受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

軒丸瓦当

2006年01月27日 | Weblog

軒丸瓦当の見本を取り寄せて決めました。

屋根の一番先端にある軒丸瓦の先についている円形の部分を瓦当(がとう)と言い、色々な紋を選ぶことができます。
受法寺などと、寺院名をいれるなど特注することもできます。

左から複弁蓮華文軒丸瓦・単弁蓮華文瓦・巴紋・下がり藤。
左2つは、製品ではなく型で、軒丸に瓦当をつけてから瓦を焼きます。

旧本堂は巴紋。本山御影堂の改修屋根工事でもこの紋を使用しています。
下がり藤は、浄土真宗本願寺派の紋として、よく使われています。

新本堂では、デザインとして品がよく、仏教と縁がある複弁蓮華文軒丸瓦(左)に決まりました。

瓦歴史資料館 http://www.ishino.jp/ で、瓦の変遷について学ぶことが出来ます。


古絵図浦戸

2006年01月21日 | Weblog
高知県立歴史民俗資料館の萩慎一郎氏の講座「近世土佐の浦々について」に行き、昔の浦戸に思いをはせました。

浦は藩政時代の独立した村とは異なる行政単位で、19世紀前半の浦戸では、人口1214人、水主(船員)漁師が52%、商人30%、廻船8で、漁だけでなく商業も盛んで高知沿岸の交易地として重要な湊であったようです。

常設展示では、浦戸の昔を、
「秀吉から軍役・材木役をこなすには、岡豊は不便であった。長曽我部元親は、大高坂城への移転を計画し、要港浦戸と城を整備した。浦戸城下には一向宗門徒や商人・水主などを集中的に住まわせていた。」と記載。

「長曽我部地検帳」(土地台帳)には、「受法寺開基 池慶乗 三十六代(2分)」の記載があり、他に真宗門徒が多かった堺商人の名も見えます。

「描かれた土佐の浦々」展での浦戸の古絵図(写真)には、太平洋と浦戸湾のはさまれた御領山山脈の山頂には木々が描かれ、土佐藩主の宿舎であった御殿や民家が見えます。


今後の予定

2006年01月11日 | Weblog
上田設計師さんが、現場でのこれまでの工事の確認をし、現場事務所でこれからの工事計画の打合せ。

今月下旬は、柱石・束石・狭間石据付。
3月より、木造建て方。
4月から、大屋根日本瓦葺き。
梅雨の時期までには、屋根葺きを終了させる予定です。

しばらくは現場では大きな動きはありませんので、このブログも、更新回数が減ってきます。

3月になれば、日々本堂が立ち上がる姿が現れるでしょう

シュロ

2006年01月08日 | Weblog
正月に左官の桃田幸男さんに会いました。

今回の左官工事では本堂の壁は、土佐漆喰で仕上げることになります。
その中の竹小舞(旬に採取した2年から3年)の竹と、左官材料としてシュロも使用をさがしているとの事。

シュロは、昔ホウキに使っていましたが、あまり見かけなくなりました。
壁に使うシュロの70パーセントぐらいは、確保してあるとの事ですが、追加して探しているようです。
竹を組む職人も少なくなったが、準備しているようです。

写真は、受法寺の山に自生しているシュロ。

明けましておめでとうございます

2006年01月01日 | Weblog
本堂竣工の年を迎え、仮御堂にて元旦会に参拝されたご門徒の方々とお正月を迎えました。

弱い人のいのちが損なわれる時代になっています。

世界中で戦争や紛争が続き、飢餓や災害によってもたくさんの人のいのちが失われています。

また、国内でも幼い子供が被害にあい、お年寄りや弱い人が安心して住めない世の中になっています。自ら命を絶つ人が三万人を超えています。

浄土真宗の本堂は、ただ立派さを競う建物のではなく「聞法の道場」です。
法を聞かせていただくとは、阿弥陀如来のお心を聞かせていただく。

このような世界ですが、少しでもそれれぞれのいのちが輝く世界にしていきたい。
また、私たちひとりひとりは、大きないのちの中に生かされていることに気づいていきたいと願っています。

一人でも多くの方に、新本堂にて仏法のご縁にあっていただきたいと願います。