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WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 2

2011-09-28 21:23:33 | 組織
前回の記事では、ブルックリン・ブリッジ・パークの年間維持管理費を巡り、ものみの塔協会が建物を売却した後、新たな入居者からの税収を当てるという案が浮上していることを取り上げました。

協会の資産売却の税収を当てにした案に言及したブリッジパークの予算書を見る機会がありましたが、マンションを建てるのか、それとも協会が建物の売却に合意したのかといった新しい動きは特にないようです。水面下ではいろいろと動いていると思いますが・・・。

その後、8月19日付けのブルックリン・ペーパーには、一連の記事について読者から編集部へのコメントが載せられていました。そのうちの二つを紹介します。

・編集部へ

ブルックリン・ブリッジ・パークの維持管理費を支出するプランについてのあなた方の分析は、重要な事実を浮き上がらせていました。そのプランによると、ものみの塔協会の「ふさわしい」建物は、2013年12月31日までに販売されなければなりません。

もし売却されたとしても、現在住宅地区ではないところにある10の建物のうちいくつが、最終期限までに新しい持ち主に手渡されるでしょうか。

また私は、あなたがものみの塔協会と、協会が最も高く入札する人に譲渡する権利に対して非難していたことに、強く反対します。非課税の宗教団体として、協会は他の大きな宗教や小さな宗教と同じ権利を有しています。トリニティ・チャーチがマンハッタンに所有している広大な不動産を販売したとしたら、あなたは今回と同様の立場を取るのですか?
(アスーラ)

・編集部へ

ブルックリン・ブリッジ・パークに関する貴社の記事を読みました。そして、ものみの塔聖書冊子協会について、幾つかの情報をどうしてもお知らせしたいと思いました。

最初に、協会が所有しているお金は、エホバの証人からの直接の寄付です。私たちはそれを出版と流通のための実際のコストに支払っています。また、毎年何億時間も費やされる聖書教育や読み書きの訓練、災害の救助活動(証人たちの家屋に限りません)のために支払っています。

協会は、ブルックリンで多大な貢献をしてきました。世界中から協会へ常に観光客の流れがあります。各地で開かれる地域大会は大きなお金を落とします。それらの建物や施設を常に改修・管理するために協会が支払ってきた費用や時間やエネルギーは言うまでもありません。最後に、協会が税を払っていないのは、他の多くの非営利団体と同様のことであります。

私の個人的な意見として、もし協会が建物を売却せずにそのまま所有するとしても、それはそれでいいのではないかと思います。
(キャロライン)

おそらく、この2人の方はエホバの証人ではないかと思います。その他の方のコメント見てみますと、マンション建設に絡んだ雇用の話や、酒類販売許可申請、自転車の乗り入れの危険など様々な話題が出ています。人々のコメント見ていますと、多くの人は、あまりエホバの証人に敵対的な意見を述べてはいないように感じます。「40年以上前からエホバの証人は、他の人たちが投資価値がないとみなしていた建物を購入して、自分たちで資産価値を高めてきた。今になって、不動産を買い叩いてきたと非難したり、追い出したりするのはおかしい」といったコメントや、「そもそも税不足の問題に陥った市政に問題があるし、宗教への非課税が問題なら、彼らを非難するより、政治的な問題としてきちんと決着をつけるべきだ」といったコメントも見受けられます。長年、ブルックリンの住人としてそこにいる訳ですから、その存在は良くも悪くも当たり前のものと受け止められているのかもしれません。

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さて、9月16日付のニューヨーク・タイムス・CityToomBlogには「エホバの証人が一等地の物件を売りに出す」という記事が出ました。協会はブルックリンにある建物を着々と処分していますが、その詳細はどのようなものでしょうか。これまでに売却した、あるいは売却中の代表的な物件を以下に挙げます。

■2004年 sold 発送用ビルディング(ファーマン通り360番): $205 million (約200億円)


過去の協会の資料によると、この12階建ての建物は1983年に購入されました。「ブルックリンでは,聖書や聖書文書の発送が,ファーマン通り360番地にある,広さ約9万3,000平メートルの建物で行なわれてい」たとのことです。- 塔86/1/1 P17 (目87/8/22 P16-18に詳しい記事がある)

■2006年 sold 宿舎棟 (リビングストーン通り67番) : $18.6 million (約18億円)


「協会は1989年春に,建設したばかりでまだ内装の済んでいないリビングストン通り67番の建物を購入しました。ものみの塔の中央事務所から歩いて15分ほどのところにあります。29階建ての細長い建物(ニックネームSliver,“細長い小片”の意)で,約150人のベテル奉仕者を収容でき,1990年の半ば過ぎから入居が始まりました」- 鑑1991年 P10


■2006年 sold 詳細ないがおそらく宿舎棟 (ヒックス通り89番地) $14 million (約14億円)


■2007年 sold スタンディッシュ・ホテル 宿舎棟(コロンビア・ハイツ169番)$50 million(約50億円)


「スタンディッシュ・ホテル ベテルの建物群に加えられた二番目に主要な施設は12階建てのスタンディッシュ・ホテルで,通りを少し下ったコロンビア・ハイツ169番にあります。ブルックリン・デーリー・イーグル紙は,ニューイングランド初期の著名人,マイルズ・スタンディッシュにちなんで名づけられたこのホテルの建設について,1903年に次のように述べました。「その環境,そしてそこから展望できるイースト川と周辺の興味深い地点の無類の景観からして,選ばれた場所はホテルにとって理想的な所であると会社は確信している。また,この国で最も仕上げと設備の見事な建物の一つを建設する意向である」。このホテルはその後まもなく開業しましたが,1970年代には甚だしく老朽化が進みました。1980年代の初めにコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,ベテル家族を収容する付加的な住まいを備えるという目的で,間もなく徹底した改装工事が行なわれるようになりました。改装工事は1986年に完了し,1988年にはものみの塔協会がスタンディッシュを購入しました。この建物は140人のベテル家族と,引き続きそこに住んでいる,初めからの居住者およそ25人を収容しています」- 目89/4/22 P24-25

■2008年 sold ボサート・ホテル 宿舎棟 (モンターギュ通り98番):当初メディアによると$100 million(100億)以上の価値と言われた。実際の売却価格はそれを下回ったと言われている。


「ボサート・ホテル ベテルの建物群に加えられた三番目に主要な施設は,モンタギュー通りにある12階建てのボサート・ホテルで,スタンディッシュから歩いて5分もかかりません。1909年に200の部屋をもって開業し,ブルックリン最良のホテルという評判を取りました。全体の建築様式は15世紀のイタリア・ルネッサンス風でした。
1914年には175部屋が加えられ,2年後には個人用ヨットのプロムナード・デッキに似せた屋上レストランが加えられました。「景色を楽しむのに,ここに匹敵する場所は市内のどこにもなかった。公職にある要人,芸能界とスポーツ界の名士たちがこのマリン・ルーフにやって来た」と,1949年のブルックリン・デーリー・イーグル紙は伝えています。上方の階の泊まり客はもとより,食事の客たちも,ニューヨーク港,ガバナーズ島,自由の女神像,ニュージャージー州の岸,そしてマンハッタンの南端を一望できる景観を楽しみました。やがて,かつては豪華だったこのホテルも,時の経過と共に,また手入れを怠ったためにみすぼらしくなり,1983年にコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,全面的な修復計画が開始されました。それから1988年にものみの塔協会がボサートを購入したのです。現在は,約270人の家族を収容していますが,以前からの居住者も40人ほどそこに住んでいます。

この修復作業には,すべてのドアと窓の交換,水道,暖房,電気設備全体の交換が含まれていました。業務用エレベーターも1台新たに取り付けられ,今は元からあった3台のエレベーターのうち2台が修理中です。幾つかの舞踏場は作り替えられて三つの広々とした食堂になりましたし,地下の厨房は,内側をすべて壊して直し,そこに最新の設備が設置されました。ホテルの部屋はすべて改装され,ロビーは,その特性を保ちつつ,元の状態に戻されました。その工事の中には,大理石のような柱の破損したものを,今では一般に見られなくなった技術を用いて修復することが含まれていました。

外では,建物全体が洗われ,れんが工事の修理が行なわれ,装飾的な石細工のかなりの部分が再建されました。清掃と修理と修復の仕事に従事したのは,米国全土からやって来た何百人もの自発奉仕者たちでした。それらの人々は一度に1週間以上,自分たちの時間と才能を提供しました。ここボサートの屋上で撮った写真に写っていますが,証人である39人の若い女性の一団が,何か月も足場の上で働き,ホテルの外側のれんが建築の修理を行ないました」- 目89/4/22 P25

注 --- 同じ1989年4月22日号の「目ざめよ!」によると、この時期ブルックリン・ハイツにはべテル家族が住む20の建物がありました。そして、そのうち幾つかの建物は地下道で連結されており、自由に行き来が出来たようです。このように書いてあります。「ブルックリン・ベテル家族は現在,ルックリン・ハイツにある合計約20の住まいに住んでいます。どの住まいも,少し歩けば着く距離にあります。事実,タワーズ,コロンビア・ハイツ124番,コロンビア・ハイツ107番,そしてコロンビア・ハイツ119番には合計約2,000人の家族が収容されていますが,それらの建物は地下道で連結されています。コロンビア・ハイツ97番の新しい建物も,近い将来に地下道で連結される計画があります。しかしボサートとスタンディッシュはこれらの建物から離れ過ぎているので,通りの下に地下道を造って連結することはできません」

日本支部などは一つの敷地内にホーム棟も工場もすべて入っており、基本的にそこの中で一つの世界が出来ていますが、ブルックリン・べテルはいわば一般の住宅地の中にべテルの成員のアパート・宿舎があり、毎日職場(べテルの自分の部門のある建物)まで通勤しているような状態だった訳ですが、すこし不思議な感じがしますね。

■2007年以降に売りに出された5つの物件

これらの物件については2011年9月16日のニューヨーク・タイムス・CityToomBlogによると、引き続き販売中となっています。

■宿舎棟 on sale 13部屋 コロンビア・ハイツ通り183番:$7.65 million(約6億円)


■宿舎棟 on sale コロンビア・ハイツ通り161番:$3.45 million(約2.8億円)


■宿舎棟 on sale コロンビア・ハイツ通り165番:$4.5 million(約3.5億円)


■宿舎棟 on sale ウィロウ通り105番 $3.60 million(約3億円


■宿舎棟 on sale 20部屋 オレンジ通り34番:$7.35 million(約6億円)



ものみの塔協会の建物の特徴として管理状態がとても良い点があります。2008年にボサート・ホテルを売却した時に、ブルックリン・ハイツ協会のジュディ・スタントン会長は「証人たちは建物を維持管理する点で素晴らしい仕事を行ってきた」と述べました。またブルックリン・メッセイ・カナカル・リアリティのテモテ・キングは「ブルックリンの中で、最も特徴的、また最も良く管理されている資産の一つである。ものみの塔協会という組織は、申し分のない管理の水準を持っていることで知られており、ボザートホテルにその手入れのレベルが反映されている。新しいオーナーにとっては、これだけ細かいところに気を配ったレベルを保って建物を管理することは、大きな挑戦だろう」と語りました。どの記事で見たか忘れましたが、協会の建物の状態の良さは、不動産業界では良く知られており、ものみの塔協会が所有していた物件であることが、販売する際のいわば一つの売り文句として使われていました。

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さて、いくつかの情報によると、これらの資産の売却は、ものみの塔協会が北部ニューヨークへと本部機能を移転させていることに伴なう動きであると言われています。それはいったいどこでしょうか。ウォールキル?それともパタソン?それとも・・・??

次の記事では、この辺を詳しく取り上げたいと思います。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
驚きました。 (Dosanco)
2011-09-28 23:31:13
書かれていることが事実であれば、驚きです。
サタンは巧妙ですね・・・・。



 
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Unknown (JWニュース)
2011-09-29 20:11:39
タイミング的なものもあるんでしょうね。市側も協会が部門や設備を少しずつ移動させているのは知っている訳ですから、どうせ移動するならばこの機会に早めにお願いします、と考えているのかもしれません。
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Unknown (kate)
2011-10-02 14:38:53
統治体の兄弟たち 大変ですね。
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そうですね (JWニュース)
2011-10-03 21:27:30
移転計画といっても、自分たちの事情のみならず、今回のように外部の事情も大きく関係しますからね。全体としては、物事は前に進んでいるのでしょうけれど。
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