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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 〈第4天使の使命〉 6

2013年05月10日 | 日記


                       庭のナデシコ

        もう罪を犯してはいけない 25     

 十戒は神様の国の道徳的な律法である。神様の律法がなければ、神様の国の基礎がなくなってしまう。聖書は、律法を守らないことが罪だと定義する。 

 「罪は不法である」(ヨハネ第1の手紙3章4節) 

偶像礼拝、殺人、偽証、姦淫は、過去にも現在にも将来においても、永遠にわたって神様のみ前に罪であり、悪である。そして、神様がただ一つの罪でも、その責任を問わず、見過ごしにされるなら、天使たちは神様の律法を重要なものとは思わないだろう。そのようにして罪が放任されるなら、全宇宙は無秩序となり破滅するにちがいない。罪とはそれほど恐ろしいものである。

 

サムエルの経験 6 神様に用いられる子供を願うハンナ

当時、ハンナという女性がいまして、彼女は聖所に来てそこで祈りはじめました。子供が授からなかったので、そのために彼女は祈っていたのですね。息子を与えてほしいと彼女は願いました。彼女のことで理解しておくべき大事なことがあります。彼女には夫がいましたが、彼女を入れて二人の奥さんがいたのですね。そしてハンナは子供を授かっていなかったのですけれども、もう一人の妻は何人かの子供がいたのです。そういうわけで、ハンナは神様に、どうぞ私にも息子を与えてくださいと懸命に祈っていたわけです。その子供というのは、ただの子供ではなくて、本物の子供を授けてほしいと、神様に願っていたわけです。神様によって用いられるような人物を、与えてくださいと願っていたのです。もう一人の妻には何人か子供がいたのですね。でもそれは、ただの普通の子供たちでした。ほかの子供となんら変わらなかったのです。そして子供のいる方の妻が、この、子供を授かっていないハンナをしょっちゅういじめていたのですね。サムエル記上1章によると、もう一人の妻、ペニンナですが、彼女はハンナにとって敵となったとあります。一見教会にも、息子たち子供たちがいるように見えます。教会は新しい人にバプテスマを授けて、そうした人たちを神の子供として教会に連れてくるわけです。しかしそういった魂が、神の霊によってもたらされているのでなければ、そういった人たちは、真の教会にとって敵となってしまいます。もし、彼らが三天使の使命によって清められていないのであるならば、そういった人たちが私たちの迫害者にまわって、私たちを牢屋に入れるといったような業に加担するようになってしまいます。彼らは教会にいて教会の子供のように見えながら、そういった人たちの父は、実質上サタンになっているわけです。