ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

スーパーモデル、ココ・ロシャが自分のJWとしての人生を語る

2013-01-26 22:00:29 | 芸能・スポーツ
皆さん、ココ・ロシャ(Coco Rocha)ってご存知ですか?

彼女はカナダ出身の女性ファッションモデルで、2004年にモデルの仕事を始めてから、世界中の著名なブランドのファッションモデルを順調にこなし、2007年5月、遂に有名ファッション雑誌 ※1 VOUGEの表紙を飾りました。

※1 ハイファッションの最先端を行く雑誌のひとつとして知られ、掲載商品の貸し出し元にも欧州の名門ファッションブランドが軒並み名を連ねる。この雑誌に取り上げられたモデルは全世界的な知名度を獲得することになるため、ファッションモデルが有名になるための登竜門としての役目も果たしている。(ウィキペディア)

その後も、日本をはじめ世界中のファッション雑誌の表紙を飾り、様々な一流ブランドのモデルをつとめ、VOUGE誌のフランス版で2000年代のモデルのトップ30の一人に選ばれています。 ※2 スーパーモデル の仲間入りをした彼女は、2012年4月には、100万人のフォロワーをGoogle+で得た最初の一流ファッションモデルとなりました。

※2 スーパーモデル(Supermodel)とは、ファッションモデルの中でも特に有名で、世界的な知名度と破格のギャランティーを誇るモデルを指す言葉。「スーパーモデル」という言葉は1990年代に広く知られるようになり、数百万ドルの報酬と引き換えに有名高級ブランドのオートクチュールや、商業広告に登場することが多い。またスーパーモデルは世界中の雑誌の表紙を飾る機会が多いが、これについてスーパーモデルと広く認知されているモデルの一人であるクラウディア・シファーは「スーパーモデルになるためには、誰もがその子の存在を知りえるように、世界中の雑誌の表紙を常に飾り続けなければならない」と述べている(ウィキペディア)

こうした華々しい実績を持つ一方で、モデル業界に蔓延している無理なダイエットに反対している数少ない一人でもあります。ニューヨーク・タイムズ紙に宛てた手紙の中では、「女性や子供をがりがりに痩せさせるような美を、いったい誰が正当化できるでしょうか。ファッションの美は人の姿の美しさを高めるもので、破壊するものではありません」と述べています。

さて、そんなココ・ロシャがなぜこの記事に登場したかと言えば・・・、そうなんです。
彼女は自分がJWであることをオープンに語っています。
信念をもって自分の信仰と仕事を両立させる姿勢は素晴らしいものです。

2013年1月16日のMail Onlineをご覧下さい。
あるファッション雑誌のインタビューからの記事です。


■スーパーモデル、ココ・ロシャは敬虔なエホバの証人としての人生、そしてどのように今でも家から家の伝道を行なっているのか を語る
  Mail Online 2013/1/16

ブリティッシュ・コロンビアのリッチモンドで育った、24才になるココ・ロシャはDuJour誌のインタビューに「信仰は自分のすべてであり、有名であるにも関わらず、今でも家から家の伝道を行なっている」と語った。

「目的は、人々に伝えることです。ある人々は、私たちはしつこい宗教だと思うかもしれません。でも関心がなければ、ただそう言ってくれればいいんです」と彼女は答えた。

彼女は、来月にはナオミ・キャンベルのTV番組、The Faceでテレビへのデビューを飾ることになっている。

彼女は、21才の時に彼女の誓約を公にするためにバプテスマを受けた。

彼女の宗教上の信条のために、モデルをする上で断っている仕事(例えばヌードやランジェリー、水着など)があると述べた。

「単に、胸が出ないようにというだけです。タバコは吸いませんし、男性と関係を持つようなこともしません。ただ、人がそういうことをするのは全然構いませんよ。それを良いとか悪いとか私は言いません。私の親友の一人は Victoria's Secret (スーパーモデルを起用することで有名なセクシー路線の下着・婦人服ブランド) のモデルをしています。私はしませんけどね」

最初のころ私のクライアントは言いました。「そりゃ、やりすぎだよ」。でも時が過ぎて、それでも引き続き私と仕事をしてくれています。

入ってくる仕事が彼女の宗教上の信条に沿っているかどうかを確かめるために、彼女は完全なチェックリストを作った。

「宗教的な、あるいは政治的なアクセサリーや作り物がないこと。もし男性と写真を撮るなら、彼はいったい私に何をしているのか、彼は何を着ているのか。もし他のモデルと仕事をするなら、彼らは何を着ているのか。彼らは私が嫌いなことをしているだろうか」



15才で最初にファッション業界に入った時、妥協しなければならないこともあったと認めた。

「仕事を始めた頃は、人々は私に無理やりやらせようとしました。私は若かったし、まだ弱かったのです。それらの人たちは、「Hey、それは止めよう」と言う勇気を持っているべきでした」と彼女は回想する。

「彼らは、私に要求したことを、決して自分の娘たちにはさせないでしょう。でも、彼らはモデルたちもまだ子供なんだということを忘れているのです。私自身も、いやだというべきでした。でも私はそうしませんでした。それで、私は自分以外だれも非難することは出来ません。だからこそ、私はこういう問題について声を上げているのです」

「私はこの業界をやめたいと思った時がありました。働き過ぎて疲れてしまったのです。それは、大きな問題は私の事を聞いてくれる人が誰もいなかったことです」

しかし、ロシェはこの業界に踏みとどまり、今では、インテリア・デザイナーである彼女の夫、ジェームス・クロナンと何人かのエージェントによって部分的に仕事が管理されている。(彼女の夫は同じくJWです)



The Faceで番組のホストを務め、ロシェと共演している写真家のナイジェル・バーカーは、彼女の原則を「ファッション界への強力な声明だ」と述べた。「性を売り物にしているというイメージが支配的なこの業界を受け入れるモデルにとって、それは大きな姿勢である」

ロシェは以前、Fashion誌にこう語った。「私がモデルを始めた頃、みんなは私に言いました。「モデルとして成功するために、あなたは自分の信条を捨てなければならなくなるのよ」でも、私は捨てませんでした。私には、クリスチャンであることが1番目で、モデルは2番目のことなのです。

2004年にキャリアを始めてから、ロシェはヴェルサーチ、シャネル、ディオール、そして去年の春には、100万人のフォロワーをソーシャル・メディア・プラットフォームであるGoogle+で得た最初のスーパーモデルとなった。

プリンスは下品な言葉が嫌い

2012-06-17 19:56:00 | 芸能・スポーツ
今年の6月で54才になったプリンス。5月には、コンサートツアーでオーストラリアを回りました。シドニーやメルボルン、ブリスベーンといった大都市でコンサートをこなし、夜には、当日まで場所を伏せておいた、いわばサプライズ的な夜中のミニ・コンサートをホテルで行なったりと、素晴らしいパフォーマンスで大いに盛り上げました。そのプリンスについて、シドニーの大手紙、シドニー・モーニング・ヘラルドの中に記事が載りました。独特の感性で、厳格な信仰と音楽活動を両立させていることは大変興味深いですね。

■プリンスは下品な言葉が嫌い
  smh.com.au 2012/5/19

先週末プリンスは、シドニーでの幾つもの素晴らしい公演を行い、彼のほとんどすべてのヒットソングを披露した。さらに、火曜日の夜のオールフォンズ・アリーナ(オリンピック・スタジアム)でのショーでは、誰が偉大な紫色の冠の上に座っているのかを、はっきりと知らしめたのだ。

過去10年以上に渡ってエホバの証人であることにより、ステージの裏では、彼はより保守的になっている。

彼は、自分の信仰が教えている事とその行ないを厳格に守っており、そのどれもが、いわゆるロックンロールとは程遠いものだ。

まず、彼のコンサートのクルーたちには、汚い言葉(swear words)を使わないようにという厳しいルールを与えている。

あるオーストラリア人のバンド・メンバーは、このように語った。

「オーストラリアでは、バンドをやっている奴だったら誰でも汚い言葉を使うよ。エルビス・プレスリーがまだ有名になる前からの、いわばロックンロールに付き物ってやつさ。でも、もし汚い言葉を使ってそれをプリンスが聞いたら、すぐに首にされるって何度も言われたよ。彼は、そのことにはとても敏感なんだ」

プリンスのツアーがオーストラリアの大都市を回って大々的に行われた時、彼がいかに筋金入りであるかという証言が幾つも出てきた。その一つは、Nudie juices(フルーツジュースの有名なブランド)がコンサート会場の控え室に運ばれてきた時の話だ。

「彼は、ブランド名のラベルが付いているのを好みませんでした。それで、すべてのジュースのラベルをはがしたんです」とある内部関係者は語った。

プリンスは、舞台裏で働く際には、十字架のアクセサリーを身に付けたり、書かれた服を着たりすることがないようにとクルーたちにハッキリと言っている。エホバの証人は十字架が異教のシンボルであると信じており、崇拝において使うことはない。

また先週の土曜日のコンサートでは、色っぽい曲であるクリームを何とか歌った一方で、Dance Music, Sex Romance, Darling Nikki や Sexy Mother F****r といった、淫らな曲を歌うことを禁止した。

しかし、53才になるこの小柄なスターが(身長1.57mはカイリ・ミノーグとまったく同じ)、いまでもヒールの高いシューズをはいてステージを飛び跳ねているのは、うれしい限りである。

退職して、底の低いサンダルをはく事なんて、まだまだ先のようだ。



ロンドンオリンピック イギリス代表ボートチームのエホバの証人

2011-11-10 20:00:49 | 芸能・スポーツ
2012年のロンドン・オリンピックまであと260日。イギリス国内では代表選手も決まりつつあり、盛り上がりを見せ始めています。今回は、ボート競技でイギリス代表に選ばれたエホバの証人、ダニエル・リッチーの話題です。今年の3月の記事でも取り上げましたが、その後代表選考会に勝ち抜いて、正式に代表メンバーに選ばれました。テレグラフ誌の代表選手の紹介記事の中に彼のプロフィールがありましたので、ご紹介します。なかなかユニークなJWです。オリンピックに出たJWってあまり聞きませんね。ボートは日本ではマイナーな競技ですが、ちょっと注目してしまいそうです。

過去の記事を見る


■ダニエル・リッチー
The telegraph

身 長:193cm
誕生日:1987年1月6日
出身地:イギリス・マーゲート

「モハマッドがイギリスで初めてのイスラム教徒のボート選手だとしたら、僕は間違いなく最初のエホバの証人だろうね 」

(今回のチームには、モハマッドという名のイスラム教徒の選手がおり、共に熱心な信仰を持っていることで、よく二人は比較される)


--これまでの実績

2010年の世界選手権大会でチームが銀メダルを取るのに貢献した。同じクルーは2011年のワールドカップで銀メダルと銅メダルを獲得した。

豆知識:ボート競技をやめた後は、警察官になるのが目標だそうだ。


--どうしてボートを始めたのか

小さい時から、水のスポーツに熱心だった。学生時代には、水泳ですでに国体クラスの力を持っていた。水泳で世界を目指すという夢を達成するためにオーストラリアへ行き、トレーニングのため世界トップクラスのコーチ陣と共に国中を回った。しかし競技からの緊張とストレスがあまりにも重くなり、コーチと激しくやりあったこともあって水泳をやめた。その後、大学に行き勉強を始めたが、友人からボート競技を紹介された。彼は見る見るうちに頭角を現し、学費のやりくりの目処が付いた2007年から、本格的にボート競技を始めた。

豆知識:水泳をしている時すでに、オリンピックのメダリストであるレベッカ・アディントンについてトレーニングをしている。


--最もがっかりした時

2009年3月、ボートの最中に椎間板を痛めてしまい、その傷のため3ヶ月間競技から遠ざかった。彼の言葉によれば、「自分の周りで、世界が壊れ落ちたかの様だった」とのことである。

豆知識:彼は敬虔なエホバの証人である。


--オリンピックのライバル

オーストラリア、カナダ、アメリカ、西ドイツのチームとのレースは最も白熱したものとなり、イギリス代表チームのメダルの位置に関係してくるだろう。

ピーター・アンドレは守護天使の存在を信じている

2011-10-29 20:18:58 | 芸能・スポーツ
日本ではそれほど有名人ではありませんが、ピーター・アンドレはイギリスの歌手・タレントで、UKチャートNo.1の曲も持っています。これまで、アルバムがチャートTOP10に4枚、シングルが10枚入り、テレビにも良く出演しています。

彼は、2011年6月の父の日にちなんで MyCelebrityFashion で行われた、「最もおしゃれなセレブパパ」の投票で、オーランド・ブルーム、デビッド・ベッカムに続いて第3位を獲得したイケメン・パパでもあります。

そのピーター・アンドレが語った彼の霊的な感性が記事になっています。彼自身は現在無宗教ですが、両親がエホバの証人だったとのこと。彼の感じていることの正誤はともかく、何か目に見えない存在を確信しているようです。

彼は今ロンドンで「ゴースト」という名の、恵まれない子供たちへのチャリティ・ミュージカルに出演しており、インタビューはその流れかも知れません。

ピーター・アンドレは守護天使が彼を守っていると感じている

歌手のピーター・アンドレは、誰かが彼を見守っており、彼が決して危険に陥らないように助けてくれていると感じている。

「僕を見守っていて、導いてくれる誰かが間違いなくいると確信している。自分はとても霊的な人間で、起きるすべてのことには理由があると考えている」という彼の言葉を、コントラクトミュージック・コムは引用した。

「僕の両親は敬虔なエホバの証人で、僕もその一人として育てられたんだ。僕に子供が出来るまで、クリスマスやハロウィンといったものを祝ったことがなかったよ。でも、人生の今の時点において、僕はどの宗教にも属してはいない。両親から教えられたことに対して強い敬意を持ってはいるけどね」と、彼は付け加えた。

アンドレには、6才になる息子と4才になる娘がいる。元妻のケティ・プリンスとの子供だ。

彼はまたゴーストの存在も信じている。

「僕は、この世界以外にも何かがあると信じている。それが何かは分からないけれども。良いゴーストは天使になり、悪いゴーストは悪霊になるのかな?これまで何回か、気味の悪い経験をしている。夜に誰かが足元に立っているのを感じたんだ。そして僕の喉元を押さえたんだけど、声が出せなかった。身動きが出来なかったんだ。それが、ゴーストなのか、睡眠麻痺か分からないけど、本当に背筋が凍ったよ」

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エホバの証人、イギリス初のイスラム漕手、1992年の優勝者・・・ロンドンオリンピックをめざす

2011-03-30 19:39:14 | 芸能・スポーツ
2012年にはオリンピックがロンドンで開催されますが、ボートのイギリス代表チーム入りを目指す選手の一人にエホバの証人がいるそうです。競技との両立はなかなか大変そうですが、本人が強い信仰を持ってやっているなら、個人的には頑張って欲しいと思います。代表選手の本選考はまだ一月くらい先のようですが、どうなるでしょうか・・・。ちなみに写真では左がダン(JW),真ん中がヒル(舵手)、右がサビヒ(イスラム教徒)です。

■ Dailymail.com

暴徒たちがクリスマス・イブの日に大蔵省を取り囲み、授業料の値上げに対して抗議行動をしている時、2012年のオリンピックで、金メダルを目指しているイギリスの選手の一人は、それを一部始終見ていた。

イギリス・ナショナル・ボートチーム(the GB rowing)の8人の舵手を務めるフェラン・ヒルは、まさに建物の中の窓からその抗議行動を見ていた。政府の高級アドバイザーとしての仕事を終えた後のことだった。

「彼らが中に入って来た時、建物から出るように言われていました。それで、僕は横のドアから外へ逃げたんだ。その時、その抗議行動の大きさに気付かなかった。家に帰ってテレビを見た時に、もっと怖くなったよ」とヒルは語った。

29才になる彼は、古代オリンピックの競技者がしばしば「ふさわしい仕事」を持っていたことを思い起こさせる。彼の仕事はとてもふさわしい仕事だ。多くの時間を、政府の高官たちと関係し、保険業界の法令作成に費やしている。

同時に彼は、トップレベルのクルーのトレーニングの管理も行っており、2012年のゴールドを取るメンバーになることを別にすれば、彼らは試合で競り合う、最も選りすぐりの選手たちと言える。

ボートの中でポジションを狙っているのは、イギリス初の有名なイスラム教徒の漕ぎ手、1992年のバルセロナで優勝した38才、ストローク(ボートの一番後ろの漕ぎ手)はエホバの証人の元ジュニア水泳チャンピオンである。

「我々には非常に大きな多様性がある。しかし同時に、お互いに尊敬し合っている。すぐに分かる一体感がグループにはあり、誰もが、誰かといることを楽しんでいる」とヒルは語っている。法科で主席を取った彼は、大蔵省で働いている経験が彼の生活の大きな資産になっていると信じている。

「僕がそこですることは、いつでも人々を複雑な問題について違った見方をしてもらうようにするんだ。アリスタ・ダーリン(イギリス労働党の政治家)とは良く話しをしたけど、ジョージ・オズボーン(イギリス保守党の政治家)とはあまり会わなかったね」

大蔵省は、(仕事と練習という)相反する彼の時間については協力的だ。今年、もし彼が舵手として引き続き選ばれるなら、それは栄光をつかむチャンスであり、また仕事をしばらく休まなければならないだろう。

昨年の11月にニュージーランドで行われた世界選手権大会では、イギリスナショナルチームは、0.6秒という僅差でドイツに敗れた。とはいえ、その前の年には8秒以上の差で負けていたことからすると、大きく進歩したといえる。

ボートに関して最も注目されているのは、ベテランのグレッグ・セーリが20年ぶりに2回目の金メダルが取れるかということである。しかし、彼が選手たちの中で注目されているただ一人という訳ではない。

もう一人は、非常に背の高い22才になる、モハマッド・モエ・サビヒである。彼の背景は、伝統的な白人のスポーツの中で非常に変わっている。サービトンに移住したモロッコ人の床屋の息子であり、イギリス人の母親を持つ。彼がボートを始めたというより、ボートが彼を見出したのである。

彼が15歳の時、スポーツの才能を見つけるスカウトたちが彼の学校に来た。潜在的な将来のスターを発見するための、「スタート・プログラム」の一環である。ある熱心なフットボールのプレイヤーとボートを一度もやったことが無かったテニスの選手が、彼が素晴らしく優れた心肺能力を持っていることに気付いた。国営宝くじとシーメンスのサポートを受けてその才能を発揮し、彼は早速、選手としての出生街道に乗った。

「おかしな事ですが、僕はそのトライアルの日、密かに抜け出そうと思っていたんですよ。フットボールの方がやりたかったですしね。でも、体育の先生にドアのところで見つかってしまい、呼び戻されました」と彼は言う。

「もし、先生が呼び止めていなければ、今頃こうしていることもなかったでしょう」

2012年のオリンピックの試合が、すべてのイスラム教徒が参加する年毎のラマダンの断食の月にあたるので、サビヒはそれをどのようにするかという問題に直面している。彼は、イギリスの有名な長距離ランナー、フ・ファラハに相談しており、彼の信仰のコミュニティーからのアドバイスを求めている。

「個人的には、断食を先に延ばそうと考えています。試合の後にそれを出来るでしょう。それは、私とアラーの間でのことです」とサビヒは言う。

「高地トレーニングとラマダンが重なったので、去年もそうしました。難しいですが、これを祝福の機会と私たちは見ています」

宗教的な信仰は、ダンの場合にも生活の中心となっている。彼はエホバの証人である。5年前に水泳からボートに転向して以来、急激に力を付けており、ストロークの鍵となる選手として候補に挙がっている。

「モエと僕は、自分が信仰していることについて、とても長い議論をすることがあります。でも、僕らはいい友人です」とリッチーは強調した。

リッチーは傑出した長距離水泳選手であり、16才の時には1500メートルで国内3位の成績を残したが、その後、興味を失ってやめた。ボートを本格的に始めるのはその1年後のことである。

サビヒと同じく、リッチーは強い宗教心が、自己鍛錬が求められるこのスポーツにおいて一つの資産であると感じている。彼の場合にやっかいなのが、国旗への敬意を示して起立出来るとしても、彼の信仰は国旗に敬礼をすることは出来ないということだ。

今年の始め、彼はヒルと共にペアとシングルの練習に時間を費やした。仕事を続けながらクラブで練習を続けた。

サビヒとリッチーは2週間前の冬季トライアルで素晴らしい成果を見せた。その試合では、アナ・ワトキンスがシングル・スカル(一人乗りの細い小艇)で、5度の世界チャンピオンに輝いた不敗のキャサリーン・グレインガーを破った。

最後の選考会が4月16日と17日にイートン・ドーネイで行われる。その後、ヘッドコーチのジャージン・グロブラーが、この驚くほどの多様性のあるグループから誰が代表選手となり、どの艇がオリンピックでの艇となるのかを決めるという難しい決定をする。その時が、彼らの夢の本当の始まりなのである。