SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 1

2013年05月22日 | 日記

           

    福音の道しるべ

  はじめに

     聖所:それは人類救済の青写真〔詳細計画〕                                                                                    

イエス・キリストが、「私はすぐに来る」と言って昇天されてから、2000年近い歳月が過ぎた。その間、この世界に、どれだけ多くの戦争が繰り返され、大災害が起きてきたことだろう。なぜ、キリストの再臨は、これほどまでに遅れているのだろう? なぜ、救いや清めに関して、これほど多くの異なる教えがあるのだろう? だれの定義づけが正しいのだろう? 私たちは本当にイエスのようになることができるのか、また、ならなければいけないのか? 私たちは、罪を完全に克服することができるのか? 救いの計画を、もっとはっきり知る方法はないものだろうか? クリスチャン品性の完成とは、どのような意味があるのだろうか? またそれは、現実的な目標となり得るのだろうか?

 これらの疑問は、今日のクリスチャンたちが、地上歴史の最終局面に生存していることを悟るにつれて、ますます聞かれるようになっている。栄光の神にお会いし、永遠の命に入ろうと思うならば、これらの疑問が解かれねばならない。これらの疑問は、ひとつの根本的な質問に要約され得る。すなわち、永遠の命を相続するために、私は何をしなければならないか?との質問である。

          もう罪を犯してはいけない 37

      罪に勝利するための意志の用い方 

それでは私たちは、どうしたらイエス様のように罪に勝利する生き方をすることができるのか。そのためにはまず、私たちは罪に対する正しい理解を持っていなければならない。 

あるクリスチャンは、誘惑を受けて刺激にひかれること自体が「罪」になると思っている。しかし、聖書はそのことを罪とは呼ばない。それは誘惑であって、それが罪になるためには、段階がある。

欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す(ヤコブの手紙1章15節) 

 たとえばある人が、私をひどく傷つけ侮辱したとしよう。その時私は、選択を迫られる。自分のプライドが傷つけられたことに対して、怒って復讐するのか、「自分を愛するように隣人を愛し、敵を愛せよ」と言われるイエス様のお言葉に従って赦すのか、選ばなければならない。このような葛藤が心の内に生じた時が、まさに私たちの意志を使わなければならない時である。