中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

いまから弦楽器

2006年01月30日 | 音楽
以前にも書いたように、金管楽器というのは「老後の楽しみ」として一生続けるにはやや辛いものがあり、弦楽器をこの歳からでも習い始めようか、と考える今日この頃。

知り合いに、こうしたレートスターター(最近増えているらしい)専門の弦楽器のトレーナーがいて、このことを相談してみた。プロを目指すのでなければ何歳からでも遅すぎるということはないけれど、体がある程度固まってしまう40歳くらいまでには始める事が望ましい、とのこと。なんとか条件はクリアしている。

弦楽器にはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの4種類がある。はたしてどれをやるか?アマチュアオーケストラにおいて、弦楽器奏者は総じて慢性的な不足状態にある。そういう観点からだけであれば、これらのどれを選んでもそう困る事はない。

トロンボーンですら結構うんざりしているので、できれば持ち運びの楽な楽器にしたい。その意味ではヴァイオリン、もしくはヴィオラが有利。特にヴィオラ奏者というのは弦の中でも特にすくないので、希少性という意味では悪くない。

好み、ということであればどちらかというと低い音の楽器が好みなので、チェロ、コントラバス、ということになる。ただ、コントラバスは楽器を運ぶことも一苦労。個人持ちをするにはもっとも相応しくない楽器。練習への移動も車で移動するのが一般的なので(電車で持ち運ぶと壊す可能性大)、練習後に酒を飲む事もできなくなる。これは結構辛い。

チェロはその点、大きさはそこそこあるもそう重くないので電車でも移動することは充分可能。コントラバスは正直、あまり一人で弾いても楽しくは無い(と思う)し、弦楽アンサンブルでも少し規模が大きくならないと参加できない。

以上諸々を考えると、いまのところはチェロがよいかな、と思い始めている状況。

ちなみに弦楽器の場合、かならずしも大きさと値段は比例しないもの、みたいです。何れの楽器もピンキリの差が激しすぎるので、買ったもの次第。あるチェロトレーナーのサイトを見ると、プロとしてリサイタルを開くべきものは1000万から、との記述。見ているだけで眩暈がしてくる。

ただ、弦楽器はある程度良いものを買うと資産価値が向上するものなので(良いものは経年変化によって音が良くなる)、こういうところであまりけちってはいけない、とのこと。原則消耗品である金管楽器とはこの辺が大きく違う。

以上、あれこれ考えること自体は楽しいのだけれど、問題はそれを実行する勇気があるか。結局のところ決めてはやはり「お金」。別に誰かさんのコメントを肯定するわけではないけれど…

ソニー・ロリンズ@東京国際フォーラム

2005年11月07日 | 音楽
Jazz界の生きる伝説、ソニー・ロリンズの東京公演を聴きにいってきた。

Jazzのマーケットとして日本はかなり巨大な市場の一つ。「巨人」とか「歴史」といった形容をもつミュージシャンでも結構頻繁に来日していたりする。ロリンズもそのひとり。今回の来日公演が22回目。さらにここ10数年だけを取るならば、それこそほぼ1年おき位の頻度で来日していた。

その意味ではさして珍しくも無い公演のはずなのだが、今回だけは「特別」。なにしろこれがロリンズ最後の日本公演ということで、日本のJazzファンにとって「行かずにはいられない」ものに。

これまではだいたい中野サンプラザで行っていた東京公演も今回は東京国際フォーラムAホール。収容人数5000人とJazzの公演を行うにはいささか器が大きいが、チケットは前売り段階で完売。幸いにしてチケットが手に入り、座席は前から25列目。なかなかに運がよい。

自分自身、ロリンズの公演は過去2回程聴きにいったことがあるけれど、ここ何年かは正直「ご無沙汰」していた。元よりJazzに関し、たいして肥えた耳はもってはいないけれど、そのような自分の耳をもってしても、最近のロリンズにさほど音楽的に光るものがあるとは正直思えなかったし、たまにその姿を拝めればそれでよいかな、というのがコンサート鑑賞時の動機であったのも事実。

で、肝心のコンサート。前半と後半、休憩を挟み約1時間ずつの構成。バンドはロリンズ以外にトロンボーン、ベース、ギター、ドラム、パーカッションの構成。ちなみにトロンボーンはロリンズの甥っ子のクリフトン・アンダーソン、最近ではお馴染みのメンバー。

ロリンズ御大、今年で76歳とのことだが相変わらずまぁ「モリモリ」と吹く。その点については感心する限り。よくやるよ、というのがまず何よりの感想。今回で日本は最後だがそれは長旅のツアーはやめる、ということでありミュージシャンとして引退するわけではないのだ。ただ、先に書いたように少し生意気なことを書くとあくまでもあの年にしてはよくやるわい、という見方になってしまうのも否めない。

満員となった東京国際フォーラムやはり年輩の方が多かったが、今日はロリンズを聴きに来る場、というよりはロリンズの姿を拝む場という感じ。会場の雰囲気を一言で表すならば「あたたかい視線で満たされた世界」。目の前であのロリンズがテナーサックスをブロウする。それだけでよいのだ。

一通りのプログラムを終え一度ステージを退いたところで熱烈なアンコール。それに応え再び舞台に現れたロリンズがおもむろに吹き始めたのはセント・トーマス。ロリンズの最高傑作と名高いアルバム「サキソフォン・コロッサス」の冒頭を飾る彼の代表曲だ。ある意味ベタな選曲であるけれど、ロリンズから日本のファンへの贈り物、ということなのだろう。

「あの頃」と比べればテンポも緩やかで指も回っていない。底抜けに明るい南の島の太陽を描いたような音楽が、今日はどこか寂しげに響く。聴いているとなんだか夕日を見つめているような気分になった。

しかしひとつだけ言っておくならば、いろいろな思いを胸に夕日を眺めるという事、これは人生においてもっとも心地よい瞬間のひとつなのだ。

メータ/バイエルン国立歌劇場/マーラー3番@サントリーホール

2005年09月27日 | 音楽
ここ最近遠ざかっていたクラシックコンサート。知人からチケットが1枚余ったとの(自分にとっては幸せな)連絡を受けサントリーホールへ。

ご存知の方もあるとは思うけれど、今年と来年は「日本におけるドイツ年」。それがなにか、と言われても困るけれど、国家間で時折ある交流キャンペーンのようなもの。その一環として、ドイツの名門オペラ、バイエルン国立歌劇場が来日公演を行っている。オペラのみではなく、管弦楽コンサートも行っており今回行ったのはそのプログラムの一つ。

マーラー3番、というのはある意味微妙なプログラムかもしれない。まずは作曲者のグスタフ・マーラー。比較的年齢層の若いクラシックファンには絶大な人気があるけれど、年配の人ファンにはそれほどでもない(らしい)。さらに言うならマーラーの交響曲というのはえてして長く、この3番の場合は90分くらい。なので今日のコンサートの場合、前プロ(メインの曲の前に演奏する曲)なしで3番一曲のみ。

チケットの値段もそう安くはなく(一番「安い」席で1万円)、正直、どれほど客が入るのかと思っていたけれど、席は8割以上埋まっていた。景気回復の兆しなのか、勝ち負けはっきりした階層社会になりつつあるのか。いずれにせよ、このような大曲(曲の長さも、オケの編成も大きい)、外国のオケで聴く機会はなかなかない。そういう部分もあるのだろう。

トロンボーンを吹く身としては、この曲第1楽章で延々と歌われるトロンボーンソロが聴けるだけでも充分過ぎるくらい。安い席であったので舞台の右斜め「後ろ」。普通ならかなり悪い場所なのだが、トロンボーンセクションが目の前にいるので、結構ラッキー。持参したオペラグラスで楽譜を見ることまでできたし。

唯一残念だったのは、隣席の人(真面目そうなおじさん)の鼻息。こればかりは先方も悪意があってのことでなく文句も言えないけれど、とにかく「すー、ぴー」と煩く気に触る。音の厚い部分ではまだしも静かな部分になると非常に目立つ。映画と違って席も移れないので運が悪かったと諦めるしかなかったけれど。

とはいえ、基本的には幸せな90分を過ごす事ができた。偉大にして長大なこの曲とその演奏を文章で表現しきる力は正直ない。ので、意図的に一言で安易にまとめるなら「すばらしい」。ドイツのオケならではの音の厚み、各メンバーのテクニック、音色。見事に揃ったユニゾン、オルガンのように響く和音、その音の形、歌い方、トロンボーンのソロの音色。何をもってみてもこの一言を連呼するしかない状態(一部分だけ音程に微妙なところあったけれど、大局には影響なし)。

最終楽章は神々しく、なにか巨大なものが天から降り注ぐような壮大なエンディングで終わるのだけれど、ここにおいてはとなりのおじさんの鼻息さえ、生の息吹に聴こえてくるのだから不思議なもの。まさにとろけるような感じ、を味わうことができた、名演。終演後10分以上止まらなかった観客の拍手がなによりも正確に今日の演奏を語っていたと思う。

やはり音楽は「生に限る」ですね。

栗コーダーカルテットライブ@吉祥寺MANDA-LA2

2005年09月21日 | 音楽

このアルバムですっかり気に入った栗コーダーカルテット。WEBで適当に検索すると吉祥寺でライブがあること、本番の3日前に知ることになった。中央線沿線の地の利を生かさない手はない。昼の電話で当日券有無も確認できたので、いざ吉祥寺へ。

ライブの正式タイトルは「栗コーダーカルテットDVD&CD同時発売記念ツアー2005 秋編 追加公演」。吉祥寺のライブハウスMANDA-LA2にて。

会場へ着くとすでに列ができていたがこれは前売り購入者用とのこと。で、前売りを持たない自分は一人、未購入者用の場所で待機する。すると列の先頭近くにいる人がチケット1枚あまっているのですが、と声をかけてくる。さらに別のもう一人、同様にチケットあまってしまったのですが、と。連れと二人で見る予定であったので、どちらのご好意もありがたく受け取る。前売料金で入れることさることながら、チケットに振られた番号順(=購入順)の入場となる為、3番目!に入場、舞台最前列、正面の席を取る事ができた。今日はなかなかに運の良い日のようだ。

客層は女性比率が多く、前売りの列をみた限り、自分のような俄か興味組よりはしっかりとした固定ファンが中心の様子。そう大きくもない会場ということもあったけれど、立ち見も出る盛況。観客数70人くらいだろうか。

音楽をテキストで表現するのは難しいけれど、このバンドを表現する時に必ず使われる「脱力」という単語はやはり適切かもしれない。リコーダーという楽器、音程が微妙に不安定ではあるけれど、それがむしろ心地よさを生み出す要因になっているみたいだ。所々のメンバーによるMC自体も「脱力」しまくっていて、この辺もなんだか好感もてる。

基本的な構成はリコーダーアンサンブルなのだけれど、各メンバーが実に多くの楽器をこなす。最初の3曲位はリコーダーのみの編成だが、以降は曲によりギター、バンジョー、ウクレレ等の弦楽器からチューバ、ホルン、サックス等管楽器。メインのリコーダーもピッコロからグレートバスまで実にバリエーション豊か。曲もさることながらいろいろな「響き」が楽しめるので、全然飽きがこない。

「やる気のないダースベーダーのマーチ」も演奏してくれたけれど、この曲のリードを取っていたのはリコーダーではなく、ピアニカのような鍵盤楽器だった。少々意外。見た目は全くピアニカで音だけ全く異なるあれはなんと言う楽器なのだろう…
ちなみにこの曲、当初サンバ風を予定していたらしいのだけれど、別のアルバムでそれを採用してしまったので、今回のアレンジにしたとのこと。

2時間半のステージが短く感じる楽しい一晩であった。同時に好きなバンドが一つ増えた夜でもあった。年末にまた吉祥寺でライブをやるようなので、可能であれば是非また聴きに行きたい。もちろん今度は前売券を買って!

異邦人

2005年07月24日 | 音楽
音楽に順位をつけるのは難しいけれど、日本の音楽で好きな曲を10選べと言われれば、迷わずに選ぶ一曲がこの「異邦人」。

久保田早紀が「異邦人」を発売したのは1979年。突然現れた新人歌手がこのデビュー作品で150万枚を売り上げ、そしてこの一曲のみで表舞台から去っていった。悪意ある言い方でしばしば「一発屋」と呼ばれるのもこのためだ。

70年代末から80年代前半、ベストテン番組全盛自体には、このような一曲限りの人、というのが結構いた気がする。当時は今のようなタイアップ戦略、路上、インディーズといったものもなかった時代。基本的にはレコード会社の人が発掘した人を市場で試す、というやり方だったからなのだろうか。

突然の爆発的なヒットと「その後」。このような経験はそれなりの混乱と苦悩を一人の人生にもたらしたようだ。
異邦人の大ヒットから数年後、大学の学園祭で彼女のコンサートを見た私の兄によれば、彼女は最後まで「異邦人」だけは歌わず、場内の熱心な「異邦人」コールにも、頑なまでに応じることはなかった、とのこと。突然の成功は必ずしも人を幸せにはしないのかもしれない。

WEBで調べてみると、久保田早紀は「異邦人」の後、6年間で9枚のシングルレコードを出すもあまり売れずに引退、その後結婚。現在は敬虔なクリスチャンとして、教会活動に励んでいるらしい。今でも教会でコンサート活動は行っているようだが、当然ながらそこで異邦人が演奏されることはないのだろう。

このブログを書き込むPCの音楽ライブラリには「異邦人」も収められている。いまでも時々、窓の外の風景を眺めながら、この曲を聴くことがある。切ないボーカルを聴くと、これまでに色々と旅してきた風景、そこでいつも一人、その場の「他者」として旅を続けてきた自分のことを思い出す。

旅行好きと出不精という相反する二面性を抱えた自分にとって、この曲しばしば次の旅へと誘ってくれる良き案内役なのだ。

楽器をはじめよう!

2005年07月04日 | 音楽
先日ネットラジオでバロック音楽を漠然と聴いていたら、衝動的にリコーダーが吹きたくなった。

便利な社会というのもある意味考えもの。思いつきと消費行動が実に簡単に結びついてしまう。スピーカーから流れるリコーダー音楽が耳に届いた30分後には、どの製品を選べばよいか、それを最安値で提供するところはどこか。これらの情報が整理され、クレジットカードを手に、注文ボタンをクリックしていた自分。

義務教育を日本で受けていれば、多くの方は小学生の頃「リコーダー」を吹いた経験があると思う。ネットで調べてわかったのは、学校で「買わされる」ソプラノリコーダーより、中学生あたりに少しだけ使用する「アルトリコーダー」の方が、音楽的にはより幅広く楽しめてよい、ということ。日本メーカーの樹脂製のものなら2~3千円程度でも結構良い音が出る、とのことなのでまずはYAMAHAのアルトリコーダーを購入した。

趣味ではあるが、中学時代より20年以上トロンボーンを吹いている。息を出せばすぐ音のなるリコーダーを正直なめていたが、いざ手にとると思いのほか、難しい。ただメロディを奏でるのならよいのだが、音程、音の形。そういったものをCDで聴くように仕上げようとすると全然うまくいかない。実に奥が深い。

楽器をやるには教則本、ということで、同じくネットでこれも取り寄せ、毎日ピーピー背中を丸めながら仕事の合間に楽しんでいる。まずはロングトーンと音階。管楽器の基本はこれなのだ。

数千円の投資で手軽な趣味がひとつ増えた。ネットラジオには感謝しなければいけない。何か楽器を、と考える方にはコスト、練習場所等を考慮するとかなりお勧めの楽器だ、アルトリコーダー。

実はトロンボーンを含めた金管楽器というのは、歯が衰えてくると吹けなくなる可能性もあり、以前よりこれ以外で楽しめる楽器があればと考えていた。また、金管楽器というのは自ずと演奏する場所を限定してしまう。その意味で、今回のアルトリコーダーはまさにここ何年も探していた新しい楽器だ。気軽にどこでも吹けるし、買った当初からとりあえず音は出る。それでいて奥深さもある。いうことなし。

人によりいろいろな嗜好、考えあるとは思うが、個人的には人生においてなにかしらひとつ、楽器ができれば、人生とても豊かになると思っている。音楽が嫌い、と言う人にまで押し付ける意見ではないが…

楽器を演奏するという行為自体、少し格好つけた言い方をすれば、自分自身を映し出す、行為でもある。サボっていればいつまででもそのままだし、努力や、きまぐれなその時の「調子」いろいろな要素によって、都度違う結果が生まれる。それでもあきらめず継続的に続ければ、確実に何かしらの結果も生まれてくる。

仕事という、結果最優先の場において、かならずしも上記のような、気の長い自分との対峙を望むことは難しい。その意味においても、楽器を奏でる行為、これは趣味と同時に自己成長をわかり易い形で楽しむことができるもの。もしもなにか「老後の趣味でも」と考えている方がいたならば、アルトリコーダーを試してみること、お勧めしたい。

宴の後

2005年06月18日 | 音楽
新宿文化センターにて所属するオーケストラの演奏会に出演。
アマチュアオーケストラに所属してはや10数年。だいたい年に2度ほど演奏会を行っているが、この演奏会の後ほど心地よい時はない。

仕事、利益、効率。こういった言葉を気にすることなく打ち込める趣味。このありがたみが本当に理解できるようになってきたのは社会へ出て、ある程度の年数を経てからのことだ。
学生時代も大学のオーケストラには所属していたけれど、当時はここまで「楽しさ」は実感できていなかったはず(大学オケが体育会気風をもった厳しいところだったこともあるが)。

以前、どこかクラシックマニアのウェブサイトで、アマチュアオーケストラのような自己満足に付き合って入られない、とのコメントを見たことあるが、まあそれはその通り。客を楽しませることを仕事とするプロフェッショナルと比べればある意味あたりまえのことだ。アマチュアオーケストラを聴くにはある程度「寛容さ」というか人間の幅が必要なのだ。

ただ、自分はこういう寛容さを持ち合わせたほうが人生楽しいとは思う。音程の外れた演奏でも、どこか一箇所光る部分。こういったものにも喜びや興味を持てる人間になっていきたいものだ。

いずれにせよ、年に2度の「宴」のうち、1回は終わってしまった。今年の残りは、そのもう1回を糧とし、日常を乗り切っていくのだ。

溢れるアマチュアオーケストラ

2005年05月29日 | 音楽
東京都内の社会人向けアマチュアオーケストラの団体数をふとしらべてみたら、その数なんと約270。
たぶん、一都市あたりの数では世界で他に類をみない数値(たぶん他とは桁が二つ違う)。

オーケストラは基本的に、最低50人くらいのメンバーが必要なので、単純計算でも1万人以上の人がアマチュアオーケストラ活動に参加していることになる。実際は所属の重複等よくあるのであくまでも概算だが。数字にしてみると意外に小さいものなのだが、それでもオーケストラというものにかかる費用等を考えると270団体というのは凄い話に違いない。

なぜこうも団体数が増えるかというと、オーケストラの楽器構成と、日本の学校教育の二つに原因がある。
まず、オーケストラ構成員の半分以上は弦楽器が占めるけど、親が習わせない限り高校時代までの学校教育で弦楽器に触れることはあまりない。中学、高校で一般的なのはブラスバンド。ということで、木管、金管、打楽器奏者はこの時期に基本技術を会得する人が多い。

大学では総じて生徒数多く、各学生の時間(とある程度の資金)があるので、多くの大学には学生オーケストラがひとつはある。管楽器については既に経験者が多く、ブラスバンド経験者の一部がオーケストラに入ることになる。一方弦楽器は経験者自体が少ないので、大学に入ってから始めても全然問題ない。そこで、大学でなにか音楽でも、と思い立った人は原則弦楽器を始めることになる。

大学生活は4年(かもう少し)で終わるので、毎年輩出される卒業生は社会にて、いざ所属するアマチュアオーケストラを探してみる。だが、どこのオーケストラも募集しているのは弦楽器ばかり。なぜなら、管楽器は更に楽器毎の定員というものがあり、ブラスバンドでメジャーなクラリネットでも、一つのオーケストラではせいぜい3~4名しか必要としないから。

で、このあぶれた管楽器奏者で少し行動力のある人が、自分の所属すべきオーケストラを「新しく」立ち上げることになる。だいたい、このような経緯なので管楽器は比較的簡単に埋まるのだが、弦楽器は慢性的に不足した状態。なぜなら、弦楽器奏者が輩出されるのは主に大学のオーケストラ。管楽器奏者が各高校にあるブラスバンドで生まれることを考えると、その母体数が違い過ぎるため。

上記のような感じで、オーケストラは日々増殖をしつづけていることに…

かくいう自分自身、この「類をみない数値」に含まれるいちオーケストラのメンバーなわけだけれど、週末、街で楽器を抱えた人を見かけたら、このような状況下で趣味を楽しんでいる人たちなのだな、と理解いただければ幸いです。

※ブックマークにある「フロイデ」というサイトを見ると、アマチュアオーケストラの「状況」が推察できると思います。