ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

強制収容所の最高齢の生き残り - 107才のエホバの証人

2012-11-28 20:15:39 | 励みとなるニュース
107才になるオーストリアのエホバの証人レオポルト・エングライトナーは、強制収容所からの生還者として現在生存している最高齢ですが、彼の経験が映画になったそうです。イギリスのデイリー・メイル紙によると「ライオンの巣にあるハシゴ」という題だそうです。商業映画なのかどうかは分かりませんが、機会があれば是非見たみたいですね。

彼の経験は2005年5/1号のものみの塔のライフ・ストーリー「弱くても,わたしには力がある」に載せられていました。興味を持たれた方は、是非ご覧下さい。


Dailymail Online 2012/11/15


簡単な紙を渡されて、レオポルト・エングライトナーは選択を与えられた。信仰を捨てるか、強制収容所で死ぬかという選択である。

ペンを走らせることで、そのエホバの証人はまだ分からない運命から、つまり極度の飢えと強制労働を一つではなく三つの収容所で経験するという運命から逃れることが出来た。

しかし、彼は拒否した。

107才になるオーストリア生まれのエングライトナー氏は、世界で最も高齢のホロコースト(ナチスの大虐殺)の生還者として知られている。そして、彼の動かぬ信仰に関しての映画が作られた。

エングライトナー氏は映画を公開するLAスクリーニングに主賓として招かれ、聴衆の前で通訳を通して話をする予定である。

「ライオンの巣にあるハシゴ」は、ブーヘンヴァルト、ニーダーハーゲン、ラーフェンスブリュックの3つの強制収容所からの生還者であるエングライトナーのたどった道を描いている。




1905年に背骨が曲がった状態で生まれ、ヒトラーが幼年期を過ごした場所からそう遠くない村で育てられた。若者だったエングライトナー氏は、残虐な第一次世界大戦で恐怖を味わい、1930年代に平和主義の宗教運動に参加した。

1938年にオーストリアがドイツ帝国に併合された時、エホバの証人はいっせいに検挙されたが、同じ扱いを受けたユダヤ人たちとは異なっていた。彼らには選択が与えられたのである。

彼らが紙(ライオンの巣にあるハシゴ)にサインして、自分たちの宗教に背を向けてナチスに加入すれば、彼らは収容所から出ることが許されたのである。

映画によると、エングライトナー氏を含むオーストリアの証人たちはそうすることを拒んだ。そして多くの命が失われた。



この映画は、彼らのストーリーや、エングライトナー自身の恐ろしい経験も詳しく描いている。

ある一つのシーンは、強制労働を終えて、極度に飢えながら収容所に帰る途中、ナチスの親衛隊の靴に蹴られて彼の睾丸がつぶされた時のものだ。この出来事によって、彼は子供を作ることが出来なくなってしまった。



このドキュメンタリーのナレーションと台本の編集を担当したフレデリック・ファスは、その初めから彼を魅了したものは「レオポルトの壊れることのない強い意思と、彼の前途に対する積極的な見方を決して損なうことのない決意、そして激しい試みの中でも決して苦々しくなることはなかった」ということだと述べた。

彼はこう付け加えている。

-「ライオンの巣にあるハシゴ」は、レオポルトの経験したことの一部を切り出して、それをもうすこしストレートな歴史の文脈の中に入れたものです。彼が、ナチズムやその思想に従うのではなく、良心的兵役拒否の立場を取った意味をあなたも理解されるでしょう。

-「ライオンの巣にあるハシゴ」という名前は、収容所で彼がエホバの証人としての経験から取られています

- その書類は、良心的に兵役を拒否し、ナチズムの指針に反対したエホバの証人たちに対して定期的に提示されました。彼らは、人種差別的な考えに対して決して署名することはしませんでした。

- 収容所から出るために、彼らはこのように言われました。「信仰を捨てるというこの書類に、ただサインしさえすればいいんだ。ナチズムとヒトラーに従うと言いたまえ」

- エホバの証人たちはまた、「ハイル・ヒトラー」と挨拶することもしませんでした。映画では、この言葉が「救いはヒトラーによる」という意味であることが述べられています。

- 彼らは言いました。「いいえ、彼は神ではありません。ですから、私たちはそれを(ハイル・ヒトラー)することはありません」

生還者であるレオパルドは、今でも活発に彼の母国の学校を回って、「まわりの圧力に従う必要はないんだ。君たちは自分の良心に固く従うことが出来るんだよ」と子供たちに教えている。

イスラム教が優勢なレバノンで集まりあうエホバの証人たち

2012-08-13 19:35:01 | 励みとなるニュース
レバノンでは内戦が絶えず、なかなか政治的に安定しない国ですが、2012年の年鑑によると、約3600人の伝道者が65の会衆で活発に活動しています。しかし、他のイスラム国家、例えばマレーシアなどと同様、イスラム教徒を改宗される事は禁じられており、集会や奉仕の様子も日本とは多少異なっているようです。

あるアメリカ人の記者が、レバノンのエホバの証人の記念式に交わった様子がロサンゼルス・タイムスに掲載されました。今回はその記事をご紹介します。第三者から見た記念式の様子が興味深く描かれています。


■イスラム教の優勢な中東でひそかに集まるエホバの証人たち
 Los Angeles Times

白と黒のシャネルで優雅に身を包んだレバノン人の女性が立ち上がり、フィリピン人の出稼ぎの女性に席を譲ってこう言った。「どうぞ、座って下さい。私は別のいすを探してきます」

裕福な地元の人たちが、アジアからの出稼ぎ人を虐待したり搾取することが良く見られるここレバノンでは、これはちょっと珍しい光景であった。ベイルートの郊外でひそかに行なわれたエホバの証人の集まりでのことである。

最近、200人以上のエホバの証人が、首都ベイルートの北部にある立派なビルディングの地下の集会所に集まった。中は二つの部屋に分かれており、一つは英語を話す人、もう一つはシンハラ語を話すスリランカ人のためであった。

他のアラブ世界とは異なり、レバノンは他の宗教に寛容であることで知られている。しかし、それでも制限はある。特にエホバの証人のように、登録されていないかもしくは政府より公式に認知されていない宗教はなおさらである。

レバノンには15以上の王国会館があるとされている。そこに集う人たちは嫌がらせを受けたり、追放される恐れもあるが、今のところ受け入れられているようである。「私の雇い主はギリシャ正教会なんです。でも、彼女は私がエホバの証人であることが好きなんです」と若いフィリピン人女性は言う。「彼女は私が信頼出来ることを知っています。彼女は私に集会に行っていいと言ってくれるんです」

西側(自由な西洋)の国とは違い、彼女は家から家の伝道を行なうことは出来ない。アラブ諸国では、イスラム教徒に改宗を勧めることは処罰の対象となるのである。レバノンでは宗教の自由が憲法で謳われているが、政治と宗教をミックスした法律があり、地域ごとに認可された宗教共同体が、結婚・離婚・子供の保護といった個人が関係する事柄について、独立した市民裁判所で判決を下す権利を有している。

エホバの証人たちは、抑圧され静かにさせられている少数派のようだと感じていると言った。東方典礼カトリック教会の一派であるマロン派が特に彼らを攻撃しているそうである。「彼らは私たちについてうそを広めています。私たちがユダヤ教徒というのです」とアルメニア人の証人は述べた。

エホバの証人は比較的歴史の新しい宗教である。19世紀の終わりに、チャールズ・テイズ・ラッセルというアメリカ人が聖書研究のグループを作り、「シオンのものみの塔」を発行した。1931年にそのグループはエホバの証人に名前を変えた。

信者たちは、1914年に終わりの日が始まりハルマゲドンが近づいていることを信じている。彼らはたった一つの祝日を守っている。イエスの最後の晩餐、あるいは彼ら流には記念式と言われるものだ。アラブ諸国を含め、世界中で1,800万人の熱心な信者や改宗者たちが集まるとされている。ブルックリンを本部として、証人たちの活動や宗教刊行物の出版、教義を広めることなどの監督がされている。

ここベイルートでの記念式は「兄弟たち」の一人による歓迎の言葉で始まった。その後、別の成員が話をするためにステージに上った。彼は自分たちの信条について論じ、新約聖書から聖句を読んだ。それによると、ハルマゲドンの後、14万4千人の信者のみが天からイエスと共に支配するということである。

証人たちは静かに話を聞き、立って祈りをすると言われた時にはそのようにした。最後に話し手は、新しく来た人たちの家に、経験のある証人たちが訪問して聖書を教えることが出来る、と言って話を終えた。

二人のレバノン人と二人のアフリカ人の成員が無酵母パンの皿と赤ワインのグラスを取るためにホールの前方へと歩いて行った。

記念式が終わると、彼らは自分の席を立って周りの人と静かに会話していた。ガーナ人とフィリピン人の夫婦は「宿題を終わらせるために」娘を家へと急がせていた。レバノン人の男性は彼の小さな息子を肩に乗せて歩いていた。あるレバノン人の女性はフィリピン人の女性とくすくす笑いながら話をしていた。彼らのほとんどは笑顔を見せながら新しく見る顔ぶれみんなと握手をしていた。

「出来ればまた、火曜日にお会いしてお話したいですね」と若いレバノンの男性は親切にアメリカ人の初めて来た出席者(つまりこれは筆者のことであるが)に言った。「あなたはいつ来ても、ここでは歓迎されていますよ」

メキシコの刑務所で社会復帰を助けるエホバの証人

2011-10-18 20:56:30 | 励みとなるニュース
(写真の看板はUSA・MONTANAにある刑務所)

メキシコでは、エホバの証人たちが刑務所を訪問し、受刑者たちに聖書の知識や道徳を教えるプログラムを行っています。目立たない奉仕かもしれませんが、囚人が聖書を学び、犯罪者としての人生を変える動機付けを得て、実際に生き方を変える人たちが何人もいるというのは、本当に素晴らしいことです。

クリスチャン・マガジン - メキシコの刑務所での更正活動

リハビリテーションは時として、犯罪者が刑務所に入れられた理由として与えられることがある。しかし、刑務所に入ることだけで、囚人を社会復帰させることはできない。
囚人の思いと心の内側から変化したいという強い決意が沸き起こり、過去に犯した間違いを誠実に悔い改めて、以前と異なった行動を取りたいと願う必要がある。地球上の数多くの刑務所で、かなりの成果を挙げているリハビリテーションは、エホバの証人による聖書教育によって成し遂げられている。彼らがメキシコで行っていることをみて見よう。

エホバの証人はメキシコの150の刑務所を訪問しており、聖書朗読や、聖書の教義と道徳教育のプログラムが提供されている。チワワ州にあるシウダー・フアレスの刑務所を例に取ってみよう。エホバの証人の牧師が定期的に1,200人ほどの囚人たちに説教を行っている。囚人たちは彼らに敬意を持っており、彼らを危険な状況から守ってくれさえするのである。かつてその刑務所で暴動が発生した時、最も凶暴な囚人たちの中の幾人かが、証人たちが無事に立ち去れるように、暴動を抑えておいてくれた。

2001年5月8日号の「目ざめよ!」誌の「受刑者は更正できますか」という特集記事は、受刑者と刑務所関係者の関心を引いた。ソノラ州のサン・ルイス・リオ・コロラドにある刑務所では、12人のエホバの証人が2,149冊もの雑誌を配布した。

聖書に対する真の関心が見出されると、証人たちは次の週に訪問して、聖書のクラスを開いて共に学ぶ。受刑者の生活を変化させるほどに、この聖書教育のプログラムは強力なのだろうか?

- 囚人がクリスチャンの奉仕者に変化する

ジョージは、彼が20才になる少し前には、すでに犯罪者としての生活を始めていた。
マリアス諸島の刑務所で13年の刑期を務めた後、彼は釈放された。しかし、すぐに麻薬の運び屋という犯罪に逆戻りしてしまった。プロの殺し屋として、殺人をするようにとの命令に従い、結果として32人を殺害した。再び刑務所に送られたが、そこで彼は弁護士から、元のボスが巨額の保釈金を払って出してやると言っていると教えられた。犯罪組織のボスは、もう一人殺してもらうために彼を刑務所から出そうとしていたのである。

しかし、この時ジョージはエホバの証人と聖書の研究をしていた。彼はバプテスマを受けるまでに進歩しており、刑務所で全時間の説教師、もしくは開拓奉仕者になっていた。彼は自由になることを選び、麻薬ビジネスのかつての主人のために働くのか、それとも、刑務所に残ってエホバに仕えるのだろうか?

ジョージは、「私は刑務所に残り、私のした悪行の償いをします」と答えた。「今、私は主権者である、エホバ神に仕えているのです」。ジョージは神に忠実であり続け、復活の希望と共に亡くなった。彼の霊的な仲間は彼のことをこう言う。「彼は真理を知りました。そして真理は彼を自由にしたのです」

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ものみの塔1997年2月15日号の中に、「獄中の人々に霊的自由をもたらす」という題の記事があります。メキシコでの刑務所奉仕において、成功を収めている様子が詳しく書かれていました。機会がありましたら、そちらもご覧下さい。

神のためにスタジアムを清掃する

2011-06-08 22:28:57 | 励みとなるニュース
夏の地域大会といえば、自発奉仕ですね。大抵、会場を使う少し前に会場の清掃の自発奉仕があります。今日の記事は、アメリカ、サンディエゴでの地域大会会場の清掃の自発奉仕の様子です。

ここでは、サンディエゴ市がスタジアムを無料で使わせる代わりに、証人たちは会場を徹底的に掃除するという、いわば共存共生の仕組みがあるところが興味深いですね。日本ではいろいろな点で難しいかもしれません。

しかし、ここまで会場をきれいにするグループはきっと証人たちだけでしょうね。組織力と人数の多さはこういう時に力を発揮します。

サンディエゴ クアンタム・スタジアムの清掃の写真(何枚もあります)

サンディエゴ -クアンタム・スタジアムの清掃の写真(何枚もあります)

■ Voice of Sandiego.org 2011年5月26日

踏み固められたり、太陽に当たって黒くなったガムが。イスの下やコンコース、歩道などにそこらじゅうにこびり付いている。ラドニー・ガルシアを含む6,000人のエホバの証人たちが、この土曜日にガムを取り除くだろう。

いかにも南米風の口ひげをはやしたガルシア(53才)は、クアルコム・スタジアムにおり、彼の手と膝は精力的にガムを追いかけていた。彼は、このスタジアムを知り尽くしている。というのも、彼の働いている会社は最近、このスタジアムに壁紙を貼る仕事を取っていたからだ。彼は、会社の仕事を申し分なく行なった。しかし、コンコースに張り付いたガムを取るという作業は別だ。彼は言う。「今まで自分を剥がし取ろうと思ったことなんて一度もなかったよ。スタジアムのガム?いや、そうじゃない。神のこと?もちろんそうさ」

ここ30年間サンディエゴ市は、年に一度ゴム手袋をはめた何千人ものエホバの証人をクアルコム・スタジアムに送り込んできた。この清掃は証人たちの地域大会の前に行われるもので、その大会では何万人もの人々が集まり、祈りやバプテスマ、また賛美の歌を歌う。

アメリカン・フットボールやモンスター・トラック・レースなどで出た一年分の汚いものが、漂白剤の臭いへと変わっていく。彼らは年ごとに古くなっていくスタジアムを良く世話している。市が余裕がなくて出来なかった作業を代わりにやっているのだ。これらの作業と引き換えに、彼らは無料でこのスタジアムを大会のために使うことが出来るのである。

先週はたくさんの証人たちが流れのようにこのスタジアムに入っていった。彼らの手には、モップ、バケツ、エプロン、ほうき、熊手、409(有名な洗剤)、紙タオル、ちりとり、雑巾、スポンジ、食器用洗剤、掃除機、ガラス用洗剤、洗浄機、ゴム手袋、ヘラ、ゴミ袋、落ち葉とり機、水の入ったボトルがあった。子供たちは、ちっちゃなほうきを手にもっていた。

70才になるレオン・オポルスキは力強い青い瞳を持っている。彼がみんなを中に入れるためゲートを開けた。証人たちがクアルコムにある10以上のゲートのドアを開けるために彼が必要とされた。市は彼に鍵を与えたからだ。

市はクアルコムでのオポルスキを信頼している。なぜなら、彼はスタジアムの建設の一部を助けたからだ。

サンディエゴが3つのスーパーボール(アメリカンフットボールの最高の大会)を招致する前から、オポルスキと証人たちはそこにいた。スタジアムのオフィスの建設と改装を行なっていたのだ。市がパーティールームのカーペットを敷き替える時も、彼らがそこにいた。スタジアムの整備員たちが泊まる場所を必要とした時も、彼らはそこにいたのである。

「我々はこれまで長くここを使っています。まあ、自分の家みたいなものですね」と彼は言う。

オポルスキは携帯をポケットから取り出して開くと、アンテナを伸ばしてから電話に出た。携帯を握りながら、頷き、話を聞いている。土曜日の清掃のため、証人たちは30分前に到着した。彼らはオポルスキがゲートを開けるのを待っていた。彼はスタジアムの管理事務所を出てゲートを開けに行った。

25年前に彼と他の証人たちは、会議室のために25mもの長さのテーブルを作った。オポルスキ自身は、スタジアムの壁にあるレリーフを作った。影を強調した輪郭だ。また証人たちはオフィスのキャビネットを作ったり、持ってきたりした。誰かが2つのファイル用キャビネットを加えたが、それは他のものと全くマッチしていなかった。それらを見て、「ガラスに爪を立てるようなものだ」と彼は言う。

オポルスキと証人たちが最初にこれらのオフィスを作ったのは1985年のことだった。それはちょうど、市が最初のスーパーボールを迎えるに当たって、てんてこ舞いしていた時だった。証人たちは金曜日の午後からオフィスの建築に取り掛かり、月曜の朝には仕事を終えていた。

市のスタジアム管理者が中に入って証人たちの仕事を見た時、彼は冗談で、収賄か何かの調査が入るのが怖いと言った。オフィスがあまりにも豪華だったからである。オポルスキも同じような感想を持った。

エホバの証人たちが来て建設をすると、それは一つの宗教的な体験をすることが出来ると彼は言った。「ある人は来て、'Holy cow.'と言います(神聖な牛が直訳。信じられないほど素晴らしいことの表現)。別の人は入ってきて'God damn.'と言います(神は呪うが直訳。なんてこった!)。そして3人目はこう言います。'Jesus Christ.'(ジーザス・クライスト。驚いた時の表現)」

長年に渡って、市とエホバの証人たちの関係は変わっていない。無料でスタジアムを使っていい代わりに、建設や改装、清掃などの作業を証人たちが行うことになっている。こうしたギブアンドテイクによって、証人たちは今年$35,000の費用を節約したことになる。

証人たちは長年にわたってスタジアムの作業をして来たため、ある物は既に思い出の中だけになっている。彼らが設置したクラブのカーペットはもはやない。パドレス(チームの名前)が引っ越した時に、証人たちを悩ました数知れないひまわりの種も一緒にいなくなった。

清掃の日の一週間前、オポルスキはスタジアムにある屋台店のカウンターをゴシゴシと擦っていた。彼の指は真っ黒になっていた。毎年これが繰り返されている。

スタジアムは建設されてから44年になるが、こと掃除となると、ありとあらゆる変わった、嫌気がさす話でいっぱいだ。ガムはもちろんのこと、どこから来ているのか分からない吐き気をもよおしそうな臭い、死んだ動物まである。

証人たちはふくろうが持ち込んだいくつものネズミの死体を見つけた。スタジアムの上階で死んだコウモリや鳥たちも片付けられた。

正午頃、サンディエゴのナショナル・シティからやってきた、筋骨たくましい中年の男、ジェフリー・フュラーはスタジアムの吹き抜けの壁を掃除していた。

[しばらく、彼が壁から大きなSnoogieを拭き取ったとか、壁を拭いてSnoogieをきれいにするという言葉が何回か出来てきます。しかしSnoogieの意味が分からないので少し割愛します。もし意味を知っている方いたら教えて下さい}

証人たちは、地上がやがて忠実な人々のためにパラダイスになると信じている。神の王国はハルマゲドンの後にやってくる。750万のエホバの証人たちのために、世界中で年ごとの地域大会の会場はおさえられており、平和な状態を反映するように努めている。

コロラド大学の宗教学教授のデビッド・ウェドルは、「神の王国では散らかったゴミなどはないでしょう」と言う。

協会は、38,000人の証人たちが、サンディエゴ、リバーサイド、インペリアルから出席すると見積もっている。この大会は金曜日から始まる。

宗教的な大会をフットボール・スタジアムで開催することは、異なった二つのものを興味深く際立たせることがある。2年前、証人たちが大会をちょうど終えた時、ダイレクトTVが中に入ってきて、ラッパーとして有名な LL Cool J 主演のコマーシャルの撮影を始めたことがあった。

証人たちの習慣は、小さな交流から明らかになることもある。

ナショナル・シティーのSnoogie掃除屋のフュラーは、年齢を尋ねられた時、即答できなかった。「自分は1956年生まれだから、今54才だと思う」少し間を置いてフュラーは言った。「私たちは誕生日を祝わないから・・・」

ジム・スティーグがサンディエゴのスタジアムを最初に訪れた時、彼は、マネージャーたちは駐車場のトレーラーの仕事をしていると言われた。当時、彼はスーパーボール(アメリカンフットボールの大試合)のプランナーをしており、1988年の試合前に市が順調に準備をしているのか見に来たのだった。

スティーグはスタジアムの管理者たちが何故トレーラーの仕事をしているのか分からなかった。しかし、彼はエホバの証人たちが会議室の改装を行なっていると教えられた。

「それはちょっと違っていましたが、これがカルフォルニアであり、サンディエゴなのです」

彼は加えて、「その改装工事はNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の目から見て、スタジアムと市がプロとしての仕事が出来ることを明らかにした。それは、市が将来のスーパーボールの候補地に名乗りを上げる際に不利となることはなかった」と言った。

NFLが開催される都市でありたいという立場と、NFLのスタジアムにはお金を払いたくないという立場はいつも相反してきた。維持管理費はいつでも予算を上回っている。これまでの修理費は総額80億円にもなる。

証人たちはこのある種の溝を埋めて来た。市議会はこれまで何年にも渡って証人たちの仕事を高く評価し、それによって市議会は納税者たちのお金を節約しているのだとして来た。

1984年から13年前に市管理者の職を退いた時まで、スタジアムを見続けてたジャック・マックグローリーは「彼らはいつでも我々を助けてくれた」と述べた。「建設業者が何かを完成させることが出来なくなった時、私たちは証人たちに電話しました。そして彼らはそれを成し遂げるのです」

しかし、市と証人たちとの関係は多くの点で過去のものとなりつつある。証人たちは、かつてはヤンキースタジアムとドジャースタジアムで大規模な大会を開いていた。今や彼らは、サンディエゴ以外のすべてのアメリカの大会会場で屋内スタジアムを用いている。

さらに元々、証人たちと市がお互いに繁栄出来たのは、個人的な関係によるものであった。ビル・ウィルソンは、1984年から2005年まで市のスタジアム・マネージャーであったが、彼が毎年エホバの証人に働いてもらっていたのは、彼がオポルスキを信頼していたからである。

「神がレオンを祝福してくれるように」とウィルソンは言った。「私は彼が約束を守る男であることを知っている。もし彼が何かをやると言ったら、彼は必ずやる。それは私たちにとって歓迎すべきことだ」

土曜日、オポルスキはシャツとネクタイを付けていた。しかし、スーツの上着を家に忘れて来てしまった。他の監督の立場の証人たちはスーツを来て掃除のボランティアたちに指示を与えていた。「私はいくつかの規則を破ってしまいました」と彼は言った。彼は、骨盤の骨が金属になったために少し動きが遅くなっているが、それでも最初にスタジアムに現れ、最後に立ち去る。

彼はサンディエゴで育ち、パドレス(プロ野球の地元チーム)の試合をレーン・フィールドの木のフェンスの隙間から覗いていたことを憶えている。彼は、若い時にこの宗教が真理であると確信し、エホバの証人になった。彼は写真家、また建設業者として働いた後に弁護士となった。

オポルスキは結婚して50年になる。彼が受け取ったEメールは彼と秘書のどちらもプリントする。「自分は書類ばっかりの男だよ」と言う。

NFLのチャージャーズとクアンタムが市を出ていったら、証人たちの取り決めがどうなるか彼には分からない。他のコンベンション会場は高すぎる。今のところは、彼は週末の大会に集中する。彼は、その大会は一般にも公開されていますよと、強調した。

どうすれば人々はここに来ることが分かるのですか?と聞いた。

彼は答えた。「サンディエゴにいるすべての男性、女性、子供たちが招待状を目にするでしょう」とオポルスキは言った。

どうやって?

「毎年やっていることですが、家から家に訪問して人々を招待するのです」と彼は答えた。

エホバの証人の自発奉仕者が王国会館を建ち上げる

2010-12-05 10:43:28 | 励みとなるニュース
アメリカ・コネチィカット州、ストーニングトンの地元ニュース。速成建設の王国会館の様子が詳しく記事になっています。それにしても、速成建設の原点はもしかしたら本当に、18-19世紀のBarn Raising にあるのかもしれませんね。かなりコンセプトが似ている気がします。

■ The day.com 2010/11/8

およそ600人もの自発奉仕者たちが、王国会館を建てるために、3週間のスケジュールで建設を始めた。ストーニングトンと、ロードアイランドのウェストリーのエホバの証人の会衆で使われる。

第二RBC(Regional Building Committee・地区建設委員会)の奉仕者たちは、新たに会館を建てたり改装を考えている地元の会衆の証人たちと協力して働いている。今回は、184号線沿いにある400平方メートルの王国会館を、11月21日までに終わらせる計画だ。

「この2つの会衆は、以前の会館を2年前に売却しました。それ以来、自分たちの会館を持つことを熱望して来ました」と、建設委員の監督、ブライアン・エドワードは述べた。

「ここで働いているほとんどの自発奉仕者たちは、この会館の集会に出席することはないでしょう」

「しかし、彼らは仲間の兄弟姉妹、そしてエホバ神への愛のためにここに来ました。愛が、私たちをこうした業へと動かしているのです」とエドワードは語った。

530プロビデンス・ニューロンドン・ターンパイクにあるこの建設用地は、夏の期間に整地された。

過去4ヶ月の間、浄化槽や井戸、電気および地熱利用ヒーター、冷房システムなどが設置されて来た。

通常、王国会館の建設自体は3週間よりもずっと早く終了する。しかし、今回時間がかかっているのは、地熱利用ヒーターと冷房システムの取り付けのためだと言う。

自発奉仕者たちは、RBC内の経験のあるメンバーによって訓練される。そして、それぞれの部門ごとに作業前の安全確認が行なわれる。

プロジェクトに関係しているほとんどの自発奉仕者たちは、何らかの資格や経験を持っている。しかし、彼らが既に知っていることの他にも何かやってみたいと思うかもしれない。奉仕者は、自分がやってみたい分野を申込書に書くならば、経験のあるRBCの奉仕者と共に働ける。

ロードアイランドのハプキントンから来たマーク・オリベリオはこのプロジェクトで働いており、自発奉仕者の訓練を「ちょっとした師弟関係」と言う。

「各部門では、微妙な表現や作業手順をはっきりと説明できる能力のある作業者を必要としています。左官を例に取ってみましょう。誰かが、ここで経験の少ない自発奉仕者を教えているとします。どのようにモルタルを混ぜるか、どのようにレンガを積み上げるかといったことです。彼らは数年もRBCで訓練されると、本当にプロの作業が出来るようになるんです」とオリベリオは言う。

RBCが1980年に発足してから、世界中でエホバの証人の王国会館が建設されてきた。約100のRBCがアメリカ全土で機能しており、昨年一年で、100の新しい王国会館と、469の改装が行なわれた。

「古き時代のバーンレイジングを思い出します。それは、仲間たちを本当にひとつにします」と彼は語った。

参考:バーンレイジング

18-19世紀のアメリカの田舎でよく見られた光景で、大きな納屋を建ち上げるために村人が総出で作業をした。

Barn raising wikipedia
OpenStack: Swift Barn Raising