ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 3

2011-10-06 22:28:15 | 組織
今回は、3回シリーズの最後の記事となります。少し長いですが、お付き合い下さい。

さて、前回から持ち越した疑問です。
ものみの塔協会の本部はいったいどこに移転するのでしょうか??

まず、アメリカにおける最近の協会の土地取得の動きを見てみたいと思います。

ものみの塔協会は1960年代に、ブルックリンから北へ160kmほどいったところにあるWallkill(ウォールキル)で、現在ものみの塔農場として知られている土地を購入しました。これは1,200ヘクタールという広大な土地で、東京ドーム255個分の広さがあります。また1984年には、パタソンに270ヘクタールの土地を取得しました。ものみの塔教育センターとして機能しており、624部屋の宿舎、800台分の駐車場、149部屋のゲストルームがあります。また、ニューヨーク北西部のサウス・ランシングに220ヘクタールの土地、ニュージャージー州のポートマリーに60ヘクタールの土地を所有しています。

2009年2月には、ニューヨーク州ロックランド郡ラマポに、行政機能と住宅の複合施設を作るため、100ヘクタールの土地が$11.5 million(約10億)で購入されました。当初の発表では、850人の兄弟たちが働き、ブルックリンにある出版施設と宿舎が建設されるとのことでした。土地は現在、住宅地区に指定されているが、再区画の申請はすでに出ているとの事。建設は数年先とのことです。

それから1年後、協会は、エホバの証人の世界本部をニューヨークから、Warwick(ウォーウィック)にある100ヘクタールのものみの塔協会の土地に移動させると発表しました。ウォーウィックは、ラマポから1.5kmの距離にあります。ものみの塔による、ウォーウィック市計画当局へのプレゼンテーションでは、850人が住む建物が作られるとのことでした。2011年の8月には、ウォーウィックの土地から約10km離れたところに50エイカーの土地が購入されました。

これらの情報と多くの新聞の報道によると、本部のWarwickへの移転は確実と思えます。
Warwick都市計画委員会の議事録では、建物の構造から建設に伴う交通量の増加、上下水道の整備など細かく話し合われています。5月時点でその段階ですから、実際の建設に取り掛かるのはもう少し先なのではと思います。

また、現在ウォールキルでは拡張工事が行われており、全米でベテルの建設奉仕者が招待されています。各会衆で協会からの手紙が読まれ、工事の様子が写真で伝えられました。5月の段階で1,200人の自発奉仕者が働いています。

移転に合わせて、様々な準備が行われているのでしょう。もともとラッセル兄弟がブルックリンに居を構えたのも、当時、ブルックリンが聖書の音信を世界に伝えるのに最適だったからです。今は時代が大きく変わりました。コンピューターや印刷・発送技術の発達により、ブルックリンに世界本部がある必要はありません。であれば、より効率的にこの業を果たせる場所があるのであれば、そこに移転することも当然なのかもしれません。

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では、本部施設が去っていくのを見守る側であるブルックリン・ハイツでは、証人たちの移転はどのように受け止められているのでしょうか。

ニューヨーク・オブザーバー・コムの中で、ブルックリンで育った筆者が書いた記事がありますので、ご覧下さい

■ New York observer 2011/09/16

もし、22,000の人口の地域で、3,000人が誰にも気付かれずにいなくなったらどうなるだろうか。

古くからのブルックリン・ハイツの住人に、どのくらい頻繁にエホバの証人を見かけますかと聞いて見よう。彼らは間違いなく「毎日」と答えるだろう。

しかし、その同じ人に、エホバの証人がどれほど頻繁に「ものみの塔」誌を持って、勧誘をしに玄関に来るかを聞くと、穏やかに笑いながら、「いや、もちろん来たことはないよ」と言うだろう。

ブルックリン・ハイツでは、エホバの証人を見かけることが、百年以上に渡ってあまりにも当たり前であるため、どのくらいの頻度で彼らが勧誘に来るのかを、地区の住人たちは誰も思い出すことが出来ないのである。これは少し奇妙なことであるが、ブルックリン・ハイツは数多くの「ものみの塔」誌の読者にとってのホームであるだけでなく、実際にこの宗教の世界本部なのである。

ブルックリン・ハイツについて考える時、ある人は、遊歩道や赤褐色の建物、裕福な家族やトルマン・カポテ、ノーマン・マイラー、トム・ウォルフといった有名な住人たちの顔を思い出すことだろう。

またある人は、近隣の2つのTonyの私立学校を考えたり、親しまれたTVシリーズ、コズビーショウに出てきた架空の家を思い出すかも知れない。

ここは、アメリカで最初の郊外の住宅地となった場所だ。

では、ブルックリン・ハイツはどのように、世界で最も急速に拡大し、最も良く知られるようになった(少なくとも、うるさがられるという意味で)宗教の総本山となったのだろうか。

特に、白人の良家の金持ちたちが住むこの地域は、ヒップスターといわれるスタイルを取り入れた近隣の地区を避けて来た。そこは、ブルックリンの一角にあるウィリアムバーグやボーローパークといった、宗教人たちが社会の基準から外れたところで生活している場所である(ユダヤ人をはじめ各国から多くの移民たちが住んでいる地域である)。3,000人のエホバの証人が(地元口調でいうとJWs)ハイツにある宗教施設で住み、働いているからといっても、それは黒い帽子をかぶった信者たちとして目立っている訳ではないのである。

ブルックリン・ハイツ・アソシエーションのジェーン・マクグローティは、「見ただけでは誰がエホバの証人なのか分からないでしょう」と認める。さらに「もっとも、ここで育った人なら、ズボンのベルトの位置が高めなので見分けるかもしれませんけどね」と笑いながら言った。ちょっとオタク風の熱心なものみの塔信者のことである。

しかし、彼らがここ数年、あるいは数十年のうちにいなくなるとしたら、どんな影響があるだろうか。あるいは、影響が全くないとしたらどうだろうか。

隠遁生活で悪名高いエホバの証人たちがいつ引っ越すのか言わないとしても、約3,000人の信者たちが、現在住んでいる協会の施設から、やがて引越しをするのは事実であり、その費用は $11.5million (約11億円)と見積もられている。引越し先は、農場や工場、印刷施設がすでに稼動しているウォールキルの隣にあるウォーウィック(Warwick)という町である。

ちょうど先週、ブルックリン・ハイツにある5つの物件が売りに出された。地区の住民たちは、近々売りに出るだろうと知っていたアパートと家々である。協会は3年前からその建物の売却を始めた。ブルックリン・ハイツの歴史を100年巻き戻すと、ピッツバーグの伝道師、チャールズ・テイズ・ラッセルがブルックリンの海岸にやって来た時までさかのぼる。(彼がこの場所に決めたのは、イースト川に近く、彼の生涯の仕事である「ものみの塔」を世界中に発送するのに最高の場所だと考えたからである)100年が経ち、証人たちは $600 million から $1 billion (600億から1000億)もの不動産を所有するまでになった。彼らが去った後には、ブルックリンの中心部の地域に、これまで以上の形が残ることになるだろう。

-- 最近売りに出た、ブルックリンの「エホバの王国」の建物をまわって見る--

私は個人的に、非常に特徴的なある決まり事をはっきりと証明してみることが出来る。
このハイツで育ち、両親は今でも遊歩道の近くに住み、ハイツのクラブは私の家族が会員になっている。
私は個人的にエホバの証人のメンバーと知り合った事はないし、道を聞いたことすらない。潜在的に気付いたのだが、コロンビアハイツを週中の夕方4時前後に歩いていると、整然と歩いているエホバの証人たちの列に出会う。それは、”エホバの芝生”と地元の子供たちが呼んでいるスクィッブ・ヒルにある印刷工場のシフトが夕方変わるので、その時間に仕事に向かう人々の列なのだ。

ブルックリン・ハイツでは、家から家の訪問で改宗活動をしているエホバの証人を見かけることはまずめったにない。地元とのいわば暗黙の了解で、お互いに距離を取っているという独特の現象がある。この距離は、エホバの証人と地元はほぼ全くビジネス上の取引をしないという犠牲を伴っており、お互いに経済的な絆を育てるということは、意図的になされていないのである。

この事実は、エホバの証人たちにより固く守られている考え方である。彼らは税が免除されていることに加え、自身が政治的な権限の外側にいると考えていて、それゆえに、地元のビジネスや人々と相互関係を持つことを選ばないのである。その代わり、ハイツの典型的な気難しい住人たちは、彼らが自分たちの領域に入ってこない限り、喜んで宗教的な隣人に目をつぶるのである。協会は、食事や服と言ったものすべては遠く離れたウォールキルにある広大な施設から取り寄せる。こうした関係は見る者に対して、ブルックリンハイツにある「ものみの塔」の存在は、物理的な存在と言うより、ほとんど霊的なものであるという印象を与えている。

1939年の創業以来、いわば地区の名物となっているデリカテッセンの店を営むクリスは、「彼らは、ここでほとんど金を使わないよ」と言う。「彼らがいなくなったら、どんな悪い影響があるかは分からないな。お金を使ってくれる新しい人たちが来るなら、俺たちにとってはいいことだな」

「長い目で見ると、近隣地域には良い影響があるでしょう」と言うのは、地元で20年以上の経験を持つ不動産業者だ。「彼らは税を払いませんし、人々は地域でお金を使いません。この点では、間違いなく良い変化となるでしょうね」

マクグローティは、そうした感想に同意しながらこう述べた。「彼らのすべての建物は別の何かになるでしょう。私たちはそれらが何になるのか分かりませんが、多くはマンションやアパートとなるでしょう。人の数が多くなると感じることは間違いないでしょうね」

とはいえものみの塔は、服やハムの薄切りにではないかもしれないが、地元にある、驚くほど様々な、そして価値のある不動産にお金を使って来た。プロムナードに隣接したタウンハウス(2-3階建ての住宅)、有名な古くからのホテル、「ものみの塔」誌を発行し発送してきた、広大な倉庫や工場などである。

ものみの塔が最初に移転の意思を発表した2003年には、すべての所有する土地と建物はおよそ$600 million(約600億)と見積もられた。同じ年に売りに出されたアトランティック通りの下のほうにある元発送工場は、$120 million (約100億円)だったと言われている。その敷地は現在、第一ブルックリン・パークとなっており、新しい高級マンション開発は、同じ名前の新しい公園計画の柱として、橋からアトランティック通りまでの以前の商業港の付近まで拡張されている。決して皮肉ではなく、倉庫がマンションに変わることは、協会が払ってこなかった税収の点で公園の財源の助けとなる。

協会の残りの建物が売れた時にも、同様の手法が取られるだろう。何年にも渡って地元の人々は、素晴らしい遊歩道の眺めを守るためにマンション開発と戦って来た。エホバの証人がまた救いの手段となるかもしれない。州議員ダン・スクアドロンが市長と一緒になって、彼らの資産からの税収を公園のために使うことに決定した。しかしこれは、地元にとって別の問題も含んでおり、エホバの証人よりもはるかに騒がしい、多くを要求する何千人もの人たちがハイツの住人になる可能性があるのだ。

しかし、より心配しているのはタウンハウスのオーナーたちだ。協会が建物を段階的に売却すれば、地元が心配している不動産価格への影響を和らげることが出来るし、市場を活発にし続けることが出来るだろう。しかし、ものみの塔への経済的な利益のためにするべきではない。

ものみの塔の意思決定の背後にある理由は、歴史的に非常に不可解なものであるが(協会はメディアに出ることを嫌がることで知られており、この記事にもコメントはない)、保有資産を段階的に売却することは、賞賛をもって迎えられて来た(彼らは特価処分をする必要はないとマクグローティ言った)。その一方で、2008年の経済崩壊の時の彼らの売却のタイミングは、人々を驚かせた。

ものみの塔はまた、ハイツの人たちを驚かせ続けるほど十分な敬意を獲得してきた。多くの住居用の建物や小さな不動産は、80年代後半から90年代前半の経済不況の時に購入されたものだ。その時期、ブルックリンハイツの不動産はどん底にあり、多くの古くからの美しい家は、荒れたままにされた。ものみの塔の素晴らしい組織力と工業力はその宗教の看板であり、それは彼らが過去20年に渡って購入し修復してきた建物にはっきりと現れている。このことは、不釣合いながらも、彼らを地元の保存運動のリーダーにしてきたのである。

モンターギュ通りにあるボザート・ホテルは、20世紀のブルックリンを知る試金石のようなものである。野球のシーズンには、ブルックリン・ドジャースの最も有名なホームとなった。チームの事務所からわずか2区画しか離れておらず、野球場まで短いトローリーが走っていた。ものみの塔はこのホテルを1998年に、5年のリースの後に購入した。購入した年には、ホテルは悲惨な状態だった。有名な「マリーン・ルーフ」は崩れており、入念に飾られたロビーはすっかり消え失せていた。ものみの塔は屋上を取り替えて、ロビーは素晴らしい外観をもう一度手に入れた。こうした仕事は、3年前に協会がホテルと売却した時に、買い手を惹きつけるのに貢献したのである。

「ブルックリン・ハイツにとって、ものみの塔は非常にまともな隣人でした」とマクグローティは言った。「地域に参加することはほとんどなかったけど、状態の悪い建物をきれいにする点では本当に素晴らしい働きをしました。ボサート・ホテルはその事実を明らかに物語っています」

不幸なことに、証人たちが売却するのには時が悪かった。$98 million (約90億円)の価格は2008年10月には一気に下がった。買い手と見られていたRALが、第一ブルックリン・ブリッジ・パークでの販売数が減ってきたことを恐れたためと言われている。住宅計画が今でもはっきりしない状態であり、人々は先週売却リストに入った、シングル・ファミリー向けの小さなタウンハウスと茶褐色の住宅の行方を、慎重に見守っている。

「5軒全部の販売ですが、各々の建物はそれそれのニーズに合わせてあります。ですから、とても状態はきれいなのですが、普通の家族の家として使うには少し改修が必要です。そのため、それらの建物は私たちの持つ建物と競合しません」と不動産ブローカは述べた。

慣習に従わない、新しい住人たちが支払う税金と購入に費やすお金は、地域のほとんどすべての住民よりも便利で良い生活をする交換条件だ。路上駐車の場所の取り合いが激しくなることが例外となるかもしれないが、実際、潜在的な問題はある。新しいマンションが出来た場合には、人が多くなり過ぎるという問題である。

ものみの塔と信者たちの実際の出発に関しては、相反する感情を持って受け止められている。

「彼らは子供を持った家族と言う、典型的な共同体ではありません。大人たちが主役となっている状況です」とマクグローティは、本部で奉仕活動を行っている人々のことを述べた。「ですから、何を失うのか、また何を代わりに手に入れるのかを知るのは難しいことです」

人々は、北部東側の住民のおよそ8人に1人が同時にいなくなったらどうなるかを考えるべきである。住民たちの間にある種のパニックが起きたとしても不思議ではないだろう。

ブルックリン・ハイツの住人のうち、22,000人のうち3,000人が出発するのを見る時の反応を最も良く表している言葉は、「無感覚」 だろう。

不動産ブローカーは、「それほど大きな影響はないと思いますよ」と言う。

デリカテッセンの店の主人カルファ氏は、「いくつかの可能性はあるでしょうね」と肩をすくめて言った。

ブルックリン・ハイツ市当局のスティーブ・レビンは、「ものみの塔が去ることは、間違いなく地域に長く続く影響を与えるでしょう。証人たちが引越し、ブルックリン・パーク・ブリッジの開発が続くなら、この地域の雰囲気は劇的に変わるでしょうね」

突然に見えなくなり偏在するように、ものみの塔の消失は疑いなく長く続く痕跡をアメリカで最初の郊外の住宅地に残すだろう。しかし、その痕跡がプラスのものか、マイナスのものか、今それを的確に言い当てることは、まず不可能である。

恐らく、エホバのみがそれを知っていることだろう。

(注)この記事に対して、元ベテルにいたという人たちからのコメントがありました。「私は食べ物を買いに地元のスーパーマーケットに行ったし、レストランでピザを食べたりコーヒーも良く飲んでいました。他のものみの塔で働いていた人たちも良く外食していましたよ。それに、見学でブルックリンに来る大勢の証人たちはハイツの経済に貢献してきました。JWたちは、この地域を素晴らしい場所とするために出来ることはしてきたと思います」と書いていますし、別の人も、「そのことに同意するよ。僕はClarksで週に何回か食事をしたし、多くのJWの友人と地元の店でビールを飲んだりもした。食器はFishes Eddyで買ったし、スーツはモンターギュ通りにあるBanana Republicで買った。日曜日の集会後はJack the horseでブランチを食べたりしたよ。JoyaはいつもJWで賑わっていたね」とコメントしています。実際、多くのベテライトは工場と別の場所に住んでいるので、行き帰りに買い物をしたり外食する機会が多かったでしょうね。

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これまで3回にわたってブルックリンで生じていることを取り上げてきました。ものみの塔協会の歴史の中でブルックリンはいつでも中心の場所でした。以前、ブルックリンの世界本部に行ったことがありますが、建物はどれもきれいで素晴らしいところでした。宿舎から見たマンハッタンの夜景などは、まるで違う世界に来ているかのようでした。

もし、本部の移転が決まり、橋のたもとに見える大きな「Watchtower」の看板が無くなるとしたら寂しいですが、いずれにしても最善の決定がなされるに違いありません。今後は、ウォールキルとパタソン、そしてウォーウィックが中心的な場所として機能するのでしょうか。いずれにしても、今後の進展を楽しみにしましょう==


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2 コメント

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ありがとうございます。 (0425)
2011-10-08 10:02:31
いつも平衡の取れた,興味深い記事を掲載してくださり,ありがとうございます。
日本に住むJWとして,本部のあるアメリカでの動きは,関心の深い所です。
外部からの情報のみならず,ベテル奉仕者たちのコメントなども含めてくださり,本当の事情を丁寧に浮かび上がらせてくださっていますね。
また,次回のUpを楽しみにしています。
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Unknown (JWニュース)
2011-10-09 08:11:20
コメントありがとうございます。日本ではJWのニュースと言うと非常に偏ったイメージがありますが、世界を見ると様々な角度からニュースが発信されていると感じます。私たち自身にとっても新たな発見があったりして、とても興味深いですね。
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