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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 5

2013年05月26日 | 日記

 

  福音の道しるべ 5 永遠の福音を伝える神の民の出現

救いに関する誤解という黒雲が、広くこの世界を覆っている。その結果、数えきれないほど多くの人々が、偽りの教えを信じて滅びるであろう。この時のために、神は真理に目覚めた民をお召しになり、すべての国々と人々に、「永遠の福音」(黙示録14:6)を宣べ伝えさせようとしておられるのである。この「永遠の福音」は聖所を通して明示されており、これこそが唯一の福音である。聖所の正しい理解は、先述した「永遠の命を相続するために、私は何をしなければならないか」との質問にたいする明確な答えを与えてくれるのである。

実は、この聖所問題が、19世紀に起きた再臨運動の失敗の秘密を解く鍵であった。聖所の研究を通して、なぜキリストは来られなかったのか、キリストは現在天で何をしておられるのか、再臨を待つ神の民はどのような者でなければならないのか、など、十字架、復活、昇天、再臨へと至る、真理の全体系が明らかにされていったのである。そして、神のみ手があの再臨運動を導いてきたことを示し、さらに、神の民の立場と働きとをはっきりさせて、これからなすべきことを明らかにした。

  

   もう罪を犯してはいけない 41 

さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが…。(ヨハネの黙示録12章7節) 

聖書は、歴史の最終時代に、サタンがこの神様の真の民と戦いをすることを預言している。しかし、勝利は神様の民のものなのである。彼らは、驚くべき力を受けて、困難と闘いながら、世の中へ出て行って福音を宣べ伝えるようになる。これらの人々は、イエス様の模範に従って罪に勝利し、神様からの恵みの力を受けて、日々の生活の中で、サタンと争って勝利するのである。彼らの生き方には、イエス・キリストの生涯に現された精神が再現されるようになる。なぜなら、彼らは真正の福音の力を体験し、神様の恵みを受けて罪に勝利することができるようにされたからだ。彼らは、キリストの品性を反映するようになる。 

子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである(ヨハネ第1の手紙4章4節)


福音の道しるべ 4

2013年05月25日 | 日記

       

  福音の道しるべ 4 生きて主を迎える民

最終時代を生きる神の教会において、聖所の教義がほとんどおろそかにされ、その重要性を知らない人が多い。たとえ研究がなされても、しばしば誤解されたり、曲解されたりして、その結果教会は方向性を見失い、真理から遠く離れてしまっている。聖所の教理ほど重要でありながら、ないがしろにされてきた教えはないのではないか? 聖所の教義は、最終時代の残りの民に与えられた、神からの特別なメッセージなのである。聖所を理解して初めて、私たちはキリストの再臨を待つ民となるのである。

1800年代に主にアメリカで起きた再臨運動は、ダニエル書8章14節の2300日の預言理解が発端となった。「彼は言った、『2300の夕と朝の間である。そして聖所は清められて正しい状態に復する』」。この聖句から、聖所の清め、すなわちこの地上の清めが、2300日に相当する預言的年代の後に起きると考えたのであった。さらに、再臨運動の先駆者らに、聖所の清めの真の意味を理解させたのも、2300日の預言であった。この預言が、彼らを、「聖所の清め」の真の意味、至聖所とそこにおられるイエス・キリストの働き、さらに黙示録14章の、「三天使の使命」の重要性と、最終時代に生きる神の民の特別な責務を理解させたのであった。神の恵みの期間が閉じる前に、私たちは、キリストが来られるとき天に移される用意ができていなければならない。そしてそのためには、キリストの栄光を完全に反映していなくてはいけないのである。また私たちは、恵みの期間が閉じる前に、世の人々に警告しなくてはならない。真の神の教会は、実にこの目的のために存在させられたのである。

 

   もう罪を犯してはいけない 40

この神様の残りの民は、全宇宙に神様のご品性を擁護する証人になるべき使命を持っている。彼らは、人間の歴史の中で一番ひどい経済危機や、精神的、肉体的苦痛と困窮を通過する人々だ。人類史上、かつて経験したことのない試みと苦難を通過しながら、彼らは最後まで神様に忠誠を尽くし、罪の誘惑に勝利するのだ。だから、この最後の真の神の民の前では、誰も罪の言い訳をすることができなくなる。彼らのために、サタンの訴えは静まり、神様の律法が正しくて公平であることが、全宇宙に証明される。


福音の道しるべ 3

2013年05月24日 | 日記

  

 3 福音とは神のみ形の回復

心の宮に住まわれる聖霊が、罪に打ち勝つ力を私たちに与えられる。アダムは罪を犯し、悪に抵抗する力とともに、この貴重な神の内住を失った。贖いと回復のための神のご計画は、聖霊が再び私たちの心の内に住まわれ、神のみかたちに回復させるために、心の宮を清めてくださることなのである。これこそ、魂の渇望を満たしてくれる福音であり、これに匹敵する福音はほかに存在しない。パウロはこの福音について、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされた奥義、すなわち私たちの内にいますキリストであり、栄光の望みであると記述した。

 聖所の儀式は、罪の赦しよりもはるかに多くのことを教えてくれる。それは、人がどのようにして神のみかたちに回復されるのかを示しているのであって、その点が明確にされないなら、本来の目的を果たしてはいない。罪という、人を永遠の滅亡へと導く恐るべき病の、完全な治療法と、それを得るためにわれわれが何をしなければならないか、すべての人が見て理解できるようにと、神は完全な青写真を広げられたのである。

     もう罪を犯してはいけない 39

     Chapter7 十字架の力を経験する者たちの出現 

 天で反逆を起したサタンは、神様の統治と律法に対して、「神の支配は不当で、その律法は守ることができない」と主張した。しかし、イエス様が地上に来られて、十字架で亡くなられた時、その愛の十字架は、全宇宙に対して、神様に対するサタンの訴えが間違いであること、神様の律法は神様の愛のご品性を現したものであり、人間が従うことのできるものであることを完全に証明した。

 しかし、善悪の大争闘はまだ終わっていない。その理由は、イエス様以外にも、神様の戒めを守る「真の神の民」が起きなければならないからだ。「女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たち」が起こるべきだ。聖書は、地上最後の善と悪の大争闘の中で、神様の御名の名誉をかけてサタンと戦い、ついに勝利した残りの民、すなわち神様の証人が出現することをこのように預言している。 

ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある。(ヨハネの黙示録14章12節)



福音の道しるべ 2

2013年05月23日 | 日記

 

   福音の道しるべ 2 救いに至る道を示す聖所

罪に堕ちたこの世界を救うため、また、宇宙の調和と安定のために神が立てられた計画は、実は、聖所の中にあらわされているのである。聖所とは、モーセと古代イスラエル人に神が造るように命じられた移動式の神の宮のことで、神は、そこに住む、と言われた。聖所では、神が罪の問題をどのように扱い、解決なさるかが描かれている。救いに至る道は、ひとつしかない。神のご計画において、人を、エデンにいたときの状態に回復させる道も、ひとつだけである。そのことが、聖所の構造と儀式〔祭式〕をとおして、正確に示されている。しかし、聖所を造るように命じられた神の意図を正しく理解するためには、罪が世に侵入したときに起こったことを理解しなければならない。アダムは、はじめ、神の宮となるべき者として創造された。神は、アダムをはじめ、自らお創りになったすべてのものの内に住もうとなさった。 

輝く聖なるセラフから人間にいたるまで、すべての被造物が創造主の内住される宮となることが、永遠の昔から神の目的であった。罪のために人間は神の宮とならなくなった。人の心は、悪のために暗くなり、けがれたものとなったので、もはや聖なる神の栄光をあらわさなくなった。しかし神のみ子の受肉によって天の神の目的は達成された。神は人類の中にお住みになり、救いの恵みを通して、人の心はふたたび神の宮となる。

     もう罪を犯してはいけない 38 罪に勝利する祈りの秘訣

 このような時、私たちの中には、その人を怒らず、赦し愛する力はない。しかしその瞬間、このように祈ることはできる。 

「主よ!、今私の心の中には、怒りが出てきて、あの人に怒って仕返しをしたいという心が湧き上がってきています。しかし私は、イエス様の御心通りに行うことを願います。私を助けてください!」

このように、私たちの意志を働かせて、神様の方を選ぶ瞬間、神様が超自然的な力を与えて下さって、その人に対して柔和で親切な態度で接することができるように心を造り変えてくださるのだ。 

罪の誘惑が来た時、罪の肉の欲が湧き上がってきて、罪を犯しそうになった時、その瞬間こそ、私たちは、自分の肉の欲するところを主にゆだねてみ言葉に屈服し、意志を神様に捧げるべきだ。神様が創造主であることを覚えて求めるなら、その時神様は、罪に打ち勝つ力を与えて下さる。

神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えて下さい(詩篇51篇10節)



福音の道しるべ 1

2013年05月22日 | 日記

           

    福音の道しるべ

  はじめに

     聖所:それは人類救済の青写真〔詳細計画〕                                                                                    

イエス・キリストが、「私はすぐに来る」と言って昇天されてから、2000年近い歳月が過ぎた。その間、この世界に、どれだけ多くの戦争が繰り返され、大災害が起きてきたことだろう。なぜ、キリストの再臨は、これほどまでに遅れているのだろう? なぜ、救いや清めに関して、これほど多くの異なる教えがあるのだろう? だれの定義づけが正しいのだろう? 私たちは本当にイエスのようになることができるのか、また、ならなければいけないのか? 私たちは、罪を完全に克服することができるのか? 救いの計画を、もっとはっきり知る方法はないものだろうか? クリスチャン品性の完成とは、どのような意味があるのだろうか? またそれは、現実的な目標となり得るのだろうか?

 これらの疑問は、今日のクリスチャンたちが、地上歴史の最終局面に生存していることを悟るにつれて、ますます聞かれるようになっている。栄光の神にお会いし、永遠の命に入ろうと思うならば、これらの疑問が解かれねばならない。これらの疑問は、ひとつの根本的な質問に要約され得る。すなわち、永遠の命を相続するために、私は何をしなければならないか?との質問である。

          もう罪を犯してはいけない 37

      罪に勝利するための意志の用い方 

それでは私たちは、どうしたらイエス様のように罪に勝利する生き方をすることができるのか。そのためにはまず、私たちは罪に対する正しい理解を持っていなければならない。 

あるクリスチャンは、誘惑を受けて刺激にひかれること自体が「罪」になると思っている。しかし、聖書はそのことを罪とは呼ばない。それは誘惑であって、それが罪になるためには、段階がある。

欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す(ヤコブの手紙1章15節) 

 たとえばある人が、私をひどく傷つけ侮辱したとしよう。その時私は、選択を迫られる。自分のプライドが傷つけられたことに対して、怒って復讐するのか、「自分を愛するように隣人を愛し、敵を愛せよ」と言われるイエス様のお言葉に従って赦すのか、選ばなければならない。このような葛藤が心の内に生じた時が、まさに私たちの意志を使わなければならない時である。