ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ロス暴動発端の被害者ロドニー・キング、自宅のプールで亡くなる

2012-07-01 18:59:00 | 事件・事故
1992年のロサンゼルス暴動のきっかけとなった、白人警官による黒人青年暴行事件の被害者であるロドニー・キングが6月17日、ロサンゼルス郊外の自宅のプールで亡くなりました。47才でした。

1991年3月、彼はスピード違反で検挙された後、4人の白人警官から暴行を受けました。この一部始終が近隣住民のビデオに撮影されて全米に放送されました。しかし裁判の結果、警察官は全員無罪となり、この判決に怒った黒人たちが暴徒と化して破壊・略奪を行いました。暴動は6日間続き、4000人を超える連邦軍が投入され、逮捕者は1万人に上りました。

当時の新聞の一面に記事が載り、テレビでもすごい略奪の映像が流れていたのを覚えています。

もともと素行が良くなかったロドニーですが、事件後も波乱続きの人生だったと言えるでしょう。

事件後、ロサンゼルス市を相手取って裁判を起こし、3億円を受け取るも、酒やドラッグに溺れてやがて全額失ってしまいます。今年の4月には本も出版し、テレビなどにも時々出演していました。そんな時に自宅のプールで亡くなっているのが婚約者の女性によって発見されたのでした。

実は彼は、エホバの証人の家庭で育っています。

亡くなった次の日に、彼に関する記事がロサンゼルス・タイムスに載りました。

彼と3月に会ったという記者が、彼とのインタビューを記事にまとめています。


その記事の中に次のような部分がありました。

Los Angels Times 20120618

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ロドニー・キングは敬虔なエホバの証人の家庭で育った。
彼このように言っていた。

「自分はエホバ神に近づく必要があるんだ」

彼は、そうしようと頑張っていると言った。
彼はいつか、そうなることを自分に約束した。
たとえ、彼にとってそれが好きな飲酒を止める事を意味するとしても・・・。
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彼はエホバの証人の家庭で育ちましたが、彼自身は長く離れていました。
事件によって彼は一躍有名人になり、多くに人の関心を集めることになります。
その後、彼はアルコールや薬物にはまっていきます。
事件後のストレスやプレッシャーなどもあったのでしょう。
いつかはエホバのもとに戻りたいと考えながらも、実際に変化を遂げることはついに出来ませんでした。
しかし、内面のやさしさは決して失うことはなかったようです。

記者はこのように記事を締めくくっています。

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ロドニー・キングは外見はとても際立っていた。背が高くてハンサムだし、力強い。しかし、その内側では、かれはとても繊細だった。彼は元気そうに話す。彼が、人生やその中で起こった出来事について話す時、彼は他の人を心から気にかけていた。「ロドニー・キングの暴動」として知られる1992年の大騒乱の時に亡くなった54人のことを決して忘れることはなかった。

彼の家の裏庭のプールには黒いタイルで 3/31/91 と 4/29/92 が刻まれている。彼が殴打された日と暴動が起きた日だ。

3月のあの日、私は彼がプールの落ち葉を掃除しているのを見た。彼は私に、「もうひとつ付け足したいものがある」とプールを見ながら言った。「その暴動で亡くなった人数の54という数字を、壁に刻もうかと思っているんだ」。かれは続けて言った。「でも、それは多すぎる。死に過ぎなんだよ・・・」
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彼の葬式の際には、彼の兄弟であるポールが話をしました。ポールはエホバの証人であり、彼が唯一の話し手でした。彼は話の中で、自分の生活をよく吟味し、それを良いことのために使うようにと人々に勧めました。

彼の事件は、社会的には大きな意味を持っていることは間違いありません。しかし、彼自身の生き方としては満足のいくものだったのでしょうか。いろいろと考えさせられます。

長老の家に毒物が仕掛けられる

2012-04-29 17:26:58 | 事件・事故
その異常な事件は、2011年にオーストラリアのある会衆で起こった。長老とその家族は自宅で起こっている異変に気付き、隠しカメラを設置する。そこに、写ってたものは・・・。

News.co.au 2012/03/03

アデレード・ヒルのエホバの証人たちは、長老とその家族が毒殺されようとしていたことを知り、大きな衝撃を受けている。

その一連の異常な事件は、被害者が隠しカメラを台所に付けた後になって発覚した。犯人がまさにことを行っているのがはっきりと写っていたのである。

家族は、誰かが繰り返し家の中に入り、家族が集会に行っている間に食べ物に何かしているのではないかとの疑いを持つようになった。

家族には5才から12才までの3人の子供たちがいたが、不満を言うようになった。集会後に冷蔵庫にあるものを食べようとすると、変な臭いがして、毒のような味がするというのである。

隠しカメラを設置した結果、ある男がそこに写っていた。その男は見覚えのある男だった。被害者はこのように語っている

「事件が起こり出した時、一体誰がそんなことをしているのか想像も付きませんでした。現実に起こっているとは思えなかったからです。でも、会衆に関係したことかも知れないと考え始めました。というのも、いつも集会のために私たちがいない時にそれは起こったからです」

男は現在12の罪で起訴されている。2011年7月に逮捕されるまで7ヶ月に渡って行なってきた、毒殺を計画した罪も含まれている。さらに不法侵入、ドアの鍵と銀行通帳を盗んだ罪も加わる。

男性の家からは、拳銃と弾薬、消音器と強力なスタンガンも発見されている。

この異常な事件は、マウント・ロフティ会衆での懲罰行為と関係があると見られている。その会衆には被害者と加害者の双方が所属していた。

起訴された男は、2010年に彼の不品行のために排斥されたが、その決定に憤っていたと考えられており、被害者は、その時長老としてその決定に関係していた。

被害者によると、既にその男は100人ほどいる会衆の成員のメンバーではないとのことだ。

「彼は、会衆から削除されました。誰であっても、1人でこのような決定が出来る訳ではありません。それは委員会としての決定です」

「もし彼が、その決定が間違いだと感じたなら、誰でもそれを提訴することが出来ます。それが彼の場合で問題だったかどうかは分かりません。彼はすべてを知っているからです。彼はその決定をすべて受け入れたように思えました」

「彼は引き続き、自由に集会に出席することが出来ます。集会に出席することを私たちは妨げられません。ただ、もし懲罰的な決定が会衆によってなされたなら、その人となにか関係するということはありません」

被害者は、その男とはいつも心からの関係を持っていたと言い、その男を異常な行動に駆り立てた動機については分からないと述べている。

被害者が警察に語ったところに拠ると、2011年の4月には、冷蔵庫の中の食べ物と飲み物に毒物が混入されていたことに気付いていたようだ。集会から帰ってみると、特に牛乳やフルーツジュースから毒のような臭いと味がするということが度々あったという。また、料理油やその他の食品にも毒物が混入されていた。牛乳とジュースは、ちょっと味見しただけですぐにおかしいと分かるほどであった。

「最初の頃は飲み物だけでした。牛乳が変な味だったのですぐに捨てました。誰かがまさか毒を入れたなんて思いもしませんよ。でも2度、3度と続くうちに、私たちは何かがおかしいと疑うようになりました」と彼は述べている。

何度かこうしたことが続いた後、地元のスーパーマーケットに牛乳の味の事で苦情を言いに行った。供給の段階で何か問題が起こったのだろうと考えたのである。

彼はこう続ける。

「スーパーマーケットから帰った後、今度は別の食べ物から同じ臭いがしました。私はもう一度スーパーマーケットに戻って、「牛流のことは忘れて下さい。あれは問題ありませんでした」と言いました」

ある時には、牛乳を持って警察署へ行き、起こっている事を警察官に話したこともある。

「最初に私は彼女にこう言いました。「これから私が話す事を信じるのは難しいかも知れません。では、始めます」しかし、彼女はきちんと聞いてくれました」

「この報告は取り上げられ、刑事たちが私と接触を持ち、科学捜査班のチームに送られました」

「彼らのアドバイスは、鍵を変えて、家族を安全なところにおいて、この事を忘れてしまいなさい、というものでした」

「私はそうしたいとは思いませんでした。なぜなら、誰かが毒を混入していると思っており、私は、誰がそうしているのか知りたかったからです。それでもう少し粘ることにしました」

7月に入り、被害者は防犯カメラを探してイーベイで購入した。デジタル時計の形をしており、外からはカメラとは全く分からないものだった。動く被写体を感知すると自動的に録画するようになっており、値段は$30である。

最初何度かチャレンジしたがうまく取れなかった。カメラが壊れていたのか、なにも起こらなかったのか・・・。彼は言った。「男は、来たり来なかったりだったのです。ある時は一月の間、来なかったこともありました」

「それで私たちは、すべては終わったと思いました。しかし、それは間違いでした」

2011年10月25日、集会から帰った後で、彼はカメラのビデオをコンピューターで再生してみた。すると、男が台所にいるのが写っていた。

「その防犯カメラはあまりいいものではありませんでした。今考えると、もう少し画像の良い、高品質のカメラを買っておけば良かったと思います」と彼は言う。

数分に渡るそのビデオは、確かに画質があまり良くなかった。しかし、彼はそこに写っている、冷蔵庫を空け、牛乳に何かをしている男が誰なのかを見分けることが出来た。翌朝、彼は警察に連絡し、警察はそのビデオを受け取って鑑識に回した。

同じ日に警察は犯人の家に行き、取調べと家宅捜索を行なった。

その取調べによって、大量の農薬と注射器、2つの消音器、スタンガン、弾薬、手製拳銃、被害者の家の鍵が見つかった。2週間に及ぶ再拘留の後、11月11日に彼は保釈された。彼の保釈の条件の一つは、クラファーズの会衆の成員の誰とも接触してはならないこと、スターリングとオルドゲート、クレファーズにいかなる理由があろうとも入ってはならないということである。

彼の裁判は引き続き行なわれている。

孫に会いに行った帰りに事故に巻き込まれる

2012-02-05 06:50:24 | 事件・事故
smh.com.au 2012/1/25

ロナルドとパトリシア、そして息子のカルビンは、高速道路を走行中に反対車線に飛び出して来たトラックと正面衝突し、車はトラックに押しつぶされて3人が亡くなった。ちょうど1週間前が、彼らの60年目の結婚記念日だった。

2両連結された大型トレーラーは、路側帯を越えてガードレールに接触し、橋に入ったところで反対車線に飛び出した。シドニー南部のヒューム・ハイウェイで、1月24日午前11時25分のことだった。



北に向かっていたロナルドの運転するフォード・モンデオの前に突然がトラックが現われ、逃げることが出来なかった。

ロナルドとパトリシアは共に81才でフォースターに住んでおり、キャンベラにいる孫を訪問した帰りだった。クリスマスの次の日に生まれた彼らの赤ちゃんを見に行ったのである。



カルビン・ローガンは59才で、キャンベラで高校の教師をしていたが、彼の父親であるロナルドがパーキンソン病にかかり、彼の介護をするために学校を退職してフォースターに引っ越していた。



ドナルドとパトリシアには、2人の子供と3人の孫、そして5人のひ孫がいた。昨年末に60年目の結婚記念日を祝い、二人とも地元で活発なエホバの証人であった。

夫婦は12年前に退職し、フォースターへと引っ越して来た。その前にはシドニーに住んで働いていた。

彼らは、キャンベラからの帰り道にキャンベルタウンに立ち寄る予定だった。そこには夫婦のもう一人の息子ゲリーが住んでいる。しかし、いつまでたっても両親が現れなかったので彼は不安になっていた。

「私は両親が来るのを待っていました。携帯のメールを送ったのですが返事はありませんでした」とゲリーは言う。

彼は、インターネットのニュースサイトを見て、あまり離れていないところで大きな交通事故があったことを知った。

「そこの写真にあったのは見覚えのある車でした。そんなことがあるはずがないという気持ちでした」

夫婦はシドニーにいた時も、またフォースターに引っ越してからも、活発に活動していたエホバの証人だった。

エホバの証人の長老のダリル・コムリンは、彼らが地元の会衆にとって家族のようであり、事故についてすべての人が衝撃を受けていると語った。

「彼らは、本当に愛されていました。人々が亡くなった時に良く聞く言葉ですが、しかし彼らは本当にそうだったのです」

ドナルドは、棚を製造するメーカーを退職後、1980年代からニュー・サウス・ウェールズ州で200棟もの王国会館の建設に関わってきた。

「彼らはいつも新しい人たちに近づいて歓迎していました。とても温かい人たちで、自分たちよりも、いつも誰かを助けることに力を尽くしていました」

彼らは、年齢ゆえの問題、また特にロナルドはパーキンソン病によって健康が損なわれてはいたが、毎週、家から家を訪問する活動を続けていた。

ケルビンの息子ロバートは「祖父母、そして父は地元で尊敬され、皆に愛されていました。彼らはエホバの証人として、家族と強い信仰に対して献身的でした」と述べた。

一ヶ月の間に4回も狙われた王国会館

2012-01-13 23:30:43 | 事件・事故
場所はサンディエゴの中心部に近いユニバーシティ・ハイツ。レストランや喫茶店、ブティックなどが軒を重ねるにぎやかな街だ。その一角、アダムズ通りにエホバの証人の王国会館がある。

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始まりは去年の12月20日のことだった。火災報知機が真夜中に鳴り響いているのを警察が聞いた。彼らが王国会館に着いた時には、建物から煙が出ている状態だった、消防隊員がすぐに駆けつけて、火は間もなく消し止められた。火は会館内部のステージ辺りから出ており、その付近にマッチが見つかった。辺りに火の気は無く、当初から放火と見られていた。音響設備が壁からむしりとられ、玄関の辺りに置かれていた。犯人が盗みの証拠を消そうとして意図的に火を付けたのだろう。しかし、物を持ち去る前に、火災警報が怖くなって置いていったのだ。

サンディエゴ消防署のチャック・アダムスによると、「初期消火の後で調べてみたが、火事の直接原因は分からなかった。詳細な調査が行われるだろう」とのことだった。

火は小さかったが、煙と水のために内部の損傷はひどく 7万ドル(540万円)の損害と見られている

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それから10日の12月30日の真夜中に、王国会館はまた放火された。今回は一回目よりもダメージが大きかった。



会館後部に位置する第二会場と倉庫が燃えた。火自体は15分ほどで消し止められたが、炎は激しかった。消防隊員は、1つのドアを押し開けて中に入ったが、別のドアは放火犯によってすでに破られていた。



今回の火事では、放火のみならず、玄関の壁に「666」という数字がスプレーで落書きされていた。そのため、この事件は、単なる放火からヘイト・クライム(憎悪犯罪)と判断された。ヘイト・クライムとは、「人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する集団に対しての偏見が元で引き起こされる口頭あるいは肉体的な暴力行為」という意味を持つ。

この王国会館で41年間交わってきた長老のテッドは、金曜日の朝に被害の様子を見にやって来た。焼けた聖書や他の出版物の残骸が道路に置かれていた。彼は、その夜の真夜中に電話でたたき起こされたが、再び放火されたことを信じることが出来なかった。ただただ、ショックと落胆があったという。

煙を見て通報した人によると、「後ろ側のドアがボコボコいうような音がした。今にも吹き飛びそうだった」とのことだった。

今回防犯アラームは作動していなかった。前回の放火以降会館は使われておらず、電源が切られていたからである。

すぐに、自発奉仕者による修理作業が行われた。カーペットはきれいにされて、イスや書籍類は全部外に出された。また、天井から落ちたタイルもみな取り除かれた。

王国会館は4つの会衆で、300名ほどの成員によって使われていた。英語会衆が2つ、フランス語が1つ、タガログ語が1つである。最初の火事の後、すべての会衆は別の王国会館を使って集会を開くことになった。

この放火の後、放火特別対策チームによって捜査が続けられていた。

しかし、事件はこれで終わらなかったのである。

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3回目の放火が起こったのは1月3日の真夜中の事だった。今回、侵入者は外側のフェンスを切断して中に入り、火を付けようとして会館内にガソリンを撒いた。しかし、前回までの火事で内部の物がみな外に持ち出されており、火がつかなかった。放火未遂で終わったのは不幸中の幸いだった。現場からはマッチの跡が見つかっている。



また、犯人は王国会館の前方に掲げられているいくつかのサインから「エホバ」に相当する文字を剥ぎ取り、近くの燃えた残骸の辺りに捨てていった。

今回は目撃者がいた。彼は会館の外側のフェンスが切断されているのに気付き、外に立っていたのである。そして、誰かが中から出てくるのを見つけ、その後を追いかけた。しかし、残念ながら逃げられてしまった。

目撃者によると、その男は身長約180cm、暗い色の服を着て、顔には白いフードかマスクを被っていたとのことだ。

この地区を担当するサンディエゴ市議会のトッド・グロリアは「サンディエゴの市民はこの非常識な行動に断固として立ち向かう。この犯罪について何か知っている人は、当局に連絡して下さい」と呼びかけた。

クライム・ストッパーとATFからの犯人情報への懸賞金は1万ドル(77万円)に達している。

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4回目は1月9日のことだった。警察と消防は夜の8時頃に王国会館へと向かった。警備員が、屋根に人影を見かけて何か燃えるような臭いがすると通報したのだった。建物内外の調査が行われたが、不審者の侵入の形跡は無かった。消防は、以前の火事の燃えかすがゴミ箱の中に入っていたのだろうと考えている。



一連の事件で近隣の住民はとても不安を感じている。隣に住むエリザベスはこのように語った。

「ほとんどそれに取りつかれています。私の身を守るために会館を見守っています。もし、会館から火が出れば、間違いなく私たちの家も燃えて無くなってしまいます」

「私は、犯人がまた戻ってくると思っています。それが、私がまだ油断していない理由です。彼らは今、ある自尊心というか強い自己信念を持っていて、成功するまでそれが無くなる事がないと思います」

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事件の調査は続いており、逮捕につながる情報提供者には1万ドルの賞金が渡されることになっている。

Cops Swarm Kingdom Hall Plagued by Attacks



エホバの証人を刺し殺した容疑者が鉄道自殺

2010-11-28 10:01:01 | 事件・事故
ドイツで起こった事件です。何が背景にあったのかは分かりませんが、恐ろしい事件です。83才でマシンガンを持って王国会館を襲撃した事件もすごいですね。日本刀(サムライ・ソード)も持っていたようですが、どうするつもりだったんでしょうか。

■ The local Germany 2010/11/08

日曜日に、高速鉄道ICEに轢かれた男性の遺体がエダーシェイム駅の近くで見つかった。彼は、フランクフルト・ヘデンヘイム地区であるエホバの証人(45才)を殺害した容疑者と見られている。

警察は事故現場の近くで免許証などを見つけており、現在、事故と自殺の両面で調べが進んでいる。

土曜日、会衆の昼食時に2人の男性が口論していたと言われている。言い争いは激しくなり、若い方の男性がカウンターからナイフをつかみ、もう一人の胸を刺した。刺された男性はその場で死亡した。

加害者は王国会館から逃げ出し、警察も彼の居場所を特定できなかったが、日曜日の午後3時に遺体を発見した。

DNA鑑定の結果が出なければ確かなことは言えないが、おそらくその遺体は警察が追っていた22才の男性のものと思われる。

警察によると、犯人はまだエホバの証人ではなかったものの、エホバの証人になろうとしていたとのことである。

2009年に、83才になる男がマシンガンとナイフと日本刀を持ってビエルフェルドの王国会館を襲撃し、2010年4月に殺人未遂の罪で11年の実刑を言い渡された。

彼は王国会館の兄弟たちによって制圧されたため、銃器で誰かを傷つけることは出来なかった。しかし39件の殺人未遂で有罪となった。裁判では、彼が所持していた銃弾や武器の数が考慮された。

■補足情報

亡くなったのはドイツベテルの兄弟で、フランクフルト近くの王国会館で、35人のエホバの証人が集まって軽食を取っていた時に事件が起こったとのことです。事件後、ドイツのすべての会衆に手紙が送られ、ステージから読まれた後に掲示されました。加害者はバプテスマを受けて2年になる兄弟、被害者は41才のベテルの兄弟だそうです。また、加害者が突然刺すまで、喧嘩や口論はなかったとのこと。新聞では、犯人は外国人(ドイツ人ではない)であり、ベテルの兄弟は救急隊員が到着した時にはすでに死んでいたとのことです。