中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

戦国自衛隊

2006年01月31日 | テレビ
テレビドラマで戦国自衛隊をやっていたので、しばらく見てみた。昔の角川映画の印象を強烈に受けている世代ゆえ、ある程度思い入れもあったし。

最後まで見ずに評価するのも申し訳ないけれど、テレビドラマ特有のチープさは避けられるわけもなく、結局途中で見るのを止めてしまった。ある程度予想はしていたことだけれど、残念。

このドラマに限らず、タイムスリップものを見るといつも考えてしまうのが言葉の問題。ドラマでは戦国時代に移動してしまった自衛隊員が、その時代の人達と普通に会話を交わすのだけれど、これって実際に可能なことなのだろうか(タイムスリップはできたとして)?

テレビもない時代。「標準語」などというものもなく話す言葉はかなり「なまり」が強かったはず。それに言葉自体も400年前の間にかなり変化しているだろうし。「バイク」みたいに明らかな新語は言うまでもないけれど、概念を表す単語って案外明治以降に作られたものが多いらしいし。

基本的には同じ日本語だし、まったく通じないということはないのだろう。福島を訪れて年輩の方と少し話をした時、言っていることの半分くらいしかわからなかったことがあるけれど、たぶんあんな感じなのではないだろうか。

「もっともらしく」見せるのがSFの醍醐味。必ずしもリアリティの追求が至上命題だとは思わないので、上記のような言葉の問題は「見逃してあげて」もよいと思う。

ただ、またがってみたバイクを小早川秀明がいきなり動かしてみせたりするのは(すぐに転んだけれど)は「ダメ」だと思う。ギア付のバイクって、現代人だって教わらないと動かせない。

こういう部分に工夫をこらせば、低予算のテレビでもそこそこに面白いものは作れると思うのだけれど。

あと、テレビ用に舞台を「関が原」に変更したのはかまわないのだけれど、原作のキモとも言えるテーマ「果たして歴史は変えられるのか」。このことを各登場人物があまり意識していない(ように見えた)のがとても残念。

相棒

2005年10月06日 | テレビ
あまり見ない、といったばかりで気恥ずかしいところあるけれどここ最近、楽しみにしているテレビ番組が「相棒」。水谷豊と寺脇康文主演の刑事もの。

10月から新シリーズが始まる布石として東京では現在、昼に過去シリーズの再放送が流れている。ふとしたことで1話見てみたら、いつのまにか「毎日」見るようになってしまった。

タイトルが想像させるように、主演二人のパートナーシップが物語の売り。単純ながらも正義感に溢れた行動派、刑事の典型(あくまでもドラマの世界で)のような寺脇と、全く正反対に理知的でわが道を行く水谷。合いそうにもない二人が見事に「相棒」として、事件を解決していく、という話。

ドラマではなにより水谷豊の個性から作られる杉下右京という刑事、このキャラクターの魅力が際立っている。自分にはない何かを完璧に持ちうる姿。人が架空のヒーローに憧れる理由だと思うのだけれど、その意味ではこの杉下もヒーローの一形態といっても良いかもしれない。どのような状況においても周りに一切影響されず、常に自分の知性と論理をもって物事を切り抜けていく姿。

実は推理物としての仕掛けや謎自体はそれほど凝っているわけでもないのだけれど、それに対し杉下が如何に考えどう行動していくか。彼の活躍をただ見守ること、それだけでも充分にこのドラマは楽しい。もちろん、彼の同僚である寺脇や、その他各メンバーとの関係性、この辺もなかなかよく描かれているので、ドラマとしてはやはり「相棒」というタイトルが相応しいのだと思うけれど。

岸辺一徳が警察庁の上級官僚として出てくるけれど、この存在感と演技も見もの。うまく説明するのは難しいけれど、「踊る大捜査線」ではついついウェットに成りがちだった完了との関係性に適度な距離感あり、個人的にはこちらのほうが面白い。

決してDVDを購入してまで集めたい、という類のものではないけれど、週に1回の放映を待つ、という分には充分に楽しい作品。10月からの新シリーズも今から楽しみ。初回はスペシャル版とのこと。未見の人はこれで判断するのもよいかもしれないです。

ロング・ラブレター 漂流教室

2005年07月25日 | テレビ
ここ2週間ほど昼に再放送されていた「ロングラブレター 漂流教室」。楳図かずおの原作で、2002年の放映作品。

最初に結論からいうならば、細かい部分についてはいろいろと突っ込みたくなるところあるも、なかなかに楽しめるドラマ。このようなシチュエーション系SFドラマ、というのは総じて飽きずに見ていられる。日本のテレビドラマでSF取り上げること自体稀なだけに、その意味でも思わぬ拾いものだった。

物語は「若者の成長」と「環境問題」のふたつをメインテーマとして据えている。それゆえSFとしてはやや薄味な印象。原作を読んでいないのでなんともいえないけれど、破壊された未来でのサバイバル、となれば仲間内での抗争、外部からの侵入者、そして未来生物。こういう危機状況への対応が物語りのクライマックスとなるべきだと思うのだけれど、これらはいずれも結構あっさりと片付けられてしまう。

原作の大枠は借りているものの、設定はかなり変えている様子。SF臭を消そうとの努力が強く感じられ(エンディングの不釣合いな山下達郎の音楽とかその典型)、SF的設定の妙を楽しむことを期待すると裏切られる。物語の焦点はあくまでも登場人物の人間ドラマ。

これは視聴率という現実的な理由はあるとは思うけれど、同時に11回完結という日本ドラマの制約にも原因があるのかもしれない。このような話をきっちりつくるのであれば、アメリカのように1クール、20話程度ないと苦しい部分もあると思う。

常盤貴子(この人が演じる一生懸命な女性役、は総じてよい)は言うまでもないけれど、思いのほか良かったのが窪塚洋介。実はこれまでこの人の演技をみたことがなく、奇行報道の印象だけでイメージを固定してしまっていた。先入観でものを捉えてはいけない、とあらためて反省。この人による若き教師像というのも、このドラマを見て得た収穫の一つ。

原作の最後は知らないけれど、このドラマのエンディング自体も結構「意外」なものだった。これはぜひ自分の目で確かめて欲しいところ。ただ、最後の最後、あの一シーンだけは明らかに蛇足。訴えたいことの意味はわかるけど、あまりにベタだと思う。

いずれにせよ、思いのほか拾いもの。レンタル等で見てみるのも悪くないと思います。

オーラの泉

2005年06月08日 | テレビ
スピリチュアルトークショーと銘打ったこの番組、国分太一と美輪明弘、さらに「スピリチュアルカウンセラー」の江原という人、3名をホストとしてゲストの芸能人と精神世界について大いに語る番組。

ゲストとのトークを通して美輪と江原、両名が好き勝手「あなたの前世」「守護霊」や「オーラの強さ」を判定してくれる。どこで学んだのか知らないけれど、これらは「確定された事実」というスタンスで、ゲストはひたすら感心し、言葉を受け入れていく形で番組は進む。国分太一は一応ホストだが「その世界」には全く疎く、ゲスト同様にひたすら受け入れていく、という立場。

今週の放送では江原氏が得意満面「オーラというのは誰にでも必ずあるものなのです。オーラがなければそれは死人ですから」と語り、ゲスト(管野美穂)、国分太一共々、極上のトリビアを教わったかのように感銘浮けまくっていた。この時の江原氏の表情をみて「この人、心の底で今何を考えているのだろう」と思ったのは自分だけではないはずだ。

個人的には宗教、オカルトも、他に迷惑かけない限り好きにすればとは思う。ただ、この番組に見られるような、最近のテレビの姿勢はいかがなものだろう。

マスメディアは中立公正たれとの意見があるけれど、自分は必ずしもその必要はないと思っている。重要なのは中立でいること、よりもそのメディアの取るスタンスを明確にすること。右でも左でも、オカルト肯定でもよい。明確にさえしてくれれば、自分の考えに沿った情報のみ選択すればよいだけ。

番組を放映したテレビ局が「科学より精神世界」を謳うのであればそれはかまわない。そのつもりで見る、もしくは無視するだけの話。テレビ朝日のスタンスは何なのだろうか?ぜひとも確認させてもらいたいものだ。未だ後を引くサリン事件のニュースでは沈痛な面持ちでニュースを伝えながら、なぜ前世や守護霊ということばを常識として伝える番組を流すのか。理解に苦しむ。

ちなみに美輪明弘、近辺に住んでいるのか(どうかしらないが)これまで何度か新宿ですれ違った経験がある。なにしろ黄色い髪にあのメーク。とにかく目立つ。声をかけるのも憚れるような歩み。彼らの言葉を借りるなら「オーラ、でまくりの状態」。でも、この言葉きらいなので「際立っていたよ、さすがに」と知人には説明する。

たしかにオーラ、のほうが言葉としては面白い。目くじら立てるのも大人気ないのか。

タイガー&ドラゴン

2005年06月03日 | テレビ
宮藤官九朗の評判は知っていたが、木更津キャッツアイも、IWGPもきっかけを逃して未見。という状況だったので、このドラマが自分にとって初のクドカン作品。

良くも悪くも先入観なく見たが、結論からいうなら、毎週ビデオに録画してでも見たい、と思わせる久しぶりの作品。「あいくるしい」を惰性で見ているのとは大違いだ。

落語とやくざ、という基本アイディアも面白いけれど、なによりも台詞の細かい節々が楽しい。全体的に誇張された演技とテンポのよさ。どちらか、というとマンガのイメージに近いドラマのつくり。人物描写については(たぶん)意図的に深く追求していないようだが、テンポとノリ、で一時間近く魅せしまう技術はさすが。

先週まで、昼の再放送で三谷幸喜の「王様のレストラン」をやっていたが(ですっかり全話みてしまったわけだが)、三谷のドラマは基本的に、間抜けだが憎めない人間というものをじっくりと描くことに長けた、いわば「上質な喜劇」の王道。一方クドカンはなによりもスピード、テンポ重視。メディアで彼のことを、若い人「には」人気の宮藤~と表現した文章を目にした記憶があるが、それもこの辺に原因があるのではないだろうか。

個人的に、両者は比較すべきものではないと思うし、個人的にはどちらもOK。楽しませてくれればそれでよい。
例えるなら三谷のドラマは落語的、クドカンのドラマは漫才的。そのクドカンが落語題材のドラマ、というところがある意味二重におかしい。

いずれにせよ今どき「死んだ妻と生き写しの妻が現れて・・・」なんて脚本のドラマが堂々とゴールデンタイムに放映されている現状を鑑みれば、この作品は今シーズンのドラマのなかでも傑出した出来。未見のかたはぜひ一見あれ!

※物語で天才落語家という設定の竜ニ(岡田准一)の落語が全然面白そうに見えない点はご愛嬌。

あいくるしい

2005年05月15日 | テレビ
日曜の夜、大河ドラマ「義経」を見た流れ(チャンネル違うけど)でつい毎回みているのがTBSの「あいくるしい」。

「家族愛」がテーマで、脚本はあの野島伸司。
テーマ故かこれまでのドラマに比べるとだいぶ「普通の」つくりになっているが、それでも時折現れる「暴力的な」部分はどうしても好きになれない。彼の描く世界では、こういった連中が必須のようだ。

主役の神木隆之介君の演技はすばらしい。この子は「義経」の少年時代も演じていたので、ここ最近ずっとこの子の姿をTVで見ていることになる。そっちの趣味はないけれど、男の目からみてもとにかく「あいくるしい」感じ。ドラマのタイトルも彼を意識してつけたのだろうか。
まだ小学生(5年生くらい)とのことで今後が楽しみ。いや、こういう子役は今後が難しいのかな。

野島ドラマは話が進むにつれ激しい破綻をきたすパターンが多いので、これからどういう方向へ向かうのか。これは別の意味で楽しみ。11回連続ドラマで今日は第6回。ほぼ半分の時点で主役家族の母親が亡くなったのだが、個人的にはこの母親が最終回で生き返るのではないかと予想している。

冗談のような話だけれど「ひとつ屋根の下」での前科もあるから、野島ドラマは油断はできないのだ。