中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

つくるではなくて

2005年12月06日 | 日常
日曜日の午後、何気なくテレビをつけると橋田壽賀子女史脚本によるドラマを放映していた(渡る世間は~ではなく、なにかの単発もの)。

冒頭、主婦役の賀来千香子が夜、ひとりリビングで編物をしているところへ飲み物を探しに来た息子が登場。そこで母親は息子にひとこと「サンドイッチでもこしらえましょうか?」。

噂には聞いていた橋田ワールド、冒頭より全開といったところだ。「こしらえる」とはなんとも懐かしい。ドラマを眺めていたのは最初の10分くらいだけなのだけれど、全体的になんだかこういう、「懐かしくも現代には似合わない」口調でドラマは続いていく。

「こしらえる」という言葉、自分の世代ですら日常では絶対に使わない。せいぜい童謡や昔話でのみ出会うことば。こういう言葉が満ち溢れているのが「橋田ワールド」ということなのだろう。たしか「~する法はないよ」というのもお約束らしい。

こしらえる、でひとつ思い出したのは加山雄三の名曲「お嫁においで」。歌詞に「珊瑚でこさえた」という表現が出てくる。ま、こちらは歌の語呂がよいから、とかそういう理由もあったのかもしれないけれど。

たしかに「作る」でことは済んでしまうわけだが、言葉ひとつ替えることで話の印象がかなり柔らかくなる。時代とともに消えかかっていた言葉、橋田先生のおかげで思い出すことができた。橋田ワールドに感謝、である。

そういう訳で「こしらえる」という言葉がマイブーム(これも死語かな)の真っ最中。朝食、夕飯等々、我が家ではなにかあると「こしらえる」が飛び交っているのである。「そろそろ夕飯でもこしらえようかねぇ」。