SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 《第4天使の使命》 4

2013年05月08日 | 日記

 

   もう罪を犯してはいけない 23

  Chapter5 カルバリーが語る三つの事実

   クリスチャンの人生の中心はキリストの十字架だ。

   そこからすべての事が出発する。

   私たちは、十字架上で亡くなられた主の愛を

   正しく理解すべきである

   (1)十字架は十戒の不変性を語る

多くの人が、イエス様が十字架で神様の律法を廃したという。しかしそれは、正反対のことである。十字架は、神様の律法を廃しないで、むしろ完成させるのだ。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」(マタイによる福音書5章17節) 

義人の道は真理の道で、主の命令と戒めを守りながら生きる道だ。神様は私たちを許してくださり、主の血潮で私たちの良心を清めて下さったが、私たちに求められる原則と戒めは変わりがないことを、まず理解しなければならない。

 

サムエルの経験 4 祭司の堕落 

エレン・G・ホワイトはこのようなことを言っています。「真の改心の経験は教会でまれにしか見られない」と。世界中が、神様のみ言葉の飢饉に苦しんでおります。初めに、サムエル記上を開いてください。ここで、サムエル記上から興味深いところを見てみたいと思います。サムエル記上、3章の1節をご覧ください。お読みします。「わらべサムエルは、エリの前で、主につかえていた。その頃、主の言葉はまれで黙示も常ではなかった」

当時、エリという人が大祭司として国を治めていたころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかったという状態でありました。神の民は、本当の神様の言葉というのを知らなかったのです。大祭司も祭司たちも、よくわかっていませんでした。彼らは神様の言葉を理解できず、神様の声を聞くことが出来ないでいました。神様のみ言葉の教えというのは、もう、身の周りにいくらでもあったにもかかわらずです。霊的に盲目な状態だったのですね。世をねたむ、むさぼる、そういった思いを彼らは持っていました。祭司たちも実に腐敗していたのです。大祭司の息子たち、ホフニとピネハスは腐敗していました。彼らは本当に堕落していて、聖所の中で女性と関係を持つという、そういったことを大胆にもやっていたのですね。神様に捧げられたもの、献金なども彼らは平気で盗みました。民が捧げものを持ってきます。いけにえの捧げもの、動物がいましたけれども、そういったものを屠って焼いて捧げものにするわけですけれども、彼らはその中で一番良いところを自分のためにとって、肉を焼く前に肉を生のままで彼らは食べてしまいました。まだ肉から血がしたたっている状態のままそれを食べたのです。彼らの味覚も本当に堕落していました。

現代でも多くの人が肉を生のまま食べますね。お魚の刺身だけではなく、豚肉、牛肉でも生で食べる人がいます。そういった人たちを見たことがありますか?日本では食べませんか。お魚だけじゃなくて豚肉とか牛肉とか生で食べますか? 最近なんか食中毒事件がありましたね。韓国では非常に豪華な食べ放題のレストランなんかに行きますと、そこに大きな皿がありまして、刺身のように生の牛肉が切られて置いてあります。その皿の上に血が滴っているのが見えます。そういう肉が大好きな人がいるのです。そういう皿は特に人気があって早くから空っぽになります。