goo blog サービス終了のお知らせ 

ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

碧南市藤井達吉現代美術館

2016年03月18日 13時10分54秒 | 芸術

 先日、夫が持っていた原裕治氏の作品3点を、タイトルの碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈しました。その美術館から、案内とチラシが郵送で来ました。近くなら、寄贈作品を見に行きたいのですが、ハッチがいるし、なかなかそうもいきません。もし、このブログをご覧の方で愛知県在住の方がいらしたら、ぜひ、来月から5月15日までの展示を見に行っていただけませんでしょうか?

 そして、足を延ばして、一宮市福森の、私の叔母の寺である「禮讃寺」に行っていただけましたら、私の父の絵が本堂にたくさん飾ってありますので、ぜひ!

 いつか必ず、私も夫が大好きだった原裕治さんの作品を見に行きたいと思います。

 


オンシアター自由劇場「上海バンスキング」

2015年08月16日 16時50分59秒 | 芸術

 OL時代に青年座の夜間研究所に通っていたころの友人から、あのころが書いてあって懐かしいからと本が届きました。吉田日出子著「私の記憶が消えないうちに デコ 最後の上海バンスキング」です。読み終わったら、読みたい人に回してとありました。ようやく、図書館から借りた本も読み終わり、いよいよと、ついでにネットで探して「上海バンスキング」のCDも手に入れました。

 もちろん、昔、この芝居を生で見ましたし、たしか、タモリもこの芝居のLPを絶賛していて(彼、ジャズが大好きでしたから)、買った覚えがあったのです。もうそのLPもどこかに行ってしまったし(夫の物と一緒に処分したのかも)、あってもLPは聴けないので、CDを買って聴いてみました。

 実は私は、高校時代まではせっせと日記をノートに書いていましたが、大学時代からは手帳にスケジュールやいろいろメモや文章も書きつけて、57歳の今まで、ずっと取ってあるのです。さすがに今は、あまり手帳に書き込まなくなりました。老眼のせいもあるのでしょうね。昔は几帳面だった。BFや友人との待ち合わせのことなど、ぎっしりでした。この前は、両親の死亡した日時まで、その手帳で再確認しました。そこで、昔と言っても、いつこの芝居を見たのか調べたら、1981年5月29日の博品館劇場で観ていました。この年、大学を卒業し、新入社員として目黒と五反田の中間にある会社で働いていました。夏には退職したのですが(つまらなくて・・)。

 この年の7月11日、新宿もりえーるで、夢の遊眠社の「走れメルス」を姉と二人で見ました。

 タモリの「笑っていいとも」は、翌1982年10月に放送がはじまりました。

 30年、あっという間でしたよ~。

 


ベートーヴェン5番

2015年05月21日 19時24分52秒 | 芸術

 あの、ジャジャジャジャーンというフレーズの前に、8分休符があるんです。だから、ンパパパパーンとなるんですね。

 夕張メロンオーケストラのときにベーレンライター社のスコアを買ったので、それを久しぶりに見ました。

 そして今日、2種類のCDで運命を聴きました。一つは、ロジャー・ノーリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ、もうひとつは、なんと夫が買って全く聴いていなかったものでジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ演奏です。両方とも、古楽演奏。

 どっちもよかったですよ~。クラシックを聴いたついでに、自分でも練習してみたくなり、退職して初めてかな、ヴァイオリンを弾きました。

 音楽は、気持ちがいいです。思ったような演奏はできませんが。すぐにへろへろになってしまいますから。

 映画の中で、主役演じる松坂桃李さんが酔っ払ってヴァイオリンを持って川の近くをふらふらしているのを、気が気じゃなくはらはらと見ていました。ただでさえ、夜の川なんて湿気のあるところに持ち込むなよ~、と楽器が心配で。ストラディヴァリを川に落とすな!(当然、違うけれど)と本当に危ないシーンでした。

 西田敏行さん演じる指揮者の指導、合奏団にいたころを思い出しました。いやー、本当、彼、上手ですね。五線譜は、世界共通言語のようなもの。言葉が通じなくても、音は出せる。音楽で平和が実現できるといいのに。同じ空間で一緒に音を出すこと、その空間で一緒に聴くこと、それが幸せなんです。

 夫と一緒に、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮の来日全曲演奏会(ベートーヴェンの交響曲)を聞いた覚えがあるんです。CDも持っていましたが、残念、私は夫の死後、それを手放してしまいました。コンサートのプログラムもみな、手放しました。チケットだけは大事なものを取っておいたので、探してみたら、1992年9月、確かにサントリーホールで聴いていました。23年も前なんだ・・・。ガーディナーのモンテヴェルディ合唱団でベートーヴェンの「第九」を聴くことができたのは、最高の幸せでした。

 夫と結婚しなかったら、これほどクラシックを聴くことはなかったと思います。そういえば、大人になってヴァイオリンを再開したその日、夫と知り合ったんじゃなかったかな(同じ職場だったので、顔見知りではあったけれど)。

 「運命」、あの出だしが有名ですが、ほかの楽章も素晴らしいです。全部聴くと、元気がでます。おすすめです。


今日はクリストフォリの誕生日

2015年05月04日 13時40分35秒 | 芸術

 おとといの5月2日は、忌野清志郎の命日でした。夜のSONGSでは、彼の特集をしていました。昨夜は、BSプレミアムで彼のドラマが(といっても、彼自身ではなく、同じ日野高校の生徒の話)あり、しっかり見ました。

 グーグルで検索しようとしたら動画があり、クリックして今日がピアノを作ったクリストフォリの誕生日だと知りました。ピアノ、つまりはハンマークラビーアを作った人ですね。

 同じような鍵盤楽器のチェンバロ(ハープシコード)とは音が鳴る原理が全然違うのです。チェンバロは今では、古楽演奏のときしかあまり使われません。

 私は実は、ピアノがそれほど好きではありません。弦楽器と音色が合わないんですもの。合わせるならチェンバロの方がずっと相性がいいですよ。それに、どうしてもショパンが好きになれない。以前、ピアノのリサイタルに行ったとき、ショパンの曲を聴いて、「あ、太田胃散!」と、どうにもまともに鑑賞できませんでした。まるでパロディに聴こえてしまいました。

 ヴァイオリンは、ストラディヴァリとか、いまだに大昔の楽器が名器として残っていますが、ピアノって、無理でしょう。楽器それ自体、そんなに長生きしません。消耗品なんですよね。だから、なんだですけれど。

 そうそう、五十肩もすっかりよくなったので、ちょっと楽器の練習もしてみましょう。リハビリしなくちゃ。余生を考えると、このすぐに壊れてしまう体をどうこの先使っていこうか、真剣に悩みます。昨日は、カルトナージュで2ミリ厚のボール紙をカッターで切りましたが、これがかなり大変だとわかりました。

 カルトナージュを優先するか、楽器も続けるか。もう若いころと違うので、本当に悩みます。

 本能に従え!とは思います。

 


ギャラリーれがろの10周年記念コンサート

2015年04月19日 20時48分39秒 | 芸術

 父の教え子の方のギャラリーに、私はとてもお世話になっていました。父の個展をさせていただきました。その荻窪のギャラリーれがろが、今年で10周年。その記念コンサートが、杉並公会堂で来月17日に開催されます。

 お知らせをいただいた時には、すでに私は別の用事を作ってしまいました、とほほ。有楽町の朝日ホールでのハッピーエンディング講習会です、倉本聰さんが講師で出るので。

 本当に、申し訳ありません。私の代わりに、とても素敵な「杉並公会堂」(荻窪です)のこのコンサートにぜひ、聴きに行っていただけないでしょうか?よろしくお願いします。詳細は、こちらです。


片岡球子展

2015年04月18日 13時27分24秒 | 芸術

 新聞販売店のプレゼントにあたった招待券で、行ってきました。久しぶりの都心、地下鉄を乗り継いで・・。通勤ラッシュを避けると、都心でもそれほど混んでいなくて快適でした。

 思うのですが、シルバーシートには若い者もおばさんおじさんお年寄りも皆座って、スマホや携帯はいじるのが当たり前になっています。だったら、あの「携帯禁止」の表示も意味ないし、やめたらどうでしょうか。

 昨日は、サラリーマン風の若者が電車のドアに膝を立てて片足の裏をつけてストレッチでもしているのでしょうか。でも、ドアは土足をつけるところではありません。混んできたら、誰かがドアにくっつくかもしれない、そんなところに土足です。観察力がないのでしょうか、周りのことを考えない、自分勝手な人ばかり。だから電車に乗ってどこかに行くのがつらいんです。

 国立近代美術館は、アルファベットで略称があるんですよね、でもよくわからなくて。

 それほど混んではいませんでしたが、見ごたえは十分ありました。ゲテモノを続けろと小林古径に言われ、100歳を超えても描き続けた彼女は、あこがれの存在です。ゆっくり見た後、外に出てアンケートに答えて、そこに常設展もこれから見るという項目に〇をしてしまった手前、のこのこと見に行きました。収蔵展示も、工夫していろんな角度から、興味を持ってもらおうという努力が、涙ぐましいと思いました。4月に入って、新人もいるんでしょう、何せ、国立ですよ、それに、私がなれなかった学芸員です、がんばれー!

 もう下に降りようと思っていたら、「眺めのいい部屋」にも是非と案内されて、入った部屋の眺めに、本当にびっくりしました。それはそれは、もう、スカイツリーでも東京タワーでもなく、最高の眺めなんですよ。こんな場所があるなんて、もう、幸せをひしひしと感じました。ここは、東京の観光スポットのイチオシ間違いなしです。

 携帯から撮ったので、よくわからないでしょう。

 皇居の周りのお堀がよく見えて、ああ、ここは江戸城だったんだと感激。

 一人静かに、この絶景をぼんやり見ていました。

  その後、また収蔵作品を見て、あの、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」にも巡り合いました。

 戦争の悲惨さ、たまりません。片岡球子の絵にも、これから出陣するんだろう特攻隊の恰好をした男性の絵がありました。

 先日、天皇皇后両陛下がパラオに行かれました。美智子様だって体調がよかったわけじゃないけれど、どうしても生きている間にお二人で行きたいという希望が強くあったんだと思います。この国で、一番平和を体現しているのが、彼らなのではないでしょうか。本当に、頭が下がります。

 二度と、「天皇陛下万歳」と若者が死んでいく戦争を起こしてはならないのです。日本人の無責任体質は、また同じようなことを繰り返してしまいそうで、怖い。この日本国ったって、安倍さんが思っているのはたかだか明治以降の国でしょう、冗談じゃないですよ、明治の男尊女卑なんて、全く許せないものでしたから。

 太古の時代から、ずっとずっと守り続けてきたものがあります。たかだか人間一人の一生なんて100年にも満たない(片岡球子さんは100歳超えてましたけど)。人の命より重いものはないと、以前書きましたが、その命を賭けて守ってきたものがあるのです。神社だったりお寺だったり、国宝の建造物などはそういうものです。それを、最近、油をかけたり傷つけたりしている事件が頻発していますが、絶対に許せません。テロです、それは。

 もちろん正当に罰を受けるべきですが、もっともっと大きな深い罰を、当然受けるものだと思いますよ(と、陰陽師ではないけれど、私も呪いをかけました)。

 歴史とは、長い長い時をかけて受け継いできたものの総体なんだと思います。事件が起きなくても、当たり前のことがずっと続いてきたのです。うまく表現できないけれど、そういうものを勉強したくて、私は史学科を選んだのではないかと、卒業して30年以上たち、ようやく思い当りました。

 歴史の大事なものが、この今の一瞬で壊されるって、悲しいことです。原発事故もそう。あの土地で平和に生きてきた人たちを、あの事故が追い出してしまいました。許せないです。

 戦争のあと、沖縄にばかり米軍基地が作られ、住んでいた人たちは土地を奪われたのです。いまだに返してもらっていないんですよ。日本はアメリカの属国みたいに、歴代総理はアメリカのことしか考えていないみたい。独立国っていえるんですか?

 明日から英語が公用語だと言われたら、私はもう無理。それは、日本が韓国併合したとき、同じことをしたんです。

 一人一人が平和に暮らせる国であってほしい。

 と、話を戻して、美術鑑賞のあと、小川町まで行き、キハラのショップでクロス紙5種類を購入、そして新宿に戻ってオカダヤで、いろいろ買い物しました。その前に、疲れ果てて新宿西口のサンマルクカフェでカプチーノを飲みました。あとからおじいさんが灰皿持って隣に座るのでぎょっとして、喫煙ルームを指さしてそっちに行ってもらいました。

 分煙が進んで、当たり前になりましたが、昔は、たばこの煙を隣で吸う羽目になることはよくあったんですよね。夫は禁煙してから肺がんになりました。私も彼の分が体に残っていたら、いつかそうなるかもしれません。愛川欣也さん、肺がんで亡くなったそうですが、夫と同じ小細胞がんだったのでしょうか、気になります。

 最近、ユーミンのCDを聴きながらカルトナージュしています。「リフレインが叫んでる」を聴くと、涙が出ます。

 どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう、二度と会えなくなるなら・・

 

 


藤牧義夫

2014年01月14日 23時23分57秒 | 芸術

 若くして消えてしまった気鋭の版画家、藤牧義夫。

 結婚して多摩市の公団に住んでいたころ、夫と見た日曜美術館で、その画家を知りました。おととしくらいかな、またその日曜美術館で取り上げていました。隅田川絵巻を残して忽然と消えてしまったのです。

 昔の日曜美術館で見た印象が強く、その放送で流れていた音楽も、よく覚えています。いつだったか、昨日、NHKアーカイブスで調べました。

 1986年7月27日 日曜美術館「隅田川絵巻 ある版画家の生と死 藤牧義夫」

 そして、先日、アマゾンで購入した駒村吉重著「君は隅田川に消えたのか・・・・・藤牧義夫と版画の虚実」(帯には「ミステリーは、雨の夜にはじまった 美術評論家・洲之内徹が絶賛した藤牧義夫 その消息はいまも不明で、作品にはさらに大きな謎が残る 藤牧生誕百年、絵巻と版画に秘められた怪事を追う」講談社)とあります。

 今日、病院の待合室でも読んでいました。とても面白いです。

 ゴッホもそうだったけれど、画家は、命を削って描いているんですね。父はプロではなかったけれど、最後まで絵を描いて、幸せな人生だったと思います。もっともっと描きたかったはずです。

 私は何をしたいのでしょう。したいことができない、悲しい。


川瀬巴水

2013年12月15日 11時13分43秒 | 芸術

 今日、日曜美術館で、川瀬巴水の版画を見ました。前から気になっていた版画家です。といっても、私が生まれた昭和32年に亡くなっている画家です。彼の作品は、とても懐かしい風景が多く、なんでもあの、ジョブスも買い求めたとか。彼の原風景は、日本の風景だったのかしら?

 もしかしたら、父は川瀬巴水の絵にあこがれていたのではないかしら。同じように、日本中を旅して風景を描いてきました。

 川瀬巴水の版画は、銀座の渡邊木版美術画舗に多く扱われています。そして、父が自分の絵を持ち込み、委託販売をしてもらっているのは、あの川瀬巴水と同じ店に自分の作品が並んでいるということで、よほどうれしかったのではないでしょうか。

 先日も、カレンダーを持って行ったとき、店先に猫の版画を並べていた中に父の「坐せる猫」(愛猫ねねの肖像画)があった時は、私もうれしかったです。

 番組では大林監督が、川瀬巴水は映画監督のようだと言っていました。彼の作品には、川瀬自身と思われる人物が入っているのです。思わず、ヒッチコックを連想してしまいました。

 東京オリンピックが2020年に開催されることで、また懐かしい風景が増えてしまうのかもしれません。街並みが変るということがいいのか悪いのか・・・。あらゆるものがノスタルジーになっていく社会って、いいのかどうか。

 中国が月面着陸で有人月面探検をしているそうです。大国の威厳をかけた大計画。おそらく、月は中国の植民地になってしまうのでしょうね。人類はどんどん傲慢になっていく。一つの惑星だけでは済まない状況、これでいいのか?!

 手塚治虫の鉄腕アトムの話に、「イワンの馬鹿」というのがありました。元の話はロシアのですが、子供心にその話が強烈に残っているのです。私は勧められても月には行かない。

 


サザン

2013年08月23日 23時21分29秒 | 芸術

 そう、もう芸術の域でしょう。

 サザンと言えば、同世代。大学はお隣でした。青学の講堂で、サザンのライブがあるというのを聞いていて、行ってみようと思っていたのに・・・。でも、私たち同世代、お隣の大学生は、サザンの音楽を聴いていましたよ。クラスメイトの車でドライブの時は、サザンの「女呼んでブギ」で大盛り上がりでしたし!

 新聞の天野祐吉さんのコラムで、今月7日のサザンの全面広告のことが載っていて、慌てて新聞をあさりました。

 さすが、すごいです。

 彼のメッセージで、社会が変ってくれることを希望します。特に、「ピースとハイライト」。

 お隣の国と、もっと歩み寄ろうじゃないですか。私たちの親や祖父母の時代に、お隣りに日本がしたことをもっと理解しましょう。その上で、これからのことを考えましょう。

 理解することが、相手の気持ちをきちんと受け止めることが大切だと思います。

 誰も、好んで喧嘩しようなんて思いません。一緒に歴史のことを勉強しましょう。私たちは、本当のことを知らなさすぎます。自分の力で考えることが大事なのですから、時間をかけてお互いのことを理解しましょう。

 国家と国民は、微妙に違うのです。どうか、お互いに歩み寄ることができますように!


企画展のパンフ

2013年03月05日 10時24分59秒 | 芸術

 昨日は、風邪をひいて午前中に近所の町医者に診てもらいました。午後はリハビリ、マスクをしたままがんばりました。

 うれしいことに、郵便受けには、駒ケ根高原美術館から父の絵の企画展のパンフが届いていました。

     

 表と裏です。よくできていますよー。ただ、積雪のため、開始が一週間遅れて、3月8日からになったとのこと。積雪地帯は、大変です。私はきっと、何度も骨折してしまうでしょうね・・・。