受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

基壇石積み

2005年11月29日 | Weblog
基壇に旧本堂で使っていた石灰石をそのまま使い、元の位置に戻していきます。

最初は眺めて位置を探しているだけのように見えていましたが、徐々に作業が進みまっすぐに面が揃っていきます。

ジグソーパズルのようですが、紙と違い一度積むと入れ変えるのが大変です。

受法寺本堂設計のコンセプト①

2005年11月22日 | Weblog
寺報6号を発行することが出来ました。
上田堯世設計士さんより、「受法寺本堂設計のコンセプト①」の記事を頂きました。
 
―ピカッと・キチッと・ドシッとした建築づくり―
 この号から3回にわたって、建築の設計・監理をお願いした上田建築事務所の上田堯世氏の寄稿を掲載します。表題の「コンセプト」は「概念、全体を貫く観点、基本的な考え方」と解釈すればよいでしょう。文中、住職としては少し面はゆいところもありますが―。

この度受法寺本堂建立工事の設計・監理者として参加させていただきます栄誉に感謝いたします。
 思い返しますと、設計に関する打ち合わせだけでも約10年がかりの大プロジェクトです。仏具商の小堀さんからの建築と関連のある提案書は、平成2年7月27日付となっています。僕の古い手帳の確かな打ち合わせ記録でも8年10月18日となっています。第1回打ち合わせはまだまだ前だと思いますが…。9年4月1日には住職さんと共に、広島の明休寺さんの新築落成慶讃奉告法要の機会に見学させていただきました。爾来、住職さんや若院さんと精力的な打ち合わせを重ねてまいりました。お二人の研究熱心さに唯々敬服いたします。本物の、本堂改築への思い入れの強さに心を打たれました。14年1月20日には建築世話人会の発足を見、門徒の皆様の賛同を得、17年9月12日の起工式となりました。おめでとうございます。
 起工式での住職さんのお言葉は大変印象的でした。クラシック音楽のオーケストラの演奏にたとえられ〝設計者は作曲家など…〟と述べられました。この機会を与えられました私達一同は力を合わせ、皆様の心を打つことのできる交響楽に仕上げなければならないと、改めて身の引き締まる思いをいたしました。
 来年9月末日の完成までは、御本尊の阿弥陀如来さまには御不自由をおかけいたしますが、200年の大計に免じて御容赦下さいませ。
 ここで簡単に200年という寿命に触れました。皆様の御先祖を振り返って下さい。200年と言う年月は6~8代さかのぼることになります。並大抵の時間ではありません。特に自然環境の苛酷な土佐の海岸部は、建築の寿命に於いて不利な地です。今回より3回にわたり寺報の貴重な紙面をお借りし、僕の建築をつくるための基本的な考え方、この本堂設計の考え方、工事経過を述べさせていただきたいと思います。
 僕は住まいをつくる時も、少なくとも百年は永持ちする家を目差します。3世代が過ごすことが出来る住まいを。何故なら、家は不動産でなければならないと考えるからです。資産価値が変動するものでは不動産とは言えません。僕が現在住んでいる家は大正の始めに祖父により建てた住まいです。90年余り経ています。僕が少し増築をいたしましたが、我が家の耐久消費財への投資は父の代、僕の代とも、周りの人々に比べ圧倒的に少なくて済みます。低所得でも生き延びることができます。日本の経済情勢もいつまでも右肩上がりではありません。現代のように。いつの時代も健康で所得が伴うとも限りません。地球環境を考えても、寿命の長い建築づくりにより産業廃棄物を減らすことが求められています。
 さて、具体的にどのような手法で、寿命の長い建築が可能でしょう。
 僕は〝ピカッと・キチッと・ドシッとした建築づくり〟を提唱しています。
  ピカッとは文化として持ち合わさねばならない
    静けさを備える建築。
  キチッとは建築として持ち合わさねばならない
    確かさを備える建築。
  ドシッとはその他持ち合わさねばならない
    重たさを備える建築。
 確かな技術の裏付けを持ち、静けさを感じさせてくれ、重たさを持って地域に馴染む建築こそ、求める建築です。
 詳しくは、次号で説明させていただきます。(上田)

住職の「起工式に思う」は9月12日の記事に記載。

写真は、上田建築事務所。
9月まで使用していた旧事務所が都市計画により移転を迫られ、転居されました。
旧事務所も木造の素敵な建物でしたが、新事務所は30年ほど前に弁護士事務所として設計。前に比べて、かなり狭くなったようです。
レンガ風の外観ですが、内装は和紙でした。




高知遺産

2005年11月19日 | Weblog

『高知遺産』(ART NPO TACO編集・定価1890円)という高知の懐かしい風景を集めた写真集に、受法寺の納骨堂(本堂の南側)が、浦戸周辺の街並みと共に紹介されています。

浦戸の山を穿つ人道トンネル。たまに軽トラが走ってきてびっくりすることもある。トンネルを出てすぐのところに石張りのフォルムが印象的な受法寺の納骨堂(山本長水さんが設計)がある。

ちなみに庫裏も増築を重ねていますが、山本長水さんの設計になります。

今日の高知新聞に地元の出版社でありながら5000部を超えたと載っていました。

都市が開発され、次々と古くからの家が取り壊され新しく建てられていますが、日本中どこも同じような建物や風景になっています。

新しい本堂となっても、浦戸の街並みに溶け込み、高知ならではの親しみと懐かしさを感じる建物となることでしょう。


基壇石移動

2005年11月18日 | Weblog
2日間をかけて、保管していた基壇石を大型クレーンで元の場所に移動。

番号が消えていたり、自然石である為接する面が不揃いなので、作業が手こずっていましたが、ほぼ元の場所に移動することができました。

基壇番号

2005年11月17日 | Weblog

本日から、基壇の石積みです。

旧本堂には、基壇に石灰石を積んでいました。
ここ浦戸の古くからある民家では、基礎に石灰石を積んで趣のある街並みを形作っています。
石灰石は地元では産出されません。
ここから10KMほど離れた南国市稲生から運んだのでしょうか。

新本堂でも、石灰石の石積みを生かすことになります。
その為、解体の前に番号を石灰を水で解いて跡が残らないようにして書いて(写真)、再び元の場所に置く事になります。

 一度組み立てたジグソーパズルをバラバラにして、もう一度組み立てるようなものです。


寿製材所

2005年11月12日 | Weblog
帰りに窪川町の東にある寿製材所の寄ります。
国道から松葉川温泉への入っていく道へ入ってすぐです。
こちらに、原木貯木場・事務所・乾燥庫・加工場があります。

前に下見に来て、すばらしい木材を揃え品質管理をされていたので今回の工事では、推薦業者として優先していました。

夏ごろに行ったときには、原木貯木場には、直径1mもあるような木が何百本と蓄えられ、体育館のような乾燥庫に入るとひんやりとして、出番の時に備えられていました。
事務所の予定は、全国の寺院建築への出荷の予定が書き込まれていました。

木工事の「澤匠」さんも、寿製材所の木を使っているとのこと。

写真は、当方のではなく広島県尾道の寺院のもの。
こんな木を使える寺院建築があるものだと感心して、撮ってみました。

木材検査

2005年11月12日 | Weblog
須崎市から、車で30分ほど西へ走った窪川町の寿製材所にて、建築に使う木材の検査です。
貯木場・工場は2ヶ所に別れていて、ここを訪れるのは、2度目に。
まず、最初に行った町を過ぎたところにある貯木場には、受法寺で使う柱・梁がきれいに並べられていました。

輸入材は、国産材に比べて大材が多く、その多くが樹木の中心を持たない材で、節が少なく木目がきれいで割れにくい性質です。
それに対し、国産材は心持材で、樹芯を含んで製材したもので、腐りにくく強度がありますが、割れやすいのが特徴です。
そのまま使用すると、意図しないところで割れますので背割りをいれ、十分に乾燥させます。背割りを入れた方を、目に付かないところに使用するのです。

寿製材所で用意された木材は、主に四万十川流域の山々より刈りだされたヒノキ材です。
柱で70~90年、中には150年を経た物も。梁・桁で100年以上の材です。
どれも、年輪の密度が高く質の良さを感じさせます。
乾燥は柱で半年から1年。大きなものは、3,4年以上乾燥させています。
大きな材には、背割りを入れ両端に木工用接着材を塗り、ベニヤ板で覆って十分にいたわりながら乾燥させて、出荷の時を待ったものです。
木の等級には、木には付き物の節の有る無しによって無節・特選上小節・上小節・生節化粧用一等に別けられ価格が違ってきます。
節の入った等級でも節の密度には幅があり、使い方によっては無節のようにも見えるわけです。

受法寺に用意されたものは、木の部分で一番耐久性が高くなる赤みが多く持ち、ヒノキ特有のきめ細かい柔らかい人肌のようで思わず撫でたくなる表面でした。

どれも期待していた以上の木材ばかりでした。

補修

2005年11月12日 | Weblog
上田設計士さんと澤匠の近澤さんが保管していた木を一つ一つ使用できるか確認していきます。
表面上は腐食している材を、金槌で叩き音を聞き、ノミで削り、釘を刺して確認。
雨が当たった部分は、表面上は腐食している。
しかし、2,3cmすると硬い部分にいきあたる。
構造的には力を失っていないようだ。
ほとんどの木は、新調することなく埋木をするなどして補修しそのまま使用する事になります。

向拝の柱は、外から見ても割れがひどかったが、今回解体で下部に鉄のクサビで割れの進行を止める補修をしてあることが分かった。
解体時に天保13年(1842年・今から163年前)の墨書きを発見したが、補修跡があるのでその時は本堂新築ではなく改修であったと推測されます。

木造の寺院建築は、改修を重ね何百年も時を経ながら、次の世代に受け継がれていきます。

刻屋

2005年11月12日 | Weblog
本日は、上田設計士さん楠瀬現場監督さんと材料検査です。
まず、須崎市にある木工事「澤匠」の刻屋(大工の作業所)へ。

刻屋の床一面にはパネルが敷き詰められて、原寸大で木材の墨だしがされています。
弓なりなった破風や高欄が見てとれます。

保管されていた海老虹梁・蛙股・龍の木鼻・向拝柱などが綺麗に埃が落とされ洗浄されていました。

何百年と重なった埃がすっかり取り除かれると、見慣れた古びたものではなく、新たに彫刻されたような色艶になっていました。


写真は、土佐藩の藩主であった山内家の紋が刻まれた蛙股。




ソテツを移植

2005年11月05日 | Weblog
布基礎内に土・砂利を敷き整地。

基礎の周囲には、旧本堂の石を使用しますのでその下部に捨てコンを実施。
乾燥を待ちます。

それに併せて、ソテツが建物に近接していましたので山側に移植しました。
その際に地下より鉄製の道具を発見。腐食も無く長さが50㎝の棒で両側に輪が付いていますが、用途は不明です。
ソテツは蘇鉄とも書き、鉄を与えると良く育つといわれますが意図的に埋けたのでしょうか。