昨夜、3年ぶりに大学のクラス会がありました(幹事が私だから、あったのではなくて実行しました、ですね)。70人近くいる大所帯のクラスで、参加は22名という残念な結果。でも、よく集まったと感心してくれました。そこで、ずっと持っていた古文書のテキストを持参し、大学で使ったのか聞いてみたら、大学の先生をしているS君が、近世の古文書演習のテキストだったと教えてくれました。その先生はもう10年以上前に亡くなったとのことでした。
月日は百代の過客にして・・・、ですね。ところでわたしはこの松尾芭蕉の奥の細道の書き出しを、勘違いして覚えていました。
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり、なのに、「行きかう人もまた旅人なり」と覚えていました。何とも当たり前な文章、意味ないですよね、それじゃあ。ああ、情けない!
下町生まれの下町育ち、家の近くに芭蕉記念館や吉良邸跡がありました。思えば、歴史にかかわりがあった土地だったんですね。今更回帰してますが、還暦も近いからそれもよしです。
漢文の授業の「余裕の横向き」の人のことは、皆あまり覚えていなかったようでした、残念!
幹事で右往左往して時間が過ぎ去り、あまり参加者とお話ができませんでした。それが心残りかな。すっかり日本酒を飲みすぎて、本当によく家にたどり着けたものだと感心しきりです。まるで、亡夫のように、お酒で失敗しそうですから、外で飲むのは気をつけましょう。ほどほどが一番ですね。
思い悩んで必死でしたが、過ぎてしまえば、苦しかったことは忘れてしまいました。もしかして、認知症??それでも、白髪染めしたりしなければならないのは面倒だし、ナチュラルな状態で外出できるのは、ほぼ限界なのかもしれません。一人限界集落、かな?