中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

会社売ります

2006年03月06日 | 仕事
先週、久しぶりに前の会社の同僚と飲んだ。あまりよい思い出のない会社ではあるが、離れてみれば「その後」を聞いてみたくなるのが人情。彼は事務総務系を取り仕切っている立場、ということもあって「内情」に詳しい。

彼から聞いた会社の現状は決して芳しいものではなかった。経営的にも伸び悩んでいるようだけれど、それ以上に問題なのは社長の行動。

以前は会社の株式公開しか頭になかった社長ではあるが、さすがに現状では株式公開は難しいことを悟ったらしい。

これといった売りのない普通のシステム会社。社員は30名程度、数年来の赤字経営かつ今年度は売上、収益共に前年比大幅減、これではどうしようもない。いい加減に目を覚まして本業に邁進すればよさそうなものなのだけれど…

株式による切り売りができないのなら会社を丸ごと売ってしまおうと、今は会社の売却交渉に没頭とのこと。前の社長にとって会社とは「自分の所有する財産」でしかないらしい。

以前は「クオリティー」を売りにしていたので、小さい会社の割には採用面接で高いハードルを設けていたのだけれど、いまでは人材=売り物ということで、応募してきた人は原則合格にしているとのこと。新入社員が哀れでしかたない。

当然ながら、自分は今の会社を売るつもりなどないけれど、売ったとしたら、これまで出資してきたよりかなり高い金額を手にするのは事実だろう(買う人がいるかは別として)。システム会社の場合、基本的に人材=会社の価値といっても過言ではないし。

レベルの低い比較になるけれど、旧ライブドア経営陣は金こそ全て、と明言していただけまだ「まし」なのかもしれない。この会社の社長みたいに「人こそ財産」と言いつつ裏ではこうしたことを行ってる分、タチが悪い。ま、「財産」の意味に含みがあったと言えなくはないけれど…

段取りの差

2006年02月28日 | 仕事
自宅の近所に今日、コンビニエンスストアがオープンした。家と駅との間にあるので毎日開店までの進捗を眺めてきたわけだけれど、その手際のよさには感心するばかり。

昨年暮れの、元よりあった民家を壊すところから始まって、建物の建築、電源の引き込みから設備の設置、商品の搬入。本当に流れるように作業は進む。

同じく近所で大型マンションの建設が進んでいるのだけれど、これもコンビニ同様。毎日(うるさいけど)、着実に作業は進み、日々モノが出来上がっていくのがよくわかる。

普通の人にはこういう風景が「あたりまえ」のことに映ると思うのだけれど、システム開発の現場で10数年働いてきた身とすると、どうしても必要以上に感心してしまう。

システム開発の世界では「デスマーチ」(死への行進、の意)なんて言葉が業界用語として定着するくらい「キツイ業界」であるのは有名なところ。

現場にいる人間の意見として、このイメージはまんざら間違ったものではない。実際、開発プロジェクトでは結構な確率で火が吹くことが多く「なんの問題もなく着々と進みました」という話は滅多に聞かない。

「新しい業界」なので開発手法や段取りが確立されていないのだ、との説は自分が仕事を始めるよりずっと昔から言われている。が、いうまでもなくこれは言い訳。確かに建設業界あたりに比べれば新しいけれど、システム開発という職業が一般的になってから既に数十年が経過している。

システム工学といった学問も発達し、最近ではプロジェクトマネージメント学の視点からシステム開発をなんとかしよう、という動きも活発になっている。

それでも未だ状況が「あまり改善されない」のはなぜなのだろう。今回のように「確立されたやり方のある」業界の段取りを眺めているといつも考えてしまう。

どこまでやれるか

2006年02月16日 | 仕事
株の口座を開いたはよいけれど、いまだ最初の取引を思案中。とは言いつつ口座に現金も入力し、買おうと思えばいつでもという状態。毎日株価を眺めるというのは思ったよりも楽しい作業ですね。

今朝も、口座をもつ証券会社のサイトへログインしようとするも、システムトラブルなのか一向にうまくいかない。結局ログインができたのは9時30分頃。

まだ一株も持たぬ身としては実害もないけれど、時間がやタイミングがものを言うタイプの金融取引で30分も非稼動な状態が発生するなんて、少々驚き。口座を所有しているのはネット専業証券会社ではかなりの大手であるわけだし。

いま見ると、サイトには障害報告が記されている。サーバーへの負荷分散機器(ロードバランサ)の異常によるもの、とのことらしい。昔の会社でとあるポータルサイト構築を請け負った際、散々と悩まされた問題なのでやはり、という感じ。ソフト側の問題ならともかくネットワーク機器関連は、意外なくらいプロフェッショナルが不足していて、これで障害が起こるとなかなか回復が難しい。

その昔の会社もそうであったように、小規模ながらハード関連まできっちりとこなせるソフトウェアハウスというのは正直、皆無に等しい。ソフトからハードまで一環してきっちりこなせるような会社、となると大手、特にハードまで扱っているような会社がやはり無難な選択ということになる。件の証券会社、新興とはいえ資本力はかなりのものを持っているので、さすがにシステム会社もそれなりの大手を選択しているとは思うのだけれど…

最近、知人のソフトウェア会社(起業2年目、社員8名、自分の会社同様、本当に「ベンチャー」)が大手証券会社との直取引の仕事を取れた、と大喜びしていたのだけれど、その話を聞いて他人事ながら「大丈夫かな」と思わずにはいられない。さすがにシステム全てを請け負った、というわけではないみたいだけれど。

まだまだJavaを始めとしたWEB系技術者は不足している現状も手伝って、このような「チャンス」というのはシステム業界に未だあるのだけれど、そろそろ発注する側ももう少し「選択する際の基準」等、考えたほうがよいと正直思う。ちなみにその知人の会社、一番経験の長い社長でもシステム開発経験3年…

自分自身、同様の企業にいながらこういうことを言うのもどうかとは思うけれど、正直この業界「自分がどこまでやれるか理解していない人」が非常に多いです…

一澤帆布をみて思う

2005年12月19日 | 仕事
一澤帆布で株の相続に端を発する「お家騒動」のニュース。以前京都へ旅行した際に一度店を訪問したことがあるのけれど、その時は殆ど商品が店頭になく、何も買うことはなかった(できなかった)。そんな経緯もあるので今後の顛末は少し気になるところ。

この件の報道を眺めていてふと思ったは自分の会社のこと。考えてみれば資本構成から考えると、「弊社」はほぼ自分のオーナー会社といってよい。少し知人から出資もしてもらっているけれど、資本の過半数以上は自分の持ち出し、そして役員も一人だけ。なのでやろうと思えば好きなことができる。

将来的に自分の子供(今はいないけど)に会社を継がせることも可能だし、自分の親族を次々と役員に仕立て上げる事もやろうと思えばできる。

もちろん、ついてきてくれた社員のモチベーションだけで成り立っているような会社。上記のようなことを「する訳がない」し、今後もそのつもりはない。

今はまだ会社を維持することに精一杯なので、正直将来のことまで深くは考えていなかった。けれど、こういうことも真剣に考えなければいけない。

個人的には「オーナー会社」というものは好きでないし、それはこれから入ってくるであろう新しい社員にとっても同じ事だろう。

そう考えると会社を今よりもより「パブリック」なものにする必要がある。こんな経緯で会社を立ち上げたこともあって、なんとなく感情的に「株式公開」なんて考えてもみなかったのだけれど、こうした視点からも将来的にはやはり検討しなければいけないのだろう。公開だけが目的になってはいけないのはいうまでもないけれど。

税務等事務的な部分ではこの一年で会社経営に必要なことがある程度、わかったつもりでいたけれど、経営者としてはまだまだ素人。色々と考える事は多いみたいだ。

お歳暮

2005年12月14日 | 仕事
零細、とはいっても企業経営者となった今年。15年近い社会人生活においてはじめて「お歳暮」を贈ることにした。

こういうものは包みも重要か、と中野区民としてデパートには新宿伊勢丹をチョイス。上層階に設けられた特設会場へ赴くと平日の日中ということもありさほどの混雑ではなかったけれど、ずらりと並んだ受付テーブル、銀行にあるような整理券発行機まで用意され、準備は万端といった感じ。

注文を受け付ける施設については万全なのだけれど、肝心の商品の種類はさほど豊富ではない。クリスマスプレゼントとは違い、法人間中心のものだからか、とにかく無難なものを揃えました、という感じ。

今回のお歳暮も当然ながら個人としてでなく会社代表として、お世話になった取引先に贈るもの。昔はよくわからないけれど、最近では個人間でのお歳暮ってあまりないような気がするのだけれど、どうなのだろう。自分自身、社会人になってからも贈ろうと思った事は一度もないけれど。

以前の会社でも年末になるとそれなりのお歳暮が送られてきて、仕事納めにはそれを社員に分配してくれたので、商品の選択では「分配できそうなもの」にしておいた。形式的なものではあってもこの辺だけは気を使っておいた。

昔のように甘い時代ではないし、贈り物をすることで仕事が増える、とかそういうことは期待していない。むしろ今の時代、そういうことで仕事を取ろうとすることは嫌われる社会になっている(のかも)しれないし、個人的にもそういう社会の風潮は嫌いでない。

それもあるので、今回贈る先はいずれも、今年一年一緒に仕事をした、本当にお世話になった先のみ。来年あたり仕事がもらえるかもしれない、という微妙な関係の会社担当者へは送らないことにした。下手に贈るとなんだか袖の下みたいで嫌らしいし。

どうでもよいけれどお歳暮の定番、「サラダオイル」が会場入り口近くの目立つところに置かれていた。自分の実家も親の仕事柄、昔はよくお歳暮がくる家庭だったのだけれど、うちの親は「またサラダオイル」と受け取る都度がっかりしていたこの商品、やはり今も人気あるのだろうか?

業界の常識

2005年11月22日 | 仕事
先月から我が社でひとり、フリーのエンジニアに持ち帰りの仕事を頼むことになった。システム業界、それも我々のような小規模の会社ではよくあることで、だいたいの場合フリーのエンジニア、というのは過去に同じ会社に所属、もしくは取引先として知り合った間柄であったりする。

仕事を依頼したのは前の会社の同僚。自分は退職し今の会社をつくり、彼女はフリーエンジニアとしてこのように知人から仕事を請け負って生計をたてている。

昨日初回分の請求書を受領。そこでの請求額は源泉徴収10%を差し引いた金額になっている。以前の会社でも同じようにフリーエンジニアとの取引があったけれど、会社、エンジニアの双方ともに「フリー(個人事業主)は源泉10%をあらかじめ差し引いて請求」が「常識」になっていたので、自分もそういうものなのだ、とばかり思っていた。

今は事務もすべて自分で行う必要があるので、源泉として「預かった」金額は納税しなければいけない。その振込用専用用紙を中野税務署へ受け取りに行った。用紙自体は簡単に入手できるも、記入方法に不明点あったので直接職員に尋ねてみた。

そこで知った意外な事実なのだが、フリーの人に対する報酬で支払い時に源泉徴収する必要がある職種は、実は非常に限定されている。作家、作曲家や野球、競馬騎手、モデル、ボクサー等々。(たぶん、だけれど) 「取り逸れのありそうな」職種だけということみたいだ。

すくなくともシステム開発においては個人事業主であっても、納税は本人が年度末の確定申告で行うものであり、源泉徴収すべきものではない、とのこと。

以前の会社では、個人事業主からくる請求書ではかならず源泉が引かれたものになっていたし「総務のプロ」を名乗っていたおじさんも「常識だろ」と自慢げに語っていた記憶がある。今更ではあるけれど「業界の常識」なんて実にアテにならないものだ。かなり狭い間で流布した常識なので、あまり業界のせいにしてはいけないのかもしれないけれど。

それにしても以前の会社、この徴収してしまった分をどうやって納税していたのだろう…

小さい会社でも

2005年10月04日 | 仕事
午前中、品川のある中堅Sierを訪問。我が社のA君、フリーランス時代に同社と取引をした経緯から、社の顧客拡大のためにと同社へ個人的にコンタクト、会社のことも売り込んでくれたのだ。ここまでなら幸せな話、なのだがその後がいけなかった。今日はそのまずい売り込みに対する後始末、二度目の訪問。

求道的で、自己のスキル向上なによりの喜びとするA君、とにかく同社と仕事がしたくてたまらなかったらしい(このSierさんは業界でも知る人ぞ知る高スキルの会社なのだ)。困ったことにA君、その思い溢れすぎて少々余計なことをしてくれた。具体的には、ここ数ヶ月我が社が地道なアプローチにより獲得しかけているエンドユーザさんを、勝手にこの会社に紹介する、と約束してしまったのだ。このユーザさんは品川のSierさんからみてもなかなかに魅力的な先。当然ながら、上等の鴨鍋を前にしたかのごとく猛烈な勢いで「はやくユーザとの段取りを」と猛烈なアピールをかけてきた。

自分の意図としては、請け負えそうな仕事の一部について、彼らの協力を得たかっただけなのだが、A君はそれを丸ごと彼らに譲ってしまおうとしていたのだ(そして、その一部をこちらにまわしてもらおうとしていた)。

もちろんそのようなことはできないし、下手な嘘もつきたくない。ここは正直に謝り彼の発言を取り消すしかないな、というのが今日の訪問目的。曇り空以上になにか思いものを感じながらの訪問であった。

先方も大人の対応をしてくれたので話は無事に終了。訪問後に少し喫茶店で話をする。彼の言い分としては、我が社単独でこなした場合、自分達以上のスキルは発揮できないが、彼らの「下」で作業を行えば、よりスキル向上が行えると思った、と。

うちのような零細企業だと、会社の力も高がしれている。営業活動では常に相手より下の立場で物事を進めなければいけない。そんな中でやっとつかみかけた直接の大手取引先。このことが伝わっていたら、今回のような行動も取らなかったのだろう。

社員について、単なる使用人にはなって欲しくないし、徐々に上を目指して欲しいとも思っている。その意味も込め常日頃より「チャンスがあれば積極的に各自が営業活動を行って欲しい」と言っていたのだが、それがすっかり裏目にでてしまった形だ。小さい会社の中でさえ意図することを他人に完全に理解してもらう事はなかなかに難しい。

今回の件はA君が最近加わった会社立ち上げ時よりのメンバーではない、ということにも原因があるのかもしれない。まだ規模は小さくても、全てをツーカーで済ませるわけにはいかない段階になった、ということを知った意味では良い教訓だ。

良くも悪くも、我が社もだんだんと「企業」らしくなってきたということなのだろう、前向きに考えるならば。

社名の由来

2005年08月29日 | 仕事
この4月に会社を立ち上げた際、当然ながら社名をどうしようということになった。良い案、強い希望、誰かしら持っていると思ったら、さにあらず。誰一人として具体的な名称を出す事ができない。なんともつつましい社員達だ。

仕方ないので社員全員に「宿題」として一人最低3案を提出、最後は投票によって決める事にした。

こんな流れなので、ある意味名前は何でもよかったのだけれど、個人的に少しだけ「こだわり」もあったので、ネーミングに関しては一つだけ条件を設定した。
その条件とは「基本的に会社名は日本語で、漢字、もしくは平仮名で表記する」というもの。

個人的に国粋主義的な嗜好はないのだが、会社名はできれば日本語にしたかった。その理由については、例えば求職サイトのようなところで、業種を「IT系」に絞り、会社一覧を出してみたりすると理解していただけるかと思う。

そこではものの見事にアルファベット、外来語のオンパレード。ライブドアやサイバーエージェントは言うまでもないけれど、IT系の場合、9割以上の会社社名は外来語にてネーミングを行っているといっても、決して誇張ではない感じだ。

要は思想的なものというよりむしろ、「他と一緒はイヤ」といういつもの天邪鬼的な発想でしかないのだけれど、結果としてはなかなか良い名前が見つかったと思っている。

その名前、若手女性社員が「昨日、あるある大辞典で特集していた野菜の名の語感が気に入ったので」と提出したものが投票の結果セレクトされてしまった。天ぷらにすると美味しい少しマイナーな野菜。意味は全くないのだけれど、読みはそのままに、漢字だけ別のものにしたら、いかにも「意味ありげ」な名前になった。

初対面の人に名刺を渡すと、かならず社名の由来を聞かれる。深く考えずにつけた名前だけれど、まずは興味を持ってもらう、という点においてはビジネス的にもOKだったのかな、と思う次第。

なぜ起業したのか

2005年07月27日 | 仕事
以前少し述べたように、この4月から独立して、つつましい会社を経営することになった。いまのところソフトウェア開発が主業務なので、最近の言い方に習えばIT起業、ということになる。実際は社員5名ほどの零細企業でしかないのだけれど、ものは言いようだ。

友人、知人やかつての取引先に起業した旨を知らせれば、誰もがよくぞ決意しましたね、と励ましの言葉をかけてくれる。こういう時は「自分の理想を実現する会社を前からつくりたかった」と答えることにしているけれど、正直これは嘘。流れの中「仕方なく」会社をつくる運びとなってしまった、というのが本当のところ。

起業準備で方々役所を駆け回ったり、仲間と会社の名前を決めるミーティングを行う時。普通であればもっとも希望に満ち、楽しくてしかたのない時期、自分の頭には今後の不安等ネガティブなことばかりで、正直とても「楽しめる」心境ではなかった。こんなこと、社員の前では口が裂けても言えないことだけれど。

そもそもの起業原因は前に勤めていた会社にある。20名ほどのベンチャー企業。11年勤めた会社を辞め、強い決意と目標を持っての転職のはずだった。それなりのポジションと給与を与えられ、入社当初は努力もしたし、最初の一年だけは充実した時を過ごすことができた。当時はここを「自分の理想を実現する場所」と信じて疑わなかった。

だが、小さい会社というのは、自分が予想していた以上に脆く、崩れやすいものだった。創業メンバー同士の反目、グループ抗争。ネットバブルに乗り遅れた社長は未だ株式公開のことしか頭になく、こういう状況にも無関心でなにも行動を取らない。社員は次々と入れ替わり、さすがに自分も次の進路を考えなければいけなくなった。また、入社後は採用も担当していた関係で、自分より後に入った社員の多くは自分が誘い込んだようなもの。この点についての責任感も感じていた。

以上のような状況から、流れとして退職予定メンバーをまとめ、今の会社を立ち上げる、という運びとなった。「仕方なく」と思っていたのもこのような理由から。

「少しはましな会社にしよう」。実に夢のない第一声で我々の会社は始まった。
ただ、今ではこれまでの選択について、何の後悔もしていない。むしろ、結果としてはこれでよかったと思っている。会社も徐々に軌道に乗り始めたし、人も増える予定だ。
最初は複雑な心境から言えなかったけれど、今ではこの会社を「自分の理想を実現する場所」にしたい、と思えるようになってきた。

ネットバブル以降、独立起業も珍しくはなくなってきたけれど、すべてがぎらぎらとした前向きな理由によるもの、だけではない。中にはこのような理由でスタートする会社もあるのだ。

税務署にて

2005年07月21日 | 仕事
午後から中野税務署にて「新設法人説明会」というものに出席した。管轄区内で過去数ヶ月内に登記した法人へ案内を出しているようで、出席は無料。中野税務署、中野法人会、税理士会中野支部の共催。

前半はビデオを見るだけで正直退屈。面白かったのは後半、税理士会代表の税理士さんによるレクチャー。

題目は一応、会社運営に必要な税務基礎知識。しかし丁度この時間に税務署員が席をはずしはじめ、税理士さんはこの「離籍」を確認すると、いかに無駄な税金を払わなくするか、という話に切り替えいくつか面白い話を聞かせてくれた(もちろん、節税の話であって脱税の話ではない)。

この方はJリーグ選手がクライアントにいるそうなのだが、彼らはやはり、というか飲食費が突出しているらしい。これを当初、マニュアルどおりに「交際費」としたら、税務署にNGをだされたがその後工夫して「栄養費」と項目名を変えたらあっさり通った、とか、こういう話をいろいろ。

そして、署員が部屋に戻ってくると、また元の四角い話をつづけるのだ。税務署内の会議室でなかなかスリリングなことをするこの税理士さんには何か好感がもてた。

最後は税務署からの事務的な説明。ここで一つ驚いたのが「給与所得者の扶養控除等申告書」。そう、会社勤めの方ならだれもが毎年度末に書かされるあの緑色の紙。
てっきり、あの紙を税務署へ提出し、扶養控除の計算でも行うのかと思っていたら、あれは法令上定められているので、社員に書かせるよう指導しているだけ。記入後の用紙を役所へ提出する必要はなく、会社で7年間保存するだけ(自分の会社も税理士さんに言われ全社員分書かせたけれど、年末にでも提出するものだと思っていた)。

あの用紙を記入した社員としていない社員では税金額に結構差が生じてくるのだが、それをあの紙の提出によってチェックする、という仕組みはないらしい。あくまでも、自己申告の世界(もちろん検査とか入ればアウトだが)。

税務面については全くの素人だけれど、やはりというか一筋縄ではいかない独特の世界みたいだ。うちのような零細企業でも契約する税理士さんはいるわけだが、やはり餅は餅屋に、である。

最近の若いやつらは

2005年07月05日 | 仕事
古代ギリシャ遺跡の発掘品にも「最近の若いやつはなっとらん」と記されていた、との話は聞くが、昨日、今日は「最近の若いやつら」の身勝手に翻弄され続けた二日間であった。

いや、ストレスもたまったので、少し人のせいにもしてしまった。トラブルの原因は零細企業故の立場の弱さ等、諸々の要素が絡んでいたのも事実なのだが。結果として一番無責任な対応を取っていたのが若い人達だった、というだけのこと…

かくいう私の属する世代はかつて「新人類」と呼ばれ、身勝手で、何を考えているかわからない世代と評されていた。私自身、社会に出たての頃はこの世代コンセプトに勝手に当てはめられ、少しでも何かをミスすると「これだから新人類君は」と嫌味を言われたものだ。

実際のところは、ある程度なにかで経験を積んだ人間が経験をあまり積まない人と接すれば、いつの時代、どのような場であろうとギャップは発生するはず。その原因を安直に「若さ」に求めること自体、ある意味間違っているのだと、個人的には思っている。

現状として、仕事で若い人となにか仕事をすると、かなりストレスというか、その責任感の欠如に悩むことは多々あるのだが、たぶんより上の世代も同様に、我々が若かりし頃、同じ思いを抱いたはずだ。若いから、でなく経験がない人はそれなりの行動しか取れない。かつては若かったが、いまはそうでもない一社会人としての意見。

よくよく考えれば、自分だって新人君であった頃、そんなに責任感と業務遂行能力に長けた若者では決してなかった。
最近では、こういうことが理解できないこと自体が一番「なっとらん」ことなのだ、と考え、自戒している毎日である。

こたえていくチカラ?

2005年05月26日 | 仕事
この4月、社員5人というつつましい会社を立ち上げたのだけれど、取引銀行にはUFJ銀行を選択した。自分の口座があるのも一因だが、元々UFJはリテールや中小企業に力を入れている銀行だから、というのが主たる理由。ところが口座開設後、初回給与の支払いに給与振込契約を申し込もうとしたら、にべもなく断られてしまった。窓口の行員によれば「当行では新規先との給与振込契約は行っておりませんので」とのこと。

給与振込契約とは簡単に説明しておくと、給与支払日の数営業日前、銀行窓口へ振込先のリストを持参すると、支払日当日には朝一で科目=給与として受取人口座へ入金をしてもらえるもの。資金自体は振込日より前に支払側の口座から引き落とされてしまうので、銀行側には給与資金未回収のリスクはない。ちなみに原則、振込手数料は一般振込と変わらない。

納得がいかず、更なる説明を求めてみた。行員曰く、資金不足に陥った場合、給与金額については組み戻し作業で振り込みを止めること可能だが、その場合は組み戻し手数料(1件あたり840円)が発生する。給与支払側の口座残高がゼロの場合、この手数料が回収できない「危険性」があるのでお断りしている、とのこと。

いま日本の銀行はこの程度のリスクにもシビアになっているのか、と肩を落として銀行を出るしかなかったのだが、後日この話を税理士にするとUFJ「だから」ダメだったのでは、との意見。
なるほど、と今日ダメモトで三井住友にて口座開設と共に、給与振込契約を申し込むとあっさりOK。
普通に考えれば個人、企業ともに「囲い込もうとする」のが銀行なのだから、当然といえば当然なのだが…

最近の勝ち、負け二元論でものを評価する風潮はあまり好きではないけれど「負ける」というのはこういうことなのか、あらためて実感する出来事であった。UFJは今年、あの「殿様」東京三菱に吸収合併されることを考えればある意味しかたのないことなのかもしれないが。

所詮はビジネス上のことなので、この辺はお互いドライになるしかあるまい。

社会に出て10年以上も三和、UFJとメインバンクにしてきた身として、少し寂しい部分もあるけれど、今の彼らには東京三菱「へ」こたえていくチカラしか残されていないみたいなので、今後の取引については見直していくしかないのかもしれない。