ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

エホバの証人、イギリス初のイスラム漕手、1992年の優勝者・・・ロンドンオリンピックをめざす

2011-03-30 19:39:14 | 芸能・スポーツ
2012年にはオリンピックがロンドンで開催されますが、ボートのイギリス代表チーム入りを目指す選手の一人にエホバの証人がいるそうです。競技との両立はなかなか大変そうですが、本人が強い信仰を持ってやっているなら、個人的には頑張って欲しいと思います。代表選手の本選考はまだ一月くらい先のようですが、どうなるでしょうか・・・。ちなみに写真では左がダン(JW),真ん中がヒル(舵手)、右がサビヒ(イスラム教徒)です。

■ Dailymail.com

暴徒たちがクリスマス・イブの日に大蔵省を取り囲み、授業料の値上げに対して抗議行動をしている時、2012年のオリンピックで、金メダルを目指しているイギリスの選手の一人は、それを一部始終見ていた。

イギリス・ナショナル・ボートチーム(the GB rowing)の8人の舵手を務めるフェラン・ヒルは、まさに建物の中の窓からその抗議行動を見ていた。政府の高級アドバイザーとしての仕事を終えた後のことだった。

「彼らが中に入って来た時、建物から出るように言われていました。それで、僕は横のドアから外へ逃げたんだ。その時、その抗議行動の大きさに気付かなかった。家に帰ってテレビを見た時に、もっと怖くなったよ」とヒルは語った。

29才になる彼は、古代オリンピックの競技者がしばしば「ふさわしい仕事」を持っていたことを思い起こさせる。彼の仕事はとてもふさわしい仕事だ。多くの時間を、政府の高官たちと関係し、保険業界の法令作成に費やしている。

同時に彼は、トップレベルのクルーのトレーニングの管理も行っており、2012年のゴールドを取るメンバーになることを別にすれば、彼らは試合で競り合う、最も選りすぐりの選手たちと言える。

ボートの中でポジションを狙っているのは、イギリス初の有名なイスラム教徒の漕ぎ手、1992年のバルセロナで優勝した38才、ストローク(ボートの一番後ろの漕ぎ手)はエホバの証人の元ジュニア水泳チャンピオンである。

「我々には非常に大きな多様性がある。しかし同時に、お互いに尊敬し合っている。すぐに分かる一体感がグループにはあり、誰もが、誰かといることを楽しんでいる」とヒルは語っている。法科で主席を取った彼は、大蔵省で働いている経験が彼の生活の大きな資産になっていると信じている。

「僕がそこですることは、いつでも人々を複雑な問題について違った見方をしてもらうようにするんだ。アリスタ・ダーリン(イギリス労働党の政治家)とは良く話しをしたけど、ジョージ・オズボーン(イギリス保守党の政治家)とはあまり会わなかったね」

大蔵省は、(仕事と練習という)相反する彼の時間については協力的だ。今年、もし彼が舵手として引き続き選ばれるなら、それは栄光をつかむチャンスであり、また仕事をしばらく休まなければならないだろう。

昨年の11月にニュージーランドで行われた世界選手権大会では、イギリスナショナルチームは、0.6秒という僅差でドイツに敗れた。とはいえ、その前の年には8秒以上の差で負けていたことからすると、大きく進歩したといえる。

ボートに関して最も注目されているのは、ベテランのグレッグ・セーリが20年ぶりに2回目の金メダルが取れるかということである。しかし、彼が選手たちの中で注目されているただ一人という訳ではない。

もう一人は、非常に背の高い22才になる、モハマッド・モエ・サビヒである。彼の背景は、伝統的な白人のスポーツの中で非常に変わっている。サービトンに移住したモロッコ人の床屋の息子であり、イギリス人の母親を持つ。彼がボートを始めたというより、ボートが彼を見出したのである。

彼が15歳の時、スポーツの才能を見つけるスカウトたちが彼の学校に来た。潜在的な将来のスターを発見するための、「スタート・プログラム」の一環である。ある熱心なフットボールのプレイヤーとボートを一度もやったことが無かったテニスの選手が、彼が素晴らしく優れた心肺能力を持っていることに気付いた。国営宝くじとシーメンスのサポートを受けてその才能を発揮し、彼は早速、選手としての出生街道に乗った。

「おかしな事ですが、僕はそのトライアルの日、密かに抜け出そうと思っていたんですよ。フットボールの方がやりたかったですしね。でも、体育の先生にドアのところで見つかってしまい、呼び戻されました」と彼は言う。

「もし、先生が呼び止めていなければ、今頃こうしていることもなかったでしょう」

2012年のオリンピックの試合が、すべてのイスラム教徒が参加する年毎のラマダンの断食の月にあたるので、サビヒはそれをどのようにするかという問題に直面している。彼は、イギリスの有名な長距離ランナー、フ・ファラハに相談しており、彼の信仰のコミュニティーからのアドバイスを求めている。

「個人的には、断食を先に延ばそうと考えています。試合の後にそれを出来るでしょう。それは、私とアラーの間でのことです」とサビヒは言う。

「高地トレーニングとラマダンが重なったので、去年もそうしました。難しいですが、これを祝福の機会と私たちは見ています」

宗教的な信仰は、ダンの場合にも生活の中心となっている。彼はエホバの証人である。5年前に水泳からボートに転向して以来、急激に力を付けており、ストロークの鍵となる選手として候補に挙がっている。

「モエと僕は、自分が信仰していることについて、とても長い議論をすることがあります。でも、僕らはいい友人です」とリッチーは強調した。

リッチーは傑出した長距離水泳選手であり、16才の時には1500メートルで国内3位の成績を残したが、その後、興味を失ってやめた。ボートを本格的に始めるのはその1年後のことである。

サビヒと同じく、リッチーは強い宗教心が、自己鍛錬が求められるこのスポーツにおいて一つの資産であると感じている。彼の場合にやっかいなのが、国旗への敬意を示して起立出来るとしても、彼の信仰は国旗に敬礼をすることは出来ないということだ。

今年の始め、彼はヒルと共にペアとシングルの練習に時間を費やした。仕事を続けながらクラブで練習を続けた。

サビヒとリッチーは2週間前の冬季トライアルで素晴らしい成果を見せた。その試合では、アナ・ワトキンスがシングル・スカル(一人乗りの細い小艇)で、5度の世界チャンピオンに輝いた不敗のキャサリーン・グレインガーを破った。

最後の選考会が4月16日と17日にイートン・ドーネイで行われる。その後、ヘッドコーチのジャージン・グロブラーが、この驚くほどの多様性のあるグループから誰が代表選手となり、どの艇がオリンピックでの艇となるのかを決めるという難しい決定をする。その時が、彼らの夢の本当の始まりなのである。

今回の大震災について - エホバの証人のメディアサイトより 2

2011-03-28 04:11:48 | 災害
今回の大震災に関するものみの塔協会のメディアサイトの記事が3月25日付で更新されています。内容は以下の通りです。

■ エホバの証人公式メディアサイト

-- 証人たちは日本で救援活動を続けている

ニューヨーク 

破壊的な地震と津波が日本を襲ってから2週間、日本のエホバの証人たちは、被災地にいる仲間の信者と他の被災者に対して援助を行うため、忙しく働いてきました。3月25日のニュースによると、今回の地震での死者は1万人を超え、なお1万7500人近くが行方不明となっています。

明らかになってきた詳細は、救援活動に携わっている証人と他の人たちにとって、被災者が何を必要としているかを知るのに助けとなるでしょう。エホバの証人の日本支部は、3月15日の時点での報告されていた行方不明者115人の情報を得られるように、地元の会衆をサポートする連絡体制を作りました。行方不明者の数は現在では16人に減っています。最初の報告では、証人によって使われている5つの王国会館が破壊されたとのことでしたが、支部は3つの王国会館が全壊し、別の3つの王国会館は激しく損壊したり、浸水したりした事を確認しました。また、悲しいことに、支部はエホバの証人の死者数が4人に増えたことも確認しました。

被災者の救援活動を行っているエホバの証人のチームの一つは、トラック11台分の物資が、最初の数日間で被災地の一つに送られたと報告しています。被災者たちは多くの問題に直面しているにも関わらず、津波によって破壊的な被害を受けた地域の証人たちの会衆は、崇拝の奉仕活動を続けており、霊的な慰めと励ましを証人たち自身とその近隣の人たちに与えています。

エホバの証人たちは引き続き、ブルックリンの世界本部から国際的な救援活動を組織しています。統治体は、協会の世界的な業への寄付よりこれらの経費を賄うことにしています。日本には21万8000人以上のエホバの証人がいます。

今回の大震災について - エホバの証人のメディアサイトより

2011-03-20 10:49:42 | 災害
東日本を襲った大地震から1週間が経ちました。地震と津波は恐ろしい爪あとを残し、私たちはその大きな余波に苦しんでいます。特に、被災され、家族や仲間を失なわれたり、引き続き探しておられる兄弟姉妹たちは本当につらい状況にあると思います。一日も早く状態が改善されることを心からお祈りしております。

以下は、ものみの塔協会のメディア用サイトに掲載された、今回の地震に関する公式な発表です。3/16日付けですから、現在はさらに数字が変わっていることと思います。

■ エホバの証人公式メディアサイト

-- 日本での津波と地震

ニューヨーク 

世界中のエホバの証人は、2011年3月11日に、東日本をおそったマグニチュード9.0の大地震の被害者たちのことを深く気にかけています。

これは、日本の歴史の中で最大の地震であり、1900年以来、世界で4番目の規模のものでした。それによって引き起こされた津波は、東日本の沿岸の街を荒廃させました。ある日本のニュース社によると、3月16日の時点で、4,300人が亡くなっています。またこの津波は、東京から170マイル(272Km)離れた原発施設の爆発をも引き起こしました。

エホバの証人は、日本の被災地域の仲間の崇拝者たちのことを特に気にかけています。
震源地から何百キロも離れていたにもかかわらず、証人たちが働いている協会の日本支部は「建物が強く揺れた」と報告しています。支部事務所の兄弟たちには怪我はありませんでした。また、建物は軽微な損傷で済んだようですが、構造部分の評定はまだ完了していません。およそ、2,300人のエホバの証人が津波の被災地域にいます。残念なことに、3月15日の時点で、2人の証人が亡くなり、115人が行方不明となっています。また、5つの王国会館が破壊されました。

地元当局や救援機関と協同して、エホバの証人は仲間の証人たちや他の日本の被災者の緊急の必要に応えるために、3つの救援組織を立ち上げました。これらの組織は、被害を受けた証人たちの会衆と密接に連絡を取り、霊的、身体的、物質的な必要を援助しています。エホバの証人の世界的な救援活動は、ブルックリンの世界本部によって組織されています。統治体は、協会の世界的な業への寄付よりこれらの経費をまかなうことにしています。

エホバの証人は、日本において、100年近くに渡って聖書教育を促進する業に携わって来ました。

※ 最初の投稿は急いでいたのでチェックしていませんでした。今回もう一度見直して多少変更しています。
m(_ _)m 3/22


アゼルバイジャンにおいて侵害される信教の自由

2011-03-01 18:27:27 | 迫害・反対
アゼルバイジャンがどこにあるかご存知でしょうか。イランの北側とアルメニアと国境を接している国です。
この国では近年さらに宗教の規制が強くなっているようです。ロシアも含めこの地域では現在、信教の自由がかなり侵害されています。ノルウェーに本部を持つ、Forum18 (フォーラム18)という組織があるのですが、彼らは信教の自由を基本的な人権と位置付け、それを侵害している組織や国に対して行動を起こしています。そのForum18がアゼルバイジャンでの信教の自由が侵害されていることを取材した記事がありました。

■ Forum 18 News Service

アゼルバイジャン

-- なぜ公判の通知もなしに罰金を科されたのか --

2011年に入って、フォーラム18 に伝えられた2番目のケースとなるが、アゼルバイジャンは州の許可のない宗教活動に対して罰金を科すようになった。

そして通知を受けることなく被害者の女性は、この違反に対して裁かれることになった。

エホバの証人のラスミヤ・カリモバは、北西アゼルバイジャンのガフの警察に、2010年11月に自宅に踏み込まれた後に、宗教活動をしてはいけないと警告された。

口頭である警官から、100マナツ(3週間分の平均賃金)の罰金を科されるだろうと言われたが、彼女が最初に公判のことを知ったのは、彼女が裁判所から、行政法の条項209に違反している(宗教組織の集会等に関する違反)という書類を受け取った時であり、裁判所の書類には、彼女が10日以内に罰金を払わないと、それに相当する資産を差し押さえすると書いてあった。
彼女は嘆願書を出したが、今のところ返事はない。この通知なしの公判の最初の被害者はあるプロテスタントで、非登録の宗教活動を行ったのがその理由であった。

我々は、ガフ地域警察の副署長ミルクァメット・ムシャリブに、なぜ地元のエホバの証人であるラスミヤ・カリモバにいかなる宗教活動にも携わらないようにと命令したのか、またなぜ彼女のいないところで罰金刑を科したのか聞いたが、彼はその理由を説明することを拒んだ。これは、被害者たちのいないところで宗教活動に対する罰金刑が科された2番目のケースである。

その一方で、良心的兵役拒否者であるフレッド・マンドブは、ヨーロッパ人権裁判所に対して提訴する準備を進めている。アゼルバイジャンの最高裁判所が、彼の9ヶ月間の実刑判決に対しての嘆願書を却下した後のことだった。他の二人の良心的兵役拒否者は、判決に対してすでにヨーロッパ人権裁判所に提訴しており、それが聞き届けられるかどうか待っている。


-- 宗教の自由の制限が増加する --

アゼルバイジャンでは、ここ数年で次第に宗教や信条の自由が制限されるようになってきた。2009年には宗教法が2度も変更され、信教や信条の自由を行使することへの罰則が刑法と行政法の中に導入された。2010年12月には、行政法の中の宗教活動に対する罰金は20倍に跳ね上がった。

こうした増加する規制は施行され始めている。以下の事例は2011年1月だけで起きたものである。イェバラクの教師たちと地方の公務員たちは、学校に通う年齢の子供たちをモスクの金曜日の礼拝に出席させなかった。
北アゼルバイジャンのプロテスタント、イルハム・バラベヨブは、非登録の崇拝を主催したとして3週間の平均賃金を罰金として科された。元アゼルバイジャン・セブンスデイ・アドベンティストの指導者だったロシア国籍を持つイアン・ウズンは、首都バクーでの土曜日の礼拝中に警察の捜索を受けた後で、国外追放された。別のアドベンティスト信者であるモルドバ人のゲオルヒ・ソバーは、宗教活動に対する罰則として、8週間に渡ってアゼルバイジャンへの再入国が拒否され、最終的に2月11日に妻と子供の所に戻ることが出来た。

2009年の宗教法の改正によって、非登録の宗教活動の禁止とすべての宗教団体の再登録が要求された。
これは、1991年にアゼルバイジャンが独立して以来、何度か行われた再登録の要求のもっとも最近のものである。
締め切りからほぼ14ヶ月が経過した後、2月21日時点でわずか510の宗教団体のみが登録を認められた。
多くの宗教団体 - イスラム、ほぼすべてのプロテスタント、エホバの証人、バクーのカトリック教会を含む - は、今のところ、再登録に成功していない。


-- 彼女のいないところで罰金が科される --

ガフ地方裁判所執行吏の長、エルブルス・ハジェブからの2011年1月14日の書類によると、エホバの証人ラスミヤ・カリモバは2010年12月28日に行政法の299条に基づき有罪とされたとされている。「宗教集会等の組織に関する規制の違反」に対する処罰である。

2010年11月、北西アゼルバイジャンのガフにあるカリモバの家が大規模な家宅捜索を受けた後、罰金刑が科された。
彼女は裁判所から、聴聞の連絡も、あるいは罰金刑の可能性があることすらも通知されていなかった。
彼女は、3週間の平均賃金である100メネト(US$126)の罰金が科された。
裁判所の書類によると、もし彼女が10日以内に罰金を払えなければ、執行吏が彼女の家の資産の罰金相当分を差し押さえることになっている。彼女には10日間の嘆願期間が与えられた。

2011年1月24日、カリモバは嘆願書をガフ地方裁判所に提出した。同時に、そのコピーをアゼルバイジャン大統領のイルハム・アリエブ、人権オンブズマンのエルマラ・スレイマノバ、宗教組織労働州委員会のヒデヤト・オルジェブ、ヨーロッパ人権委員審議会のトマス・ハマーバーグ、欧州安全保障協力機構のバクー支部やその他に送った。2月18日の段階で、彼女は裁判所から何の返事も受け取っていない。

2月21日に、フォーラム18はアグダシュにある州委員会の地域代表者であるニザミ・マメドウに電話したが、返事がなかった。バクーにある州委員会の職員は、いかなる質問への回答も拒否した。


-- 個人の家への大規模な家宅捜索 --

2010年11月のカリモバ宅への家宅捜索は15人もの警官によって行われた。この日付は、彼女の、罰金に対する嘆願書の中で明らかにされている。彼女と彼女の夫は(エホバの証人ではない)バクーに出かけていたが、警察に呼び戻された。警官は彼らを銃の所持と宗教文書を自宅に持っていたことで告発した。何冊かのエホバの証人の本とDVD(アゼリ語とロシア語)、個人のノートブック、また夫の公式な身元証明の書類も没収された。

カリモバの家にいた他の人たちも、家宅捜索の礼状を見せられたが、彼らは警察に個人のかばんの中身を見せることを拒んだ。

これらが起きた夕方にガクに戻った夫婦は、地区警察へと向かった。
そこで、ネマトとだけ名乗った一人の警官が口頭で、100メネトの罰金が科されるだろうと言った。
また没収された文書類は、調べるために隣町のザカタラに送られるだろうとも述べた。
(この地域のアゼルバイジャン州委員会の出張所はさらに南のアドガシュにあり、そこでは優先的な強制検閲が行われている。なぜその警官がザカルタと特定したのかは分からない)

ネマトは、すべての「違法」な本は没収され、合法のものであれば、すべて返ってくるだろうと述べた。

エホバの証人によると、家宅捜索から3ヶ月以上が経過した2月18日の時点で、没収されたものは一つも返って来ていないとのことである。

宗教文書は家宅捜査の際に、個人の家からしばしば没収される。例えば、2010年に西アゼルバイジャンのイスラム系の協会の主催者の一人の家で、またバラベヨブ教会が捜索を受け文書類の没収と罰金が科された。

警官のネマトはカリモバを副署長ムシャリエブのところに連れて行き、彼はいかなる宗教活動も法に違反しており許されてはいないと大声で叫んだ。それに対してカリモバは、アゼルバイジャン市民として自由に宗教活動に携われるはずだと返答した。

警察はカリモバを宣言書を書かせるために、11月13日に彼女を呼び出した。そこに行くと、警察は彼女を地元の検事のところに連れて行った。しかし彼は事務所にいなかった。警察は、彼女に宗教活動を行わない旨の宣言書にサインさせようと圧力をかけたが、彼女はそれを拒んだ。

その後、彼女は家に帰ることが許された。しばらく何の音沙汰もなかったが、2ヵ月後にいきなり彼女に罰金刑が科されると聞かされた。

2月18日になって、副署長ムシャリエブは彼の名前と階級を確認した。その後、フォーラム18がどうして彼はカリモバに大声で怒鳴り、彼女に罰金刑を科したのか聞いた時、彼は、大声で叫んだのはムシャリエブではないと言い張った。その後彼は、質問があるなら手紙で送るようにと述べて受話器を置いた。