鸞聖人が、「かなしきかなや 道俗の良時吉日えらばしめ 天神地祗をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)と悲しんでおられる通り、日の良い悪いや方角にこだわることはありませんが、堂内のお荘厳など、右側優位をとることが多いので本堂右側(北)の獅子口瓦を住職、左側が後住が、願文と年月・署名を致しました。
予め住職と後住が半紙に墨書きし、焼成前の適当な乾燥時に転写して、職人がヘラ書きしています。
住職が刻んだ願文は、宗門の基幹運動スローガンであった「念仏の声を 世界に 子や孫に」です。