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ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

反対者たちが教会とバーを破壊する

2011-07-03 10:43:00 | 迫害・反対
西アフリカのセネガルからのニュース。セネガルには、パル・ダカール・ラリーの終点として有名な首都ダカールがあります。国の人口は1,250万人、イスラム教が大多数、アフリカの伝統的宗教が6%、キリスト教徒は2%だそうです。エホバの証人は約1,000人おり、26の会衆があります。その国で、暴徒と化した反対者たちが教会と近くの酒場を襲いました。

とニュースにはあるのですが、記事を読むとなんとなく違和感があります。また突っ込みどころもあります。まずは、記事をご覧下さい。

■ Herald Sun

数百人のイスラム教の反対者たちが、セネガルの首都に近い保守的なイスラム教徒たちが住む場所にある、エホバの証人の教会と一軒の酒場を襲って火を放った。

こうした宗教的に過激な行動は、比較的穏やかなイスラム国家であるこの国では珍しいことである。

地元のイスラム指導者連盟の代表者であるセィエルノ・メベグンによると、ダカールの保守的なヨフ地区の指導者長が若者たちに、彼らが”信仰に対する攻撃”とみなすものに対して、日曜日にデモ行進をしようと呼びかけた。

彼らは教会を狙ったが、それは教会の成員たちが改宗活動を行っていたからである。また酒場(バー)はアルコールを販売していたからである。

彼は、イスラムの宗教指導者たちは暴力を認めた訳ではないが、教会とバーを破壊した彼らの行動は正しかったと考えているだろうと述べた。

ファヤという24才の暴動参加者は、暴徒たちは教会の成員が祈りをささげている間に教会に火を付け、それから酒場に火を付けたと言った。

しかし、他の目撃者たちによると、数百人の反対者たちは建物に入って缶ビールを飲み始めたそうだ。それから、冷蔵庫やエアコン、家具といったものを盗み出してから火を放ったとのことだ。

匿名でと断ってから話してくれた医者によると、37人が彼の病院に運び込まれ、その中にはひどい怪我を負った警察官も含まれていた。一人は刃物の刺し傷があった。警察は群集を解散させるために催涙ガスを使った。

メベグンは、教会は地元の人々を改宗させようと活発に行動していたと主張する。彼によると、彼女は英語を教える振りをして、十字架とエホバの証人の出版物を渡していたと述べた。

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まず感じた違和感は、これは本当にエホバの証人だろうか?ということです。使われている言葉が、Jehovah's Witness temple(直訳:エホバの証人の寺院)、church(教会)で、kingdom hall(王国会館)という言葉は出てきません。また、地元の指導者が述べている言葉に、「人々に十字架を渡していた」というものがありました。これはエホバの証人とは思えません。また、祈りの最中とありますが、エホバの証人の集会では祈りはごく短い間です。

考えられるケースはいくつかあります。

1.狙っていたのはエホバの証人で、攻撃した建物も王国会館だった。
2.狙っていのはエホバの証人だが、間違って別のキリスト教グループの建物を攻撃した。
3.狙っていたのは別のキリスト教グループだったが、間違ってエホバの証人の王国会館を襲った。
4.狙っていたのは別のキリスト教グループで、攻撃したのもそのグループの教会だが、それがエホバの証人たちのものであると勘違いし続けていた。

といったところでしょうか。あまり下調べしないで、勢いで間違ったところを襲った可能性もありそうです。

また、酒場を襲った暴徒が店のビールを飲んで、売れそうなものや使えそうなものを一通り運び出したところで火を付けるところは、自分で火事を起こす火事場泥棒的な感じですね

本人たちには、真相はどうでもいいのかもしれません。

証人たちの地域大会が当局の圧力によって中止させられる - ロシア・アルメニア

2011-06-26 06:54:29 | 迫害・反対
6月に開かれる予定だった地域大会のうちロシアで2ヶ所、アルメニアで1ヶ所が中止に追い込まれました。いずれも当局より開催施設に連絡があり、大会を開かせないようにという圧力がかけられています。遠くから会場に来たその前で入館が禁止されて解散させられるのはやりきれません。残りの大会がスムーズに行われることを祈ります。JW公式メディアサイトからの記事2本です。

■会場施設の持ち主に対して大会を中止させる圧力がかかる ― アルメニア JW media.org 2011/6/14

アルメニアのヴァナゾルで開かれる予定になっていた「神の王国が来ますように!」地域大会が始まるわずか数時間前に、証人たちは施設から立ち退くように強制された。施設の持ち主が契約を守ろうとしなかった結果、速やかに大会は中止となった。

およそ600人の証人たちが、6月10日から12日にかけて開かれる3日間の地域大会への出席を計画していた。証人たちがプログラムのために到着した時、会場は閉鎖されていた。施設の持ち主によると、もしエホバの証人に会場が使われたなら、会場を爆破するという電話が掛かって来たとのことだった。また彼は、アルメニア政府当局がエホバの証人が施設を使用することを許可してくれれば、いつでも使ってもらいたいと証人の代表者に話した。アルメニアで法的に登録されているエホバの証人の代表者たちが警察および地元当局と交渉したが、大会は中止された。

証人の代表者たちとの交渉で、ロリ地域の市長(ヴァナゾルの市も含む)は、彼が2011年6月9日に施設の持ち主に電話をかけて、持ち主に「エホバの証人に会場を貸した場合の結果を考えるように」と話したことを認めた。市長はその言葉は脅しの意味ではないとした上で、エホバの証人に反対する若者のグループの暴力が会場を破壊してしまう恐れがあったと述べた。市長は金曜日(大会が中止になった初日)の夜に、施設の持ち主に電話して、残りの二日間は大会を開くことに反対はしないと述べることに同意した。しかし、持ち主は証人たちに会場を提供しないことを選んだ。

今回の大会の中止は、2010年の地域大会で起こった信仰の自由の否定と妨害と同じパターンである。昨年、ヴァナゾル、ヴィムリ、ヤラヴァンでは、施設の持ち主にエホバの証人との契約を中止するようにとの圧力が掛かった。持ち主たちの多くは、恐れのため誰が圧力を掛けて来たを明らかにすることが出来なかったが、ある人たちよると、当局の代表者が政府の高官からの命令書を持って訪問したとのことである。2010年10月8日、アルメニアのエホバの証人は大統領セルジ・サルグシャンに対して、年一度の大会を平和的に行えるように協力して欲しいとの手紙を敬意と共に送った。また地方当局が、アルメニア憲法とヨーロッパ人権条約に則り、集会の権利を守ってもらえるようにとの願いも出した。


■サンクト・ペテルスブルグの二つの地域大会が当局の介入によってさせられる ― ロシア JW media.org 2011/6/21

ロシア連邦保安庁と地元当局からの施設管理者への圧力の証拠

ユビレイニ・スポーツパレスの管理者は、その会場で開かれることになっていた2つのエホバの証人の地域大会の契約を事実上取り消した。

エホバの証人は、「神の王国が来ますように!」地域大会への出席を、世界中の人々に招待している。そのうちの2つがユビレイニ・スポーツパレスで計画されており、1万3000人の人がサンクト・ペテルスブルグとレニングラードから集まると予想されていた。2011年4月15日に、証人が施設管理者と最終的に契約した時のことである。

しかし、ロシア連邦保安庁の代表者が2011年5月末にスポーツ施設管理者を訪れ、その契約書を渡すようにと要求した。その後すぐに、ペトログラスキー地域行政長コンスタンティン・ジェルデコフの署名の入った2011年6月2日付けの手紙がユビレイニ・スポーツパレスの管理者宛に届いた。手紙はエホバの証人の大会施設の利用について述べており、エホバの証人との契約を取り消すようにと指示されていた。

エホバの証人は、良心の自由と宗教団体法および文化スポーツ連邦法に則り、平和的に宗教的な集会を開催し、その目的のために様々な場所を(ユビレイニ・スポーツパレスを含め)使用する権利を持っている。しかし、2011年6月2日にユビレイニ・スポーツ施設管理者からエホバの証人の管理部に送られた手紙には、エホバの証人がこの施設を使用できない理由は、「メンテナンス」の心配のためと書かれていた。

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増加するエホバの証人への襲撃 ー インド

2011-06-10 18:37:32 | 迫害・反対
インドでエホバの証人たちが暴徒に襲われるケースが増えているようです。
JWオフィシャル・メディアサイトでもつい数日前にそれが取り上げられました。2011年の年鑑によると、インドの人口は11億6千万人で、33,089人の伝道者がいます。人口比率では3万5000人に一人のエホバの証人しかいません。そのインドで何が起こっているのでしょうか。

■エホバの証人を襲った暴徒たちが罪を免れている - インド

JW公式メディアサイト 2011/6/7

バンガロール(人口616万人ーインド第3の都市) -  インドのいくつかの州では、暴徒たちがエホバの証人を襲うケースが度々報告されており、それは増加している。彼らは20-50人で構成されているギャングで、よく知られているエホバの証人の伝道活動を少人数で平和的に行なっている時に、攻撃してくる。ある暴徒たちは、証人たちを殺すとかレイプするといって脅かした。

2011年3月26日、カルナタカ州の南部で、4人のエホバの証人たちのグループ(3人の女性と1人の男性)にある男が近づいて訪問の目的を訪ねたのは、近くの町マディキンで村の人々と友好的な会話を楽しんだ直後のことだった。

その男性は携帯電話を取り出して、バジラン・ダル (ヒンディの戦闘的組織)とジャグラン・ベリケの構成員たちに電話をかけた。やがて、50人もの人々が証人たちを取り囲み、3人の女性をレイプしようとし、男性を木に吊るし、灯油をかけて生きながら焼き殺そうとした。しばらくして警察が到着し、エホバの証人たちを取り調べのために警察署に連れて行った。4人のエホバの証人全員が逮捕され、保釈されるまで4日間拘留された。

2011年4月1日には、証人の「人権法律スタッフ」の一人と、他の3人の関係者(そのうちの1人はエホバの証人ではない)が、情報を入手するために暴徒活動が起こった土地に向かった。しかし、4人が帰る途中で暴徒たちに待ち伏せされ襲われた。証人たちは口汚く罵られ、ベルトや棒で打ち叩かれ、服を剥ぎ取られて公共の道路を半裸の状態で歩かさせられた。エホバの証人ではなかった一人は攻撃されなかった。その後、暴徒たちはいくつかのTV局に電話をかけ、来て起きたことをビデオに取るようにと言った。証人たちは警察署へと連れていかれ、暴徒たちによって捏造された証言によって有罪とされた。彼らは6日後に留置所から釈放された。

同じような出来事が同じ日に、州都バンガロールでも起こった。2人のエホバの証人が、ある男性と今日の社会で子供を育てることの難しさについて話していた。男性は初めは友好的だったが、その男性は友人に電話をかけ、証人たちがいる間に彼のアパートに来るようにと電話していることに証人たちは気付いた。さらに、その友人がアパートに到着すると、彼はさらに別の人たちにも電話し始めた。証人たちは起ころうとしていることを感じ取り、そこを平和裏に立ち去ろうとした。しかし、暴徒たちにそれを阻まれた。暴徒は2人の証人を叩き始め、近くの区域にいた別の2人の証人にも暴力を振るった。やがて、彼らは4人の証人たちを警察署へと引きずって行き、地元の新聞社に連絡を取った。警察署にいた暴徒の1人は、自ら自分のシャツを引き裂いて外に出て、改宗を断ったらエホバの証人に攻撃されたと話して回った。その男性はレポーターにインタビューされ、その作り話が地元のニュースに事件の内容として報道された。4人の証人は一晩を留置所で過ごした後釈放された。一人 10,000 INR ($226 アメリカドル)が保釈金として支払われた。

異議申し立てが3件の事件で提出され、警察による調査と暴徒による暴力行為に対しての起訴を求めている。これらの攻撃は、明らかにインドにおける憲法上の信教の自由を侵害する行為である。

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これらの事件を引き起こしているのは、ヒンディ原理主義者たちです。記事でも名前が挙がったバジラン・ダル(Bajrang Dal)とジャグラン・ベリケ(Hindu Jagran Vedike)は、ここ数年特に活発に活動しており、他のキリスト教派に対しても攻撃を加えているようです。

キリスト教徒に対する暴力は下記のサイトでも説明されています。

キリスト教ニュース
ビジネス・アイ 2008/10/16

ブルガリアのエホバの証人が記念式の日に襲撃される

2011-05-11 16:27:07 | 迫害・反対
久しぶりの更新となります。これまで、基本的にひとつのニュース記事を取り上げ、その和訳を載せるというスタイルでしたが、多少変更することにしました。
長い記事を和訳していると時間がかかることもありますが、話題を深く掘り下げたり、発展させることが出来ないので、どうしようかと考えていました。
主に海外でエホバの証人が関係するニュースを取り上げることは変わりませんが、より柔軟に、より幅広く関係情報を扱って行きたいと思います。
それに伴い、いくつか過去の記事も整理しましたのご了承下さい。m(_ _)m

第一段は、ブルガリアのエホバの証人の記念式の記事です。既にご存知の方も多いかもしれませんが、2011年4月17日のイエスの死の記念式の日に暴徒が王国会館に押し掛け、兄弟たちに暴力を振るうという事件が起きました。これは協会の公式メディアサイトでも取り上げられました。

事件は、ブルガリア第四の都市ブルガスで起きました。夜7時半から始まるイエスの死の記念式のために、人々が静かに集まり始めていました。記念式の20分前に、約60人の男たちが王国会館にやってきました。ある者たちはVMROという政党の旗を持っています。彼らは大きな石を玄関に投げつけていましたが、やがてドアを蹴破って中に入ろうとしました。

証人たちはすぐに警察を呼びましたが、警察はすぐには対応しようとしませんでした。襲撃があった時、100人以上の人々が中にいました。女性や子供、お年寄りも含まれています。襲撃によって怪我をした人がおり、5人が救急車で病院に運ばれました。なかには脳しんとうを起こした人もいました。

VMROの政党のメンバーたちはこれまでにも、度々エホバの証人の集会を妨害し、メディアを使って証人たちを攻撃してきました。証人たちは何度も刑事告訴をしてきましたが、彼らの攻撃は続いています。いまや、国際社会がこれらの不法な犯罪的な行為に対して、ブルガリア政府がどのように対応するのか見守っています。

ブルガリアでは、去年は4000人近くの人がイエスの死の記念式に集まりました。

ということです。

この襲撃の様子はYoutubuでも公開されています。
襲撃されたブルガリアのエホバの証人

しかし、これはひどいですね。完全に弱いものいじめというか犯罪です。主張があるなら法に従って行わなければなりません。

VMROとは、一体どんな政党なんでしょうか。日本語では、内部マケドニア革命組織と呼ばれており、1893年にオスマン・トルコ帝国の支配下にあったマケドニア地方で、マケドニア人の独立を目指して作られた政治組織です。この時期のバルカン地方は政治的・民族的にものすごい対立がありましたが、この右派政党はそうした時代背景の中でマケドニア人の民族意識をうまく利用しながら勢力を拡大して来ました。特に戦争時期にはテロや闘争をもってその理想を現実しようとして、多くの血を流したようです。

その後、共産主義体制下では抑圧されていましたが、マケドニア共和国が独立を果たしブルガリアも民主化された後に、再びVMROの名前を冠した右翼政党がいくつか誕生しました。必ずしも現在のVMROが、テロやクーデターに明け暮れていたかつてのVMROと同じではないと思いますが、民族主義の右翼政党として知られており、今回の事件から目的の達成には暴力もいとわない集団であることがわかります。

Wikipedia によると、ブルガリアの宗教は、ブルガリア正教会が82.6%、イスラム教が12.2%、ローマ・カトリックが0.6%、プロテスタントが0.5%、その他ユダヤ教の信者もいるそうです。10人訪問したら、その内8人が(多分)ガチガチのブルガリア正教会員、1人は敬虔なイスラム教徒。後の1人がどんな反応か・・・。これが毎日ですから、それは大変なことでしょう。本当によくやっておられると思います。

以前のニュースでも取り上げましたが、ロシアを含む東ヨーロッパでは、エホバの証人の活動が制限される事例が相次いでいます。今後の動きに注目して行きたいと思います。

アゼルバイジャンにおいて侵害される信教の自由

2011-03-01 18:27:27 | 迫害・反対
アゼルバイジャンがどこにあるかご存知でしょうか。イランの北側とアルメニアと国境を接している国です。
この国では近年さらに宗教の規制が強くなっているようです。ロシアも含めこの地域では現在、信教の自由がかなり侵害されています。ノルウェーに本部を持つ、Forum18 (フォーラム18)という組織があるのですが、彼らは信教の自由を基本的な人権と位置付け、それを侵害している組織や国に対して行動を起こしています。そのForum18がアゼルバイジャンでの信教の自由が侵害されていることを取材した記事がありました。

■ Forum 18 News Service

アゼルバイジャン

-- なぜ公判の通知もなしに罰金を科されたのか --

2011年に入って、フォーラム18 に伝えられた2番目のケースとなるが、アゼルバイジャンは州の許可のない宗教活動に対して罰金を科すようになった。

そして通知を受けることなく被害者の女性は、この違反に対して裁かれることになった。

エホバの証人のラスミヤ・カリモバは、北西アゼルバイジャンのガフの警察に、2010年11月に自宅に踏み込まれた後に、宗教活動をしてはいけないと警告された。

口頭である警官から、100マナツ(3週間分の平均賃金)の罰金を科されるだろうと言われたが、彼女が最初に公判のことを知ったのは、彼女が裁判所から、行政法の条項209に違反している(宗教組織の集会等に関する違反)という書類を受け取った時であり、裁判所の書類には、彼女が10日以内に罰金を払わないと、それに相当する資産を差し押さえすると書いてあった。
彼女は嘆願書を出したが、今のところ返事はない。この通知なしの公判の最初の被害者はあるプロテスタントで、非登録の宗教活動を行ったのがその理由であった。

我々は、ガフ地域警察の副署長ミルクァメット・ムシャリブに、なぜ地元のエホバの証人であるラスミヤ・カリモバにいかなる宗教活動にも携わらないようにと命令したのか、またなぜ彼女のいないところで罰金刑を科したのか聞いたが、彼はその理由を説明することを拒んだ。これは、被害者たちのいないところで宗教活動に対する罰金刑が科された2番目のケースである。

その一方で、良心的兵役拒否者であるフレッド・マンドブは、ヨーロッパ人権裁判所に対して提訴する準備を進めている。アゼルバイジャンの最高裁判所が、彼の9ヶ月間の実刑判決に対しての嘆願書を却下した後のことだった。他の二人の良心的兵役拒否者は、判決に対してすでにヨーロッパ人権裁判所に提訴しており、それが聞き届けられるかどうか待っている。


-- 宗教の自由の制限が増加する --

アゼルバイジャンでは、ここ数年で次第に宗教や信条の自由が制限されるようになってきた。2009年には宗教法が2度も変更され、信教や信条の自由を行使することへの罰則が刑法と行政法の中に導入された。2010年12月には、行政法の中の宗教活動に対する罰金は20倍に跳ね上がった。

こうした増加する規制は施行され始めている。以下の事例は2011年1月だけで起きたものである。イェバラクの教師たちと地方の公務員たちは、学校に通う年齢の子供たちをモスクの金曜日の礼拝に出席させなかった。
北アゼルバイジャンのプロテスタント、イルハム・バラベヨブは、非登録の崇拝を主催したとして3週間の平均賃金を罰金として科された。元アゼルバイジャン・セブンスデイ・アドベンティストの指導者だったロシア国籍を持つイアン・ウズンは、首都バクーでの土曜日の礼拝中に警察の捜索を受けた後で、国外追放された。別のアドベンティスト信者であるモルドバ人のゲオルヒ・ソバーは、宗教活動に対する罰則として、8週間に渡ってアゼルバイジャンへの再入国が拒否され、最終的に2月11日に妻と子供の所に戻ることが出来た。

2009年の宗教法の改正によって、非登録の宗教活動の禁止とすべての宗教団体の再登録が要求された。
これは、1991年にアゼルバイジャンが独立して以来、何度か行われた再登録の要求のもっとも最近のものである。
締め切りからほぼ14ヶ月が経過した後、2月21日時点でわずか510の宗教団体のみが登録を認められた。
多くの宗教団体 - イスラム、ほぼすべてのプロテスタント、エホバの証人、バクーのカトリック教会を含む - は、今のところ、再登録に成功していない。


-- 彼女のいないところで罰金が科される --

ガフ地方裁判所執行吏の長、エルブルス・ハジェブからの2011年1月14日の書類によると、エホバの証人ラスミヤ・カリモバは2010年12月28日に行政法の299条に基づき有罪とされたとされている。「宗教集会等の組織に関する規制の違反」に対する処罰である。

2010年11月、北西アゼルバイジャンのガフにあるカリモバの家が大規模な家宅捜索を受けた後、罰金刑が科された。
彼女は裁判所から、聴聞の連絡も、あるいは罰金刑の可能性があることすらも通知されていなかった。
彼女は、3週間の平均賃金である100メネト(US$126)の罰金が科された。
裁判所の書類によると、もし彼女が10日以内に罰金を払えなければ、執行吏が彼女の家の資産の罰金相当分を差し押さえることになっている。彼女には10日間の嘆願期間が与えられた。

2011年1月24日、カリモバは嘆願書をガフ地方裁判所に提出した。同時に、そのコピーをアゼルバイジャン大統領のイルハム・アリエブ、人権オンブズマンのエルマラ・スレイマノバ、宗教組織労働州委員会のヒデヤト・オルジェブ、ヨーロッパ人権委員審議会のトマス・ハマーバーグ、欧州安全保障協力機構のバクー支部やその他に送った。2月18日の段階で、彼女は裁判所から何の返事も受け取っていない。

2月21日に、フォーラム18はアグダシュにある州委員会の地域代表者であるニザミ・マメドウに電話したが、返事がなかった。バクーにある州委員会の職員は、いかなる質問への回答も拒否した。


-- 個人の家への大規模な家宅捜索 --

2010年11月のカリモバ宅への家宅捜索は15人もの警官によって行われた。この日付は、彼女の、罰金に対する嘆願書の中で明らかにされている。彼女と彼女の夫は(エホバの証人ではない)バクーに出かけていたが、警察に呼び戻された。警官は彼らを銃の所持と宗教文書を自宅に持っていたことで告発した。何冊かのエホバの証人の本とDVD(アゼリ語とロシア語)、個人のノートブック、また夫の公式な身元証明の書類も没収された。

カリモバの家にいた他の人たちも、家宅捜索の礼状を見せられたが、彼らは警察に個人のかばんの中身を見せることを拒んだ。

これらが起きた夕方にガクに戻った夫婦は、地区警察へと向かった。
そこで、ネマトとだけ名乗った一人の警官が口頭で、100メネトの罰金が科されるだろうと言った。
また没収された文書類は、調べるために隣町のザカタラに送られるだろうとも述べた。
(この地域のアゼルバイジャン州委員会の出張所はさらに南のアドガシュにあり、そこでは優先的な強制検閲が行われている。なぜその警官がザカルタと特定したのかは分からない)

ネマトは、すべての「違法」な本は没収され、合法のものであれば、すべて返ってくるだろうと述べた。

エホバの証人によると、家宅捜索から3ヶ月以上が経過した2月18日の時点で、没収されたものは一つも返って来ていないとのことである。

宗教文書は家宅捜査の際に、個人の家からしばしば没収される。例えば、2010年に西アゼルバイジャンのイスラム系の協会の主催者の一人の家で、またバラベヨブ教会が捜索を受け文書類の没収と罰金が科された。

警官のネマトはカリモバを副署長ムシャリエブのところに連れて行き、彼はいかなる宗教活動も法に違反しており許されてはいないと大声で叫んだ。それに対してカリモバは、アゼルバイジャン市民として自由に宗教活動に携われるはずだと返答した。

警察はカリモバを宣言書を書かせるために、11月13日に彼女を呼び出した。そこに行くと、警察は彼女を地元の検事のところに連れて行った。しかし彼は事務所にいなかった。警察は、彼女に宗教活動を行わない旨の宣言書にサインさせようと圧力をかけたが、彼女はそれを拒んだ。

その後、彼女は家に帰ることが許された。しばらく何の音沙汰もなかったが、2ヵ月後にいきなり彼女に罰金刑が科されると聞かされた。

2月18日になって、副署長ムシャリエブは彼の名前と階級を確認した。その後、フォーラム18がどうして彼はカリモバに大声で怒鳴り、彼女に罰金刑を科したのか聞いた時、彼は、大声で叫んだのはムシャリエブではないと言い張った。その後彼は、質問があるなら手紙で送るようにと述べて受話器を置いた。