ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

スーパーモデル、ココ・ロシャが自分のJWとしての人生を語る

2013-01-26 22:00:29 | 芸能・スポーツ
皆さん、ココ・ロシャ(Coco Rocha)ってご存知ですか?

彼女はカナダ出身の女性ファッションモデルで、2004年にモデルの仕事を始めてから、世界中の著名なブランドのファッションモデルを順調にこなし、2007年5月、遂に有名ファッション雑誌 ※1 VOUGEの表紙を飾りました。

※1 ハイファッションの最先端を行く雑誌のひとつとして知られ、掲載商品の貸し出し元にも欧州の名門ファッションブランドが軒並み名を連ねる。この雑誌に取り上げられたモデルは全世界的な知名度を獲得することになるため、ファッションモデルが有名になるための登竜門としての役目も果たしている。(ウィキペディア)

その後も、日本をはじめ世界中のファッション雑誌の表紙を飾り、様々な一流ブランドのモデルをつとめ、VOUGE誌のフランス版で2000年代のモデルのトップ30の一人に選ばれています。 ※2 スーパーモデル の仲間入りをした彼女は、2012年4月には、100万人のフォロワーをGoogle+で得た最初の一流ファッションモデルとなりました。

※2 スーパーモデル(Supermodel)とは、ファッションモデルの中でも特に有名で、世界的な知名度と破格のギャランティーを誇るモデルを指す言葉。「スーパーモデル」という言葉は1990年代に広く知られるようになり、数百万ドルの報酬と引き換えに有名高級ブランドのオートクチュールや、商業広告に登場することが多い。またスーパーモデルは世界中の雑誌の表紙を飾る機会が多いが、これについてスーパーモデルと広く認知されているモデルの一人であるクラウディア・シファーは「スーパーモデルになるためには、誰もがその子の存在を知りえるように、世界中の雑誌の表紙を常に飾り続けなければならない」と述べている(ウィキペディア)

こうした華々しい実績を持つ一方で、モデル業界に蔓延している無理なダイエットに反対している数少ない一人でもあります。ニューヨーク・タイムズ紙に宛てた手紙の中では、「女性や子供をがりがりに痩せさせるような美を、いったい誰が正当化できるでしょうか。ファッションの美は人の姿の美しさを高めるもので、破壊するものではありません」と述べています。

さて、そんなココ・ロシャがなぜこの記事に登場したかと言えば・・・、そうなんです。
彼女は自分がJWであることをオープンに語っています。
信念をもって自分の信仰と仕事を両立させる姿勢は素晴らしいものです。

2013年1月16日のMail Onlineをご覧下さい。
あるファッション雑誌のインタビューからの記事です。


■スーパーモデル、ココ・ロシャは敬虔なエホバの証人としての人生、そしてどのように今でも家から家の伝道を行なっているのか を語る
  Mail Online 2013/1/16

ブリティッシュ・コロンビアのリッチモンドで育った、24才になるココ・ロシャはDuJour誌のインタビューに「信仰は自分のすべてであり、有名であるにも関わらず、今でも家から家の伝道を行なっている」と語った。

「目的は、人々に伝えることです。ある人々は、私たちはしつこい宗教だと思うかもしれません。でも関心がなければ、ただそう言ってくれればいいんです」と彼女は答えた。

彼女は、来月にはナオミ・キャンベルのTV番組、The Faceでテレビへのデビューを飾ることになっている。

彼女は、21才の時に彼女の誓約を公にするためにバプテスマを受けた。

彼女の宗教上の信条のために、モデルをする上で断っている仕事(例えばヌードやランジェリー、水着など)があると述べた。

「単に、胸が出ないようにというだけです。タバコは吸いませんし、男性と関係を持つようなこともしません。ただ、人がそういうことをするのは全然構いませんよ。それを良いとか悪いとか私は言いません。私の親友の一人は Victoria's Secret (スーパーモデルを起用することで有名なセクシー路線の下着・婦人服ブランド) のモデルをしています。私はしませんけどね」

最初のころ私のクライアントは言いました。「そりゃ、やりすぎだよ」。でも時が過ぎて、それでも引き続き私と仕事をしてくれています。

入ってくる仕事が彼女の宗教上の信条に沿っているかどうかを確かめるために、彼女は完全なチェックリストを作った。

「宗教的な、あるいは政治的なアクセサリーや作り物がないこと。もし男性と写真を撮るなら、彼はいったい私に何をしているのか、彼は何を着ているのか。もし他のモデルと仕事をするなら、彼らは何を着ているのか。彼らは私が嫌いなことをしているだろうか」



15才で最初にファッション業界に入った時、妥協しなければならないこともあったと認めた。

「仕事を始めた頃は、人々は私に無理やりやらせようとしました。私は若かったし、まだ弱かったのです。それらの人たちは、「Hey、それは止めよう」と言う勇気を持っているべきでした」と彼女は回想する。

「彼らは、私に要求したことを、決して自分の娘たちにはさせないでしょう。でも、彼らはモデルたちもまだ子供なんだということを忘れているのです。私自身も、いやだというべきでした。でも私はそうしませんでした。それで、私は自分以外だれも非難することは出来ません。だからこそ、私はこういう問題について声を上げているのです」

「私はこの業界をやめたいと思った時がありました。働き過ぎて疲れてしまったのです。それは、大きな問題は私の事を聞いてくれる人が誰もいなかったことです」

しかし、ロシェはこの業界に踏みとどまり、今では、インテリア・デザイナーである彼女の夫、ジェームス・クロナンと何人かのエージェントによって部分的に仕事が管理されている。(彼女の夫は同じくJWです)



The Faceで番組のホストを務め、ロシェと共演している写真家のナイジェル・バーカーは、彼女の原則を「ファッション界への強力な声明だ」と述べた。「性を売り物にしているというイメージが支配的なこの業界を受け入れるモデルにとって、それは大きな姿勢である」

ロシェは以前、Fashion誌にこう語った。「私がモデルを始めた頃、みんなは私に言いました。「モデルとして成功するために、あなたは自分の信条を捨てなければならなくなるのよ」でも、私は捨てませんでした。私には、クリスチャンであることが1番目で、モデルは2番目のことなのです。

2004年にキャリアを始めてから、ロシェはヴェルサーチ、シャネル、ディオール、そして去年の春には、100万人のフォロワーをソーシャル・メディア・プラットフォームであるGoogle+で得た最初のスーパーモデルとなった。

子供に対する輸血が必要な時・・・カナダでの取り組み

2013-01-20 07:00:45 | 医療系
エホバの証人が無輸血手術の普及に大きく貢献してきてことには疑問の余地がありません。多くの病院では無輸血手術が標準的な術式になり、患者を感染症から守ることや血液という資源を有効に活用すること、また病院側のコスト削減にも貢献して来ました。その一方で、大きな事故による出血やある種の病気などのため、輸血しなければ死に直結するケースも引き続き存在しています。

判断能力のある成人が自分の意思で輸血を拒否する時、その意思は最大限に尊重されます。では、判断能力がない、もしくは不十分とされる子供が輸血を必要とする場合はどうでしょうか。

現在、親が子供に輸血を望まなかった場合でも、病院側のガイドラインに基づき、あるいは裁判所の介入によってほぼ強制的に輸血がなされます。しかし、それには時間がかかる場合があり、また後から別の問題が生じてくる可能性もあるでしょう。

カナダではHLC(医療機関連絡委員会)の関与のもと、いくつかの病院で「了解の書面」(LETTER OF UNDERSTANDING)という書式が作られ、それが効果を挙げているというニュースが掲載されました。その書式には、「医師団はエホバの証人が輸血を望まないことを理解しており、出来る限り輸血を必要としない治療を行いますが、命に関わる緊急の場合には法に従った治療を行ない、それには輸血も含まれます」と書かれており、親は、そのことに対して同意ではなく、理解したという意味でサインをするようになっています。

以下、カナダ・ナショナルポスト紙の記事をご覧下さい。


■ファンファーレは鳴らないが、エホバの証人は静かに輸血に関する立場を緩める
ナショナル・ポスト 2012/12/20
 

何年にも渡り、輸血は神の意思に反するというエホバの証人が固く守る信条は、病院が病気の子供に輸血するかどうかを巡って親と衝突し、感情的に激しい公の議論をもたらしてきた。

しかしながら、問題に対する両者の取り組みはまさに変化しており、この法的に混乱した対決状態は消え去ろうとしているようだ、と医療関係者たちは述べている。

エホバの証人が血を取り入れることを禁じていることは変わりないが、いくつかの大きな小児病院は、多くの証人たちが、時として医者は輸血をしなければならないと感じる可能性があることを認める書面にサインをしており、親たちの協会の見解とは違った考えを公に認めはじめている。

医療機関が、親の信仰により敬意を払い、輸血を行なわないよう多くの努力をするならば、しばしば証人たちは輸血を容易にするために児童福祉当局に関わることを避け、カナダの法律が明確に医者寄りの立場であることを受け入れるようだ、と病院の関係者は述べる。

「治療上必要な時には、我々は輸血をするということを彼らは知っています。彼らは裁判の戦いで負けて来ています。彼らはそれを理解しています」とオンタリオ州ハミルトンにあるマクマスター小児病院の生物倫理学者アンドレア・フロリックは述べた。

「彼らにとって、育児放棄や児童虐待などしていないのに児童福祉機関に関わるのは一種の屈辱といえます。まあ一部には、「もう、やってしまって下さい。どうしてCAS(カナダの児童相談所)に関係する必要があるのでしょうか。まるで自分たちが悪い親のように感じてしまいます」というところもあったでしょう」

フロリックは、カナダ生物倫理協会の会議で 彼女の病院の2才児への方針について、今年初めに講演をした。いくつかの別の小児病院も同様の取り組みに従っているという。

それらの病院には、トロントのシック・キッズ(世界最先端の小児医療を行なっている病院の一つ)とモントリオール小児病院(100年以上の歴史を持つ)が含まれている。

輸血の方針に対して長い法廷闘争を行なった元エホバの証人である、カルガリーのローレンス・ヒューズにとって、この明らかな変化は、証人たちが法的な戦いに疲れているサインであり、そうした法廷闘争は成員たちに受けが悪く、彼らに負担をかけるものである。

彼は、自分の10代の娘ベサニーがガンの治療をしている時、証人たちが娘に輸血をしないようにさせたことで、証人たちと、また残りの家族との交流を絶った。

彼によると、転換点は2007年に訪れたようだ。バンクーバーの病院で児童福祉官が、エホバの証人の夫婦に生まれた6つ子のうちの何人を確保し、それゆえに医者は子供たちに輸血をすることが出来た。ものみの塔協会は裁判を起こして争ったが敗訴した。そしてこれは広く人々の知るところとなった。

「私はそれからだと思います。彼らは訴訟を起こすことがもう出来なくなりました」とヒューズは語る。「私は、以前に私の会衆にいた人から連絡をもらうことがあります。彼らもこのことのために、会衆を去っていたのです」

オンタリオ州ジョージタウンにあるものみの塔協会の広報マーク・ルージは、各家族のとる行動まで説明は出来ないが、(世界中に支部を持つ)協会としては輸血禁止を公式に変更はしていないと述べた。

多くの輸血のケースを扱ってきたエホバの証人の弁護士の一人であるデビッド・ナムは、協会の輸血に関する方針に対しての公式の変更はないとしながらも、ある病院は患者がサインする書面を持っていることを知っていると語った。

「私はエホバの証人の患者を代表してケースに関わって来ましたが、ある一定の合意に達することが、時としてすべての関係者にとって最善の益となってきました。しかしそれは、個々の患者、医師、病院との間においてのみです」

証拠が示しているように、裁判官によって審議されるケースが著しく減少している。カナダでの裁判所の決定を掲載しているウェブサイトによると、2000年から2007年までは9件の個別の裁判所による輸血の指示が出たが、2008年から20012年の5年間にはわずか3件の指示があったに過ぎない。

輸血に合意すると永遠の滅びに至るという証人たちの信条は、1945年に採用された。追随者たちに血を避けることを要求するいくつかの聖句から取られている。

論争が起きるのは、決定をすることが出来ない年齢の子供たちに代わって、両親が輸血を拒む場合である。過去のおいて病院は、児童福祉相談所に連絡するというのが典型的な対応法だった。児童福祉相談所は裁判所に一時的な親権の委託命令を願い出て、輸血が施行されることが出来た。

病院の生物倫理学者レベッカ・ブルーニは、「トロントのシック・キッズでは今、エホバの証人が反対を唱えたときにはあらゆる方法を使って、輸血に変わる可能な代替療法を探します」と述べた。
同時に彼らは、親たちに「了解の書面」(letter of understanding)というものにサインすることを求めている。協会のHLC(医療機関連絡委員会)のメンバーの一人の助けの下に、書面の原案が作成された。その書面には、病院側は彼らの宗教上の反対を理解しており、可能なすべての場合において輸血を避ける努力をすると書かれている。その手紙は同意書ではない。しかし、子供に重大な障害や死の切迫した危険がある場合、医療チームは輸血の処置をとるだろう場合もあると付け加えられている。

「この書面の素晴らしいところは、敬意と尊厳を具体的に表現しているところであり、また私たちが輸血が必要な時に、児童相談機関に連絡しなくても良いところです。それは事態を混乱させ、醜いものにしてしまいます」

マクマスター小児病院は、「潜在的に永続する結果が生じる場合」、輸血をすることはトラウマとなることを認めて、同様の了解の書面を持っているとフロリックは述べた。

モントリオールにあるマクギル小児病院でも同様の要綱を約10年に渡持っており、トラブルになるケースが劇的に減ったと病院の医学倫理学者のロリー・セラーは述べている。

すべての倫理学者たちは、「エホバの証人のある人たちは輸血の禁止に同意しているわけではない。しかし、輸血に対する彼らの考えが秘密に保たれるかをとても気にしている」と、強調している。

ある家族たちは、自分たちが輸血に同意したことを、他のエホバの証人が見つけ出したりはしないかということを何よりも気にしていると、セラー氏は語った。

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このニュースで興味深いのは、協会のHLC自らが、「了解の書面」の原案作成に関わっていた、と書かれていることです。あるサイトによりますと、その書面は以下のようなものです。この書類は少なくとも2007年から使用されているようですが、ほとんど公にはなっていません。


SICK KIDSで使用される「LETTER OF UNDERSTANDING」のサンプル

こうした書面は本当に協会により認められているのかという疑問が生じますが、「生命倫理に関するアメリカン・ジャーナル誌」2012年11月号によると、ある証人の両親が医療上必要な輸血に同意することを拒否した時、協会によって任命された地元のHLCのメンバーたちが、児童保護機関によって一時的に親権を取り上げられることを避けるため、こうした了解の書面の一つにサインするように薦めたケースがあるとのことです。

やがて日本でも、こうした書面が標準的なものとなる時が来るかも知れません

一方ニュージーランドでは、2012年の7月、エホバの証人の両親を持つ2才の女の子に対する、輸血の強制執行命令が出されました。女の子は、非常にまれな先天的な病気のために腎臓と脾臓を摘出しており、腎臓と肝臓の移植をしなければ、感染症のために数週から数ヶ月のうちに死ぬだろうと言われました。両親は輸血に反対しましたが、彼女は裁判所の保護下に6ヶ月間置かれることになり、輸血を用いた臓器移植手術が行なわれました。

エホバの証人のニュージーランド支部委員モンティ・ガワは、ニュージーランド・ヘラルド紙のインタビューに対して「この女の子が輸血を受けたとしても、彼女は引き続き心から愛する家族の一員です。私たちの彼女に対する態度は決して変わりません」と述べて、だれも排斥されたりしないことを認めています。
The New Zealand Herald 2012/7/17

特定の宗教を持っている人は世界にどのくらいいますか?

2013-01-14 19:46:59 | 興味深い世界の宗教一般
2013年が始まり、早くも1月半ばです。このブログを始めたのが2010年3月ですから、もう少しで3年が経ちます。JWの世界でも、本部移転やJw.orgの本格的な運用など、数々の変化がありました。これからも様々な部分で変化が続いて行くことでしょう。このブログも、多少変化させて行きたいと考えています。ニュースを5つくらい選んで毎週のベスト5を載せるとか、淡々と解説なしでロボット検索のようにニュースを載せて行くなど・・・。また、ニュースの内容・方向性に関しては、実際知っていてもブログに書かないニュースも数多くありますが、万遍なく扱った方がいいのかなどいろいろ考えることはあります。何かご提案などありましたら、よろしくお願いします。

さて、今年最初の記事は、自分の宗教を持っている人はいったいどのくらい世界にいるのだろうかという内容です。この手の調査が得意なピュー・リサーチからのレポートです。

■世界の84%の人は自分の宗教を持っている
 Pew Research Center 2012/12/19

世界の80%以上の人々 (約58億人) が宗教を持っていることが、ピュー・リサーチ・センターの調べで分かった。

クリスチャンの人口は22億人、もしくは、2010年の人口69億人の約3分の1である。また全クリスチャンの半分はカトリックである。

去年の12月18日に発表された調査では、国勢調査、人口登録、地理的分布、世界の主要な宗教の年齢などを調べた

統計によると、2012年の時点で、世界には16億人のイスラム教徒、10億人のヒンズー教徒、5000万人の仏教徒と1400万人のユダヤ教徒がいる。

それに加え、4億人、つまり世界人口の6%は土着の宗教や伝統を守り続けている。全体の1%以下である5800万人の人々は、その他の宗教、例えばジャイナ教、シーク教、道教、ゾロアスター教、魔術崇拝やバーハイ教などに属している。

さらにこの調査によると、世界のおよ6人に1人は無宗教ということである。約11億人に上るこの人々は、クリスチャン、イスラム教徒に次いで、3番目に大きいグループを構成している。

しかし、いずれの宗教にも加入していない人々の多くが、何らかの宗教的な信条を持っているようだ。神を信じていたり、宗教儀式に参加していたりすると調査は示している。

6つの国 - チェコ共和国、北朝鮮、エストニア、日本、香港と中国 - では、宗教を持っていない人が人口の多数を占めている。中国には、世界の無宗教人々の62%がいることになる。宗教を持っていない人の数は、世界中のカトリック人口と同じである。

ヒンズー教徒とクリスチャンは、彼らが大部分を占める国にすむ傾向が圧倒的にある。イスラム教徒と無宗教の人々も同様に彼らが多い国を好むが、比率は多少落ちる。

232の国と地域で調査が行なわれたが、157の国ではクリスチャンが多数派を占めている。

クリスチャンはその起源となった場所からはるか遠くまで広がり、地理的に広大に拡散した。99%のクリスチャンは、もともとキリスト教が始まった場所以外の地に住んでいる。

クリスチャンの37%はプロテスタント、聖公会、無所属か独立した教会に属しており、12%は正教会である。

その他に、自分たちをクリスチャンと見なしている宗派、例えばモルモン教、クリスチャン・サイエンティスト、エホバの証人はクリスチャン人口の1%を構成している。

全体的に、クリスチャンの人口の平均年齢は30才である。世界人口の平均年齢の28才よりやや高めである。

加えて、クリスチャンの人口は南アメリカとカリブ海周辺、ヨーロッパ、そしてサハラ以南のアフリカが大体同じ数となっている。

今回の調査対象となった主要な宗教の中で、クリスチャンが世界中に最も均一に散らばっていることが分かった。

ブルックリン - ボサート・ホテルが遂に売れる

2012-12-01 18:17:07 | 組織
ボサート・ホテルは1909年に開業し、当時はブルックリン最良のホテルという評判を取った歴史のあるホテルです。しかし、だんだん手入れされなくなり、当時の面影は失われて行きました。その後1988年にものみの塔協会が購入し、ベテル奉仕者が住む建物として使われるようになりました。

以前の記事でこの建物はすでに売れたと書いていましたが、実は、あと少しというところで売却の話は流れていたようです。ボサート・ホテルの売却に関する記事はちょくちょく見かけるので少し混乱しますが、今回で売却完了というのは事実だと思います。地元のカウンシルから部屋数を減らすようにとか、屋外テラスのレストランでの音楽を流す時間を制限するようにとか要請されているという話もあります。

詳しくは、以前の記事 ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 2 をご覧下さい。

そしてごく最近、遂にホテルは売却合意に至りました。ニューヨーク不動産関係のニュースを扱うThe Real Deal からの記事です。

■ボサート・ホテルの売却額は8100万ドル
 The Real Deal 2012/11/12

旧ボサート・ホテルが8100万ドル(66億7千万=2012/11現在)で売却されたと、ローズウッド不動産グループが伝えた。ブルックリンで103年の歴史を持つこの建物はモンターギュ・ストリートに位置しており、以前エホバの証人の施設として使われていたが、やがてホテルとして戻ることになるだろう。デビッド・ビストリサーとジョセフ・チェトリットは8月にこの12階建ての建物を購入し、先週の金曜日には正式に売買は締め切られた。売却金額は9000万ドルという噂だった。ローズウッドグループの会長アロン・ジャングレイスがビストリサーとチェトリットの代理人を務めた。不動産ブローカーのデヴィン・コーヘンとエホバの証人/ものみの塔聖書冊子協会の不動産部門が売却の手続きを行なった。

建物は大手のホテルチェーンの一つとして使われることはないようだ。そして、当紙が述べていたように、もともとの開発業者であるlumber mogul Louis Bossertの名前を冠することになるだろう。今回の開発業者は、224ある部屋の数を302に増やし、平均的なサイズの部屋の間隔を225平方フィートから300平方フィートに増やす予定であり、一泊300ドルほどになる。

また、屋上のバーとレストランを復活させる計画である。現在、建物は内部の改装が進められており、来年の夏にはオープンする予定である。

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以前の「目ざめよ!」誌にボサート・ホテルに関する記事が載せられました。こちらもご覧下さい。いかに手をかけて修復されたか分かります。一度だけ行ったことがありますが、建物の内装の美しさに加え、そこから見えるマンハッタンの夜景が幻想的でした。

■「目ざめよ!」1989/4/22

ボサート・ホテル ベテルの建物群に加えられた三番目に主要な施設は,モンタギュー通りにある12階建てのボサート・ホテルで,スタンディッシュから歩いて5分もかかりません。1909年に200の部屋をもって開業し,ブルックリン最良のホテルという評判を取りました。全体の建築様式は15世紀のイタリア・ルネッサンス風でした。



1914年には175部屋が加えられ,2年後には個人用ヨットのプロムナード・デッキに似せた屋上レストランが加えられました。「景色を楽しむのに,ここに匹敵する場所は市内のどこにもなかった。公職にある要人,芸能界とスポーツ界の名士たちがこのマリン・ルーフにやって来た」と,1949年のブルックリン・デーリー・イーグル紙は伝えています。上方の階の泊まり客はもとより,食事の客たちも,ニューヨーク港,ガバナーズ島,自由の女神像,ニュージャージー州の岸,そしてマンハッタンの南端を一望できる景観を楽しみました。



やがて,かつては豪華だったこのホテルも,時の経過と共に,また手入れを怠ったためにみすぼらしくなり,1983年にコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,全面的な修復計画が開始されました。それから1988年にものみの塔協会がボサートを購入したのです。現在は,約270人の家族を収容していますが,以前からの居住者も40人ほどそこに住んでいます。

この修復作業には,すべてのドアと窓の交換,水道,暖房,電気設備全体の交換が含まれていました。業務用エレベーターも1台新たに取り付けられ,今は元からあった3台のエレベーターのうち2台が修理中です。幾つかの舞踏場は作り替えられて三つの広々とした食堂になりましたし,地下の厨房は,内側をすべて壊して直し,そこに最新の設備が設置されました。ホテルの部屋はすべて改装され,ロビーは,その特性を保ちつつ,元の状態に戻されました。その工事の中には,大理石のような柱の破損したものを,今では一般に見られなくなった技術を用いて修復することが含まれていました。

外では,建物全体が洗われ,れんが工事の修理が行なわれ,装飾的な石細工のかなりの部分が再建されました。清掃と修理と修復の仕事に従事したのは,米国全土からやって来た何百人もの自発奉仕者たちでした。それらの人々は一度に1週間以上,自分たちの時間と才能を提供しました。ここボサートの屋上で撮った写真に写っていますが,証人である39人の若い女性の一団が,何か月も足場の上で働き,ホテルの外側のれんが建築の修理を行ないました。

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強制収容所の最高齢の生き残り - 107才のエホバの証人

2012-11-28 20:15:39 | 励みとなるニュース
107才になるオーストリアのエホバの証人レオポルト・エングライトナーは、強制収容所からの生還者として現在生存している最高齢ですが、彼の経験が映画になったそうです。イギリスのデイリー・メイル紙によると「ライオンの巣にあるハシゴ」という題だそうです。商業映画なのかどうかは分かりませんが、機会があれば是非見たみたいですね。

彼の経験は2005年5/1号のものみの塔のライフ・ストーリー「弱くても,わたしには力がある」に載せられていました。興味を持たれた方は、是非ご覧下さい。


Dailymail Online 2012/11/15


簡単な紙を渡されて、レオポルト・エングライトナーは選択を与えられた。信仰を捨てるか、強制収容所で死ぬかという選択である。

ペンを走らせることで、そのエホバの証人はまだ分からない運命から、つまり極度の飢えと強制労働を一つではなく三つの収容所で経験するという運命から逃れることが出来た。

しかし、彼は拒否した。

107才になるオーストリア生まれのエングライトナー氏は、世界で最も高齢のホロコースト(ナチスの大虐殺)の生還者として知られている。そして、彼の動かぬ信仰に関しての映画が作られた。

エングライトナー氏は映画を公開するLAスクリーニングに主賓として招かれ、聴衆の前で通訳を通して話をする予定である。

「ライオンの巣にあるハシゴ」は、ブーヘンヴァルト、ニーダーハーゲン、ラーフェンスブリュックの3つの強制収容所からの生還者であるエングライトナーのたどった道を描いている。




1905年に背骨が曲がった状態で生まれ、ヒトラーが幼年期を過ごした場所からそう遠くない村で育てられた。若者だったエングライトナー氏は、残虐な第一次世界大戦で恐怖を味わい、1930年代に平和主義の宗教運動に参加した。

1938年にオーストリアがドイツ帝国に併合された時、エホバの証人はいっせいに検挙されたが、同じ扱いを受けたユダヤ人たちとは異なっていた。彼らには選択が与えられたのである。

彼らが紙(ライオンの巣にあるハシゴ)にサインして、自分たちの宗教に背を向けてナチスに加入すれば、彼らは収容所から出ることが許されたのである。

映画によると、エングライトナー氏を含むオーストリアの証人たちはそうすることを拒んだ。そして多くの命が失われた。



この映画は、彼らのストーリーや、エングライトナー自身の恐ろしい経験も詳しく描いている。

ある一つのシーンは、強制労働を終えて、極度に飢えながら収容所に帰る途中、ナチスの親衛隊の靴に蹴られて彼の睾丸がつぶされた時のものだ。この出来事によって、彼は子供を作ることが出来なくなってしまった。



このドキュメンタリーのナレーションと台本の編集を担当したフレデリック・ファスは、その初めから彼を魅了したものは「レオポルトの壊れることのない強い意思と、彼の前途に対する積極的な見方を決して損なうことのない決意、そして激しい試みの中でも決して苦々しくなることはなかった」ということだと述べた。

彼はこう付け加えている。

-「ライオンの巣にあるハシゴ」は、レオポルトの経験したことの一部を切り出して、それをもうすこしストレートな歴史の文脈の中に入れたものです。彼が、ナチズムやその思想に従うのではなく、良心的兵役拒否の立場を取った意味をあなたも理解されるでしょう。

-「ライオンの巣にあるハシゴ」という名前は、収容所で彼がエホバの証人としての経験から取られています

- その書類は、良心的に兵役を拒否し、ナチズムの指針に反対したエホバの証人たちに対して定期的に提示されました。彼らは、人種差別的な考えに対して決して署名することはしませんでした。

- 収容所から出るために、彼らはこのように言われました。「信仰を捨てるというこの書類に、ただサインしさえすればいいんだ。ナチズムとヒトラーに従うと言いたまえ」

- エホバの証人たちはまた、「ハイル・ヒトラー」と挨拶することもしませんでした。映画では、この言葉が「救いはヒトラーによる」という意味であることが述べられています。

- 彼らは言いました。「いいえ、彼は神ではありません。ですから、私たちはそれを(ハイル・ヒトラー)することはありません」

生還者であるレオパルドは、今でも活発に彼の母国の学校を回って、「まわりの圧力に従う必要はないんだ。君たちは自分の良心に固く従うことが出来るんだよ」と子供たちに教えている。