はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

2010年11月第三週のホシガラス

2010-11-22 13:01:16 | Weblog
 この一週間、可も無く不可も無い取り立ててブログに載せる程でもない平々凡々の
日々が続きました。

 11月15日  曇り空です。夜は小雨となりました。

 市民講座に出掛けます。タイトルは「近松と忠臣蔵」でしたが昨日の疲れの為か殆ど
眠ってしまいました。要は仮名手本忠臣蔵の話で歌舞伎に詳しくないホシガラスには今
の処、余り興味を惹かなかったようです。

 夜は平家物語の講座です。京都で義経が頼朝から刺客として送られた土佐坊を逆に
討ってしまい益々、頼朝の反感を買い遂に都落ちしなければならなく条です。
 この講座も今のペースでは来年3月頃には修了となりそうです。

 11月16日  良く晴れた秋日和です。

 午前中、体操教室でした。午後はPCで雑用整理となりました。

 11月17日  曇りで時々小雨が降りました。

 吹き矢の日でしたが、寒くなって天気も悪いので参加者は20名を切りました。
 然し、暫く休会されていた方が久しぶりに復帰されたので嬉しいことです。

 午後は鳥の会の句会です。午前の吹き矢に反して成績は良く有りませんでした。
 5句中、3句が何とか選ばれただけでした。

 帰宅して夕食中に電話が鳴り出るとアフリカ旅行以来15年親しくしていた方
が昨日亡くなられたと奥様から告げられ唖然と共に悲しくなりました。
 7月末には町内の親しくお付き合いして頂いた方に亡くなられ、今回は又、一人
の親しい友人を亡くすことになり世の哀れをしみじみと感じる夜になりました。
 生有る者は何時か必ず去り会えば別れが有ることは判っていても現実となると
無性にせつないものです。特に独り暮らしの身には応えます。

 アフリカを一緒した方達と折りに触れて集まり食事をしたり旅行をしたりして
来たお仲間も減りに減って連絡出来る人は2組になりました。

 11月18日  曇り空ですが時には晴れ間も見えました。

 午前中はグラゥンドゴルフです。昨夜の悲しみを忘れる為にも励みました。
 10ラウンドをプレーしたので5Kmは歩いた事でしょう。

 午後は先週に続いて、『ラストエンペラーと5人の妻』の話のうち三人目の王妃
についてです。
 1922年に王妃 婉容と淑妃 文綉と結婚した後、1937年には第三夫人と
して満州国の貴族である 譚玉齢(17歳)を迎えます。
 溥儀はもともと女性に興味が無かったので、いくら王妃を迎えても子供が出来な
かったのですが皇帝としての面子もあったのと、皇室のしきたりでそうせざるを得
なかったようです。この譚玉齢も5年後の1942年に病死しますが、後に東京裁判
で溥儀は譚玉齢は日本の関東軍参謀 吉岡に毒殺されたと証言します。
 この当時の日本軍部と満州国の関係は奇々怪々です。

 王妃の婉容は阿片に溺れ文綉には離婚され譚玉齢も死に1943年溥儀は珍しく
一般人の李玉琴(15歳)を王室に迎えます。
 この女性は王室のしきたりを無視し勝手気ままに振る舞うので溥儀は初めて新鮮
な女性として扱います。所謂、蓮っ葉な女の子だったようです。
 1945年、日本の敗戦と共に満州王朝も苦難の道を歩みます。その中で李玉齢
も八路軍に囚われ1946年に解放されますが、その後も1955年に溥儀と再会
しますが元には戻らず図書館員で働き1956年に溥儀と正式に離婚します。
 李玉齢は放送局に職員と結婚しますが2001年に溥儀の妻としては最後に亡く
なりました。73歳でした。

 溥儀は、中国革命の中で多くの苦難の生涯を送りますが元来一般人のように暮ら
して来ていないので洗濯も出来ない、衣類の補修も出来ず皆から馬鹿にされます。

 1959年、特赦で解放され植物園で軽労働に従事します。1965年には自伝
を執筆するまでになりました。1967年に最後となり五人目の妻となる李淑賢と
結婚します。この女性は看護婦さんで溥儀としては最初で最後の幸せな人間として
の結婚生活が送れたようです。この時、溥儀61歳でしたが5年後の1972年に
波乱の生涯を閉じました。66歳でした。

 李淑賢は1997年まで生きて北京で亡くなりました。

 五人の妻たちは、それぞれ溥儀の妻なる為に波乱の人生を送る事になりました。
 宮廷と言う特殊な世界の中で一般人には想像も出来ない因習や窮屈な生活がある
のでしょう。自由な平凡な人生が一番幸せと、しみじみ感じました。

 夜は芸術館で久々にアルゼンチンタンゴを楽しみました。
 秋から冬にかけてはタンゴが似合います。18時半から20時半過ぎまで別世界
で大いに楽しむ事が出来ました。





 最近はアルゼンチンタンゴもアストロ ピアソラが新タンゴを発表してから
トラディショナルなタンゴが現代人には忘れ去られようとしています。

 1950年代のアルゼンチンタンゴブームは1960年頃まで続き、その後
1970年代に少し復活しましたが、その後は下火となりました。

 今回のエンリケ・クッチーニの楽団はクッチーニのピアノをメインにコントラバス
バイオリンとタンゴの主力バンドネオンの四人だけの編成でしたのでバンドネオンの
ソロが少なく寂しい感じでした。
 バンドネオンのバリエーションの競演は見事で毎回楽しみなものですが今回は有り
ませんでした。一人だけの少しだけのバリエーションがあっただけでした。

 曲もエル・チョクロ、ジェラシー、デェレーチョ・ビエホ、ケハ・デ・バンドネオン
に名曲 カナロ・エン・パリ、そして余りにも有名なラ・クンパルシータ等お馴染みで
たっぷりと楽しませて貰えました。
 リーダーであり指揮者でピアニストのクッチーニさんはアルゼンチン人にしては
小柄でユーモアたっぷりの人でした。もう数十回も来日しているので日本語も巧みに
こなしていました。ピアノ演奏は素晴らしい音でした。

 又、セクシーたっぷりのダンスも見事でした。スタイル・踊りとも抜群でした。

 昨夜の悲しい思いが少しは慰められた夜になりました。

 外に出ると十三夜に近い月が出ていました。

 11月19日  晴れました。

 卒業して61年目のクラス会を銀座で開催しました。40人居たクラスメートも
2人が最初から不明で、12名が亡くなり26人になりました。
 そして今日集まったのは9名でした。後の17名は大半が体調を崩したり伴侶の
介護で出られない人ばかりで、まずまずの体調で都合が悪い人は数人です。

 毎年、開催していますが今日元気で集まれる人は幸せです。元気だからこそ出て
来れるのです。もう全員が80歳を越しています。
 このようにして後、何年集まれる事でしょうか。予定の二時間があっと言う間に
過ぎ、30分程延長し更に有志6人で喫茶店に入り名残を惜しみました。
 12時に開始し、別れた時は15時半を過ぎていました。

 学友には上下が無いので気楽です。会社のOB会では未だに上下のこだわりが
残っている場合が有り抵抗を感じる事があります。浮き世の柵でしょうか。
 人それぞれです。

 銀座を一人でぶらぶらして夜の東京落語会へ向かいます。

 虎ノ門のニッショーホールへ入ると今日の楽しみにしていた柳家権太楼師匠が
休演で代演は最も嫌いな金馬さんとのこと。がっかりです。

 今日は鎌倉でも鎌倉落語会が有り、好きな滝川鯉昇師匠・柳家喜多八師匠と
入船亭扇遊師匠の三人競演で魅力たっぷりでしたが、権太楼さんを選んで来たの
に本当にがっくりです。中入り後は一人だけ聴いて帰ることにしました。

 開口一番の後は、今年のNHK新人演芸大賞で優勝した春風亭一之輔さんの
【初天神】でした。本来は2月に演ずる噺ですが、この噺で大賞受賞なので敢えて
の口演です。独特の演出で時勢要素も入れてなかなかの好演で先が楽しみです。
 三遊亭金時さんは【ふぐ鍋】。頂いたふぐを鍋にしたが食べる前に試しに乞食に
与えて様子を見ると良い気持ちで寝ているので安心して食べると乞食が又、おねだ
りに来て旦那さん達は大丈夫でしたかと聞き、それではこれから温めて食べよう
と帰って行くオチです。これも好演でした。
 三遊亭歌之介さんの【代わり目】も独自の演出で楽しく聴けました。
 
 中入り後の、桂 平治さんは物真似を入れた演技で会場一杯の爆笑を誘いました。
 師匠の文治さん譲りの口調で楽しい噺家です。気持ちよく笑える噺家で好きな
師匠です。平治さんが終わると、ぞろぞろと帰る客が多く出て行きました。

 友人と一杯やって帰ると日にちが替わっていました。

 11月20日  晴れです。

 近くの会場へ吹き矢に行きますが次の予定があるので11時で早退しました。
 11時半から町内の懇親会に出席します。
 その後も予定がありましたが少し疲れ気味なのでカットして家でゆっくりしま
した。

 友人から幻の焼酎とも言われる銘酒【森伊蔵】を頂いたので、ちょっぴり
呑みました。流石にコクの有る美味しい絶品です。友人に太感謝です。

 11月21日  晴れの予報なのに曇り空です。

 鎌倉市のスポーツレクリェーションに協賛してグラゥンドゴルフに参加しました。
 毎年の行事ですが、戸外ではGGの他にターゲットバードゴルフやウォーキング
も有り屋内でもいろいろな新スポーツが紹介されて全部のコースを回るスタンプラ
リーもありました。
 グラゥンドゴルフの会場です。小さな子供さんも指導員に教わりながら真剣に
ボールを打ちました。



 民謡ダンスです。



 屋内の新スポーツが賑わっていました。



 曇り空でしたが、気温は温かくまずまずのスポーツ日和でした。

 かくして2010年の11月の第三週が過ぎて行きました。

 

  

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