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WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ブルックリン - ボサート・ホテルが遂に売れる

2012-12-01 18:17:07 | 組織
ボサート・ホテルは1909年に開業し、当時はブルックリン最良のホテルという評判を取った歴史のあるホテルです。しかし、だんだん手入れされなくなり、当時の面影は失われて行きました。その後1988年にものみの塔協会が購入し、ベテル奉仕者が住む建物として使われるようになりました。

以前の記事でこの建物はすでに売れたと書いていましたが、実は、あと少しというところで売却の話は流れていたようです。ボサート・ホテルの売却に関する記事はちょくちょく見かけるので少し混乱しますが、今回で売却完了というのは事実だと思います。地元のカウンシルから部屋数を減らすようにとか、屋外テラスのレストランでの音楽を流す時間を制限するようにとか要請されているという話もあります。

詳しくは、以前の記事 ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 2 をご覧下さい。

そしてごく最近、遂にホテルは売却合意に至りました。ニューヨーク不動産関係のニュースを扱うThe Real Deal からの記事です。

■ボサート・ホテルの売却額は8100万ドル
 The Real Deal 2012/11/12

旧ボサート・ホテルが8100万ドル(66億7千万=2012/11現在)で売却されたと、ローズウッド不動産グループが伝えた。ブルックリンで103年の歴史を持つこの建物はモンターギュ・ストリートに位置しており、以前エホバの証人の施設として使われていたが、やがてホテルとして戻ることになるだろう。デビッド・ビストリサーとジョセフ・チェトリットは8月にこの12階建ての建物を購入し、先週の金曜日には正式に売買は締め切られた。売却金額は9000万ドルという噂だった。ローズウッドグループの会長アロン・ジャングレイスがビストリサーとチェトリットの代理人を務めた。不動産ブローカーのデヴィン・コーヘンとエホバの証人/ものみの塔聖書冊子協会の不動産部門が売却の手続きを行なった。

建物は大手のホテルチェーンの一つとして使われることはないようだ。そして、当紙が述べていたように、もともとの開発業者であるlumber mogul Louis Bossertの名前を冠することになるだろう。今回の開発業者は、224ある部屋の数を302に増やし、平均的なサイズの部屋の間隔を225平方フィートから300平方フィートに増やす予定であり、一泊300ドルほどになる。

また、屋上のバーとレストランを復活させる計画である。現在、建物は内部の改装が進められており、来年の夏にはオープンする予定である。

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以前の「目ざめよ!」誌にボサート・ホテルに関する記事が載せられました。こちらもご覧下さい。いかに手をかけて修復されたか分かります。一度だけ行ったことがありますが、建物の内装の美しさに加え、そこから見えるマンハッタンの夜景が幻想的でした。

■「目ざめよ!」1989/4/22

ボサート・ホテル ベテルの建物群に加えられた三番目に主要な施設は,モンタギュー通りにある12階建てのボサート・ホテルで,スタンディッシュから歩いて5分もかかりません。1909年に200の部屋をもって開業し,ブルックリン最良のホテルという評判を取りました。全体の建築様式は15世紀のイタリア・ルネッサンス風でした。



1914年には175部屋が加えられ,2年後には個人用ヨットのプロムナード・デッキに似せた屋上レストランが加えられました。「景色を楽しむのに,ここに匹敵する場所は市内のどこにもなかった。公職にある要人,芸能界とスポーツ界の名士たちがこのマリン・ルーフにやって来た」と,1949年のブルックリン・デーリー・イーグル紙は伝えています。上方の階の泊まり客はもとより,食事の客たちも,ニューヨーク港,ガバナーズ島,自由の女神像,ニュージャージー州の岸,そしてマンハッタンの南端を一望できる景観を楽しみました。



やがて,かつては豪華だったこのホテルも,時の経過と共に,また手入れを怠ったためにみすぼらしくなり,1983年にコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,全面的な修復計画が開始されました。それから1988年にものみの塔協会がボサートを購入したのです。現在は,約270人の家族を収容していますが,以前からの居住者も40人ほどそこに住んでいます。

この修復作業には,すべてのドアと窓の交換,水道,暖房,電気設備全体の交換が含まれていました。業務用エレベーターも1台新たに取り付けられ,今は元からあった3台のエレベーターのうち2台が修理中です。幾つかの舞踏場は作り替えられて三つの広々とした食堂になりましたし,地下の厨房は,内側をすべて壊して直し,そこに最新の設備が設置されました。ホテルの部屋はすべて改装され,ロビーは,その特性を保ちつつ,元の状態に戻されました。その工事の中には,大理石のような柱の破損したものを,今では一般に見られなくなった技術を用いて修復することが含まれていました。

外では,建物全体が洗われ,れんが工事の修理が行なわれ,装飾的な石細工のかなりの部分が再建されました。清掃と修理と修復の仕事に従事したのは,米国全土からやって来た何百人もの自発奉仕者たちでした。それらの人々は一度に1週間以上,自分たちの時間と才能を提供しました。ここボサートの屋上で撮った写真に写っていますが,証人である39人の若い女性の一団が,何か月も足場の上で働き,ホテルの外側のれんが建築の修理を行ないました。

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