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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 〈第4天使の使命〉17

2013年05月21日 | 日記

    

  もう罪を犯してはならない 36  イエス様のように      ( 新種のアジサイ)

イエス様は、サタンの試みや誘惑に決して応じられなかった。イエス様は、罪を受け入れられなかった。その思いの一つにおいても試みに屈服されなかった。イエス様は、聖霊が内住されることで完全に罪に勝利する歩みをされた。そして、天の力とみ言葉で心を満たして、常にサタンとの闘いに備えられた。

 イエス様は、ご自分の生涯を通して罪のない生き方の模範を示され、私たちが神様のご品性を反映し、イエス様と同じように、完全に罪に勝利する人生を送れるようにするために来られた。私たちが信仰によってイエス様と共に歩むなら、罪が私たちをとらえることはできなくなる。私たちはイエス様の命を生きるようにされるのである。 

失ってしまった「神様のかたち」(創世記1章27節)を、私たちの中に回復するのが神様のお心である。

キリストは、全生涯を通して、人間が神様と共にある時、神様のみ心と戒めに完全に服従することができることを全宇宙に対して明らかにされた。 

しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある(ローマ人への手紙8章37節)

 

 サムエルの経験 17 サムエルが聞いた神の声、それは指導者エリの家族への恐るべき破滅の宣告であった

四度目に神の言葉が聞こえたときに、サムエルは理解していました。黙示録18章に第四天使の事が出てきますね。黙示録18章に出てくる第四天使は、神の栄光に満たされて地を照らします。第四の天使のメッセージです。皆さんこそが、この第四のメッセージを伝える器です。そういう人たちが、三天使の使命を本当の意味で理解している人たちなのです。これらのメセージによって清められている人たちです。そして神の声を聞き始めている人たちです。聖霊の経験にあずかっている人たちです。ですから皆さんは「永遠の福音」を本当の意味で理解しなくてはいけないのです。これこそが神の栄光を理解するという事であります。すなわちイエス・キリストのご品性を理解するという事であります。イエス・キリストの義を、私たちは本当に啓蒙されなくてはいけないのですね。この光によって心が照らされて、信仰による義を本当に理解することができるようになります。その結果、全世界がその栄光の輝きによって照らされるようになるわけです。

私は、この信仰による義を、聖書の言葉によって語りました。その結果、多くの人たちが、11時労働者(5時)が諸教会から出て参りました。その中には牧師もいれば信徒もいるわけです。指導者たちもいます。本当に真理を求めてきた人たちです。ある人たちは、Uチューブで私の説教を流してくれます。誰がやったか分かりませんが、私の知らないところで、いろんな人たちがUチューブで私の説教を流しているわけです。インターネットで。なぜなら、私の語るメッセージによって祝福を受けたからなのですね。その結果、色々な方法を通して、多くの教会の方々が私のメッセージに触れました。そして、いたるところから私たちのミニストリーに連絡が入ってくるわけです。「皆さんいったいどういう人たちですか」。「この『ライト・フォー・ライフ・ミニストリー』とはなんですか」。「デビッド・カンとはどういう人ですか」。「本当に彼のメッセージは、素晴らしいです」。「彼は真理を語っています。私は彼のメッセージによって改心しました。もっともっと、メッセージを下さい」。これが第四天使の使命であります。こういった、教会内に存在する誤謬、罪をあらわにする働きであります。そして神様の民を呼び出すのです。ですから私たちにはサムエルが必要なのです。神様はサムエルに、ある啓示を与えられました。それはエリの家、家族に関する裁きのメッセージでありました。これは卒直なあかしだったのです。これはバプテスマのヨハネのメッセージでした。私たちには残された時はあまりありません。何かしなくてはいけないのです。イエス様が間もなくおいでになるからです。

     お祈りしましょう。

天のお父様、今朝のメッセージを心から感謝いたします。教会は本当に深い闇におおわれています。神様の啓示が、真の意味で理解されるのは、本当にまれになっています。どうぞ、私たちに教えてください。私たちの魂を清めて下さい。聖霊に満たされる純潔な器となることが出来ますように助けてください。そして、これらのメッセージを聞く方々が誰であっても、それらの魂をあなたがどうぞ祝福してください。第四天使のメッセージを述べ伝える魂を、どうぞ、あなたが起こしてください。イエス・キリストのみ名を通してお祈りいたします。  アーメン

  (サムエルの経験のメッセージは今日が最終回です)

 


サムエルの経験 〈第4天使の使命〉16

2013年05月20日 | 日記

  

  もう罪を犯してはいけない 35

死がイエス様をつかまえておくことができなかったのは、イエス様が命そのものだったからだ。その命は、罪の力が打ち勝つことのできない命だ。神様のみ子を信じる時に、この命は私たちのものとなる。それだから、イエス様の血潮で罪の癒しを受けたら、私たちは、その方の復活の力、その方の命で生き続けていかなければならない。

イエス様は、地上生活のあいだ、この命によって生きられた。サタンは、この命に勝つことができなかった。同じように、サタンと罪の力は、この命を持つクリスチャンに打ち勝つことはできない。 

すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちに、とどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない(ヨハネ第1の手紙3章9節)

 サムエルの経験 16 

本当に声が聞こえるという意味でしょうか。そういった声が実際に聞こえるという意味ではありません。聖霊的な洞察、理解の事を言っているのです。神学者たちのいろいろ教えることとか、そういったものを通してではありません。個人的な経験ですね。私は按手礼を受けた牧師として長年働いてきました。にもかかわらず、神様の言葉を本当には理解できていなかったのです。確かに神学的に理解し、教えていました。神学校へ行って学んでまいりました。そこで学位も受けました。ですから、神様の言葉は分かっていると思っていたのです。しかし、実はそうではありませんでした。自分ではわかっていると思っていました。そして、実際に説教もしていました。もう、いろんないい説教を語りました。いろんな人たちからカン先生の説教は素晴らしいと言われました。あなたこそは教会の将来の指導者にふさわしいと言われました。にもかかわらず、私の説教で、悔い改める人がいなかったのです。私の説教を聞いて改心する人があらわれなかったのです。そこで、自分自身の心と戦いました。何が間違っているのだろう。もっと勉強すべきだろうか。もっと説教学を、深い技術を会得すべきだろうか。そしてわかったのが、私の魂のうちに聖霊が欠けていたという事でした。

もし、聖霊が私の心を支配しておられるのならば、その証拠が見られるに違いないのです。その証拠とはなんでしょうか。罪に勝利するという証拠であります。それはどういう意味でしょうか。神の戒め、命令に従うようになる事です。そのことがわかってきたのです。そして、私は悔い改めました。イエス・キリストのいさおしによって私の魂が洗われていきました。自分自身を神の祭壇にささげて献身しました。自分が本当に邪悪な罪人であるという事を、私は神様の前に認めたのです。そして神様の哀れみ、情けをこい願いました。「イエスさま、どうぞ私を憐れんで下さい」。それから私は本当の意味で聖書がわかるようになってきたのです。私にとって証の書が全く新しいものになってきました。神の言葉、イエス・キリストの啓示が見えてきたのです。それから私は、また語りはじめました。人々にまったく新しい語りかけをしたのです。そうしたら奇跡が起こりはじめました。人々が揺り動かされ、ゆさぶられて、イエス様の前に悔い改めるのが見えてきました。泣いて自分の罪を告白し、イエス様の許しを請い求める人が現れてきたのです。そこで自分は思いました。「これはなんだろう、どういう事だろう」。今まで見たこともない現象だ。なぜ人々は悔い改め始めたのだろうか。自分にその力はないはずだから、だれがそれをやっているのだろう。これは神様のみ業に違いない。聖霊の業に違いない。ですから自分の手柄にすることはできませんでした。そして、恐れの念が出てきたのです。



サムエルの経験 〈第4天使の使命〉15

2013年05月19日 | 日記

   

     もう罪を犯してはいけない 34 御子の命によって

私たちは、罪に対しては死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神様に生きている者であることを認めて、義人になるべきだ。私たちは、生きておられる救い主によって救いを得る。そして、イエス様を通して、今も生きて働いておられる神様の命が、私たちの心の中に入ってくる。イエス様の命、すなわち霊が私たちの心の中に働いて、イエス様の生涯と同じ、新しい人生を生きるようになるのである。 

御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである(ヨハネによる福音書3章36節) 

御子の命がわたしたちの内にとどまるなら、み言葉を自然に行うことができるようにされる。キリストの命があるのでそれが可能なのだ。

そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである(ヨハネ第1の手紙5章11節) 

イエス様が私たちの心の内に入ってこられるとは、その方の命が入ってくるということだ。その方の命は、私たちを全く違う生き方に変える。神様の性質を持って生きる、真のクリスチャンとするのだ。

   サムエルの経験 15 神の声を直接聞くべき時

サムエルの経験から私は、ある事がわかりました。神様は三度彼を呼ばれましたね。その三度とも、彼はよく理解できなかったのです。そこで大祭司の所に行きましたね。そして四度目に神様から呼ばれた時に、もうその時にはわかっていたのです。天からのみ言葉を、啓示を受ける用意が彼にはできていました。そのことを、私たちの、自分自身の霊的経験に当てはめてみましょう。私たちには、三天使の使命というものがあります。それは何ですか。永遠の福音です(黙示録14章6節)。もし、この永遠の福音を拒んでしまうならば、バビロンの状態に倒れてしまう事になります。そのとおりに、第二天使の使命では、バビロンが倒れたと言っています。そして、第三天使の使命は、獣の像を拝んで、獣の刻印を受けないようにしなさいという事です。そして、結論として神の民に、「神の戒めを守り、イエスの信仰を持」つようにと訴えています(黙示録14:12)。

しかし、神の民がこの三天使の使命の本当の意味を理解できないでいるのです。もう、過去150年、160年にわたって、このメッセージは語り継がれてきました。しかし、神の民は本当の意味でこのメッセージを理解できていないのです。ですから、教会からこのメッセージが大声で世に発せられて、強いインパクトを世に与えることができないのです。三天使の使命を、私たちの間で語る事があるかもしれません。しかし私たちが言っていることを、世の中のどれくらいの人たちが、この、三天使の使命の真の意味を知っているでしょうか。神様はご自分の民を呼んでおられます。「サムエルよ、サムエルよ、私の声を聞きなさい」。しかし、そういった召しがあるときに、その意味を知りたいと思って、教会の偉い人たち、教授とか先生と呼ばれる人たちに教えを乞いに行ってしまうわけです。それが、聖霊の欠けているという状態を表しているのです。今こそ神の声を直接聞く時であります。

 



サムエルの経験 〈第4天使の使命〉14

2013年05月18日 | 日記

 

 もう罪を犯してはいけない 33

私たちは、「イエス様のいのちによって救われる」のである。その方の命によって、神様の命が私たちの中に臨む。私たちはその神様の命をいつも受けて、罪の世にあって、罪に染まることなく生きることができるのである。「イエス様のいのちによって救われる」、ということについて、次の聖句はさらに詳しく説明している。 

もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、私たちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい(ローマ人への手紙6章5~13節)

 

   サムエルの経験 14 神の子とは神の霊によって歩む人

日本に、ハンナさんのような人がおられますか。神様と格闘して霊的な子供を授かるように祈り求める人。神の息子たちとは誰でしょうか。ローマ人への手紙8章によりますと、神の霊に従って歩む者たちが、神の子であると言われています。私たちは霊のうちを歩かなければなりません。肉のうちを歩くべきではありません。自分自身の肉の声、あるいは、衝動にかられて歩くべきではないのです。聖霊の声を聞いて、それに聞き従う必要があります。歩くとは、歩むとはどういう事でしょうか。それは一歩一歩、ステップを踏んでいく、その連続ですよね。一歩、一歩踏むたびに私たちは神様の声を聞く必要があります。どのように神様の声を聞くのでしょうか。ここに、書かれたみ言葉があります。たくさんの本がありますよね。読んで、よく考えて、学びましょう。その時、神様が皆さんの心に語りかけて下さいます。そして皆さんが成長して、成熟の域に達したときに、聖霊の印象を直接感じる事ができるようになります。その時、皆さんは識別するという聖霊のたまものを、我がものとする事ができます。どれが本当の神様の声かという事をしっかり理解できるようになります。世の中には色んな声があふれています。教会にも色んな声が、異なった声があふれています。しかし今、神様の、本当の神様の声を識別し、聞き取る事ができるでしょうか。今現在、教会にも、世にも、み言葉の飢饉が起こっているのです。



サムエルの経験 〈第4天使の使命〉13

2013年05月17日 | 日記

 

   もう罪を犯してはいけない 31

永遠という時の流れの中で、贖われた者たちは、あらゆる面で永遠の神様のご品性に向かって、限りなく成長し続けていく。今はまだその素晴らしさは、おぼろげにしか理解されず、神様のみ思いの中に秘められているのである。 

かつて、フランス皇帝ナポレオンが、ロシアを征服しようと軍備を整えていた時、一人の将軍が、「今回の戦闘では、百万のフランス兵が犠牲になるでしょう」と進言したという。するとナポレオンは、「わがフランス国家の栄光に比べるなら、百万の軍人の命など取るに足りない!」と豪語したそうだ。 

ああ、宇宙の王である神様と、人間の王とはなんという違いがあることだろう。宇宙の王は、たった一人の命を救うためにさえ、ご自分の命を捨てようとしてくださる方なのだ。その方だけが、私たちの真の価値を知っておられるのだ。

 サムエルの経験 13  しもべは聞きます

サムエルは神様の声を聞いたことがありませんでした。そこで指導者の所へ行ったわけですね。そこでわかりました。自分の指導者、尊敬している自分の指導者が呼んでいるのではないということでした。彼は神様と話をしたいと思いました。どうやってよいか分かりませんでした。彼の時代には、そのお手本となる人がいなかったのです。今日の私たちも、同じ問題を抱えているのですよ。この世代が全く同じ問題を抱えています。聖霊が私たちの教会にあまりにも欠けているのです。皆さんも目覚める必要があります。神様と個人的な生きた経験を持つ必要があります。個人的に聖霊を受けなくてはいけません。そして他の人たちのために、私たちが模範とならなくてはいけないのです。今、イエス様は教会を目覚めさせようとしておられます。あまりにも長きにわたって神様のメッセージを拒んでまいりました。神様のメッセージに対して大きな、大きな壁を築いてきたのです。

世の中のような大学とか学校を建てることによって、色んな学位とか、称号を、修士号とか博士号とか、自分たちの学校で、学生たちに授与することによって、神の言葉に対する壁を築いてしまったのです。世俗の教育システム、制度を教会に取り入れてしまう事によって、世俗の文化・哲学、そういったものを教会に取り入れることによって、その結果、多くの指導者たちが神の言葉を識別することが出来なくなってしまいました。今、現在、神様はサムエルのようなしもべを探しておられるのです。

三度目にサムエルがやって来たときに、エリが言ったわけですね。ああ、もしかしたら神様がお前を呼んでおられるのだろうと。私はそのようなものを聞いたことがない、でも神様はお前を呼んでおられるのだろう。私は経験がないのでちゃんと教えることはできないけれども、これから神様の声が聞こえてきたら自分で応答しなさい。次に呼ばれたら、「しもべは聞きます。主よ、お話しください」と言いなさい。サムエルが床に戻った時、再び声が聞こえてきました。「サムエルよ、サムエルよ」。サムエルは寝床から下りて床にひざまずいて、「しもべは聞きます。お話しください」と言いました。そしたら、神様ご自身が、しもべサムエルに啓示をお与えになりました。