中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

東京の東を歩く

2005年09月17日 | 行動記録
連休初日というのに、オーケストラ練習会場の抽選で朝8時には家を出て駒込へ。何ごともポジティブに行こう、ということで今日は東京の東側を歩いてみることにした。日常の80%を中野区、新宿区で過ごす身としてはこういうのもよいだろう。

まず駒込から歩いて六義園。犬公方、綱吉の頃に作られた日本庭園。まぁ普通の日本庭園だけれど、こういう緑深い場所を歩くこと自体、それなりの楽しさを見つけられるようになってきた。これが子供時代との差ということなのだろう。「ろくぎえん」と読んで連れに笑われたのだけれど正しくは「りくぎえん」です。

六義園から次は巣鴨まで歩く。ここは言わずと知れた「おばあちゃんの原宿」。なぜそうなったのかはわからないけれど、とにかく年配女性をターゲットとした商店街が連なり、独特の雰囲気。これらを眺めること自体が楽しい。商店街を歩いていると、なんだか別の惑星にでも来た気がする。あくまでも年配の「女性」中心で、男性は殆ど歩いていないのも不思議なところ。もしかしたら単純な平均年齢の差に起因するのかもしれないけれど…
刺抜き地蔵へお参りするも、例の水かけ地蔵は長蛇の列だったのでパス。幸いにして特に体の不調もない。必要に迫られた人優先なのだ。

さすがに少し疲れたのでここから電車で日暮里へ。日暮里、といえば谷中の町並み。下町情緒残る場所、ということになっているけれど、建物としてはそれほど面白いものがたくさんあるわけではない。ただ、時折現われる昔ながらの佃煮屋(中野屋という名前も気に入り、佃煮を少々購入)や、なんでもない商店街にも味わいがある。わざわざ遠方から訪れるよりはむしろ、住んでこそ楽しそうな場所、という感じ。ここで蕎麦を食べ腹拵えをし、さらに散策、散策。とにかく歩く。今日はガイドブック等持たずに歩いたので、二人して「おぼろげな記憶」を頼りに「確かこんな店があったはず」とあたりを闇雲に。そう広い範囲でないので、だいたい目的のものは探しあてることができた。

谷中から今度は上野方面へ。この辺にも時折、味のある店、建物が点在していて散歩になかなか良い感じ。時折現われる猫、これがどれものんびりとしていて、会うたびに喉をなでながら道を進む。東京芸大のキャンパスを通りかかったので、少し中を覗いてみる。音楽部の方へいくとどこからともなくオーボエとピアノ伴奏が聴こえてくる。読んだばかりの「のだめ」13巻のようだ。今日は日差しも強く、このキャンパスの木陰でしばし休憩し、その後は上野公園を通り、御徒町のアメ横を歩く。

普通ならこの辺で切り上げてもよさそうなのだけれど、時間も早かったので、次はここから地下鉄に乗り田原町で下車し合羽橋商店街へ。「こてこて」の関西人である連れにとって、家にたこ焼き器がない「不自然な状況」を改善するのが目的。さすがに食器、調理器具ならなんでも、の商店街。ここでたこ焼き用品一式を買い揃える。

合羽橋からさらに浅草まで歩き、浅草寺でお参り。東京の観光名所といえばやはりここ。このいかにも門前町とした風情はいつ来ても楽しい。その後仲見世を通り過ぎ、しばらく隅田川の流れを眺め、最後は神谷バーへ。

デンキブラン発祥の店としても名高いこの店には、浅草へ来る際かならず立ち寄る。「バー」とは言っても、入り口で食券を購入したりする様はどちらかというと居酒屋に近い。半ば観光名所化しているにも関わらず、地元と思しき人々の割合も高そうだ。少し昔の大衆酒場、の雰囲気が浅草、という土地柄とマッチしていると思う。ここへ初めて来た時、隣のおじさんに教わった飲み方(ビールをチェイサーにデンキブランをちびちびと)でアルコールといくつかのつまみを補給すると、なんだか1日の疲れも癒された気がする。

家に戻り、あらためて東京の地図を眺めてみる。我ながら良く歩いたものだ。夜、軽いつまみとしてたこ焼きを作ってみる。ひっくり返す作業をトライするも全然うまくいかない。やはり連れとは年季が違うようだ。

作業の邪魔になるとのことで焼いている間、「タフの方舟」の続きを読む。とにかくタフの饒舌が楽しい。例えば動物を飼う習慣のない惑星での台詞「猫が一目置かれていない世界など、真に文明的とは申せません」。タフによれば谷中近辺は充分に文明的なのかもしれない。

秋は急に

2005年09月15日 | 行動記録
目が覚めてみると秋になっていた。少し大げさだが、それくらい昨日までの残暑が嘘のような気候。

特に朝の風はここちよく、今日が持ち込み期限なので、銀行まで給与振込申込書を窓口へ提出。さすがに会社ができてまだ半年、今のところそういったことはないのだけれど、自分がうっかりしたら、それだけで給与支払遅延が起こることになる。なんだか恐ろしい話だ。

昼前に家を出て、渋谷へ。ここでわが社の社員のうち一人とランチミーティング。いまは社員全員、別々の所で作業をしているので、週一回は全員と顔を会わすことにしている。ミーティングとはいっても大半は雑談だけれど、そのの中にも本音が時折見え隠れする。幸いにして温厚な人ばかりで構成される我が社の現状ではあるけれど、それに甘んじてはいけないのだ。

中野への帰路はiPodに入れたストーンズの「ア・ビガー・バン」を聴きながら。来年、またストーンズが来日するらしい。こういう音楽を演じる還暦過ぎの四人組の姿、ぜひともまた見に行きたいものだ。

家に戻り、メールの返答や事務作業をしばらく。10月からの案件に関する単価交渉。こういうことは何度やっても楽しいものではない。誰もが自分の利益を優先したいのは当然のことなのだし、ある意味仕方ないことだが。

夕方、再度家を出て新宿へ。例によって西口ビル街にあるルノアールで会社の定例ミーティング。多忙な人多く、今日集まったのは3人。自分たちが作りかけているサイトについての意見交換。昼にあったばかりの二人+もう一人。非合理的といえなくもないけれど、こういうことも、定例でやると決めたことは実行しないと「なし崩し的」になくなっていってしまう。零細企業なればこそ、気を使うことは多い。

家に戻りビールを飲みながら、連れに借りたSF「タフの方舟」を読み始める。主人公、タフのキャラクターにすっかり魅了される。淡々と、ユーモラスに進めつつ、かならず自分の望む方向へ自らを導く能力。タフが自分の会社を経営することはたやすいだろうけれど、自分が宇宙で孤独な貿易商を営むことは難しいだろう。連作で3話収録されているうち1話を読み終え床に就く。

夏を歩く

2005年08月20日 | 行動記録
ここ最近、土日は殆ど外出していた。全く予定もなく、家に自分一人だけという状況も実に久しぶり。

8時には起床してバイクで新宿区のスポーツセンターへ。プールでクロール、1000m。中野にある同様の施設は場所が不便なので、こちらへ来たほうが近いのだ。毎回きっかり同じ距離を泳ぐけれど、最近微妙に疲れを感じるようになったのは気のせいだろうか。

泳いだ後、そのまま新宿西口へ行き、ヨドバシカメラをうろうろする。「アセンブラ言語の教科書」という本を購入。いまさら、の感あるけれどたまにはこういうのもよいだろう。少し、勉強しよう。

戻る途中に家の近くで写真家の高梨豊氏とすれ違う。この人は一昨日にも姿をみたばかり。我が家近くに住んでいるようだ。70歳くらいのはずなのだが、格好、鋭い眼光。どちらも年齢を感じさせないものがある。さすが。

洗濯等雑事を済ませ、少し昼寝をする。午後の予定は全く考えていなかった。ビールを飲みながら本を読み過ごそうかとも考えたけれど、雲ひとつない青い空をみて、少しは季節を肌で感じよう、と外出することにした。4月以降、家にこもる事が多く、歩く機会が減っていることもあるし。

今日も実に夏らしい気候。帽子にサングラス、ボトルには麦茶をつめて準備万端。気温は高いけれど、湿度はそう高くないので、歩くと案外心地よい。地下鉄で神楽坂まで行き、ここからとりあえず歩いてみる事にした。どちらかといえば夜の街、ではあるけれど、真夏の青空のしたの神楽坂というのも悪くない。風鈴の音が涼しげであった。

神楽坂を下り切り、次にどこへ行こうかと考えた。今日は徹底的に歩くこと、これを目的にしようと思い、そのまま道をまっすぐ九段下へ。毎年夏になると注目を浴びる例の神社を通り過ぎ、千鳥ヶ淵を歩く。ここは桜の名所としても有名だけれど、いまは桜の葉が繁り重なり回廊のようになって、非常に涼しい。セミの声が耳に響き渡り、空気は葉に清められた感じ。自然は偉大だ。

千鳥ヶ淵を抜けてからは内堀通りに沿って皇居堀沿いを歩き、三宅坂から246号へ右折。ここからはまた都会的な東京の風景。かなり暑いけれど、こまめに水分補給したので思ったほどには疲れない。ただ、あまり歩かなくなったことがたたり、足はやや筋肉痛気味。
ようやく表参道までたどり着いたので、「大坊」で休憩。村上春樹のエッセイにも良く出てくるこの喫茶店、個人的には東京でもっとも美味しいコーヒーを出してくれる店の一つだと思っている。深煎りでかなりコクのあるコーヒーを飲みつつ「鬼平犯科帳」で読書。帰りに豆を100g購入。

30分ほどで体力も回復したので、表参道から原宿まで歩く。表参道はいつ歩いても華やかな気分になれる。普段、中野のような地味な場所にいるとその気分もなおさらだ。原宿は相変わらずの人ごみ。そういえば、世間は今夏休みなのだなぁ、と実感。

神楽坂から原宿まで。われながら良く歩いた。江戸時代だったらたぶん「あたりまえ」の距離なのだろうけれど(鬼平を読んでいてなおさらそう思った)。

家に戻り、昔少し凝ったクラシックカメラを取り出してみる。今日通り過ぎた風景も20年後には「懐かしい風景」になっているのだろう。久しぶりにモノクロフィルムでもつめて持ち歩けばよかった、と思いつつ、空シャッターを何回となく切ってみた。

地震とバロックに揺れる

2005年07月23日 | 行動記録
休日は早起きする方だが、疲労がたまっていたのか起床は昼近く。中野サンモールへ散歩がてら出かけて昼食。アジアンキッチンという、典型的な「中央線カルチャー」系の店でカレーバイキング。年甲斐もなく食べ過ぎる。

午後は家でビールを飲みながら(スーパープレミアムだ)音楽を聴く。所属するオーケストラで今度取り上げるシベリウスの交響曲2番について、スコアを眺めながら。北欧ものはほとんど聴かないので、明日の初練習に備える必要があるのだ。そう難しくはないけれど、あまり好みの音楽ではない。

コンサートを聴く予定があるので夕方、外出の支度をしていたところで地震発生。軽い揺れから始まったが、数秒後には揺れが非常に強くなる。体感的には震度5くらい。関東出身者として地震慣れしたつもりだったが、かなり動揺する。
子供の頃から「いつか必ず来る東海大地震」の存在が常に心の底にあったけれど、今回の揺れの中「ついに来たか」と観念したくらい。

急いでテレビの速報を見るが、千葉を中心に強いところでは震度5。中野近辺は震度4とのことだが、家が細長いマンションの最上階なので、余計に揺れたのかもしれない。

電車が心配であったので予定より早く家を出る。中野駅へ着くと人だかりとアナウンス。既に全ての電車が停止していた。しばらく待ってみるも目処が立たないようなので、東京メトロとJRを諦め、東中野からの都営地下鉄、大江戸線のルートを狙ってみることにする。都内で完結して他線乗り入れもない大江戸線が復旧も早いのでは、というのが連れの意見。

中野からJRの線路沿いを歩き東中野へ向かうが、普段往来激しい中央線路線が静かなまま、というのは実に奇異な風景だ。東海大地震が発生した暁にはどうなってしまうのだろう。

15分ほど歩き東中野に着いてみると、上記判断は正しく、大江戸線は徐行しながらも運行していた。既に遅刻は免れない時間であったけれど、前に進める、ということは実に気持ちよい。

会場(浜離宮朝日ホール)についてみると、地震に伴う交通機関の混乱を考慮し、開演時間が1時間後倒しになっていた。主催者の判断に感謝。時間に余裕もできたので冷たい飲み物でしばし休憩。

今日はチェンバロ奏者、武久源造氏リサイタル。演目はバッハとクープラン。これまでバロック音楽には全く無縁であったし、今回も「誘われて」聴きに来たわけだがこれが正解。何事も食わず嫌いというのはよくない。チェンバロの響き、って聴いていると病み付きになりそう。

単調さの中の奥深さ。より集中力を要する音楽ではあるけれど、コンサートという閉じられた環境はこの音楽を感じ取るのに最適の場だ。若い頃はバロック音楽を自分が聴くことになるとは想像もしなかったけれど、また一つ新しい世界が開けた気がする。

武久氏自身もすばらしく魅力的な人であった。器楽のスキルは言うまでもないけれど、そのキャラクターがよい。話し好きで、一曲終わる毎曲や楽器、背景等いろいろと楽しく説明してくれる。演奏とトーク、どちらも実に楽しい。演奏会後、同氏のCD、バッハのゴールトベルク変奏曲を購入。

コンサートの後は銀座まで歩いて、ビールと軽い食事。店を出た時点でも未だ不通の路線もあったようだが、地下鉄は動いていたので、無事帰宅。

購入したCDを聴きつつこのブログを書き込んでいる。ニュースでは都内の混乱振りをたっぷりと報道していただろう。首都圏の災害に対する脆さを露呈する結果となりました、とか。でも、予測不能の災害に「強い」都市ってどれだけあるのだろう。

いつかは来る。こう脅かされて四半世紀以上。東海大地震が起こる時、自分はどこで何をしているだろうか。今日のように最後は平和に終わればありがたいのだけれど…

七夕の一日

2005年07月07日 | 行動記録
Blogというくらいだから、たまには日誌(記)風に一日を。

午前中、自宅作業。8月からの契約の件、一向に埒があかない。電話、メールにて調整を試みるも、意見を出す毎、相互理解が遠のいていく感じ。結局明日、直接会って話をすることに。文字や音声だけのコミュニケーションには限界がある。最初からこうすればよかったのに。

日中テレビはほとんどつけないが「暴れん坊将軍」だけははずせない。テレビをつけつつ電話がかかると音を消す。頻繁に電話が鳴るので、ストーリーが良くわからない。しかし少し見続けるとすぐにフォローできるようになる。予定調和的が時代劇のよいところ。

契約の件を進めつつ、弥生会計で6月分の入力処理、更新契約書のチェック、社員とチャットで現状確認。零細企業とはいえ、やることだけはしっかりある。それに収益が伴えばなお嬉しいが、いまは継続できているのでよしとする。

午後も同様の状態で、6時過ぎに外出。新宿西口の喫茶店で社員ミーティング。設立後最初の四半期が終了したので個別面談を実施。昨日唯一できなかったTさんと。現状の不満等をいろいろと聞き取る。それらの多くは愚痴レベルのもの。彼女は非常にナイーブなので、言葉を選びながらの助言に留めておく。どこまで理解してもらえてただろう。作業の緻密さでは非常に評価できるるのだから、この辺がんばって欲しいところ。

面談を終えた頃、都合よく社員全員集合。社内プロジェクトについてのミーティング。これが9時半まで。隣ではたぶん、我々同様にオフィスを持たないベンチャーと思しき集団。ウェブサイト構築のミーティングを行っていた。内容、まる聞こえ。

最近、オフィスの必要性を痛感するので、秋頃から借りる!と社員の前で宣言。予算的にはなんとかなるが、手続きをまた一人でこなすことを考えるといまから眩暈がする。登記上の本社は自宅のままでもよいかもしれない。

新宿での打ち合わせを終え、業務は終了。だが今日は続きがあり、空腹と疲れを我慢しJRで巣鴨へ。駅前のファミリーレストランでオーケストラのメンバー2名と合流。沖縄旅行の計画を最初にすませ、その後本題であるオーケストラの運営問題について。12時過ぎまでひたすら喋る。良い方向が見えてきたので、疲れた甲斐はあった。実によく喋る一日であった。2名のうち1人から、土産でもらったとの日本酒をもらう。

今日は七夕であったが、家に戻った時は既に8日。平塚はにぎわっていただろうか、ビール片手に夜の空を見上げる。もとより明るい中野の空、梅雨時の雲は厚く広がり、天の川が見えるわけもなかった。