SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 14

2013年05月02日 | 日記

   

   もう罪を犯してはならない 17 苦難の杯を飲まれたキリスト

 私たちの贖い主であり、保証人であるキリストに、私たちすべての者の罪が置かれた。

キリストは、律法によって罪に定められていた私たちを贖うため、罪人に数えられることを引き受けられた。アダム以来、すべての子孫の罪がその方の心に重くのしかかった。そして、罪に対する神様の激しい怒り、罪への恐ろしい不快さが救い主の魂をおののかせた。

 イエス様は、背負われた恐ろしい罪の重荷によって、愛の神様のみ顔を見ることができなくなられた。この最大の苦難の時に、神様は、み顔を隠されたように思われた。その時、人間が決して完全に理解することのできない悲しみが、イエス様の心を貫いた。その苦しみがあまりにも大きかったので、イエス様は肉体の苦痛をほとんど感じられないほどだった。神様が罪を激しく憎まれるお方であるから、イエス様は、神様と永遠に分離してしまうのではないかと恐れられた。イエス様は、神様の裁きが下るその時に、罪人が感じる絶望を感じられた。その苦しみによって、イエス様の心臓は破裂した。イエス様は苦難の杯を最後の一滴まで飲み干された。イエス様の心臓が破裂したのは、罪に対する父なる神様の激しい怒りの意識であった。

   現代のイスラエル 15 福音は罪に勝利させる

もう一つ聖句を見てみましょう。創世記4章7節です。驚くべき聖句ですね。お読みします。「正しいことをしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」もし私たちが正しいことをしないで、神の戒めを破る、罪を犯すならば、罪がもう門口に待ち伏せているというわけです。私たちには常に罪を犯したいという欲望が潜んでいるのですね。しかし、それを私たちは抑え込むことが出来るようになっていますね。魂の門口でどんな経験をしたことがありますか。私たちは罪深い性質の故に、罪を犯したい、罪を犯しなさい、という誘惑が常にありますね。どのようにして、その誘惑、欲求に勝利しますか。イエス・キリストの思いを我がものにすることによって勝利するのです。イエス・キリストの信仰によってであります。信仰によって私達たちは神の戒めに従う必要があるのです。その時、罪はその力を失ってしまいます。これが答えなのです。これが福音です。