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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

再放送も見ちゃいました、松本幸四郎

2012年08月26日 16時54分25秒 | 芸術

 父の持っていた本に、昭和の名優というのがあって、その中ですでに、松本幸四郎のラ・マンチャの男のことが載っていたのでした。

 先日、遅番で帰宅してその番組を途中から見て、感激しました。今日、最初からその番組の再放送を見ることができました。

 涙、涙・・・。感動しました。うーん、彼は、本当にすごい役者。長女の名前が、ドン・キホーテから来ているのをはじめて知りました。

 松本幸四郎、以前は市川染五郎として愛されている俳優。高倉健さんのように、いるだけで存在感がある人です。私が一番好きなのが、三谷幸喜の「王様のレストラン」の彼。もう、はまり役でしたよー。でも、彼の一番の活躍の場は、歌舞伎でありミュージカル、芝居の世界。

 演劇のものすごさを再確認しました。それは、観客の想像力が補って感動を増幅するのです。演奏もそうです。テレビのドラマやCDでは、違うのですよ。

 あの空間にいること、あの空間を共有しているという気持ちが、芝居や演奏に感動するんだと思います。だからかな、私はCDを聴くだけではあまり、感じないんですよね。

 芝居、そういえば、夫も、昔、好きだったようです。私も大好きでした。歌舞伎ではなく、小劇団ブームのあの夢の遊眠社。

 最初は、ドラマ作りにかかわりたくて、学生時代、六本木の放送作家教室に通いました。その後、芝居に夢中になり、OL時代は、そう、夫と知り合ったころ、劇団青年座研究所の夜間に通ったんですね。もちろん、「女優」ではなく、「脚本家」目指して。

 夫の団地時代の段ボールから、彼が早稲田大学在学中のサークル、影絵芝居研究会の台本がごろごろ出てきました。それに、当時の彼女に送るつもりの手紙の下書き(おいおい!)。私にはついに、手紙を書いてくれなかったのに。遺言書もありませんでしたねー。

 今の人たちがゲームにはまるのって、理解できません。それと、3D。すべてがよく見えてしまうのって、逆につまらないと思います。ゲームなんて、人の想像力に乗るだけなんだから、私にとっては屈辱以外の何物でもない。

 私にとって一番大事なのは、空間です。想像することが大事だし、それこそが素晴らしい世界。本もそう。ただの平面ではないのです。その中には、ものすごい空間がある。それを、読者が感じるものなのです。

 たぶん、夫と出会ったのも、芝居好きだったのも、ただの偶然ではなかったのかも。

 今日は、夫が静かに息を引き取ってからちょうど2か月目。感動をありがとう。たくさん一緒に音楽聴いたり芝居見たりして、幸せでした。


藤牧義夫

2012年02月26日 09時43分49秒 | 芸術

 日曜美術館で彼の番組を見ています。

 私は昔の日曜美術館で、彼の隅田川絵巻をテーマにした番組を見た覚えがあります。調べたけれど、自分のブログしか出てこなかった。あのときの衝撃は今も忘れません。番組に流れていた切ない音楽も覚えているんです。

日曜美術館
隅田川絵巻 ある版画家の生と死 藤牧義夫

放送日1986年7月27日

 これは、NHKアーカイブで調べました。各地の放送局でこの番組を見ることができるそうです。久しぶりに渋谷の放送センターで見てこようかしら。

 よろしかったら、みなさんもぜひ!!
 ついでに、「小さな旅 父のまなざし風景に重ねて  1997年4月4月12日総合」(4月24日はハイビジョン放送です)も見てくださいね。あれから15年です。

 田中一村のように、私の中では忘れられない画家です。

 生きることと描くことを考えてしまいます。なぜ、失踪したのか。


クラシック、大打撃?

2009年12月03日 09時12分07秒 | 芸術

 事業仕分けでは、国の芸術支援が削減されてしまい、私たちクラシック音楽ファンにはなんとも悲しい現実が待っています。メセナとひところ言われていた、企業の芸術支援も、この不景気でほとんどなくなっているというのに、国がこういうことを打ち切るというのは、どういうものでしょうか。こっちだって、科学事業と同じくらいの価値があるはずなのに!

 だったら、皇室財政だって、事業仕分けしてくださいよ。タブーも聖域もないはずでしょ?!

 先日、新聞で、飛行機の機内持ち込みの規定がきびしくなりました。これって、演奏家にとってはとんでもないことなんです。私も去年とおととし、鹿児島と北海道に楽器を持ち込むとき、相当苦労しました。なんたって、ヴィオラはヴァイオリンよりデカい。チェロは、一人分余計に航空券を買わなくては持ち込めないのです。それが今度は、ヴァイオリンもヴィオラも、1万円のシートを自分の隣に買うことで機内持ち込みをしなくてはならなくなったのです。国の予算が削られて、さらには自分たちで余計に支払わなければならないというのは、音楽界にとって、とんでもない打撃になります。オーケストラは大変です!

 悲しいです。


若冲!若冲!!

2009年10月21日 23時09分29秒 | 芸術

  今日、夫と一緒に上野の国立博物館の平成館で、「皇室の名宝 日本美の華」展を見てきました。というのも、この展覧会ではあの伊藤若冲の動植綵絵のすべてを一堂に見られるからです。とても楽しみにしていました。今日は平日だし、と思ったら、なんとすごい人ごみでした。それになぜか、のどが今朝から痛くて体調もよくなくて。

 

 それでも目の前で、伊藤若冲の絵を見られるなんて幸運は滅多に訪れないのですから、じっと我慢の行列の中、若冲の絵に堪能しました。

 あまりの人ごみは顰蹙ですが、それでも多くの人に、若冲の絵を見てもらいたいものです。本当にすばらしいんですから!

 しかし、あれだけの展示数だから、見終わったら相当にくたくた。入ったのは午前11時ごろ、出てきたのは午後1時を過ぎていました。せっかくだからと、散歩がてら上野駅に戻ったのですが、この国立博物館の平成館のすぐそばには、日本とは思えない素敵な建物があるのです(こういうの、大好き)。正面広場に回って撮ってみました。表慶館という、いまはアジアギャラリーになっている建物です。コンドルの弟子の片山東熊が設計したネオバロック様式だそうです(素敵!)。

 さらに、明治村のような建物は、旧奏楽堂。かつてはヴァイオリンの先生の師匠の音楽グループでのコンサートがよくここで行なわれていたので、頻繁に行っていましたっけ(八王子に引っ越す前の話です)。

 駅のアイリッシュパブ「スタシェーン」でギネスを飲みました。まるでベルベットのようなきめの細かい泡は最高です。夫は外食はぜいたくだと盛んにいうのですが、滅多にないことだし、疲れたんだからとおねだりして、一緒に飲食しました。公園口に外から行かれる通路の近くにあるので、上野のコンサートの前にも、ギネスが飲めますよー!?初台オペラシティとHUBの組み合わせみたいなものですね。帰宅後は、やはり体調優れず、まさか、新型インフル?とちょっと不安に・・・。金曜日には面接があるしなー。というわけで、今夜は流星群は見ないで、もう寝ることにします。


駒ヶ根高原美術館

2009年04月14日 22時36分29秒 | 芸術

 昨日、駒ヶ根高原美術館から手紙が来ました。どきっとしました。もしかして、父の絵がどこかに移動するのか返却したいという申し出か、と不安になったのですが、中味は、来週から6月までの展示で使いたいから父の年譜は画集の文章以外で持っていないかということでした。

 数年前に松井館長さんの年賀状に企画展示があるようなことが書いてあったのですが、それ以後、まったく音沙汰なかったので、もうだめかと思っていたのです。

 10点ほど展示してくれるそうです。

 企画展「日本の春夏――駒美でお花見・初夏の風」

 期間:平成21年4月21日(火)~6月14日(日)<期間中無休>

 場所:駒ヶ根高原美術館 キャパシティーホール

 内容:小笠原賢雄の日本各地の自然豊かな風景を描いた手彩色型絵作品と、
   津野祐次の四季の風景や高山植物などの写真作品を同時に約20点展覧。

 GW中にこの企画点を見に、久しぶりに駒ヶ根に行ってこようと思います。叔父も姉も行って見たいと言っていました。

 お近くにお住まいの方は、ぜひ、駒ヶ根高原美術館で父の絵をご覧下さい!


ワイエス展

2008年12月16日 12時40分46秒 | 芸術

 昨日は夫と一緒に原宿に行き、久しぶりに「VINO E PASTA」でランチを食べてから渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」を見てきました。

 久しぶりの絵画鑑賞でした。先日、新日曜美術館でこの展覧会を取り上げていてとても興味を持ち、夫は金券ショップで入場券を買っていたのですが、もう1枚はついに手に入らず、私が窓口で買いました。これは23日までです。

 有名なクリスティーナの絵の背景がよくわかってよかったです。オルソン家の様子、その習作や完成した絵には、飼い猫も描かれていて、夫とこの猫はおそらくマッカレルタビー(さばトラ、雉猫柄)だろうと想像していました。荒涼とした風景やその視点には、どこかフリードリッヒに通じるものがあるように思えました。

 けっこう人がいましたが、鑑賞するに不便なほど混みあっているわけではなく、ちょうどいい感じ・・。昔、竹橋でゴッホ展を見ようと行列し、やっと入った挙句に長蛇の列で無茶苦茶腹が立って、すぐに出てきてしまったあのときとは違いました。

 猫も杓子も、フェルメール展だったでしょうね、今年は。だからそっちにはあえて行きませんでした。もっと前にちゃーんと見ていましたし、あの目玉だったウィーン美術史美術館の有名な絵はドタキャンされて来なかったんですもの!(私は見た、冬のウィーンで)。

 


藤牧義夫

2007年02月18日 12時28分32秒 | 芸術

 昨夜、東京12チャンネルの「美の巨人たち」を、酔っ払わないで!見ました。いつもは、けっこう飲んで見ているのでよく覚えていないことが多いのですが、昨夜の画家は、私が大好きな、謎の孤高の版画家、藤牧義夫だったからです。
 昔、日曜美術館で藤牧義夫を取り上げていました(国井アナウンサーの時のです)。そのときの感動が強く、番組に流れていた音楽もよく覚えているほど、強烈でした。あのときの作品は、彼が最後に描いたと思われる、隅田川絵巻。
 NHKアーカイブスで調べたら、1986年7月27日の放送でした。私が結婚して1年半くらいの頃でしょうか・・・。そのときから、私の頭の中に、藤牧義夫という画家が住みつきました。
 謎の失踪については、今も真相がわからないそうです。戦前の時代は、突然行方不明になってしまっても、それほど珍しくなかったのでしょうか・・・。それについては、こちらのブログにくわしく書いてありました。
 たった24歳で事故に遭ってその才能を生かせなかったとしたら、どんなに悔しかったでしょうか。たしかに、現存する彼の作品は、光るものがあります。もっともっと、彼の生涯を、そしてその作品を掘り起こしてもらいたいです。
 私が釘付けになったもう一つの理由、それは、私にとっても隅田川というのが身近な存在だったからです。下町、それは時代を隔てて、藤牧義夫と私との共通点でもあります。
 川口のNHKアーカイブスに行って、あの「日曜美術館」を、もう一度見てみようかしら。
 昨夜の「美の巨人たち」は、藤牧義夫の「赤陽」でした。


文化庁も謝罪すべき

2006年06月03日 09時27分49秒 | 芸術

 驚いたことに、洋画家和田義彦氏(全く知らない画家でした)が描いた絵が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏の作品と構図がそっくりということで、文化庁が調査しているとか。問題の作品は1点ではなくて、受賞した作品複数が、どうみても構図がそっくり。でも、和田氏本人は、構図は真似たけれど表現が違うとか・・・。信じられませんよ。絵というのは構図がすべてと言っていいくらいでしょう。それを人から借りて、受賞しても涼しい顔していたなんて、まず彼の人間性を疑います。そして、賞を与えた文化庁も、イタリア人画家に謝罪すべきではないでしょうか。イタリアに対して、とっても失礼です。
 あれだけ似ていると、パロディか模写としてしか考えられません。和田氏のオリジナリティーのなさは、歴然。画家として恥ずかしいと思わないほうが、ものすごく恥ずかしいです。
 数年前、縄文時代の遺跡を捏造したあの人のほうが、よっぽどオリジナリティーありますよね!?和田氏は、画家として失格です。日本人として、とても恥ずかしい。大好きなイタリアにとっても失礼ですよ。許せないです。


ポンペイの輝き

2006年05月16日 12時13分50秒 | 芸術

 昨日、新聞屋さんから招待券をお願いしてもらっていたので、夫と二人、渋谷の文化村ミュージアムで「ポンペイの輝き」展に行ってきました。月曜日だからすいているだろうと思ったら大間違い、けっこう混雑していました。
 でも、なかなか現地で見られないから、この展覧会は本物を間近で見ることができて、本当に面白かったです。どのサイトにもあまり紹介されていませんが、ごく普通に身につけたいただろう金の指輪(柘榴石やエメラルド、ルビーなどを使った)がとても素朴でチャーミングでした。さらに、ヘビの指輪や腕輪、木の葉のチェーンネックレスや素敵なイヤリングなど、興味津々でした。普段、宝飾品に全く興味持たない私がこうだから、かなり貴重な展示だと思います。A.D.(紀元)79年8月24日午後1時、大噴火があり、その後19時間かけて埋没してしまったのです。避難できた人たちも多かったはず。でも、こうして、その地で宝飾品と一緒に亡くなった人も多く、その人の最後の姿がこうして私たちの目の前にあるのでした。
 去年だったでしょうか、このポンペイ最後の日をドラマにした番組を見ました。逃げるといっても、今と違い、情報もはっきりせず、どうしたらいいか右往左往していたのではないでしょうか。実際、海に逃げようと、船倉庫に人が集まり、そこで多くの人が亡くなってそうです。有毒ガスで亡くなったのか、高熱によるヤケドで亡くなったのか、それにしても本当に悲惨です。
 ポンペイ遺跡には、そのまま町並みが復元され、その中にはいろんな商店があったそうです。今回の展示で居酒屋もありましたが、さすがに、娼婦の館は持ってこなかったようで・・・。
 外科医の持ち物には、今でも通用するような器具があったり、文化や技術の高さがうかがえます。ガラス器も何点かありました。
 関東にも大震災がそのうち来るだろうと、だれもが予感していますが、もしかして、東京も、ポンペイのように、震災後数百年も眠ってしまう、なんてことはまずありえないでしょうね。でも、いまだって、運命には逆らえないものかもしれません。幼児や犬の型を見ると、本当に悲しくなります。
 1世紀のイタリアの日常をうかがえる、またとない貴重な展覧会です。皮肉なことに、私たちはヴェスビオ火山の噴火により、生きた歴史を知ることができたのです。長く発掘に携わってきた研究者の努力に感謝。そして、散逸せずにきちんと保管展示してきたのも、すごいことなのでは。修復にかけてのイタリアの技術は、こうした発掘調査の歴史にもうかがえるのですね。大好きなイタリアに、またぞっこんの一日でした。この展覧会は6月25日までです、お早めに。
 昼過ぎに見終わって、せっかくだからと夫と原宿のビノエパスタでランチを食べました(それにワインやビールも!)。相変わらず、おいしい料理に舌鼓!