中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

ミュンヘン

2006年02月13日 | 映画
ミュンヘンオリンピックでイスラエル選手11名が暗殺された事件を元に、そこに関わった「人間」を描いた映画。

銃を持ちうなだれる男のポスターを見て「殺した側」が凶行に至るまでを描く人間ドラマ、と勘違いしていたのだけれどまったくの逆。「殺された側」イスラエルの情報機関員が事件の報復として、犯行関係者を次々と暗殺した史実に関する映画。「ミュンヘン」での事件そのものでなく、その事件が引き起こした別の事件が映画の中心。

題材が題材なので、重く暗い内容を想像していたけれど、前半は予想を裏切りいかにもなハリウッド映画的進行で話は進む。ミッション・インポッシブルのようにチームが「仕事」をやり遂げる「どきどき」を経験するつくり。ユダヤ人かパレスチナ人、もしくはそれらに関係の深い人でなければ単純にサスペンス映画として楽しめると思う。

この映画が色々な意味で「話題」と「問題」を起こしていることはそれとなく耳に及んでいたけれど、前半だけでは「単なるユダヤ人(スピルバーグ自身がユダヤ人なのは周知の通り)視点でものをみた映画」にしかみえなくもない。なんでだろ、と思いつつ見てその意味がわかってきたのは映画後半に入ってから。

ネタバレしない程度簡単に記しておくと後半は暗殺チームリーダー、アヴナーの苦悩とある決断に至るまでを描いている。ここからは映画のテンポ、内容ともども、当初予想した通り「非常に重い」ものとなる。164分という上映時間もこの後半を描くが為、という感じ。少々ダレる感じもするけれど、それもある意味計算してなのかもしれない。

決してすっきりとした気分で劇場を出ることができない映画なので、人により評価もまちまちかもしれない。イスラエル、パレスチナ間の問題、として捉えるならば日本人には「遠い話」であるけれど、憎しみの連鎖と報復の問題として捉えれば、それは十分に普遍的な問題。

こういう映画でたまには「重い世界」を経験するのも悪くないのかもしれない。少なくとも映画というヴァーチャルな世界の中でのことならば。

自身ユダヤ人でありながらこのような映画を製作したスピルバーグについては、正直たいしたものだと感心した。プライベート・ライアンもそうであるように、彼の問題提起型映画には「底が浅い」という評価を下す人が多いけれど、個人的には分かりやすい形で提起する、ということは重要ではないのだろうか、と思う次第。

★★★☆

オリバー・ツイスト

2006年02月09日 | 映画
イギリスの文豪、ディケンズ「オリバー・ツイスト」の映画化。

ディケンズの小説といえば、学生時代「デイビット・コパフィールド」を読んだことがあるけれど、とにかく長かったとの印象しか残っていない。どういう内容だっただろうか。最後がハッピーエンドだったことだけは覚えているけれど。再読するのはちょっとしんどい。

「小説は長ければ長いほどよい」と公言するジョン・アーヴィングが敬愛する作家、ディケンズ。このオリバー・ツイストはそのディケンズ作品としてはそう長くはなく、文庫本上下2冊のボリューム。

映画を見て感じたのは、129分という長さで収めることにはきっと苦労したのだろうということ。不自然というほどではなかったけれど所々でどうして、と思う部分が出てくる。例えばなぜオリバー・ツイストが周りの人にああも愛されるか。その過程はあまり描く時間がなかったみたいで、ブラウンロー氏の「人を惹きつけるなにかがあの子にはある」ですませてしまったり。こういうタイプの話はストーリー自体の流れも重要で、ある程度こうせざるを得なかったのだろうけど。

上映時間を自由に長くできるなら、こういう問題も解決したのだろうけれど、映画もビジネス、難しい部分があるのだろう。基本的にこういう話、映画よりはBBCあたりによるテレビシリーズの方が面白くできるのかもしれない。

とはいいつつ、19世紀イギリスの街の再現はお金もかかっていて見事なものだし、かなり強いイギリス英語、薄暗い街。これらを体験していくだけでも十分に楽しいし、決して「退屈」することはなかった。

あと主役を演じるバーニー・クラーク少年は本当に可愛い。そっちの趣味はないけれど、それでもついつい見入ってしまいます。昔はたしかあのマーク・レスター主演でも映画化されているはずで、やはりこの映画の主人公は「美少年」でなければいけない様子。パタリロファンやその中の「あの趣味」の人々にとってはいうまでもなくお勧めの映画。

★★★

THE有頂天ホテル

2006年01月16日 | 映画
最初に結論から言っておくなら、とにかく楽しい映画。見て損はないので、なにか楽しめる映画をと考える全ての人にお勧め。

23人もの個性的なキャラクター、出来事を有機的に繋げあげる力量はとにかく見事。とにかくこういう脚本を書ける才能には感心するしかない。笑いのなかにもホロリ、とさせる部分があるつくりはいつもの通り。

ある意味三谷作品の集大成(と勝手にまとめてしまうのもアレだが)といってもよい映画。作品自体には大満足。ただ集大成、という言葉には微妙な含みも少々。

映画をみていて三谷ワールド的な既視感をしばしば感じたのも事実。これって過去の三谷作品でもあったような…という感じが随所に。役所広司の見栄が引き起こす悲喜交々あたりは「合言葉は勇気」とか「王様のレストラン」あたりを思い出してしまうし、楽しいシーンについても都度「あの」パターンかな、と考える事もしばしば。

楽しいマンネリも悪いことではないし、この事が作品自体の価値を下げるものではないけれど、三谷氏の今後がちょっと心配…

あともう一つ惜しまれるのは公開時期。できればこの作品、正月映画として昨年末までには公開してほしかった。古畑任三郎スペシャルとの絡みとか何か「大人の事情」があったのかもしれないけれど。個人的にこの映画はやはり、大晦日に見たかった…

★★★★

ジョージ・マイケル -素顔の告白-

2005年12月24日 | 映画
映画でも行こうかと誘った連れから提案されたのがこの作品。クリスマスイブは「特別な日」と浮かれるほどに若くもないとはいえ…

ジョージ・マイケル、といえば元ワムのメンバー。その後もソロとしても成功しているのでご存知の方も多いだろう。あの「濃い」感じの色男。

洋楽に本格的に目覚めたのが高校生の頃。当時は海外ヒットチャートの動きまで追いかけたりしていた訳だが、ワムがチャートを賑わしていたのもちょうどその頃。20年以上経った今もクリスマスに必ず流れる「ラストクリスマス」が流行したのもこの高校時代、冬の話だ。

高校生の頃にはよくある事だけれど、洋楽を聴くと言う行為自体に憧れを持ち、そうすること自体が自尊心を満足させる、と言う部分も少なからずあった。なので多少の無理をしてまで、必ずしも好みでない音楽も積極的に聴いていた。そのような状況でも個人的にこのワムだけは「いけすかない」という思い強く、頑なに無視していたことを今でもはっきりと覚えている。

今になって分析してみれば、こういう姿勢はワムの音楽自体に対する否定ではなくて、その存在自体に対する否定であったのだと思う。ワム、というグループは「絵に描いたような」色男の二人組み、そしてそのターゲットは若い女の娘。中途半端な自我を持った男子高校生にとって、このような存在は「受け入れること叶わぬ存在」でしかないのだ。

実際、洋楽を聴くクラスメートでワムを好きだ、という男子生徒は皆無であったと記憶している。たぶん「少々他と違う性的嗜好」の人でもない限り、ワムは基本的に男性には好かれるグループではなかったのだ。

こういう状況もあって、ジョージ・マイケルのドキュメンタリーについてもさほどの感慨もなく足を運んだことになる。既に彼は「カミングアウト」しているので、その辺だけを興味本位で見に行った、というのが正直なところ。(これは提案してきた連れも同じ)

以上、前置きが長くなったけれど、実際に映画を見ての感想をひとことで表すと「思いのほか面白かった」。90分の上映時間は退屈することもなく、結構楽しめる。

これは誰にでも当てはまる事ではあるけれど、表面から見たものと実際の人生というのは思いのほかに隔たりがある。彼の人生に関わってきた人々の証言を聞きながらその半生を眺めていくと、ジョージ・マイケルについてもこの点に変わりがないことがよく分かる。彼も思いのほかに苦労しているのだ。

ワム時代、意図的に「マヌケな単パンを穿き、耳にリングをつけて」いた、なんて発言を見ると、なんだか20年前の自分が少しはずかしくすら思えてくる。この映画を見進めていくとジョージ・マイケルって結構いい人だな、と思えてくる。彼は基本的に実に素直な人間なのだ。邦題の「素顔の告白」というのもあながち嘘ではない。ま、彼が良く見えるように、と映画を作ったのは充分に承知しているつもりではあるけれど。

ドキュメンタリーの後半は「カミングアウト」にまつわる話が中心となる。当初はこのことばかりを期待していたわけだけれど、ジョージ・マイケルの人生をそこまで一緒に追いかけていくと、あまり茶化す気にもならずむしろ素直に応援したくすらなる。偏見に満ち溢れた自分にとってこれはよい刺激と反省を促してくれる事であったし、この点だけでも映画を見てよかったと思っている。

ワムのファンはもちろん、そうではない人にも楽しめる映画、というのが一応の結論。誰かの人生について丁寧に振り返ってみる作業を眺めること、というのは基本的には楽しいことなのだ。

あと、どうでもよいことだけれどワムの相方であるアンドリューの変貌振りには少々驚き。これもある意味一見の価値あり。彼とジョージが仲良く談笑する姿をみると、なんだか少し心温まるものがある。

★★★

コープスブライド

2005年11月21日 | 映画
続き物ではないが「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」もあるので、楽しみにしていた人も多いだろう。個人的には「ナイトメア~」を未見だったので、良くも悪くも先入観ゼロで鑑賞。

CGで実装すればさぞかしおぞましい世界になってしまっただろう。馬鹿みたいに手間の掛かるクレイアニメによって、実に楽しげで温かみのある「死者の世界」を描く事ができている。

前半の冷たく(色々な意味で)冷え切った人間の世界から、この死者の世界へ舞台が変わると、果たしてどちらの世界に入るのが幸せなのだろうという気にすらなってくる(実際、ヴィクターは途中である決断をするわけだが)。

こうした独特の世界の映像を楽しむには申し分ないし、なかなか楽しい映画。クレイアニメの制約もあって上映時間は77分とやや短いのだけれど、退屈することなく一気に見終わった、という感じ。

ただいくつか難をあげるなら、まずミュージカル映画としてはなんだか中途半端。特にこれといって光る歌がなく、なんだか「無理に」ミュージカルにした印象すらある。ミュージカル、という点だけで比較するなら個人的には「サウスパーク」映画版のほうが数段優れていると思う(さすがに歌詞はひどかったが)。これは監督、というよりは作曲家の能力の問題ではあるけれど。

あと、ファンタジー映画でこういう不満はお門違いかもしれないけれど、この映画で腑に落ちないのは主役3人(ヴィクターと生死それぞれの結婚相手)のキャラクター。いずれも「非常にいい人」なのだけれど、なんだかあまりに流されてばかりで、どうも感情移入し辛い部分がある。そういう性格のメンバーが集まったからこそあの「悲劇」が起こった、ということなのかもしれないけれど。

以上気になった点はあるけれど、最後の美しくも悲しいシーンを見届けると、劇場に足を運んでよかった、という気分にさせてくれる作品。今度こそレンタルで「ナイトメア~」を見てみよう、という気にもなってきた。

★★★

ドア・イン・ザ・フロア

2005年11月04日 | 映画
好きな作家、ジョン・アーヴィングの小説「未亡人の1年」の映画化。どれだけ優れた原作の映画化も、小説を先に読んでしまうとダイジェストみたいに見えてしまうから、と思い小説自体はまだ未読。

恵比寿ガーデンシネマの客層は他より高めであることが多いけれど、今回は特にそれが顕著。映画のポスターからして難しい表情をした中年夫婦が横に並ぶ写真に「悲しみの扉を開けて、私は、ゆっくり生まれ変わる」のコピー。夫婦の直面する苦悩や葛藤を淡々とじっくり描く文芸作品。いかにも文芸作品然とした印象故、おのずと客層も絞られたのだろう。

映画が始まって最初の1時間くらい、物語の前半部分については宣材のイメージどおりの内容。一夏のアルバイト先として有名作家の下を訪れる作家志望の青年が、そこに見るのは既に終わりかけている冷えた夫婦関係。過去二人の息子を事故で失った傷を癒しきれない美しい作家の妻に青年は惹かれ、そして…

正直言えばこの前半はやや退屈。ニューヨーク、ロングアイランドの静かな夏の風景は良いけれど2時間この調子は少々きついな、と思って見ていると、1時間くらい経過した辺りから物語の展開にスピードを持ち始めてくる。具体的には中盤、青年が作家の妻と情交を持ってしまうあたり。先のコピーで言えば、作家の妻が扉を開けた瞬間、ということか。

この後半部分からはスピードだけでなく内容的にもアービングの「ガープの世界」的な世界。真面目にやっているはずなのにどこかコミカルな人々。その喜劇的な奮闘はジョージ・ロイ・ヒルによる映画の続き的なものを期待する人にも充分満足がいくと思うし、素直に物語を追っていればそれだけで楽しい。

パンフレットを購入して知ったのだけれど、実は映画化されているのは原作の最初1/3くらいの部分まで。原作タイトルが「未亡人の一年」なのに未亡人が出てこないのもその為。パンフレットには小説の「その後」も記されているのだけれど、これによると小説での主人公、実は作家夫婦でないようだ。概要ではあるけれど、いかにもアーヴィング的な物語進行でそうなので是非とも読んでみたくなった。

事情を知らなければ、あくまでも完結した作品として十分に成立していると思うし、その意味では見事な小説の映画化だったと思う。前半と後半の落差が少しバランス悪い気がするので、そこは少々残念。ラストシーン、個人的にはかなり好きな終わり方。この辺は好みも別れるかもしれないけれど。

★★★

シン・シティ

2005年10月07日 | 映画
アメリカンコミックの映画化、ということらしい。全編(ほぼ)モノクロ、なかなかに豪華な俳優陣、さらにあのタランティーノもなにか絡んでいるようだ。この程度の予備知識でなんとなく見に行ったのだけれど、結果としてはなかなかに楽しめた一編。

タランティーノが「特別監督」という意味不明のクレジットで参加しているけれど、結果は、かなりタランティーノ的な映画に仕上がっている(ように思えた)。少々乱暴な言い方だけど「キル・ビル」に近い感じ。

原作のアメコミを見たわけでもないので、その世界がうまく描かれているかどうかは分からない。意味があっての「モノクロ」なのかは不明だけれど、これも手伝って独特の世界を描くことについては少なくとも成功している。

最近ではCGの発達で人の想像するもの何でも「リアル」に映像化することも可能な感じあるけれど、その対極の表現として、ワイヤーアクション等を使い「コミカル」に漫画的な世界を実写表現する映画というものも存在する。この映画はその中間という感じ。あえていうなら「劇画」世界の実映像化。適度にリアルで適度にコミカル。それをモノトーンの世界に押し込め、より一層独特な実写世界が展開される。この映像世界についてはちょっとした見もの。

まずないと思うけれど、もしも「ゴルゴ13」を実写版で映画化するとしたら、今回のような映像でいけば結構いけるのでは、と個人的には思った次第(すくなくともあの高倉健版よりはずっとましになるだろう…)。

キル・ビル同様、かなりエグイシーンも(モノトーンで多少は分かりにくくなっているけれど)満載、映画の好みとしては意見分かれるところ。少なくとも万人向けの内容ではない。そういう点を考慮に入れた上、(変な基準ではあるが)キル・ビルが「楽しめた」人には是非ともお勧めの映画。

★★★

ランド・オブ・ザ・デッド

2005年09月10日 | 映画
基本的にホラー映画は好きでないのけれど、唯一の例外が「ゾンビ」もの。この類の映画には当然ながら「むしゃむしゃ」シーンが付きものだが、それ自体が好きなわけではない。不気味な存在にじわじわと追われ、小さな世界に閉じこもる閉塞的な状況。たぶん、この部分が好きなのだ。ホラー、というよりはSF的な部分に惹かれている。

ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ DAWN OF THE DEAD」(78年)が個人的にゾンビ映画で最も好きな作品。この映画はまさに上記のようなパターンの典型、街中に溢れたゾンビから逃れたメンバーが、アメリカの典型的なショッピングモールに閉じこもってなんとか生き延びようと努力する話。最近あらためてDVDを借りてみたが、いまみても充分に楽しい。

さて、今回のランド・オブ・ザ・デッド。このゾンビ界(どんな世界だ)の大御所、ロメロ監督の最新作ということでゾンビファンからはかなり熱い注目をあつめている。上記「ゾンビ」の続編ということにはなるが、直接的にストーリー、人物が絡んでいるわけではない。

すでにゾンビにより壊滅的な状況に至った人類が、河に囲まれた要塞都市に立て篭もり、そこではカウフマン(デニス・ホッパー)という支配者を中心とした、貧富の差激しい、人類の「残り火」のような社会が成立している。そして当然ながらこの閉じられた社会へも徐々にゾンビが侵食していく、というのが話の概要。

基本的にロメロ監督のゾンビシリーズには文明批判が織り込まれ、それが他のゾンビシリーズと一線を画している、ということになっている。78年版ゾンビでは「ショッピングモール」というのが「消費文明社会」の象徴であるし、今回の要塞都市は自閉的な今のアメリカ、という解釈も充分に可能だろう。

ただ、難しいことを抜きに今回の映画を語ると、このようなテーマは「どうでもよいので」もう少し、ゾンビものとしての基本を充実させてほしかったところ。せっかく強固な要塞都市という面白い状況設定をしたのだから、この中での平穏な生活と、それが徐々に侵食され崩壊してく様をじっくりと描いて欲しかったのだ。金と権力に固執する支配者の描写を入れてしまったばかりに、この辺が非常に薄くなってしまった、というのが個人的な感想。

今回の映画においてはゾンビ達が徐々に学習能力を持ち、組織化し始めるという新機軸もあるのだけれど、この設定はなくても良かったと思う。ゾンビは人の姿をしていながら人にあらず。この状態で常にうろうろしているのが良いのだ。

「わっ」っと驚くシーンはたっぷりあるし、残酷なシーンが好きな人には充分に「むしゃむしゃ」も用意されている。にもかかわらず、ホラーとしても、ゾンビとしても微妙に中途半端な映画になってしまった、という気がした。

★★☆

皇帝ペンギン

2005年08月28日 | 映画
夏休みも終わりかけ、暑さのなかにも次の季節を感じさせる恵比寿にて「皇帝ペンギン」鑑賞。

子供の頃、日曜日にテレビ放映された「すばらしき世界旅行」を楽しんでいた世代として、このような映画は主題を選択した時点で「普通にやっていれば失敗はないだろう」と予想していったけれど、まったくその予想通り。

だいたいにおいて「ペンギン」を選んだ時点である意味反則。本人達に何の意図、作為のないあの愛らしい姿が下手な脚本と演技に圧巻してしまうのはあたりまえのこと。特に子供ペンギンの姿ときた日には…

もちろん、いくら題材、被写体が良くても、それをうまく映像に収め、まとめるというスキルは映画製作スタッフの功績。そういう意味では「誰にでもできる」もの、というわけではない。実際、よくこういうシーンを収めたな、と感心する部分は多々存在する。

前述の「すばらしき世界旅行」に引きずられるわけではないけれど、個人的には「親子3人」をペンギンの中に想定し、それぞれにせりふを喋らせるというやり方はあまり好みではなかった。坦々と、ナレーションだけで映像を進めたほうがよかったのでは、とは思う。この辺は好みの問題なのかもしれないけれど。

同じように音楽。これも今ひとつさえないポップスを挿入するくらいなら、いっそう何も使わないほうがよかったのでは、とも思う。映像の邪魔、とまでは言わないまでも、なんだかしっくりこなかった感があった。

細かい点では気になることあるにしても、こうい映画を頭を空にして眺めることはとても楽しい。そこには下手に嗜好を凝らしたドラマよりも充分に、楽しめる何かがある。作為を超えた映像を撮る、というのも実は決して楽なものではないのだろうが、そういう企画を立て、実行に移したスタッフへはあらためて敬意を表したい。

それにしても、ペンギンの生活というのも思っていた以上に大変だな…

★★★☆

チームアメリカ/ワールドポリス

2005年07月30日 | 映画
あのサウスパークのトレイ・パーカー、マット・ストーンによる人形劇。
予備知識を全く仕入れずに見にでかけたけれど、この二人が作るものであればただではすまない、と思っていたら全くその通り。かくかくと動く人形達が、その姿に似合わぬ行動をやり散らかす狂乱の映画。

「チームアメリカ」という名前からも想像できるように、基本的には9/11以降の独善的でマッチョな「アメリカ」に対する痛烈なパロディ。パリの街でミサイルを打ちまくり、街を破壊しつくした後、その瓦礫の前で、メンバー同士がプロポーズをおこなったり、やや悪乗りが過ぎる、という感じで物語は突き進む。

ただし、彼ら(パーカー&ストーン)の作風がいつでもそうであるように、どちらかの視点に立つというわけではなく、目の前にあるもの「すべて」をちゃかしている。作為的な視点がない、というのが彼らの馬鹿騒ぎを見てもさほど不快な思いをしない一因ではないのか、と個人的には考えている。良くも悪くも「何も考えていない」のだ。

この映画では事前に話題になったように、金正日、マイケルムーアをはじめ、数々の有名人が実名で登場、散々にいじられ、破壊されていく。これは本当に凄い、というかよく許されたなぁ、というのが正直な感想。もちろん、抗議はきているのだろうが、日本ではこのような作品は絶対に作れないだろう。アメリカという国は本当に不思議な国だ。

作品中、スターウォーズに関するパロディが二箇所ほど出てくるので、ファンはあのシーンだけでも見る価値あるかもしれない(ただしエピソード4のパロディ)。

気に入ったのでパンフレットを買おうと思ったら、版権元の許可が下りなかった為パンフレット発売はなし、とのこと。ここに何かしら政治的なものがあるのかどうかは不明…

後半頻出するグロテスクなシーンには辟易するし、過度の悪乗り騒ぎには好みが分かれるところ。個人的にはこれだけ劇場で笑いつづけられた映画も珍しい。ツボにはまれば最高のギャグ映画、そうでなければほぼ最低の映画。

★★★★

スターウォーズ エピソード3 -2回目-

2005年07月18日 | 映画
2回目ということで、今日は比較的冷静に鑑賞できたエピソード3。何度みても傑作は傑作。今回は既に見た人向けの内容なので、ネタバレあり!

まず前回の課題のひとつ。ルーカスの出演シーンは無事確認。あれは構えて見ないとまず気が付かない。ヒントを言っておくと、画面左側のほうにいます。

あと劇中に一度、ミレニアム・ファルコン号の姿を確認。エピソード4で「おんぼろ」と評されていることを考えると新造当初、といったところだろうか。同型別艦という可能性もなくはないけど。

どうでもよいところではレイア姫の養父となるオーガナ卿、とにかくでかい。アナキン役のヘイデン・クリステンセン(185cm)と並んで20cmくらいの差はあるから、余裕で2mオーバー。ちなみにダースベイダーは身長2mくらいの設定のはず。長身のクリステンセンをもってしても15cmも足りない計算になる。両足を切断後の義足とヘルメットで計2m、ということなのだろうか…

芸が細かい、と笑ったのが物語の最後。ベイダーやモフターキンが建設中のデススターを眺めるシーンの宇宙戦艦内装。計器類がエピソード4のように、シンプルで作り物っぽくなっていた。物語冒頭の戦艦内部と比べるとその差が顕著。科学技術の更なる進化によって計器類は簡略化されていった、といったところか。

あと、ひとつ気が付いてしまったのが字幕の問題。翻訳を担当したのは日本字幕界の大御所、戸田奈津子女史。これまでもしばしば誤訳を連発してなにかと話題の人(LOTRではDVD発売時に字幕を差し替える事態まで発生したようだ)。

気が付いたミスは、オビワンがグリーバス将軍を倒すところ。ライトセーバーを落としてしまっていたオビワンは、拾った銃でグリーバス将軍を倒すのだが、そのあと銃を眺め「So Uncivilized!」とつぶやいてから銃を捨てるシーンがある。

オビワンがシリーズで常々「銃のような野蛮(Uncivilized)な武器と違ってライトセイバーは…」と訴えてきたことを知っていれば(エピソード4でもルークに向かってそう説いている)、ここは「笑う」シーンなのだが、戸田女史はこの辺の事情を知らなかった様子。

確かにこの前提知識がないと、敵を銃で倒してなぜ「Uncivilized」とつぶやくのか、わからないのも無理はない。戸田女史はここについて、わからないままに誤魔化して「掃除が大変だな」という実に突飛な訳をつけていた。その後ロボットの残骸を眺めるシーンになるので、これで意味が通ると思ったようだ。
従い、字幕は字句の通り「なんて野蛮な!」と訳するのが正解。スターウォーズマニア以外には意味の分かり辛い台詞ではあるけれど。

映画の字幕化というのは作業期間も短く、かなり大変な作業であるらしい。一つ誤りを見つけて鬼の首を取ったかのように騒ぐのも大人気ないので、友達と一緒にこの映画を見る際のスターウォーズトリビアとして楽しめばよいだろう。たぶん、DVDではまた「差し替え」られるだろうし。

あ、最後にひとつ気が付いたこと。ジェダイの決闘においては、結構な確率で「キック」が必殺技となっている。さすがにヨーダだけは使わなかったけれど。

スターウォーズ エピソード3 シスの復讐

2005年07月03日 | 映画
先週は別の用事で機会を逸し、この一週間気が気ではなかった。そして昨日、夜中にバイクを飛ばして新宿プラザ劇場へ。ついに「スターウォーズ エピソード3」の先行上映を見ることが叶った。

24時15分からの上映時間(東京でも終電にあせる時刻)であり、先行上映は先週も行われていたので、すいていると思いきや、8割以上は埋まったかなりの盛況。

まず、一応この点だけはは記しておくと、この映画はエピソード1、2の結末を描く「続きもの」。またエピソード4への橋渡しとしての意味も持つ作品。従い前2作未見の人には、意味がよくわからないだろうし、エピソード4未見の人は楽しみが半減すると思う。なので、時間に余裕あれば、シリーズ他作品を復習してからの鑑賞をお勧めする。

20世紀FOXのテーマ、そしてあのタイトル。ここだけでもう気が遠くなってしまいそうだが、その跡しばらく続く宇宙での戦闘場面。たとえSWの世界に馴染まなくても、これらのシーンは、単体でも鑑賞する価値がある。CGの発達は「人の想像できるすべて」を映像化可能にしてしまったのだなぁ、とあらためて感心した。

先に「次回作」が存在し、結末(それも暗いもの)が決まっている、というのがこの映画の少し変わったところだが、他エピソードを見ている身としては、これはこれで面白かった。「なるほどこれでXXになるのね」がたくさんあるので、やはり最低限、エピソード4は抑えておきたいところだ。
シリーズ中で最も暗い作品なので、コアなファンでなければ好き嫌いは分かれるかもしれない。特に、アナキンが堕ちていく様子については冗長と感じる人もいるだろう。しつこいようだが、この映画の鑑賞にはシリーズ他作品の復習を強くお勧めする。そうすることで、この映画の見方はかなり変わるはずなので。

家に戻ってパンフレットを見ると、実はジョージ・ルーカス自信がチョイ役で出ている等、いろいろ「次回鑑賞時」のチェック項目も見つかった(そう、我々の世代にとって、スターウォーズは何回も劇場へ足を運ぶべき映画なのだ)。2回目以降は、今回よりはもう少し冷静に鑑賞できるはずなので、また新しい発見等あれば別途記してみたい。

いま少しだけ冷静になるならば、最近の映画で、例えばストーリーや脚本の観点では「バタフライエフェクト」あたりのほうが映画としては優れているのかもしれない。しかしあえて採点をするならば、やはりこの映画には「満点」しかつけられない。思い入れ、と言われてしまえば、はいその通りです、と答えるしかないのだが…

ラストシーンについては、少年時代よりこの映画を追いかけてきた身として、涙せずにはいられなかった。仮に中間部が見るに値しない駄作であったとしても、あのラストだけで全てが許せてしまう。少なくとも、エピソード4から見始めた世代には「必見」の映画です。

評価:
★★★★★

サハラ 死の砂漠を脱出せよ

2005年06月26日 | 映画
クライブ・カッスラーの冒険小説「ダーク・ピッド」シリーズの一作を映画化したもの。同シリーズでは過去、「レイズ・ザ・タイタニック」も映画化されているが、特に映画としてシリーズ化されているわけではない。

ダーク・ピッドシリーズは未読だが、前々から興味はあったので、これを機会に読んでみようかと思っている。SFや海洋小説もそうだが、シリーズものは一度入り込むと続きを待ちわびる、という人生のささやかな楽しみが増えるので、積極的に好きな「シリーズ」を増やしたいと思っているのだ。(いつの日かペリー・ローダンもはじめてみたいけれど…)

で、映画のについて。一言でいってしまうなら、アメリカ人の好みそうなアクション映画。凝った伏線や意外な展開はなく、物語は実にストレートにテンポ良く進んでいく。こういうつくりの映画なので、頭を空にして見ているぶんにはそれなりに退屈しない。とはいえ、もう少しひねりがほしかったのも事実。

WHO(世界保健機構)の一女性調査員が機関銃は撃つわ、ラクダから電車に飛び乗るわ。アメリカのアクション映画につきものの「んなアホな」なシーンも盛りだくさん。こういうところを笑って見過ごせる人であれば、それなりに楽しめると思う。

面白いか、と聞かれると微妙だけれど、死ぬほどつまらないわけでもない。家族連れでいくには悪くないかもしれない。

なんでもこの映画、カッスラーに「著者に無許可で映画のストーリーを15カ所も変更」して原作のイメージを壊した、とのことで製作者側が訴えられている模様。ますます原作に期待、といったところか。

★★

バットマン ビギンズ

2005年06月19日 | 映画
これまでのバットマンシリーズをもういちどはじめから描く、ということで「ビギンズ」。今回の特徴は、大富豪ブルースウィルスが戦う理由、バットマンへと至る過程。彼の心の闇と行動の選択理由をじっくりと描くことに注力しており、その点好感が持てる。(なにしろバットマンが画面に登場するのは上映開始後1時間くらいしてから)

もともとバットマンシリーズの魅力といえば「ヒーロー自身がトラウマを抱えた人間であること」と「超能力はなく肉体と各種ガジェットにて戦い切る」点であると思うのだが、上記プロセス描写への注力はこれをよく理解した上でのことだろう。

ティム・バートンのバットマン(特に第一作)は、この世界を見事に描いた傑作だったが、あの映画ではバットマン以上にジャックニコルソンのジョーカーが際立っていた。比較の問題になってしまう部分もあるが、今回のバットマンではこの「悪役」がやや弱い。日本では渡辺謙の出演も今作の話題のひとつだが、どちらかというと西洋人の抱く「神秘的な東洋」の象徴みたいな役回り以上のなにものでもなく、正直たいした仕事はしていない。(渡辺謙の演技に問題があるのでなく、もともとそういう役回り)

全体の流れとしてバットマン誕生までの前半は良いが、後半部分についてはやや冗長。クライマックスでのハリウッド映画のお約束、水道施設への列車衝突のくだりはあまりに型にはまりすぎた感じあり、いまひとつ。

以上、ネガティブな記述が多くなってしまったけれど、個人的には2時間半けっこう楽しめた。期待しすぎず、映画館に赴けばそう悪い時を過ごすことにはならないはず。
第一作から徐々にクオリティーが下降していった感じのあるバットマン。ここで一度仕切りなおそう、というのであれば、第一作としては十分に合格点を与えられると思う。最後には「明らかに」続編をほのめかすシーンもあるので、次回作以降に期待、といったところ。

★★★☆
(ひとつ色の違う星は星半分の意味。よって3.5)

バタフライ・エフェクト

2005年05月22日 | 映画
それなりに前評判の高い映画のようなのだが、東京都内でも上映館は少なく、キャパシティも小さめのところが中心。そのひとつ、歌舞伎町新宿シネマミラノの客席もほぼ満員であった。

最初に「バタフライエフェクト」とは「蝶がはばたくと地球の反対側で竜巻が起こる」との例えが有名なカオス理論の一つ。行為のわずかな違いがその最終的な結果に多大な影響を起こさせることを指す。

とにかくストーリーとアイディアに価値のある映画。いたずらに内容紹介をしてしまうと楽しみも半減してしまうのだが簡単に言うと、このバタフライエフェクトにひたすら翻弄されていく青年、エヴァンの物語。

エヴァンは子供の頃のふとしたいたずらで「取り返しのつかない」事故を起こしてしまう。このことは彼へ深い心の傷を残し、同時に仲間の人生をも大きく変えてしまう。成長し大学生になったエヴァンは、あるきっかけで自分が日記に記された過去へ「意識と記憶」はそのままに戻れる能力があることを発見する。そこで彼は過去へ戻り、よき未来を「取り返そう」と行動を起こすのだが、それによりかわっていく未来は…

とにかく脚本がしっかりしていて、話に無駄がない。物語前半で提示されるいくつかの不可解な出来事も伏線として、きっちり最後に意味の解決が図られており、この辺は見ていてそうか、と思わずうなってしまう。114分の上映時間が短く感じられるのは決して見た私の記憶が途切れたからではないはず。

映画館を出て街を歩きながらも、しばらく映画の余韻に浸ることが可能な傑作。せっかくお金をだして何か映画を見ようと考えているのであれば、この映画はその候補として強くお勧め。個人的には今年見た映画中、現時点ではベストの作品と断言します。
(ちなみにワーストは「鉄人28号」…)

★★★★
(5つが満点)

※ここから少しネタバレ。映画未見の人は注意!
映画自体には大満足。よって製作スタッフ、というよりは映画会社に対しての不満なのだけれど、この映画の予告編(今も公式サイトで視聴可能)はもう少し工夫してほしかった。あのラストシーンを使った予告編というのはいかがなものだろうか。物語を見たあとでは、凛として歩くケイリーの姿が必ずしも完全なハッピーエンドを意味しないことはわかるし、それが物語の良いところではあるのだけれど…