受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

宮殿須弥壇据付

2008年05月13日 | Weblog
台風の余波による雨の中、京都の仏壇屋「小堀」さんによって、宮殿・須弥壇を搬入し据付です。

宮殿は古いものの修復も考慮していましたが、大きく手直をすることになり新調するに比べて見劣りもするので、新しく製作することになりました。

京仏壇は、木地・漆工・金箔・仕立の工程を経て製作されていますが、それぞれを職人が忠実に伝統を守り、目の前にすると優れた技術力を感じることができます。

これまでは仮台の上に置かれいたご本尊でしたが、宮殿が据付られたことにより崇高な内陣となりました。

あわせて新調していた祖師・蓮師・七高僧・聖徳太子の四幅の御影を奉懸しました。

浦戸の歴史展

2008年05月08日 | Weblog
 受法寺のある高知市の浦戸地区に伝わる絵金の芝居屏風絵、歴史的な古物、昔の民具、珍しい写真等を展示する浦戸歴史展を開催します。
 受法寺からは、浦戸城鬼瓦・日曜学校・ご本尊入仏法要・先々代住職の葬儀など多くの写真・古物・生活道具を出品します。
 「浦戸の歴史展」は5月11日(日)~18日(日)9時~17時(11日(日)のみ13時開場)浦戸ふれあいセンターで。浦戸ふれあいセンター℡842-2405

受法寺の鬼瓦
 浦戸の受法寺には、高知市文化財に指定される2面の鬼瓦を保存しています。この鬼瓦は大棟の両端に用いたもので、2面1対です。
 額に日輪の入った陽の鬼瓦と、額に三日月を飾った陰の鬼瓦とからなり、日・月の下が鬼面になっている。陰と陽の鬼面は細かい表現に,その違いをみせています。
鬼瓦の銘は陰陽の鬼面とも、左右の側面に陰刻されている。陽の鬼瓦の右側面、そして陰の鬼瓦の左側面に、それぞれ同じ刻文で次のように記しています。
 
 文禄四年霜月吉日 舟冶吾左衛門
 
 また、陽の鬼瓦の左側面と陰の鬼瓦の右側面に,これも同じ1行の刻文があります。
 
 泉州大鳥郡深井郷嶋村
 
 この銘によって鬼瓦の製作年代と製作地を知ることができます。1595(文禄4)年に,今日の堺市深井で,この瓦が焼かれたことがわかります。なお、舟治吾左衛門は瓦工です。
 これらの瓦は、長宗我部元親が1591(天正19)年頃移転した浦戸城のものであったという説と、受法寺の『寺記』『長宗我部地検帳』より受法寺は永正年(1504~21)真宗道場として開かれ、『寺記』『南路志』によって文禄年間(1592-96)に受法寺に改称、その時点での寺の改築の瓦とみる考え方もありますが、真宗寺院では鬼瓦は用いないので、浦戸城の瓦ではないかと推測されます。



宮殿を調整中

2008年05月02日 | Weblog
本堂竣工後、ご本尊後光の新調・掛軸御影の新調を進めてきましたが、縁が整いましたのでご本尊の宮殿を、京仏具の「小堀」により次の工程で製作を進めています。

▼木地
 木材を製材、乾燥させ、のみ、かんななどの道具を使って細かな部材をつくります。
▼彫刻
 彫刻は伝統的な西本願寺様式により、大小様々なのみや小刀を使い図柄を彫っていきます。
▼漆塗
 ていねいに下地を塗り、さらに天然精製の漆を塗り重ね、研ぎをかけます。
▼蝋色(ろいろ)
 漆塗の表面を炭で平らに研ぎ、菜種油と鹿の角粉(つのこ)を使い蝋色面という、鏡のような仕上げにして磨きだします。
▼金箔押し
 漆を塗った部材の上に漆を接着剤にして金箔を貼ります。金箔の厚みは一万分の一~二ミリですが、金箔の良し悪しは、厚みや純度よりも、箔打紙の質によって決まります。
▼彩色(さいしき)
 彩色は、金箔と絵の具の融合が求められます。入念な色合わせの後、胡粉の下地に何度も塗り重ねる極彩色は、仕上がりの色が濃いのが特長です。
▼錺金具(かざりかなぐ)
 錺金具は本体との調和が大切になります。銅や真鍮の地金を木地にあわせて型をとり、たがねで模様を彫刻します。金具の周囲をやすりや刃物でととのえ、金鍍金や漆焼付で仕上げます。
▼総合組立
 それぞれの工程を経て仕上がった部品を、細分の点検を行いながら、錺金具を金鋲で打ち付け組み立てます。これで日本の伝統工芸技術を結集した京仏壇の完成です。
 十五日からの永代経法要に間に合うように、京都から搬入されます。     

その前に座るとき、阿弥陀さまの無量の光明に照らされて、燦然と輝くお浄土を目の当たりにする思いに満たされて、恭しく拝することができるでしょう。