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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 17

2013年05月04日 | 日記

 

もう罪を犯してはいけない 19 キリストの選択

 イエス様を苦しめたのは、死の恐怖ではなかった。また、十字架の重さや辱めではなかった。イエス様の苦しみは、罪の有害性を感じることから来る苦痛、人間があまりにも罪に慣れているため、罪の凶悪性がわからないということであった。

  罪が人間の内側に非常に深く食い込んでいること、罪を捨て去ろうとする人があまりにも少ないということを、イエス様は知っておられた。イエス様は、神様の助けなしでは、人類は滅亡するしかないということを知り、たくさんの人が、助けを受けることができる立場にいながらも死んでいくのを見られた。この押さえ切れない悲しみは、イエス様の心臓を締めつけた。イエス様の心は震えていた。今まさにこの文を読んでいるあなたのために、罪を背負って永遠の死を受けるべきなのか。

 それとも、あなたをあきらめて、美しく、苦痛のない天に戻るべきかを選択しなければならなかった。その時、天からの光は一筋も与えられていなかった。

  

    現代のイスラエル 17 勝利の祈り (最終回)

使徒行伝の7章に戻りますけれども、54節から60節を見るとステパノ最期の局面を見ることが出来ます。これも力強いメッセージです。お読みします。

「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。そこで彼は『ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノをめがけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈り続けて言った。『主イエスよ、私の霊をお受け下さい』。そして、ひざまずいて大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こういって、彼は眠りについた」。

何という力強い聖句でしょうか。ここで彼は何と言わんとしていたのですか。イスラエルの教会を設立なさった神様の目的は、イエス・キリストが来られるということでしたね。にもかかわらずあなたたちは彼を殺害してしまった。しかし今、キリストは死んではおられない、よみがえって生きておられますよ。そして彼は、こう言ったのですね。「天が開けた」と。「天が開けているのが見えます。そしてそこに、人の子が父なる神様の右に立っておいでになるのが見えます」、と言ったのです。「彼が私たちの大祭司なのです。私たちの裁き主であられます。彼が私たちの贖い主、救い主であられる」と・・・。その時、彼らは耳をふさいで、ステパノを石で打ち殺したのです。最後にステパノは、「どうぞ彼らをお許し下さい」。と言いました。「この罪を彼らに負わせないで下さい」。これは、まったくイエス・キリストと同じ状態にあったのですね。メシヤ、イエス・キリストの霊に、ステパノは満たされていました。これがユダヤ教会に対する聖霊の最後の声でした。この時、聖霊の声を拒否した教会の恩恵期間が、ここで閉ざされたのです。以後神様は、ご自分の教会としてユダヤ教会をお用いになることはできませんでした、

私たちはどうでしょう。私たちも同じような状態にいませんか。教会のためにもっと祈る必要があります。

これこそ、私たちのこの世に対するメッセージなのです。お祈りしましょう。

「天のお父様、これらの聖句を見ていくときに、私たち自身について見ることができます。どうかお父様、私たちの欠点をお許しください。私たちの聖霊に対するかたくなさをお赦しください。どうぞ私たちを清めて下さい。神様の目的を遂行する教会となることができますように助けて下さい。罪に終りを来たらせたいと思います。そして、私たちの生涯において、永遠の義を表したいと思います。世の人々のために、天の聖所を指し示したいと願う者であります。どうぞ、聖霊の力を私たちに与えてください。イエス様のみ名を通してお祈りいたします」。

 アーメン     現代のイスラエルは本日で最終回です。明日からは、サムエルの経験〈第4天使の使命)をご紹介いたします。